夢遊病。
その言葉は、本でなら読んだことがあった。小さい頃に、大好きだった本と装丁が似ていて、間違って読んでしまったホラー小説。物語の中の殺人鬼が怖くて、泣いていたっけ。そんなときにも、君が優しく慰めてくれた。こんな私を。
「えーっと、ここは…?一体…」
夜の、森だった。おかしい。私は昨夜、確かに自室のベッドに入ったはず。それが最後の記憶…ということは、これは夢?
…いや違う。頬をつねったが、確実にじんじんと痛い。なんともベタな確かめ方をしてしまった。
落ち葉をカサカサ言わせながら歩いていた。夜風はときたま強く吹いて、私はそのたびにパジャマの上に羽織った薄手のカーディガンを両腕でかき寄せる。こういうときは、あまり考えすぎてはいけない。きっと私は夢遊病なのだ。寝ている間に勝手に外に出て、いつのまにかこの森に来てしまった、ということにしておく。
だとしたら、あんなところに一人でぽつんと立ち尽くしていても、ただ凍えて低体温症になるだけ。とにかく動かないと、何も始まらないのだ。
フクロウが、深く籠もったような声を森に落とす。
私はしばらく歩いたのち、樹木がやたらとこんもり茂っているその場所に、まるでお化け屋敷かのような洋館を見つけた。
普通に見ただけならまず廃屋だと思ってしまうようなボロさ。しかしレンガ造りの細工の施された丸窓からは、たしかに灯りが漏れている。人が、いる。
私は迷わず、そこへと足を向けた。
「なーんか、門が開く音が聞こえるなぁって思ったら…なになに、そんな寒そうなカッコして!キミ誰!人間!?」
…錆びた重い門をやっとの思いで開け、荒れ放題の広い庭をやっとの思いで抜け…とにかくやっとの思いでこの玄関までたどり着いたとき、中央階段から転がるように駆け下りてきたのがこの少女だった。まるで子猫のように小さい体躯、高い声、すばしっこそうな仕草。
…しかし、“キミ誰!”ときて、次に聞かれるのが“人間!?”とは。少女は状況が飲み込めない私にブランケットをかけ、暖炉のぱちぱちと燃える温かい部屋に案内してくれた。
「…はあ、そんじゃお客様じゃないわけだね。寝てたのに、気づいたらココ来てた…と。シーラ、誘引の術式強すぎだわ。後でシメてやらないと」
「誘引?お客様…とは」
「ああ、なんでもないの。ゴメンね。とにかく…イトウちゃん、だっけ。ここはね、見ての通り占いの館なんだよ」
リーエ、と名乗った少女が、暖炉の上に掲げられた古びた看板を指さした。
[明朝体]魔法薬・魔道具取り揃えております。トライアングル・ウィッチハウス[/明朝体]
「…?いや、それより魔法薬…って。魔法って。一体なんなんですかここは」
占いなんて文字は一言も書かれていない。それよりも看板に書かれた、謎めいた文言の方が気になる。
「ありゃ、こっちの看板じゃなかったか。そっちは魔法使い専用の稼業だから。人間はこっち」
彼女は、“占いの館”と書かれた看板を、ひょいと抱えてみせた。
「へえ…それじゃ、リーエさんは魔女…なんですか」
「そうそう。意外とすんなりと受け入れられるもんなんだねえ!まさか信じてもらえるとは思ってなかった」
心の底から信じているわけではない。ただ、説明を受けて一応納得はした。
彼女を含む魔女が3人、この館で魔法薬・魔道具の専門店を営んでいる。さらに別に、人間を商売相手として「占い」という副業を始めたそうなのだ。人間世界のどこかに、この森につながるゲートを設置し、悩みを抱える人間だけが入ってこれるような魔法をかけた。しかしその作用が強すぎたせいで、私に夢遊病まがいの現象が起こってしまった、ということらしい。
「つまりさ、イトウちゃん、キミ今悩みがあるんでしょ。初仕事、このリーエにさせてよ!」
「結構です」
きっぱりと断った。確かにその“悩み”に、心当たりはあるが…自分の悩みなんて、絶対に人に話すつもりはない。
ましてや、…あんな悩みなんて。
リーエさんは、即答されて面食らったような表情をしていたが、すぐにいたずらっぽい笑顔になって言った。
「せっかく来たんだし、占っていきなよ。というか、イトウちゃん自力でもとの世界に帰れるの?」
「いえ。ですから帰り道をお聞きしたいだけで」
「ほーう、んじゃキミはこっちになんの見返りもなく、凍死寸前で救ってもらった相手に対してやってほしいことだけを一方的に求めるんだ」
「…そんなわけでは」
そう言われて、つい口ごもってしまう。というかちょっと盛っているだろう、凍死寸前って。
「こちらとしてもさ、商売でやってる訳よ。なんの交換条件もなく…ってのはちょっとね。てことで仕事くれなきゃ帰り道教えてやんなーい」
「それは…脅迫ですよね。必要であれば、法的な手段をとることも厭いませんが」
カーディガンのポケットの上から、スマホをこっそりと握りしめる。無意識下でもきちんとスマホを持ってきていた自分に拍手したい。コレがあればどこへでも連絡はとれるのだ、怖いものはない。
しかし彼女は動じなかった。
「人間界の法的手段とってどうするのさ。授業で習わなかった?異種族間不可侵条約第46条、特定の種族における憲法、法律、その他あらゆる法規は、いかなる場合においても異なる種族に対して、これを適用しない。人間は習わないんだっけ!
…というか、その…今こっそり握ってるやつ、すまほ?だっけ、ここで繋がるの?」
慌ててスマホをポケットから出し、画面を確認する。
…うん、圏外。清々しいほどに、圏外。
「私、お金持ってませんけど」
「お金とかいらないから!ほらほら、そうと決まればこっちこっち!」
リーエさんは、意外な力で私をグイグイと奥へと引っ張っていった。
その言葉は、本でなら読んだことがあった。小さい頃に、大好きだった本と装丁が似ていて、間違って読んでしまったホラー小説。物語の中の殺人鬼が怖くて、泣いていたっけ。そんなときにも、君が優しく慰めてくれた。こんな私を。
「えーっと、ここは…?一体…」
夜の、森だった。おかしい。私は昨夜、確かに自室のベッドに入ったはず。それが最後の記憶…ということは、これは夢?
…いや違う。頬をつねったが、確実にじんじんと痛い。なんともベタな確かめ方をしてしまった。
落ち葉をカサカサ言わせながら歩いていた。夜風はときたま強く吹いて、私はそのたびにパジャマの上に羽織った薄手のカーディガンを両腕でかき寄せる。こういうときは、あまり考えすぎてはいけない。きっと私は夢遊病なのだ。寝ている間に勝手に外に出て、いつのまにかこの森に来てしまった、ということにしておく。
だとしたら、あんなところに一人でぽつんと立ち尽くしていても、ただ凍えて低体温症になるだけ。とにかく動かないと、何も始まらないのだ。
フクロウが、深く籠もったような声を森に落とす。
私はしばらく歩いたのち、樹木がやたらとこんもり茂っているその場所に、まるでお化け屋敷かのような洋館を見つけた。
普通に見ただけならまず廃屋だと思ってしまうようなボロさ。しかしレンガ造りの細工の施された丸窓からは、たしかに灯りが漏れている。人が、いる。
私は迷わず、そこへと足を向けた。
「なーんか、門が開く音が聞こえるなぁって思ったら…なになに、そんな寒そうなカッコして!キミ誰!人間!?」
…錆びた重い門をやっとの思いで開け、荒れ放題の広い庭をやっとの思いで抜け…とにかくやっとの思いでこの玄関までたどり着いたとき、中央階段から転がるように駆け下りてきたのがこの少女だった。まるで子猫のように小さい体躯、高い声、すばしっこそうな仕草。
…しかし、“キミ誰!”ときて、次に聞かれるのが“人間!?”とは。少女は状況が飲み込めない私にブランケットをかけ、暖炉のぱちぱちと燃える温かい部屋に案内してくれた。
「…はあ、そんじゃお客様じゃないわけだね。寝てたのに、気づいたらココ来てた…と。シーラ、誘引の術式強すぎだわ。後でシメてやらないと」
「誘引?お客様…とは」
「ああ、なんでもないの。ゴメンね。とにかく…イトウちゃん、だっけ。ここはね、見ての通り占いの館なんだよ」
リーエ、と名乗った少女が、暖炉の上に掲げられた古びた看板を指さした。
[明朝体]魔法薬・魔道具取り揃えております。トライアングル・ウィッチハウス[/明朝体]
「…?いや、それより魔法薬…って。魔法って。一体なんなんですかここは」
占いなんて文字は一言も書かれていない。それよりも看板に書かれた、謎めいた文言の方が気になる。
「ありゃ、こっちの看板じゃなかったか。そっちは魔法使い専用の稼業だから。人間はこっち」
彼女は、“占いの館”と書かれた看板を、ひょいと抱えてみせた。
「へえ…それじゃ、リーエさんは魔女…なんですか」
「そうそう。意外とすんなりと受け入れられるもんなんだねえ!まさか信じてもらえるとは思ってなかった」
心の底から信じているわけではない。ただ、説明を受けて一応納得はした。
彼女を含む魔女が3人、この館で魔法薬・魔道具の専門店を営んでいる。さらに別に、人間を商売相手として「占い」という副業を始めたそうなのだ。人間世界のどこかに、この森につながるゲートを設置し、悩みを抱える人間だけが入ってこれるような魔法をかけた。しかしその作用が強すぎたせいで、私に夢遊病まがいの現象が起こってしまった、ということらしい。
「つまりさ、イトウちゃん、キミ今悩みがあるんでしょ。初仕事、このリーエにさせてよ!」
「結構です」
きっぱりと断った。確かにその“悩み”に、心当たりはあるが…自分の悩みなんて、絶対に人に話すつもりはない。
ましてや、…あんな悩みなんて。
リーエさんは、即答されて面食らったような表情をしていたが、すぐにいたずらっぽい笑顔になって言った。
「せっかく来たんだし、占っていきなよ。というか、イトウちゃん自力でもとの世界に帰れるの?」
「いえ。ですから帰り道をお聞きしたいだけで」
「ほーう、んじゃキミはこっちになんの見返りもなく、凍死寸前で救ってもらった相手に対してやってほしいことだけを一方的に求めるんだ」
「…そんなわけでは」
そう言われて、つい口ごもってしまう。というかちょっと盛っているだろう、凍死寸前って。
「こちらとしてもさ、商売でやってる訳よ。なんの交換条件もなく…ってのはちょっとね。てことで仕事くれなきゃ帰り道教えてやんなーい」
「それは…脅迫ですよね。必要であれば、法的な手段をとることも厭いませんが」
カーディガンのポケットの上から、スマホをこっそりと握りしめる。無意識下でもきちんとスマホを持ってきていた自分に拍手したい。コレがあればどこへでも連絡はとれるのだ、怖いものはない。
しかし彼女は動じなかった。
「人間界の法的手段とってどうするのさ。授業で習わなかった?異種族間不可侵条約第46条、特定の種族における憲法、法律、その他あらゆる法規は、いかなる場合においても異なる種族に対して、これを適用しない。人間は習わないんだっけ!
…というか、その…今こっそり握ってるやつ、すまほ?だっけ、ここで繋がるの?」
慌ててスマホをポケットから出し、画面を確認する。
…うん、圏外。清々しいほどに、圏外。
「私、お金持ってませんけど」
「お金とかいらないから!ほらほら、そうと決まればこっちこっち!」
リーエさんは、意外な力で私をグイグイと奥へと引っ張っていった。
- 1.序章 Witches in the evening
- 2.夢幻の恋・前編 担当占い師:リーエ
- 3.夢幻の恋・中編 担当占い師:リーエ
- 4.夢幻の恋・後編 担当占い師:リーエ
- 5.幕間 a noble which in the kitchen
- 6.無気力ワットエバー・前編 担当占い師:ミゼ
- 7.無気力ワットエバー・中編 担当占い師:ミゼ
- 8.無気力ワットエバー・後編 担当占い師:ミゼ
- 9.幕間 a genius witch in the ritual room
- 10.兎の耳に掛けた鍵・前編 担当占い師:シーラ
- 11.兎の耳に掛けた鍵・中編 担当占い師:シーラ
- 12.兎の耳に掛けた鍵・後編 担当占い師:シーラ
- 13.幕間 a curious witch in the garden
- 14.背信と棄義のワルツ・前編 担当占い師:リーエ
- 15.背信と棄義のワルツ・中編 担当占い師:リーエ
- 16.背信と棄義のワルツ・後編 担当占い師:リーエ
- 17.間章 Witches in the night
- 18.クレペリン式遁走譚・前編 担当占い師:リーエ
- 19.クレペリン式遁走譚・中編 担当占い師:リーエ
- 20.クレペリン式遁走譚・後編 担当占い師:リーエ
- 21.幕間 the inside story of pure witch 〜リーエのひみつ〜
- 22.限局性漫劇のすゝめ・前編 担当占い師:ミゼ
- 23.限局性漫劇のすゝめ・中編 担当占い師:ミゼ
- 24.限局性漫劇のすゝめ・後編 担当占い師:ミゼ
- 25.幕間 the inside story of cursed witch 〜ミゼのひみつ〜
- 26.ハルモニア・前編 担当占い師:シーラ
- 27.ハルモニア・中編 担当占い師:シーラ