家光は江戸城西の丸へ向かっている。政宗に諭され、お江と会うことにしたのだ。しかし彼の足取りは重かった。政宗の言うことに納得はしているのだが、やはり疎遠であった母に会いに行くというのは家光にとって難しいことだった。
お江の居室の辺りはしんとしていて、音を立てるのもはばかられるようだ。家光は意を決して声を掛ける。
「…失礼いたします」
「家光?」
珍しい来客にお江は驚いたらしかった。
「お入りなさい」
顔をあわせる機会は度々あったものの、親しく話すというわけではなかったので、何を話していいのか分からず戸惑い、暫くの沈黙が流れる。
「随分と久しいわね、そなたとこうして二人で話すのは」
始めに口を開いたのはお江だった。
「…はい、此度の秋の上洛の前に…お声が聞きとうなりまして」
「そう、秀忠様と忠長は先日も来たが、そなたが来てくれるとは思うておらなんだから、嬉しいのう」
「、はい」
(嬉しいのか、儂が訪ねてくるのが…)
思わぬ言葉に驚き、不審に思って曖昧に返事をした。お江はそのままたわいもない世間話をしたが、家光には少し彼女を信じきれない気持ちがあり、居心地が悪かったのでそれとなく話の区切りがつくと帰ろうとした。するとお江が家光に声をかけた。
「そなたの顔を見ていると、昔のことが思い出されてくるわね」
「…」
「その節は…すまなかったのう。昔はそなたを純粋に愛せなかった…酷い母だったかもしれぬな。今は…そなたを自慢の息子と思うておりますよ、竹千代。」
家光は動揺を隠せなかった。母が、母上が、自分を自慢の息子と思ってくれた。目の奥が熱くなってくる。
「立派な上様になられましたな…これもそなたを育ててくれたお福のお陰、と福に伝えてくれるか……家光?」
涙が畳の上に音を立てて落ちた。家光は目に涙を溜めて母に飛びついた。
「…ははうえ!」
そんな息子をお江は愛おしそうに抱き寄せた。
・・・
来る二条城行幸。家光、秀忠らは江戸を出て京へ。都はお祭りのような騒ぎである。参列したのは総勢九千人、五日間にわたって将軍家が天皇をもてなす盛大なものだった。
お江の危篤が伝えられたのはそのさなかである。将軍である家光が江戸へ戻ることは出来なかった。
(母上に会うことはもう無いのだな…)
ともに上洛していた忠長は急ぎ江戸へ戻るが母の死には間に合わなかった。
お江は江戸で静かにこの世を去る。享年五十四。彼女の遺体は本人の意向により火葬されることとなった。
・・・
江戸へ帰ってきた政宗の耳にもお江の逝去は伝わっていた。家光はかなり気落ちしているが、政宗には僅かに微笑んで言った。
「親父殿、ありがとうな。お陰で母上と最後に話すことができた。そなたのお陰で、母上と…」
今にも泣き出しそうな将軍を政宗は慰める術も無く、ただ傍らにいた。
「まあ、いつまでも将軍がめそめそしていては福に叱られてしまうな。それに儂には解決しなくてはならないことができた」
政宗は察した様子で声を低くして訪ねた。
「弟の忠長様…でございますか」
つづく
お江の居室の辺りはしんとしていて、音を立てるのもはばかられるようだ。家光は意を決して声を掛ける。
「…失礼いたします」
「家光?」
珍しい来客にお江は驚いたらしかった。
「お入りなさい」
顔をあわせる機会は度々あったものの、親しく話すというわけではなかったので、何を話していいのか分からず戸惑い、暫くの沈黙が流れる。
「随分と久しいわね、そなたとこうして二人で話すのは」
始めに口を開いたのはお江だった。
「…はい、此度の秋の上洛の前に…お声が聞きとうなりまして」
「そう、秀忠様と忠長は先日も来たが、そなたが来てくれるとは思うておらなんだから、嬉しいのう」
「、はい」
(嬉しいのか、儂が訪ねてくるのが…)
思わぬ言葉に驚き、不審に思って曖昧に返事をした。お江はそのままたわいもない世間話をしたが、家光には少し彼女を信じきれない気持ちがあり、居心地が悪かったのでそれとなく話の区切りがつくと帰ろうとした。するとお江が家光に声をかけた。
「そなたの顔を見ていると、昔のことが思い出されてくるわね」
「…」
「その節は…すまなかったのう。昔はそなたを純粋に愛せなかった…酷い母だったかもしれぬな。今は…そなたを自慢の息子と思うておりますよ、竹千代。」
家光は動揺を隠せなかった。母が、母上が、自分を自慢の息子と思ってくれた。目の奥が熱くなってくる。
「立派な上様になられましたな…これもそなたを育ててくれたお福のお陰、と福に伝えてくれるか……家光?」
涙が畳の上に音を立てて落ちた。家光は目に涙を溜めて母に飛びついた。
「…ははうえ!」
そんな息子をお江は愛おしそうに抱き寄せた。
・・・
来る二条城行幸。家光、秀忠らは江戸を出て京へ。都はお祭りのような騒ぎである。参列したのは総勢九千人、五日間にわたって将軍家が天皇をもてなす盛大なものだった。
お江の危篤が伝えられたのはそのさなかである。将軍である家光が江戸へ戻ることは出来なかった。
(母上に会うことはもう無いのだな…)
ともに上洛していた忠長は急ぎ江戸へ戻るが母の死には間に合わなかった。
お江は江戸で静かにこの世を去る。享年五十四。彼女の遺体は本人の意向により火葬されることとなった。
・・・
江戸へ帰ってきた政宗の耳にもお江の逝去は伝わっていた。家光はかなり気落ちしているが、政宗には僅かに微笑んで言った。
「親父殿、ありがとうな。お陰で母上と最後に話すことができた。そなたのお陰で、母上と…」
今にも泣き出しそうな将軍を政宗は慰める術も無く、ただ傍らにいた。
「まあ、いつまでも将軍がめそめそしていては福に叱られてしまうな。それに儂には解決しなくてはならないことができた」
政宗は察した様子で声を低くして訪ねた。
「弟の忠長様…でございますか」
つづく