1180年。幡姫は二歳であった。
京の法皇の子、[漢字]以仁王[/漢字][ふりがな]もちひとおう[/ふりがな]が平清盛らの横暴に耐えかね、四月、平家追討の令旨(皇太子の出す命令書)を全国の源氏に出したという。先の戦で平清盛に敗れ、北条に身を寄せる源頼朝のところにも届いたのは、勿論のこと。しかしその企みは早々に平家の知るところとなった。
その年の夏。今日は朝早くから屋敷が騒がしい。人々の声やら足音やらで幡が起きてしまった。政子は文句を言いに行きたいと思ったが、ぐっと飲み込んだ。今はそれどころではないのを彼女は知っている。
「平家の追討対象が、以仁王様のご令旨を受け取った源氏全て、とは!!」
「我らは挙兵したわけでもないのに、何故こうなる!」
平家は以仁王の反乱を素早く鎮め、その令旨を受け取った全国の反乱分子を潰しにかかっている。頼朝のもとにも兵が差し向けられるのは時間の問題だった。
政子は騒ぐ男たちに怯える幡を抱きかかえて、ひとり呑気にしている弟のところへ向かった。
政子の弟、北条小四郎義時。後に武家の頂点に立つこととなるが、今は一介の豪族の次男坊だ。
「姉上に幡ちゃん…おはようございます」
「…小四郎、あなたは頼朝様や父上や三郎(政子の弟、義時の兄)があんなに大変そうにしているのに、よくのんびり書物を読んでいられるわね」
「私だって考えてはいるんですよ…戦うのは我らですからね。でも、やはりそういうのは三郎兄上や父上の専攻ですから…ねえ、幡ちゃん」
義時はやたら幡姫を可愛がる。しかし、その二歳の幼子を使って言い訳をする。
「以仁王様と共に挙兵しなかったのは慎重な頼朝様らしいけれど…これからどうするのかしら、攻めてきたら迎え撃つわね?それとも…」
「私に聞かないでください!」
突然義時が大きな声を出したので彼女達は慌てて部屋を出た。義時も顔には出さないが、不安なのだろう。
政子と幡姫は皆が集まる部屋を覗いてみたが、あまりに殺伐としているので割ってはいる勇気はなく、柱の影から様子見をするに留めた。
「やはり挙兵しかないと思うがな」
「このまま座して死を待つくらいなら賭けに出ようではないか」
(平家が攻めてくる前に挙兵するという意見が優勢なのね…。)
頼朝は目をつむって思案している。しばらくあとに口を開いた。
「平家方の代官の[漢字]山木兼隆[/漢字][ふりがな]やまきかねたか[/ふりがな]、[漢字]堤信遠[/漢字][ふりがな]つつみののぶとお[/ふりがな]を討ち取り、それをもって挙兵ののろしとする」
(頼朝様は…兵を挙げることを宣言された。)
政子は妻としての覚悟を決めようとしている。
幡姫も緊迫感を感じ取ったらしく、不安げにか細く声を上げた。
その夜。山木館に一筋の矢が放たれた。
この矢は世に言う源平合戦―治承・寿永の乱の始まりの一矢であり、源氏、平家、さらには幡姫をはじめとする女性達の命運をも握る矢なのである。
つづく
京の法皇の子、[漢字]以仁王[/漢字][ふりがな]もちひとおう[/ふりがな]が平清盛らの横暴に耐えかね、四月、平家追討の令旨(皇太子の出す命令書)を全国の源氏に出したという。先の戦で平清盛に敗れ、北条に身を寄せる源頼朝のところにも届いたのは、勿論のこと。しかしその企みは早々に平家の知るところとなった。
その年の夏。今日は朝早くから屋敷が騒がしい。人々の声やら足音やらで幡が起きてしまった。政子は文句を言いに行きたいと思ったが、ぐっと飲み込んだ。今はそれどころではないのを彼女は知っている。
「平家の追討対象が、以仁王様のご令旨を受け取った源氏全て、とは!!」
「我らは挙兵したわけでもないのに、何故こうなる!」
平家は以仁王の反乱を素早く鎮め、その令旨を受け取った全国の反乱分子を潰しにかかっている。頼朝のもとにも兵が差し向けられるのは時間の問題だった。
政子は騒ぐ男たちに怯える幡を抱きかかえて、ひとり呑気にしている弟のところへ向かった。
政子の弟、北条小四郎義時。後に武家の頂点に立つこととなるが、今は一介の豪族の次男坊だ。
「姉上に幡ちゃん…おはようございます」
「…小四郎、あなたは頼朝様や父上や三郎(政子の弟、義時の兄)があんなに大変そうにしているのに、よくのんびり書物を読んでいられるわね」
「私だって考えてはいるんですよ…戦うのは我らですからね。でも、やはりそういうのは三郎兄上や父上の専攻ですから…ねえ、幡ちゃん」
義時はやたら幡姫を可愛がる。しかし、その二歳の幼子を使って言い訳をする。
「以仁王様と共に挙兵しなかったのは慎重な頼朝様らしいけれど…これからどうするのかしら、攻めてきたら迎え撃つわね?それとも…」
「私に聞かないでください!」
突然義時が大きな声を出したので彼女達は慌てて部屋を出た。義時も顔には出さないが、不安なのだろう。
政子と幡姫は皆が集まる部屋を覗いてみたが、あまりに殺伐としているので割ってはいる勇気はなく、柱の影から様子見をするに留めた。
「やはり挙兵しかないと思うがな」
「このまま座して死を待つくらいなら賭けに出ようではないか」
(平家が攻めてくる前に挙兵するという意見が優勢なのね…。)
頼朝は目をつむって思案している。しばらくあとに口を開いた。
「平家方の代官の[漢字]山木兼隆[/漢字][ふりがな]やまきかねたか[/ふりがな]、[漢字]堤信遠[/漢字][ふりがな]つつみののぶとお[/ふりがな]を討ち取り、それをもって挙兵ののろしとする」
(頼朝様は…兵を挙げることを宣言された。)
政子は妻としての覚悟を決めようとしている。
幡姫も緊迫感を感じ取ったらしく、不安げにか細く声を上げた。
その夜。山木館に一筋の矢が放たれた。
この矢は世に言う源平合戦―治承・寿永の乱の始まりの一矢であり、源氏、平家、さらには幡姫をはじめとする女性達の命運をも握る矢なのである。
つづく
- 1.序幕,伊豆国の姫君
- 2.突然の危機
- 3.伊豆山の女性たち
- 4.鎌倉入り
- 5.木曽の将軍
- 6.人質と姫君
- 7.若武者の正体
- 8.福始
- 9.義高の懐郷病(一)
- 10.義高の懐郷病(二)
- 11.躍進する義仲
- 12.小咄,鎌倉の恋人
- 13.幡姫の立ち聞き
- 14.旭日昇天
- 15.没落の始まり
- 16.決別と忠告
- 17.最悪の予感
- 18.そして日は沈む
- 19.矛盾した願い
- 20.恐ろしい計画
- 21.守りたいひと(一)
- 22.守りたいひと(二)
- 23.知らせ
- 24.それぞれの後悔
- 25.巴御前
- 26.義経の憂鬱
- 27.屋島
- 28.壇ノ浦の海
- 29.歓喜と不信
- 30.亀裂
- 31.不穏
- 32.別離の襲撃
- 33.すれ違いの果てに
- 34.囚われの白拍子
- 35.幡姫と静(一)
- 36.幡姫と静(二)
- 37.空蝉
- 38.奥羽の重鎮