徳川忠長。彼は一時は次期将軍候補としてもてはやされ、家光が将軍となった現在は甲府、駿河、遠江の五十五万石を治め、「駿河大納言」と人々から呼ばれる大名だ。しかしこの頃は、
「百万石の領地をくれ」
「そうでなければ大阪城をくれ」
という傲慢な嘆願書を父に送ったことによって次第に父からも見放されていき、家光との仲も悪化する。そんな中で母お江が亡くなり、味方を失った忠長の素行は悪くなるばかりだった。
彼の決定的な失敗は母の死から四年後、浅間神社の周りで崇められている猿千二百匹余りを駆除したことだ。この神社は家康ゆかりの神聖な場所で、勿論猿を狩ることは禁じられている。さらにその後家臣を殺害したという話もあり、忠長は家光に蟄居を命じられてしまった。これが1630年に起こった猿狩事件の顛末である。
「昔のあいつは利発で賢い奴だったのにな」
家光は溜め息をついた。
「忠長のことでは手を焼いているんだ。しかも懲りずにまた何かとやらかしておる」
政宗は、お察しいたします、とばかりに頭を下げ、そして家光を見やった。
「どうなさるおつもりで?」
「どうなさる、とは」
「忠長様の処遇でございます」
「…これが続くようであれば、改易だ」
改易とは、領地を没収するということである。が、政宗はいつになく冷たい口調で呟いた。
「争いの火種は消しておくに限ります」
「親父殿、それは」
「まあ上様に楯突こうなどというお考え、ないと願いますが…忠長様が上様に協調的で無いのは明白。このまま弟ぎみを置いといても良いことは無いでしょう」
この時に政宗は語らなかったが、彼は過去に義姫と共に毒殺計画を共謀した弟の小次郎を殺めている。事件の責任をとらせたとも、弟を担ぎ上げられ、伊達家内部が争いになるのを防ぐためともいう。
何にせよ、家光は政宗の、乱世の部分を見た気がした。
「それで…儂にどうせよと」
「そこは上様が考えるところでございますよ」
政宗はそれ以上は何も言わなかった。
ただ言えるのは、こののち、忠長は改易、そしてついに家光に切腹を命じられて亡くなったということだけである。
さて、この頃徳川秀忠が病に倒れる。治らないかもしれない、と言われているのも家光の耳に入った。
「これでいまだに幕府を牛耳る父上がいなくなるわけか…」
「まだ早うござるぞ、上様!…が、それにしても寂しくなりますな」
すると家光は政宗にこんなことを聞いた。
「そういえば親父殿の父上ってどんな武将だったのかよく知らないな」
「その話は…」
急に口が重くなるが、政宗は話し始めた。
「凄く…優しい方でしたよ、乱世に似合わずね。とても温和で、片目の私のことも誰よりも愛してくれて…私はそんな父を尊敬していました」
「親父殿の父上は良い人なんだね、儂のところとは違って」
「何をおっしゃいます、秀忠様とて家康公を引き継ぎこの幕府を守ってこられたのだし、お人柄も良い方ですよ…家光様としてはどうあれ」
政宗は苦笑して家光に説き聞かせた。
「でも」
家光はそっとつぶやいた。
「これは誰にも言うでない……儂の思っている様な父上は、紛れもなくそなたであったぞ、親父殿」
政宗は思わぬ嬉しい言葉に驚き、そして幸せそうに笑顔を見せた。
「もったいなきお言葉にございまする…!!政宗、もうこの世に思い残すことはございませぬ…!」
「まったく、親父殿は大袈裟じゃな!これからも頼むぞ!」
家光は笑って言ったが、政宗ももう六十六歳、彼にしてみればそろそろ、冗談ともとれぬ言葉であった。
つづく
「百万石の領地をくれ」
「そうでなければ大阪城をくれ」
という傲慢な嘆願書を父に送ったことによって次第に父からも見放されていき、家光との仲も悪化する。そんな中で母お江が亡くなり、味方を失った忠長の素行は悪くなるばかりだった。
彼の決定的な失敗は母の死から四年後、浅間神社の周りで崇められている猿千二百匹余りを駆除したことだ。この神社は家康ゆかりの神聖な場所で、勿論猿を狩ることは禁じられている。さらにその後家臣を殺害したという話もあり、忠長は家光に蟄居を命じられてしまった。これが1630年に起こった猿狩事件の顛末である。
「昔のあいつは利発で賢い奴だったのにな」
家光は溜め息をついた。
「忠長のことでは手を焼いているんだ。しかも懲りずにまた何かとやらかしておる」
政宗は、お察しいたします、とばかりに頭を下げ、そして家光を見やった。
「どうなさるおつもりで?」
「どうなさる、とは」
「忠長様の処遇でございます」
「…これが続くようであれば、改易だ」
改易とは、領地を没収するということである。が、政宗はいつになく冷たい口調で呟いた。
「争いの火種は消しておくに限ります」
「親父殿、それは」
「まあ上様に楯突こうなどというお考え、ないと願いますが…忠長様が上様に協調的で無いのは明白。このまま弟ぎみを置いといても良いことは無いでしょう」
この時に政宗は語らなかったが、彼は過去に義姫と共に毒殺計画を共謀した弟の小次郎を殺めている。事件の責任をとらせたとも、弟を担ぎ上げられ、伊達家内部が争いになるのを防ぐためともいう。
何にせよ、家光は政宗の、乱世の部分を見た気がした。
「それで…儂にどうせよと」
「そこは上様が考えるところでございますよ」
政宗はそれ以上は何も言わなかった。
ただ言えるのは、こののち、忠長は改易、そしてついに家光に切腹を命じられて亡くなったということだけである。
さて、この頃徳川秀忠が病に倒れる。治らないかもしれない、と言われているのも家光の耳に入った。
「これでいまだに幕府を牛耳る父上がいなくなるわけか…」
「まだ早うござるぞ、上様!…が、それにしても寂しくなりますな」
すると家光は政宗にこんなことを聞いた。
「そういえば親父殿の父上ってどんな武将だったのかよく知らないな」
「その話は…」
急に口が重くなるが、政宗は話し始めた。
「凄く…優しい方でしたよ、乱世に似合わずね。とても温和で、片目の私のことも誰よりも愛してくれて…私はそんな父を尊敬していました」
「親父殿の父上は良い人なんだね、儂のところとは違って」
「何をおっしゃいます、秀忠様とて家康公を引き継ぎこの幕府を守ってこられたのだし、お人柄も良い方ですよ…家光様としてはどうあれ」
政宗は苦笑して家光に説き聞かせた。
「でも」
家光はそっとつぶやいた。
「これは誰にも言うでない……儂の思っている様な父上は、紛れもなくそなたであったぞ、親父殿」
政宗は思わぬ嬉しい言葉に驚き、そして幸せそうに笑顔を見せた。
「もったいなきお言葉にございまする…!!政宗、もうこの世に思い残すことはございませぬ…!」
「まったく、親父殿は大袈裟じゃな!これからも頼むぞ!」
家光は笑って言ったが、政宗ももう六十六歳、彼にしてみればそろそろ、冗談ともとれぬ言葉であった。
つづく