彼女のあとをしばらく追ってクラシカルな長い廊下を進み、連れてこられたのは。
「…すごい、お城みたい」
つややかな光沢を持つ、ロイヤルブルーのカーテン、カーペット、タペストリー。すべてに金の絹糸の房飾りと凝った刺繍がしてあり、優美なドレープがたっぷりととられている。薄氷のような儚げなオーガンティーがあちこちに、夢のようなフリルとレースの霧を生み出していた。落ち着いた風合いを醸し出すマホガニーの家具はヴィクトリアン調の装飾に囲まれ、同じパターンが彫られた壁には一面の洋書の並ぶ本棚。深い海を思わせる青でまとめられたそこは、王女の部屋のようだった。
「それでは、早速だがお悩みを聞こう。私は母親にまつわる悩みと見たぞ。…先ほど生けた花たち、花言葉が“感謝”とか“家族への愛”みたいなのばかりじゃないか」
シーラさんがちらりと目を遣る。窓際の小ぶりな陶器に生けられた花は、きらめくシャンデリアの光の下にいると、どこか場違いなほど質素で粗末なものに見えてしまう。
…こんなものでお母さんを喜ばせられるのか、と一抹の不安が心を曇らせる。その心細さのまま、私は初対面であるはずの彼女に、堰を切ったように話し始めてしまった。
油と、ホコリの匂いのする暗い場所で“彼女”と初めて出会ったのは、およそ11年ほど前のことだった。
その日までの記憶には、色がついていなかったような気がする。
無言でいつも私を殴る蔑んだような顔がひとつ。
食べ残しやゴミのようなものを与えて無理矢理に食べさせる、苛立ったような顔がひとつ。
ボロボロの私をあざ笑う、狂ったような笑顔がひとつ。
みっつの顔が、モノクロの世界の中で、逃げ出せない私を囲んでいた。
数年後、知らない大人が来て、私は何が何やらわからないまま住む場所を変えることになった。そこは暗く、汚れきっていて、食事はヘンな匂いがして、でもゴミではなくって、
…同じくらいの年の子どもたちが、灰色のベッドの上で、たくさんひしめき合っているような場所だった。
数日後、その子たちと話している中で、あのみっつの顔が、“普通の子ども”の言うところの“お父さん”、“お母さん”、それに“お姉ちゃん”というものだったと聞いた。ただ、せっかく呼称が分かった彼らとは、あれ以来二度と会っていないし、会いたくもない。
その日、いつものように施設にいると、突然に“彼女”はあらわれた。
ぎこちなく伸ばされた両腕が、私をまるで高級な宝物のように、大切そうに丁寧に抱き上げる。
そうだ。その日からだ、世界に色がついたのは。
初めて見た色とりどりの景色に、ああ、世界ってこんなにキレイで明るい場所だったんだ、と思った。
そんなことを呆然と思っているうち、私の頬には涙が流れていたらしい。
慌てたように私の顔を見た“彼女”は“母”となり、私は、自分の暗色の赤髪が母の美しいそれと、そっくりなことを知った。
母はいつもきりりとした凛然たる姿勢の、美しい人だった。
母はいつも明瞭で、どこか品があって、でも不器用な人だった。
母はいつも愛にあふれていて、私を大切にしてくれて、
私が何をしても、笑顔になってくれない人だった。
母の笑顔を見たいという願いをこっそりと抱えながら、幾多もの時を過ごした。
あの美しい母が笑ったら、どんな風になるだろうか。ベッドの中で、毎夜そんな思いを巡らせた。
そして眠ると、いつも同じ夢を見た。
―レイラ、ありがとう。お母さんは嬉しいよ…―
天国のように美しい花畑で、私があげた花束を抱えた母が、そう言ってこちらを振り向く。
―お母さん!―
私は駆け出して、母に飛びつこうとする。
だけど。
花畑の夢の中で、私の行く手を阻む、みっつの影。
侮蔑の顔。
苛立ちの顔。
狂った笑顔。
いつだってそんな顔ばかりが私を囲んで、私にとって1番に大切な母の笑顔が、隠されてしまう。
私がその顔の間をなんとか抜けようとしているうちに、笑顔を浮かべているのであろう母は、いつの間にか消えてしまう。
母に対する愛を抱きしめながら夜を過ごすたび、母が私に見せてくれる笑顔を邪魔する彼らへの憎しみが大きくなっていった。そして、母には言えないような醜い感情を増幅させる自分にも、嫌悪感を抱いていた。
「…それで、その花束か」
ボビンターニングレッグのローテーブルを挟んで、シーラさんは両手に顎をのせながら呟いた。
「そうなんです。夢の中で見た、花束を渡して笑ってくれる母があまりに、印象的で…もう少しで私、17歳になって家を出ることになっているんです。…勝手に愛してくれていると思っていたけど、本当は違うのかも、愛してなんていないのかもしれない。でも」
窓際に目線を遣る。生けられた花はもう、きらびやかな調度品の数々にも目劣りしない、強い輝きを放っていた。
「私は、母を愛している。色のない暗い部屋で閉じ込められて生きていた私に、世界の美しさを教えてくれた母に、感謝を伝えたいんです」
「いやあ偉いな。私など親に感謝の念どころか、親愛の情すら湧いたことがなかった。…レイラのお母さんは、幸せ者だな」
「幸せでいてほしいんです。正直、母が幸せなのか、不安で仕方がなくって」
「幸せだと思うぞ。何かわけがあるのだろう。占うことはお母さんの本心、ということで間違いないな」
柔らかそうなシルクのクッションに身を預けながら確認する彼女に、頷いた。
「それと、先に報酬を提示してくれ。消したい記憶は、何かあるか?」
「母と出会う前の全て。全てを消してください。高潔な母に育てられておいて、憎しみ、恨み、そんな感情を抱えている私が嫌いなんです」
絞り出すように、報酬を伝える。
ほんの少し、心がきゅっと締め付けられたような気がした。
「…すごい、お城みたい」
つややかな光沢を持つ、ロイヤルブルーのカーテン、カーペット、タペストリー。すべてに金の絹糸の房飾りと凝った刺繍がしてあり、優美なドレープがたっぷりととられている。薄氷のような儚げなオーガンティーがあちこちに、夢のようなフリルとレースの霧を生み出していた。落ち着いた風合いを醸し出すマホガニーの家具はヴィクトリアン調の装飾に囲まれ、同じパターンが彫られた壁には一面の洋書の並ぶ本棚。深い海を思わせる青でまとめられたそこは、王女の部屋のようだった。
「それでは、早速だがお悩みを聞こう。私は母親にまつわる悩みと見たぞ。…先ほど生けた花たち、花言葉が“感謝”とか“家族への愛”みたいなのばかりじゃないか」
シーラさんがちらりと目を遣る。窓際の小ぶりな陶器に生けられた花は、きらめくシャンデリアの光の下にいると、どこか場違いなほど質素で粗末なものに見えてしまう。
…こんなものでお母さんを喜ばせられるのか、と一抹の不安が心を曇らせる。その心細さのまま、私は初対面であるはずの彼女に、堰を切ったように話し始めてしまった。
油と、ホコリの匂いのする暗い場所で“彼女”と初めて出会ったのは、およそ11年ほど前のことだった。
その日までの記憶には、色がついていなかったような気がする。
無言でいつも私を殴る蔑んだような顔がひとつ。
食べ残しやゴミのようなものを与えて無理矢理に食べさせる、苛立ったような顔がひとつ。
ボロボロの私をあざ笑う、狂ったような笑顔がひとつ。
みっつの顔が、モノクロの世界の中で、逃げ出せない私を囲んでいた。
数年後、知らない大人が来て、私は何が何やらわからないまま住む場所を変えることになった。そこは暗く、汚れきっていて、食事はヘンな匂いがして、でもゴミではなくって、
…同じくらいの年の子どもたちが、灰色のベッドの上で、たくさんひしめき合っているような場所だった。
数日後、その子たちと話している中で、あのみっつの顔が、“普通の子ども”の言うところの“お父さん”、“お母さん”、それに“お姉ちゃん”というものだったと聞いた。ただ、せっかく呼称が分かった彼らとは、あれ以来二度と会っていないし、会いたくもない。
その日、いつものように施設にいると、突然に“彼女”はあらわれた。
ぎこちなく伸ばされた両腕が、私をまるで高級な宝物のように、大切そうに丁寧に抱き上げる。
そうだ。その日からだ、世界に色がついたのは。
初めて見た色とりどりの景色に、ああ、世界ってこんなにキレイで明るい場所だったんだ、と思った。
そんなことを呆然と思っているうち、私の頬には涙が流れていたらしい。
慌てたように私の顔を見た“彼女”は“母”となり、私は、自分の暗色の赤髪が母の美しいそれと、そっくりなことを知った。
母はいつもきりりとした凛然たる姿勢の、美しい人だった。
母はいつも明瞭で、どこか品があって、でも不器用な人だった。
母はいつも愛にあふれていて、私を大切にしてくれて、
私が何をしても、笑顔になってくれない人だった。
母の笑顔を見たいという願いをこっそりと抱えながら、幾多もの時を過ごした。
あの美しい母が笑ったら、どんな風になるだろうか。ベッドの中で、毎夜そんな思いを巡らせた。
そして眠ると、いつも同じ夢を見た。
―レイラ、ありがとう。お母さんは嬉しいよ…―
天国のように美しい花畑で、私があげた花束を抱えた母が、そう言ってこちらを振り向く。
―お母さん!―
私は駆け出して、母に飛びつこうとする。
だけど。
花畑の夢の中で、私の行く手を阻む、みっつの影。
侮蔑の顔。
苛立ちの顔。
狂った笑顔。
いつだってそんな顔ばかりが私を囲んで、私にとって1番に大切な母の笑顔が、隠されてしまう。
私がその顔の間をなんとか抜けようとしているうちに、笑顔を浮かべているのであろう母は、いつの間にか消えてしまう。
母に対する愛を抱きしめながら夜を過ごすたび、母が私に見せてくれる笑顔を邪魔する彼らへの憎しみが大きくなっていった。そして、母には言えないような醜い感情を増幅させる自分にも、嫌悪感を抱いていた。
「…それで、その花束か」
ボビンターニングレッグのローテーブルを挟んで、シーラさんは両手に顎をのせながら呟いた。
「そうなんです。夢の中で見た、花束を渡して笑ってくれる母があまりに、印象的で…もう少しで私、17歳になって家を出ることになっているんです。…勝手に愛してくれていると思っていたけど、本当は違うのかも、愛してなんていないのかもしれない。でも」
窓際に目線を遣る。生けられた花はもう、きらびやかな調度品の数々にも目劣りしない、強い輝きを放っていた。
「私は、母を愛している。色のない暗い部屋で閉じ込められて生きていた私に、世界の美しさを教えてくれた母に、感謝を伝えたいんです」
「いやあ偉いな。私など親に感謝の念どころか、親愛の情すら湧いたことがなかった。…レイラのお母さんは、幸せ者だな」
「幸せでいてほしいんです。正直、母が幸せなのか、不安で仕方がなくって」
「幸せだと思うぞ。何かわけがあるのだろう。占うことはお母さんの本心、ということで間違いないな」
柔らかそうなシルクのクッションに身を預けながら確認する彼女に、頷いた。
「それと、先に報酬を提示してくれ。消したい記憶は、何かあるか?」
「母と出会う前の全て。全てを消してください。高潔な母に育てられておいて、憎しみ、恨み、そんな感情を抱えている私が嫌いなんです」
絞り出すように、報酬を伝える。
ほんの少し、心がきゅっと締め付けられたような気がした。
- 1.序章 Witches in the evening
- 2.夢幻の恋・前編 担当占い師:リーエ
- 3.夢幻の恋・中編 担当占い師:リーエ
- 4.夢幻の恋・後編 担当占い師:リーエ
- 5.幕間 a noble which in the kitchen
- 6.無気力ワットエバー・前編 担当占い師:ミゼ
- 7.無気力ワットエバー・中編 担当占い師:ミゼ
- 8.無気力ワットエバー・後編 担当占い師:ミゼ
- 9.幕間 a genius witch in the ritual room
- 10.兎の耳に掛けた鍵・前編 担当占い師:シーラ
- 11.兎の耳に掛けた鍵・中編 担当占い師:シーラ
- 12.兎の耳に掛けた鍵・後編 担当占い師:シーラ
- 13.幕間 a curious witch in the garden
- 14.背信と棄義のワルツ・前編 担当占い師:リーエ
- 15.背信と棄義のワルツ・中編 担当占い師:リーエ
- 16.背信と棄義のワルツ・後編 担当占い師:リーエ
- 17.間章 Witches in the night
- 18.クレペリン式遁走譚・前編 担当占い師:リーエ
- 19.クレペリン式遁走譚・中編 担当占い師:リーエ
- 20.クレペリン式遁走譚・後編 担当占い師:リーエ
- 21.幕間 the inside story of pure witch 〜リーエのひみつ〜
- 22.限局性漫劇のすゝめ・前編 担当占い師:ミゼ
- 23.限局性漫劇のすゝめ・中編 担当占い師:ミゼ
- 24.限局性漫劇のすゝめ・後編 担当占い師:ミゼ
- 25.幕間 the inside story of cursed witch 〜ミゼのひみつ〜
- 26.ハルモニア・前編 担当占い師:シーラ
- 27.ハルモニア・中編 担当占い師:シーラ