「お初にお目にかかります。源義仲が嫡男、義高にございます」
「義高殿、よう参られた」
義高はまだ十一歳だが、しっかりとした言葉遣いをして、年よりも大人びて見えた。
また、とても顔立ちが端正でまつげが長く瞳も綺麗だった。
「鎌倉に来るのは不安ではありませんでしたか」
そばに控えていた義時が問いかけると少年はにこやかに
「鎌倉殿は私に害を与えはしない、そう我が父は申しました。父の言うことに間違いはないと思うております。それに、私は父に行けと言われればどこへでも参ります。」
と答えた。すらすらとした返事に義時は呆然としている。
(賢い子供だ)
頼朝は義高に期待しつつも先の恐ろしさを感じた。
「御所の中は自由に見て回ってようござる。とにもかくにも旅の疲れを癒すが宜しかろう」
さて、あの幼かった幡姫は鎌倉ですくすくと育ち、六歳になっていた。
つやつやした黒髪を赤い布でしばった姿はまことに愛らしく見える。
前年には弟の[漢字]万寿[/漢字][ふりがな]まんじゅ[/ふりがな](後の源頼家)が生まれ、すっかりお姉さん、といったところだろうか。そんな幡姫に政子は義高のことを教えた。
「あなたは先日鎌倉に来た義高殿のことを聞いた?」
「いいえ、知りません…」
「父上の、信濃国にいるいとこ、義仲殿の息子さんで、あなたの五つ上のお兄さんなの」
政子は続けた。
「父上が義高殿をあなたの遊び相手にどうかとおっしゃっていたわ」
「えっ?」
「あなたはいつも屋敷の中で本ばかり読んでいるから、お外に出て義高殿と遊ぶのはどうかしら」
ところが幡姫は小走りで御簾の後ろに隠れてしまった。
「あ、遊び相手はいいわ…小菊がいるもの…」
「あの子と一緒じゃずーっと中にいるでしょう?」
小菊というのは幡姫の侍女で、姫の生まれる前から政子のそばで暮らしていた少女である。
「申し訳ありません御台所様、幡姫様はどうにも人見知りで…」
小菊は幡姫にすっかり懐かれていて何かと甘えている。
「一度会ってみてはいかがでございます?義高殿は優しくて、お顔も美しいと聞きましたよ?」
「もう、小菊まで…!嫌!知らない人と会うなんて」
小菊の言うことにも耳を傾けず幡姫は逃げ出してしまった。
「申し訳ありません…」
謝る小菊に政子は幡姫の走り出た方を見やりながら優しく声を掛けた。
「いいわ、姫の負担になってしまってはいけないもの。だって義高殿は…」
ぽつりとつぶやいた政子の声は最後はかすれて聞こえなかった。
幡姫は御所の端にある庭の、そのまた端に隠れている。恥ずかしがり屋の彼女が度々逃げ込む秘密の場所だった。
(私に、ひとりで本を読んでいるより楽しいことがあるかしら)
幡姫は父や御家人達のことは好きだったが、幼さゆえに彼らが何を話しているのか分からないし、騒々しいのも苦手だった。母や侍女達は生まれたばかりの万寿のことで手一杯であった。
周りがこんななので彼女にとってはひとりでいる方が気が楽なのである。
(母上は私が屋敷の中ばかりにいると言うけれど、外で本を読むことだってあるよ…)
本を読んでばかりなのには変わりがない。
そんな幡姫が今夢中で読んでいるのが源氏物語だ。
(美しい源氏の君と華やかに着飾ったお姫様。京の都はそんなところなのかしら)
彼女は一人きりで想像を膨らませて楽しんだ。
(光源氏のような方は坂東にはいないよね。小四郎叔父上はきっと、彼よりもずっと優しいし、三浦の平六殿や畠山殿は光源氏くらい女の人に好かれるし、父上だって「源氏の君」といえばそうなんだけれど…やっぱり都にしかいないのかしら)
幡姫があれこれ妄想を繰り広げていると、人の足音がこちらへ向かってきた。
(えっ…普段は人なんか来ないのに)
彼女は茂みの陰に縮こまった。
(誰?)
気になってそっと顔を上げると、紺色の[漢字]直垂[/漢字][ふりがな]ひたたれ[/ふりがな]を着た少年が立っていた。
幡姫は息を飲んだ。
「光源氏…」
つづく
「義高殿、よう参られた」
義高はまだ十一歳だが、しっかりとした言葉遣いをして、年よりも大人びて見えた。
また、とても顔立ちが端正でまつげが長く瞳も綺麗だった。
「鎌倉に来るのは不安ではありませんでしたか」
そばに控えていた義時が問いかけると少年はにこやかに
「鎌倉殿は私に害を与えはしない、そう我が父は申しました。父の言うことに間違いはないと思うております。それに、私は父に行けと言われればどこへでも参ります。」
と答えた。すらすらとした返事に義時は呆然としている。
(賢い子供だ)
頼朝は義高に期待しつつも先の恐ろしさを感じた。
「御所の中は自由に見て回ってようござる。とにもかくにも旅の疲れを癒すが宜しかろう」
さて、あの幼かった幡姫は鎌倉ですくすくと育ち、六歳になっていた。
つやつやした黒髪を赤い布でしばった姿はまことに愛らしく見える。
前年には弟の[漢字]万寿[/漢字][ふりがな]まんじゅ[/ふりがな](後の源頼家)が生まれ、すっかりお姉さん、といったところだろうか。そんな幡姫に政子は義高のことを教えた。
「あなたは先日鎌倉に来た義高殿のことを聞いた?」
「いいえ、知りません…」
「父上の、信濃国にいるいとこ、義仲殿の息子さんで、あなたの五つ上のお兄さんなの」
政子は続けた。
「父上が義高殿をあなたの遊び相手にどうかとおっしゃっていたわ」
「えっ?」
「あなたはいつも屋敷の中で本ばかり読んでいるから、お外に出て義高殿と遊ぶのはどうかしら」
ところが幡姫は小走りで御簾の後ろに隠れてしまった。
「あ、遊び相手はいいわ…小菊がいるもの…」
「あの子と一緒じゃずーっと中にいるでしょう?」
小菊というのは幡姫の侍女で、姫の生まれる前から政子のそばで暮らしていた少女である。
「申し訳ありません御台所様、幡姫様はどうにも人見知りで…」
小菊は幡姫にすっかり懐かれていて何かと甘えている。
「一度会ってみてはいかがでございます?義高殿は優しくて、お顔も美しいと聞きましたよ?」
「もう、小菊まで…!嫌!知らない人と会うなんて」
小菊の言うことにも耳を傾けず幡姫は逃げ出してしまった。
「申し訳ありません…」
謝る小菊に政子は幡姫の走り出た方を見やりながら優しく声を掛けた。
「いいわ、姫の負担になってしまってはいけないもの。だって義高殿は…」
ぽつりとつぶやいた政子の声は最後はかすれて聞こえなかった。
幡姫は御所の端にある庭の、そのまた端に隠れている。恥ずかしがり屋の彼女が度々逃げ込む秘密の場所だった。
(私に、ひとりで本を読んでいるより楽しいことがあるかしら)
幡姫は父や御家人達のことは好きだったが、幼さゆえに彼らが何を話しているのか分からないし、騒々しいのも苦手だった。母や侍女達は生まれたばかりの万寿のことで手一杯であった。
周りがこんななので彼女にとってはひとりでいる方が気が楽なのである。
(母上は私が屋敷の中ばかりにいると言うけれど、外で本を読むことだってあるよ…)
本を読んでばかりなのには変わりがない。
そんな幡姫が今夢中で読んでいるのが源氏物語だ。
(美しい源氏の君と華やかに着飾ったお姫様。京の都はそんなところなのかしら)
彼女は一人きりで想像を膨らませて楽しんだ。
(光源氏のような方は坂東にはいないよね。小四郎叔父上はきっと、彼よりもずっと優しいし、三浦の平六殿や畠山殿は光源氏くらい女の人に好かれるし、父上だって「源氏の君」といえばそうなんだけれど…やっぱり都にしかいないのかしら)
幡姫があれこれ妄想を繰り広げていると、人の足音がこちらへ向かってきた。
(えっ…普段は人なんか来ないのに)
彼女は茂みの陰に縮こまった。
(誰?)
気になってそっと顔を上げると、紺色の[漢字]直垂[/漢字][ふりがな]ひたたれ[/ふりがな]を着た少年が立っていた。
幡姫は息を飲んだ。
「光源氏…」
つづく
- 1.序幕,伊豆国の姫君
- 2.突然の危機
- 3.伊豆山の女性たち
- 4.鎌倉入り
- 5.木曽の将軍
- 6.人質と姫君
- 7.若武者の正体
- 8.福始
- 9.義高の懐郷病(一)
- 10.義高の懐郷病(二)
- 11.躍進する義仲
- 12.小咄,鎌倉の恋人
- 13.幡姫の立ち聞き
- 14.旭日昇天
- 15.没落の始まり
- 16.決別と忠告
- 17.最悪の予感
- 18.そして日は沈む
- 19.矛盾した願い
- 20.恐ろしい計画
- 21.守りたいひと(一)
- 22.守りたいひと(二)
- 23.知らせ
- 24.それぞれの後悔
- 25.巴御前
- 26.義経の憂鬱
- 27.屋島
- 28.壇ノ浦の海
- 29.歓喜と不信
- 30.亀裂
- 31.不穏
- 32.別離の襲撃
- 33.すれ違いの果てに
- 34.囚われの白拍子
- 35.幡姫と静(一)
- 36.幡姫と静(二)
- 37.空蝉
- 38.奥羽の重鎮