「いやいや、最高ですって!」
「いえ、ですが…」
うちとミゼさんはさっきから、お茶菓子片手に水掛け論を繰り広げていた。
ミゼさんはどうやら、今までつらい目にあった他人を救うために、幾度となく“呪い”をかけることを繰り返していたらしい。
よほどそのことに罪悪感を感じているのか、そのことを打ち明けたときの彼女の表情は切実だった。なんか、変な感じ。どっちが悩み相談してる側なのか分からない。
…私の与える幸福は、必ず誰かの不幸の上に成り立っているものなんです。私は優しい人を幸せにしたいがために、誰かを攻撃対象にすることしかできないエゴイストなんです。
「…いやでも、呪ってるのは悪い人たちばっかなんですよね?じゃあそれは仕返しってことで、ミゼさんは悪くないんじゃ」
「“人を呪わば穴二つ”という言葉も、知っているんです。復讐が何も生まないことも。依頼人様自身が幸せになるためにしなければならないことを、私はできない」
そこまで言うと、ミゼさんは先ほど部屋の隅の高価そうなチェストから出してきた、繊細で優美な木彫りの小箱を開けた。
「占いなら水晶と珊瑚、それに翡翠。呪いなら真珠に琥珀、そして瑪瑙の宝玉を使います。前者は対象者の過去・現在・未来の観測を行うものですが、後者には対象者の運命や行動を変える力があります。私は…いつも」
「えっ?ちょっと待ってください」
つやつやと光るまん丸の宝石たちを見つめて、少し話を遮る。
「“対象者の運命や行動を変える”んですか?“対象者に何か悪いことが起こるようにできる”とかじゃなくて?」
「…はい。ですが呪いの本質はそこでして、私が行う呪いは大抵その通りですから、実質変わらな…」
「えっと、それじゃあ」
この時のうちは、何だか不思議な気分になっていたんだと思う。
自分が悩みを話した側のクセに、あまりにも弱々しい彼女の表情を見ているうち、
…うちは、自分のことなんてものを二の次にして、この優しすぎる魔女さんを救ってあげたい、と思ってしまったのだ。
「依頼内容を変更します。加害者を、その宝玉で“幸せ”にしてください」
ほとんど考えることなく、そんな言葉が出てきた。
「ミゼさん。その力で、「[漢字]呪[/漢字][ふりがな]のろ[/ふりがな]い」ではなく「[漢字]呪[/漢字][ふりがな]まじな[/ふりがな]い」をかけてやりましょう!」
「まずはコイツです。めっちゃアタックしてた彼女に振られたらしいので、誰かに慰めてもらいます!流石に彼女にコイツを好きにさせることはできないですよね?」
「…はい。好き、嫌いといった根本的な人心への干渉はできません。あくまで“こうしてみたら?”というアドバイスをさり気なく意識させる程度です」
真珠玉は“思考”、琥珀玉は“行動”、瑪瑙玉は“運命”を操る、らしい。彼の友達数名をピックアップし、真珠玉で“励ましたい”という気持ちを芽生えさせ、琥珀玉で彼らを動かし、瑪瑙玉で“彼をいずれ好きになる子と出会える運命”を未来に配置する。
「じゃあ、次は…コイツ、家庭環境が複雑らしいんで…おばあちゃんちに一時的に預かってもらいましょうか」
そういう具合に、次々とそいつらを“幸せ”にしていった。
おお、なんかチェス盤みたいに全てを操れるのって気持ちいいですね〜、なんて言いながら作業をしていると、方法を教えてくれていたミゼさんが、心配そうにこう言った。
「あの…本当に、これでよろしいのですか?相手は火闇さんを苦しめた方々なのに…」
…確かに、少し前のうちなら、複雑な感情はあったはずだ。
なんでうちをいじめた奴らを幸せにしなくちゃならないんだ、とか。できれば最高に不幸にしてやりたい、とか。
…だけど。
「好きの反対は無関心、って言うじゃないですか。うち、ずっと“気にしてない”って「ふり」だけをして心を守ってたんです。
…それって、めっちゃダサいなって。でも今は、本当に“気にしてない”。ダサい嘘が、本当になったんです」
不幸を願うほど、相手が嫌い。でも今は…あんな奴ら、嫌うだけムダ、って思えている。
「そういうふうに変わることができたなら、それってめっちゃいい意味での“どうでもいい”じゃないですか。それに…」
この結果がたとえ彼らに、本当の幸せを与えなかったとしても。
確実に、目の前のたった一人の彼女は、紛れもなく救われたような顔をしていた。
…どうやらうちは、
Q.うちは何でしょう?
A.たぶん、わりと、お人好し。
…らしい。
やっと、“自分”が、ほんの少しだけ分かったような気がした。
「…それで?」
「なんだか、不思議な依頼人様でした。きっと大変なお辛い体験をされてきたでしょうに、私がさらけ出した自分の弱点と醜さに、かえって共感してくださって…自分を貶めた人を幸せにするなんて、そんなこと考えたこともありませんでした」
依頼人が帰ったあと、柔らかな陽光の降り注ぐ森林の部屋に、ふたつの魔女の姿があった。
「まるで私の方が相談をしてしまっていたような…プロとして、失格ですね」
ミゼがうなだれると、水晶玉を手に取りそれを眺めながら、隣に立っていた魔女…シーラが、涼やかな視線を彼女に向ける。
「案外、悪くはなかったかもしれないぞ。これを見ろ」
そう言われたミゼが覗き込んだ“現在”を映し出す水晶玉は、森の光を反射して透明な氷のように輝いていた。
Q.ここのところ、毎日がやけに楽しいのはどうして?
A.悩みの種がなくなったからじゃない?
以前とは違って、どんな問いにもするすると答えが出てくる。身体がよく動いて、調子が良い。
…いじめられる前って、こんな感じだったっけ。そういえばうちって、もともと結構明るかったっけ。
―悪かったよ。…ごめん。
素直じゃない謝罪と共にソイツらから差し出されたのは、2つのマスコットだった。
1つは、あの日壊されてしまったクマと全く同じ、新品のキーホルダー。
そしてもう1つは、不器用に繕われた、ボロボロのあのクマだった。
「これ…!なんで…」
「ホント、ただのイタズラ半分のつもりだったんだよ。今までも他のヤツに結構、…だいたい似たようなことをしてきた。だけど、あの後、お前の友達経由で「アレ、かぐらの死んだばあちゃんの形見だったんだって」って聞いたんだよ」
弁解めいた口調で気まずそうにそう言ったのは、あの日うちが幸せにしたひとり、「家庭環境が複雑」な…シングルファザーで、やや軽いDVのようなものを受けている、彼だった。おばあちゃんちに一時的に預かってもらったことで、すっかりおばあちゃんっ子になってしまったようである。そういえば、以前は仲間同士でやり合っていたのかと思っていた身体の痣も、今はすっかりない。きっと、父親から開放されたのだろう。
「なんか、ありが…」
「感謝しないでくれ。悪いの俺等だし、新品も謝罪のつもりで買ってきたヤツだから。…俺、知ってるだろうけど告ったヤツに振られたせいでかなり荒れてたんだよ。…言い訳にもならないけど、ごめん」
ソイツも、たしか誰かに励ましてもらうように運命をいじったんだっけか。
「マズローの欲求5段階説」というものがある。
アメリカの心理学者が提唱した、人間の欲求の分類理論。
食べたい、寝たい…という「生理的欲求」。
→心身の安全を確保したい…という「安全欲求」。
→組織に属し、他者から評価されたい…という「社会的欲求」。
→自分の価値を認めてもらいたい、尊敬されたい…という「承認欲求」。
→見返りも求めず、代償を厭わず、理想の自分になりたい…という「自己実現欲求」。
そして、自らのエゴを超えて他者を思いやる、「自己超越欲求」。
この理論によれば、低次元の欲求が満たされていなければより高次元の欲求は生まれない、らしい。
つまり、「自分が幸せでなければ人に優しくすることは難しい」ということ。
…うちが、コイツらを幸せにできたからだ。コイツらは、自分が幸せになって初めて、うちの気持ちを考えることができるようになって、こうしてうちに誠意を見せて謝罪してきた。
「ふふっ…」
うちは新品のクマと、ボロボロのクマを見比べて、笑いをこぼした。
「…へったくそ」
「悪かったって!自分で縫ったんだよ!針めっちゃ手に刺さったんだからな!」
「んで俺のばあちゃんに助け求めたら、めっちゃ怒られた。「自分で直せないモンを壊すんじゃねえ!」って」
「はっはは!災難だったね!」
その日。
教室のとある机の周りには、絶えず一日中笑い声が響いていた。
「…という感じらしいぞ」
「私…」
水晶玉から顔をあげたミゼは、まっすぐにシーラを見つめた。
「はじめて、作り出せました。完璧な…“ハッピーエンド”」
ミゼは、今までにないほどに緩みきった顔に、幸せそうな笑みを浮かべていた。
シーラは、そうだな、とだけ言った。
…この聡明な小さな依頼人のおかげで、やっとミゼも過去のトラウマから開放されたのだろうか、と思いながら。
「それにしてもよく言ったものだ。「[漢字]呪[/漢字][ふりがな]のろ[/ふりがな]い」ではなく「[漢字]呪[/漢字][ふりがな]まじな[/ふりがな]い」か」
「“漢字の読み”、ですか。常用のものだけで2136字あるんですってね。読み方まではなかなか覚えられませんね」
シーラはふふっと笑う。
「ミゼはよくやっている方だよ。人間界についてなら、私より知っていることも多いだろう。例えば、この依頼人の場合…えーっとなんだっけ、あの「誰かにしてあげた親切は巡り巡って自分に返ってくるよ」ってことわざ」
「情けは人の為ならず、ですね」
そうそう、と相槌をうってから、シーラは小さな声で愚痴った。
「流石だな。…リーエなんて私が作った翻訳魔具媒介システムに頼り切りで、言語すら覚えようとしない」
「まあまあ」
シーラがその木戸から出ていった後、ミゼはぼうっとその宝玉を眺めていた。
…これが、呪うことしかできない自分が生み出せる、最大限のハッピーエンド…
遠い昔、忌まわしいあの一族から呪詛用として渡されたこの宝石箱がまさか「人を幸せにする」という用途で使えるとは思わなかった。
…そんなことを思っていたとき、あることを思い出す。
相談が終わった後、ミゼは彼女をとある部屋へと連れて行った。
怪しげで甘い香りの漂う、不気味で可愛らしいその部屋は、リーエの仕事部屋である。
「お姉さん、このキーホルダー落としたよ。追いかけて渡そうとしたんだけど、お姉さん逃げていっちゃうから…」
「あっ…ありがと…君は?」
そのハロウィンムードの部屋の中でリーエと向き合っていたのは、気弱そうな少女。見た目の年齢だけなら大人と言って差し支えないほどだが、なんとなく弱々しげで頼りない。
「うちは、火闇。…これ、大事なものだったらどうしようって、追いかけてきて良かった」
彼女は、にっこりと微笑んでそう言った。
人間界の著名な心理学者であるマズローによれば、人間は自分が幸せでなければ、人のことを思いやることは難しい、らしい。
ただ、この小さな依頼人は、その説の“例外”…根がものすごく優しい人、だったのかもしれない…と、ミゼは思った。
「ありがとう…!」
かぼそいながらも力強い、でも少し泣きそうな笑顔で、その少女は言う。
彼女にも、なにか大切なことと、それを守りたいという優しさがあったのだろうか。
「完璧なハッピーエンドとは、いつでも人の優しさから生まれるもの、なんでしょうかね…」
実は、ミゼの呪具にはとある“制約”が課されている。
それは、「人を呪う時、その相手は術者=ミゼのことを知らない人物でなくてはならない」ということ。
相手に顔や素性が割れている場合、呪い返しをされてしまうから…という理由らしい。つくづく無責任なものである。
ミゼは、今回の依頼人にも、「[漢字]呪[/漢字][ふりがな]まじな[/ふりがな]い」をかけたい、と思った。
優しすぎる彼女が、少しでも幸せな未来を生きていけるよう、祈りたい。
だけど、彼女はミゼのことを知ってしまっている。これでは幸せにしてあげることができない…
そこで、ミゼは。
無断で、記憶を消した。
「優しいあなたが、どうかずっと幸せにいられますように…」
自分で気づいていないだけで本当は、だれよりも優しいその華奢な魔女。
祈りを込めた宝玉はつややかに輝き、夕暮れの木漏れ日がそのぬくもりの部屋に、優しい影を落としていた。
担当占い師:ミゼ
依頼人:宵宮 火闇、10歳の少女。
消した記憶:彼女のために祈っている、とある魔女の記憶。
「いえ、ですが…」
うちとミゼさんはさっきから、お茶菓子片手に水掛け論を繰り広げていた。
ミゼさんはどうやら、今までつらい目にあった他人を救うために、幾度となく“呪い”をかけることを繰り返していたらしい。
よほどそのことに罪悪感を感じているのか、そのことを打ち明けたときの彼女の表情は切実だった。なんか、変な感じ。どっちが悩み相談してる側なのか分からない。
…私の与える幸福は、必ず誰かの不幸の上に成り立っているものなんです。私は優しい人を幸せにしたいがために、誰かを攻撃対象にすることしかできないエゴイストなんです。
「…いやでも、呪ってるのは悪い人たちばっかなんですよね?じゃあそれは仕返しってことで、ミゼさんは悪くないんじゃ」
「“人を呪わば穴二つ”という言葉も、知っているんです。復讐が何も生まないことも。依頼人様自身が幸せになるためにしなければならないことを、私はできない」
そこまで言うと、ミゼさんは先ほど部屋の隅の高価そうなチェストから出してきた、繊細で優美な木彫りの小箱を開けた。
「占いなら水晶と珊瑚、それに翡翠。呪いなら真珠に琥珀、そして瑪瑙の宝玉を使います。前者は対象者の過去・現在・未来の観測を行うものですが、後者には対象者の運命や行動を変える力があります。私は…いつも」
「えっ?ちょっと待ってください」
つやつやと光るまん丸の宝石たちを見つめて、少し話を遮る。
「“対象者の運命や行動を変える”んですか?“対象者に何か悪いことが起こるようにできる”とかじゃなくて?」
「…はい。ですが呪いの本質はそこでして、私が行う呪いは大抵その通りですから、実質変わらな…」
「えっと、それじゃあ」
この時のうちは、何だか不思議な気分になっていたんだと思う。
自分が悩みを話した側のクセに、あまりにも弱々しい彼女の表情を見ているうち、
…うちは、自分のことなんてものを二の次にして、この優しすぎる魔女さんを救ってあげたい、と思ってしまったのだ。
「依頼内容を変更します。加害者を、その宝玉で“幸せ”にしてください」
ほとんど考えることなく、そんな言葉が出てきた。
「ミゼさん。その力で、「[漢字]呪[/漢字][ふりがな]のろ[/ふりがな]い」ではなく「[漢字]呪[/漢字][ふりがな]まじな[/ふりがな]い」をかけてやりましょう!」
「まずはコイツです。めっちゃアタックしてた彼女に振られたらしいので、誰かに慰めてもらいます!流石に彼女にコイツを好きにさせることはできないですよね?」
「…はい。好き、嫌いといった根本的な人心への干渉はできません。あくまで“こうしてみたら?”というアドバイスをさり気なく意識させる程度です」
真珠玉は“思考”、琥珀玉は“行動”、瑪瑙玉は“運命”を操る、らしい。彼の友達数名をピックアップし、真珠玉で“励ましたい”という気持ちを芽生えさせ、琥珀玉で彼らを動かし、瑪瑙玉で“彼をいずれ好きになる子と出会える運命”を未来に配置する。
「じゃあ、次は…コイツ、家庭環境が複雑らしいんで…おばあちゃんちに一時的に預かってもらいましょうか」
そういう具合に、次々とそいつらを“幸せ”にしていった。
おお、なんかチェス盤みたいに全てを操れるのって気持ちいいですね〜、なんて言いながら作業をしていると、方法を教えてくれていたミゼさんが、心配そうにこう言った。
「あの…本当に、これでよろしいのですか?相手は火闇さんを苦しめた方々なのに…」
…確かに、少し前のうちなら、複雑な感情はあったはずだ。
なんでうちをいじめた奴らを幸せにしなくちゃならないんだ、とか。できれば最高に不幸にしてやりたい、とか。
…だけど。
「好きの反対は無関心、って言うじゃないですか。うち、ずっと“気にしてない”って「ふり」だけをして心を守ってたんです。
…それって、めっちゃダサいなって。でも今は、本当に“気にしてない”。ダサい嘘が、本当になったんです」
不幸を願うほど、相手が嫌い。でも今は…あんな奴ら、嫌うだけムダ、って思えている。
「そういうふうに変わることができたなら、それってめっちゃいい意味での“どうでもいい”じゃないですか。それに…」
この結果がたとえ彼らに、本当の幸せを与えなかったとしても。
確実に、目の前のたった一人の彼女は、紛れもなく救われたような顔をしていた。
…どうやらうちは、
Q.うちは何でしょう?
A.たぶん、わりと、お人好し。
…らしい。
やっと、“自分”が、ほんの少しだけ分かったような気がした。
「…それで?」
「なんだか、不思議な依頼人様でした。きっと大変なお辛い体験をされてきたでしょうに、私がさらけ出した自分の弱点と醜さに、かえって共感してくださって…自分を貶めた人を幸せにするなんて、そんなこと考えたこともありませんでした」
依頼人が帰ったあと、柔らかな陽光の降り注ぐ森林の部屋に、ふたつの魔女の姿があった。
「まるで私の方が相談をしてしまっていたような…プロとして、失格ですね」
ミゼがうなだれると、水晶玉を手に取りそれを眺めながら、隣に立っていた魔女…シーラが、涼やかな視線を彼女に向ける。
「案外、悪くはなかったかもしれないぞ。これを見ろ」
そう言われたミゼが覗き込んだ“現在”を映し出す水晶玉は、森の光を反射して透明な氷のように輝いていた。
Q.ここのところ、毎日がやけに楽しいのはどうして?
A.悩みの種がなくなったからじゃない?
以前とは違って、どんな問いにもするすると答えが出てくる。身体がよく動いて、調子が良い。
…いじめられる前って、こんな感じだったっけ。そういえばうちって、もともと結構明るかったっけ。
―悪かったよ。…ごめん。
素直じゃない謝罪と共にソイツらから差し出されたのは、2つのマスコットだった。
1つは、あの日壊されてしまったクマと全く同じ、新品のキーホルダー。
そしてもう1つは、不器用に繕われた、ボロボロのあのクマだった。
「これ…!なんで…」
「ホント、ただのイタズラ半分のつもりだったんだよ。今までも他のヤツに結構、…だいたい似たようなことをしてきた。だけど、あの後、お前の友達経由で「アレ、かぐらの死んだばあちゃんの形見だったんだって」って聞いたんだよ」
弁解めいた口調で気まずそうにそう言ったのは、あの日うちが幸せにしたひとり、「家庭環境が複雑」な…シングルファザーで、やや軽いDVのようなものを受けている、彼だった。おばあちゃんちに一時的に預かってもらったことで、すっかりおばあちゃんっ子になってしまったようである。そういえば、以前は仲間同士でやり合っていたのかと思っていた身体の痣も、今はすっかりない。きっと、父親から開放されたのだろう。
「なんか、ありが…」
「感謝しないでくれ。悪いの俺等だし、新品も謝罪のつもりで買ってきたヤツだから。…俺、知ってるだろうけど告ったヤツに振られたせいでかなり荒れてたんだよ。…言い訳にもならないけど、ごめん」
ソイツも、たしか誰かに励ましてもらうように運命をいじったんだっけか。
「マズローの欲求5段階説」というものがある。
アメリカの心理学者が提唱した、人間の欲求の分類理論。
食べたい、寝たい…という「生理的欲求」。
→心身の安全を確保したい…という「安全欲求」。
→組織に属し、他者から評価されたい…という「社会的欲求」。
→自分の価値を認めてもらいたい、尊敬されたい…という「承認欲求」。
→見返りも求めず、代償を厭わず、理想の自分になりたい…という「自己実現欲求」。
そして、自らのエゴを超えて他者を思いやる、「自己超越欲求」。
この理論によれば、低次元の欲求が満たされていなければより高次元の欲求は生まれない、らしい。
つまり、「自分が幸せでなければ人に優しくすることは難しい」ということ。
…うちが、コイツらを幸せにできたからだ。コイツらは、自分が幸せになって初めて、うちの気持ちを考えることができるようになって、こうしてうちに誠意を見せて謝罪してきた。
「ふふっ…」
うちは新品のクマと、ボロボロのクマを見比べて、笑いをこぼした。
「…へったくそ」
「悪かったって!自分で縫ったんだよ!針めっちゃ手に刺さったんだからな!」
「んで俺のばあちゃんに助け求めたら、めっちゃ怒られた。「自分で直せないモンを壊すんじゃねえ!」って」
「はっはは!災難だったね!」
その日。
教室のとある机の周りには、絶えず一日中笑い声が響いていた。
「…という感じらしいぞ」
「私…」
水晶玉から顔をあげたミゼは、まっすぐにシーラを見つめた。
「はじめて、作り出せました。完璧な…“ハッピーエンド”」
ミゼは、今までにないほどに緩みきった顔に、幸せそうな笑みを浮かべていた。
シーラは、そうだな、とだけ言った。
…この聡明な小さな依頼人のおかげで、やっとミゼも過去のトラウマから開放されたのだろうか、と思いながら。
「それにしてもよく言ったものだ。「[漢字]呪[/漢字][ふりがな]のろ[/ふりがな]い」ではなく「[漢字]呪[/漢字][ふりがな]まじな[/ふりがな]い」か」
「“漢字の読み”、ですか。常用のものだけで2136字あるんですってね。読み方まではなかなか覚えられませんね」
シーラはふふっと笑う。
「ミゼはよくやっている方だよ。人間界についてなら、私より知っていることも多いだろう。例えば、この依頼人の場合…えーっとなんだっけ、あの「誰かにしてあげた親切は巡り巡って自分に返ってくるよ」ってことわざ」
「情けは人の為ならず、ですね」
そうそう、と相槌をうってから、シーラは小さな声で愚痴った。
「流石だな。…リーエなんて私が作った翻訳魔具媒介システムに頼り切りで、言語すら覚えようとしない」
「まあまあ」
シーラがその木戸から出ていった後、ミゼはぼうっとその宝玉を眺めていた。
…これが、呪うことしかできない自分が生み出せる、最大限のハッピーエンド…
遠い昔、忌まわしいあの一族から呪詛用として渡されたこの宝石箱がまさか「人を幸せにする」という用途で使えるとは思わなかった。
…そんなことを思っていたとき、あることを思い出す。
相談が終わった後、ミゼは彼女をとある部屋へと連れて行った。
怪しげで甘い香りの漂う、不気味で可愛らしいその部屋は、リーエの仕事部屋である。
「お姉さん、このキーホルダー落としたよ。追いかけて渡そうとしたんだけど、お姉さん逃げていっちゃうから…」
「あっ…ありがと…君は?」
そのハロウィンムードの部屋の中でリーエと向き合っていたのは、気弱そうな少女。見た目の年齢だけなら大人と言って差し支えないほどだが、なんとなく弱々しげで頼りない。
「うちは、火闇。…これ、大事なものだったらどうしようって、追いかけてきて良かった」
彼女は、にっこりと微笑んでそう言った。
人間界の著名な心理学者であるマズローによれば、人間は自分が幸せでなければ、人のことを思いやることは難しい、らしい。
ただ、この小さな依頼人は、その説の“例外”…根がものすごく優しい人、だったのかもしれない…と、ミゼは思った。
「ありがとう…!」
かぼそいながらも力強い、でも少し泣きそうな笑顔で、その少女は言う。
彼女にも、なにか大切なことと、それを守りたいという優しさがあったのだろうか。
「完璧なハッピーエンドとは、いつでも人の優しさから生まれるもの、なんでしょうかね…」
実は、ミゼの呪具にはとある“制約”が課されている。
それは、「人を呪う時、その相手は術者=ミゼのことを知らない人物でなくてはならない」ということ。
相手に顔や素性が割れている場合、呪い返しをされてしまうから…という理由らしい。つくづく無責任なものである。
ミゼは、今回の依頼人にも、「[漢字]呪[/漢字][ふりがな]まじな[/ふりがな]い」をかけたい、と思った。
優しすぎる彼女が、少しでも幸せな未来を生きていけるよう、祈りたい。
だけど、彼女はミゼのことを知ってしまっている。これでは幸せにしてあげることができない…
そこで、ミゼは。
無断で、記憶を消した。
「優しいあなたが、どうかずっと幸せにいられますように…」
自分で気づいていないだけで本当は、だれよりも優しいその華奢な魔女。
祈りを込めた宝玉はつややかに輝き、夕暮れの木漏れ日がそのぬくもりの部屋に、優しい影を落としていた。
担当占い師:ミゼ
依頼人:宵宮 火闇、10歳の少女。
消した記憶:彼女のために祈っている、とある魔女の記憶。
- 1.序章 Witches in the evening
- 2.夢幻の恋・前編 担当占い師:リーエ
- 3.夢幻の恋・中編 担当占い師:リーエ
- 4.夢幻の恋・後編 担当占い師:リーエ
- 5.幕間 a noble which in the kitchen
- 6.無気力ワットエバー・前編 担当占い師:ミゼ
- 7.無気力ワットエバー・中編 担当占い師:ミゼ
- 8.無気力ワットエバー・後編 担当占い師:ミゼ
- 9.幕間 a genius witch in the ritual room
- 10.兎の耳に掛けた鍵・前編 担当占い師:シーラ
- 11.兎の耳に掛けた鍵・中編 担当占い師:シーラ
- 12.兎の耳に掛けた鍵・後編 担当占い師:シーラ
- 13.幕間 a curious witch in the garden
- 14.背信と棄義のワルツ・前編 担当占い師:リーエ
- 15.背信と棄義のワルツ・中編 担当占い師:リーエ
- 16.背信と棄義のワルツ・後編 担当占い師:リーエ
- 17.間章 Witches in the night
- 18.クレペリン式遁走譚・前編 担当占い師:リーエ
- 19.クレペリン式遁走譚・中編 担当占い師:リーエ
- 20.クレペリン式遁走譚・後編 担当占い師:リーエ
- 21.幕間 the inside story of pure witch 〜リーエのひみつ〜
- 22.限局性漫劇のすゝめ・前編 担当占い師:ミゼ
- 23.限局性漫劇のすゝめ・中編 担当占い師:ミゼ
- 24.限局性漫劇のすゝめ・後編 担当占い師:ミゼ
- 25.幕間 the inside story of cursed witch 〜ミゼのひみつ〜
- 26.ハルモニア・前編 担当占い師:シーラ
- 27.ハルモニア・中編 担当占い師:シーラ