今夜ここにくる客は、まず園の入口にあるゲートの先の、夜香を放つ艶やかな薔薇たちに目を奪われることになる。
次にその薔薇の香りに包まれながら、ランタンが照らす、白い飛び石の夜道を抜ける。
そしてこの建物のステンドグラスに立てられた、数百本ものあたたかな蝋燭の炎に、目を輝かせることだろう。
3月のまだほんのり肌寒い夜。
薄ら寒い風に歯を鳴らしながらこの明るくて暖かい教会に入ってきた彼らは、今まで襟を合わせてきたコートを脱いで、ウェルカムドリンクを手渡される。
そのカフェオレのほろ苦い香りをいっぱいに楽しみながら、招待状と会場とをちらちらと見比べて、
[漢字]受付[/漢字][ふりがな]ココ[/ふりがな]へ来るのだ。
俺は悪魔。名前はアガペ。
「本当の本当に特例だぞ。こんなことは500年に一度、許すか許さぬかくらいの奇跡だ」
大きな尺を地面に叩きつけ、「言ってこおおい!」という雷の轟くような大声で、閻魔様は俺を人間界へ送り出してくれた。
「なんだかんだ言って、あの方も身内には甘いな…」
もちろんそのレア度は理解しているし、俺の為に閻魔様がどれほどあちこちで根回しを重ねたことか、そのとてつもない労力だってありがたく思っている。
ただ、隣が気になりすぎる。
「本日はお寒い中お越しいただきありがとうございます!招待状を拝見いたしますね。…はい、日向様と堕瀬様…ですね。確認いたしました!それでは、このコサージュをお付け下さい」
高校生のカップルらしき男女に桜のコサージュを渡す指先はしなやかで、ミルクのように白い肌に、花の色と同じ、淡い桜色の熱がほのかに差している。
高校生カップルが連れ立って会場に入っていくと、受付の隣に座る彼女は、手元の用紙に何やら書き付け始めた。
…この字、間違いない。
ほう…と息を吐いてちょこんと座る少女は、
俺がずっと、ずっと焦がれていた、
純白の、天使。
「アガペさん?どうしました?」
アンサスの柔らかい声に、俺ははっと我に返った。
俺とアンサスは、この受付にて、続々とやってくる参加者たちを受け入れる業務をしている。
先ほど俺が、彼女が〝アンサス〟だと気づく前から、何やら予感はしていた。
艶々のブロンドの、編み込みシニヨン。
ドレスは、フォーマルながらクラシカルな上品さを湛えた白。
オフショルダーのビショップスリーブジャボカラー。
…おそらく俺が何を言っているか、ほとんどのヤツは分からないとは思うが。
とにかく、見た目からして色々な意味で天使だった。
人間ではないな、とひと目で分かるくらいには、慈愛に満ちた、美しい姿をしていた。
まるで、夢物語だ。
きっと一生、文字でしか彼女と触れ合う機会はないと思っていたのに。
天使と悪魔の一生は、1万年続くから。
「ごめん、何でもないよ」
「そうですか。…あ、そうだ。ちょっと言いたいことがあったんですよ。直近のアガペさんのお手紙……」
〝言いたいこと〟とやらを聞き逃さないため聴覚に集中力を全て注ぎ込んでいると、目の前にまた客が訪れた。
「あっ、本日はお寒い中お越しいただきありがとうございます!招待状を改めさせていただきますね。…はい、確認できました。こちらのコサージュを付けて頂いて…はい、ありがとうございます。どうぞお入りください!」
メガネを掛けた中学生らしき男女が、会場へ入っていった。
途中少女の方が入口の段差につまづきそうになり、少年はそれをさりげなく支え、「桜音、大丈夫?」なんて声を掛けている。
…さっきから、やけにカップルが多くないか。
胸に詰まるような少々の湿り気を感じ、苦々しい顔を慌てて噛み潰す。危ない。悪魔に脅しはお手の物だが、この祝福の場にこれほど似つかわしくない物はない。
そもそも、神聖域である教会に、悪魔の俺がいること自体イレギュラーなのだ。だからこそ「アガペは、聖堂に長いこと居たら副作用出かねないでしょ。エントランスの受付カウンターで避難してな」とあんじゅに言われ、受付役にされたのである。
半ば押し付けられるような形ではあったが、[漢字]彼女[/漢字][ふりがな]あんじゅ[/ふりがな]を恨んではいない。むしろ感謝しているくらいである。
なんてったって、「じゃ、そのヘルプに入ってあげて」とニヤニヤしながらアンサスと俺を組ませてくれたのが、他でもないあんじゅなのだから。
「……お手紙の話ですけど、「二度と戻ってこられないかも知れない」なんて脅かしてこないで下さいよ!人間界、とっても素敵じゃないですか……」
そう言ってうっとりと手を組む姿も、まさに天使。
「ああ、ごめん僕はホラ…罪人ばっか相手してるから。心配が高じて、最悪の状況しか思い浮かばなくて…」
「やっぱり、あんじゅさんの仰っていた通りだったんですね。いつもお仕事、お疲れ様です」
アンサスは、名前の通り花のようににこりと笑った。
「招待状を確認させて頂きます。……藍羽志様ですね。ではこちらをお付けいただき、お入りくださいませ」
「夢ノ宮様方、団体の方でいらっしゃいますね。どうぞお入りください」
ふたりで客をテキパキと捌きながら、間に談笑を挟む。その何気ない雑談が、俺にとってどれほど夢に見たことだったか。
話題は、ほとんどが対応した客の話。
たとえば、先ほど「夢ノ宮」と名乗った彼らは、少女が3人(そしてそのうち一人は欧米系の顔立ち)、若い成人男性が一人、高校生らしき青年とその母親と思しき中年女性…という、なんとも珍妙な組み合わせだった。
「…今の方々、ご家族…って感じじゃありませんでしたよね」
噂話は褒められたものではないが、その背徳感が秘密の会話をより盛り上げる。
「思った。…友達…ってのも考えにくいし…」
「私思うんですけど、近頃人間界で流行りの〝シェアメイト〟ってやつじゃないでしょうか」
「シェアメイト?」
聞き慣れない言葉に小声で繰り返すと、アンサスはより声を落として、会話を続けた。
「年齢も性別も違う人たちが、ルームシェアをする…〝友達〟と〝他人〟の間みたいな絶妙な距離感なんですって」
「はあ、何それ。なんかどんどん新しい価値観が作られてくよね、人間って。ほら、個性を尊重しよう的な。今よくある…」
「〝多様性〟?」
「それそれ」
ふたりで小さく笑い合っていると、いつの間にかまた客が来ていたことに気がついた。
「あの…?」
「ハイッ!すみません!お越しいただきありがとうございます!」
アンサスは、その客に戸惑ったように声を掛けられた時初めて気がついたらしい。内緒ばなしをするため俺の方に寄せていた身体をびくりと慌てて前に向け、裏返った声で返事をした。
その様子に俺がまた笑いそうになっていると、彼女から睨みを向けられた。
「はい、露夢様、月読様、星月様ですね。ではこちらのコサージュを付け……きゃあっ!」
アンサスが突然小さな悲鳴を上げ、俺も慌ててそちらを見た。
彼女が見ている方向には、眼鏡を掛けた知的な雰囲気の若い男性が。
深い紺色のスーツの袖から見える手首に、鮮血の花が咲いていた。
例えでなく、本当に赤い大きな花が。
「なっ…お怪我なさって…?大丈夫ですか!」
アンサスが慌ててそう言っても、彼女らは驚きすらしない。ただ手首から花が咲いている謎の男性は、あ、と呟いた。
「先生ー、多分ここに来るまでに、薔薇の茂みで切っちゃったんだよ。ほら、バンソーコー」
隣の少女が男性の腕を覗き込んで、ハンドバッグから出した絆創膏を彼の傷口らしきもの…に貼る。真っ赤な大輪の花は、絆創膏に覆われると同時に急速に萎れて、消えてなくなってしまった。
「お騒がせいたしました。もう大丈夫です」
「あの…失礼ですが、先ほどの花は…?」
丁寧に礼をする男性に、アンサスが問いかけた。
「そういう体質です」
先ほど絆創膏を貼っていたのとは違う、眠たげな少女が端的に答える。
「いえ、ですが…」
「〝多様性〟ですよ。そういう人だっているんです。個性を尊重、してくださいね」
言葉を失っているアンサスに軽く礼をしながら、彼女たちは笑顔で、颯爽と会場へと歩いていった。
「…アガペさん」
「何?」
「ああいう個性も、あるんですねえ」
「ないと思うよ?」
「え?」
天使と悪魔コンビが受付で会話を楽しんでいる間。
ツインテールを揺らすあんじゅは、そのイタズラっぽい「嗤い顔」を浮かべながら、会場を駆け回っていた。
現在、広い会場内はフリータイム。絢爛豪華なシャンデリアの光の下、ワイングラスやなんやらを片手に参加者たちが談笑している。
聞き耳を立てると、様々な声が聞こえてきた。天使の地獄耳…いや、天使なのだから天国耳…?を持つあんじゅには、どんな声も筒抜けなのである。
5人の学生集団が、喋っている。
うち3人は知り合いで、残り2人とは初対面らしいが…
初めは全員女子かと思っていたのだが、会話の中で「白守」や「翠」と呼ばれていた2人は、どうやら男子だったらしい。
誰なんだ、この女々しい人たち…
沙良は、少々困惑していた。
このパーティーに参加する前、彼女は手ずからケーキ用の抹茶クリームを作った。
そして張り切ってメイクやコーディネートをした後、親友の冬香、その彼氏の白守と共に、意気揚々と会場へ入ったのだが…
「[漢字]瑠唯[/漢字][ふりがな]るい[/ふりがな]、やっほ」
会場のドリンクを手に取るや否や白守は、近くを通る見知らぬ二人組に話しかけたのだ。
最初は女子かと思っていた「瑠唯」さんは、白守の話ぶりからしておそらく男子だった。
ただ、隣に立つ気弱そうな少女は、間違いなく女子らしい。
彼女は「初めまして。[漢字]御守[/漢字][ふりがな]みもり[/ふりがな]です」と、名字だけの簡潔な名乗りをした。
「…えっ瑠唯、[漢字]御守[/漢字][ふりがな]カタギ[/ふりがな]さんに言っちゃってるの?」
「そうそう。そんで南都に話しておきたいことがあってさ…そこのおふたり、白守の家の稼業はご存知?」
彼女…じゃなくて彼の視線が唐突に、私と冬香に向かう。私は少したじろぎ、冬香は警戒しているようだった…が、彼の質問の真意を、私はすぐに理解した。
「…ああ!はい、教えてもらっております。あの…白守さんのお家は…いわゆる、ヤク」
「はいストップストップ」
冬香が笑いながら止めてきたので、私は慌てて口を噤んだ。
「そう。それなら話が早いね。
…実はここにいる御守さん、前、百合下の組の方から襲われたんだよね」
瑠唯さんの言葉に、白守の顔が険しくなった。
「百合下…江藤系の?」
「そう。当然この子とはなんの関わりもないんだけど、調べてみてもなんで御守さんが恨みを買ったのか分からなくてさ」
「最近チョコ関係で、東南アジアとの交易路で揉めてるらしいけど…もしかして、単純に名字の問題じゃない?」
あ、もう分かんねえ。
とりあえず難しそうなことを話している男子を放っておいて、私と冬香は御守さんと話し始めた。
「…名字?」
「ほら、ウチの分家って江戸から続く門番の家系だから、名前に〝守〟の字が入ってるじゃん。それで御守さんが、分家の世継ぎとでも思ったんじゃないかな」
「はあ〜、なるほど。チョコルートにちょっかい出した?」
「…出した。ベトナムのタンソンニャットの空港税関、買収した」
「ああ…それで下っ端がイキっちゃったか」
ドラマみたいな会話には一応聞き耳を立ててたけど…うん。
何から何まで、分からなかった。
白守は、「じゃあ御守さん、巻き込んじゃってごめんね。瑠唯、ばーいばい」と言って彼らに手を振った。
私と冬香も、なんとなく手を振る。
「ちなみに白守、何話してたの?」
冬香がものすごく聴きづらそうに尋ねた。おお、さすが我が友!私も同じ疑問を抱いていたぞ!
「敵対してる組の、〝百合下〟っていうヤンチャ坊主の話。あとチョコの話」
「…チョコ。百合下、甘党なのか」
冗談めかしてそう言った私が、悪かった。
「いや、チョコっていうのはつまり、違法ドラッ…」
「わーってるから!ココであんま言うな言うな!おいマジでふざけんなよ白守お前!」
「ごめんって…」
今日の冬香は、言ってはいけないコトを寸止めするのに忙しい。
「あはは、初っ端から後ろ暗い話題に触れちゃったなあ…
…あっ、もうすぐでパーティー始まっちゃう!私も、行きますか」
羽を隠した背中を窮屈そうに背伸びしながら、あんじゅはポテポテと歩いていった。
突如、煌びやかな会場の証明が一気に落ち、大聖堂は急に仄暗がりの夜闇に包まれた。
そしてすぐにステージすぐ側、マイクスタンドテーブルに煌々と照明が当たる。
唐突に強いスポットライトで照らされたその1箇所に、会場に居る全員の視線が、集中する。
光の中に立つ春華は、紺色のブレザーの裾をぐっと握り締め、顔を上げた。
「皆様、本日はお忙しい中当パーティーにお越しいただき、誠にありがとうございます。本日司会を務めさせて頂きます、陽鮫春華と申します。よろしくお願いいたします」
よく響く低音の声が途切れ、春華は深々と礼をした。
〝開会のあいさつ〟が無事に終了し、会場に元の輝かしい照明が戻ると、春華はひとり息を吐いた。
…なんとか、やれそうかも。
ふとホールの端を見ると、片手に皿を持った酔雨が笑いながら、こちらに向かって親指を突き立てていた。
「ようこそお越しくださいました!ウェルカムドリンクの特製カフェオレで~す!」
受付よりも手前、教会の入口付近に立つ寝灯は、手に持った木のトレーに、お洒落なクリアカップのカフェオレを載せていた。
声を掛けられた招待客は皆、嬉しそうな顔でドリンクを受け取り、「美味しそう、ありがとうございます」と言ってくれる。そんな笑顔と優しい白薔薇の香りに包まれて、寝灯は祝福の夜に与えられたこの仕事を、心から楽しんでいた。
「それにしても…冷えるなあ。3月下旬でも、夜はまだこんな肌寒いのかな」
起毛のグレーコートの襟を伸ばして首元を覆い、指先に息を吐いた。静かな夜の薔薇園に客足は途絶え、寝灯は銀色の腕時計を確認する。
そろそろ、開会挨拶の時間か…?
「寝灯~~!お客さん終わった~?ちょっ…ちょっと手伝って!」
会場に戻って柊を探すと、彼女は細腕に大量のケージを抱えていた。
中身はもちろん、もふもふの毛ダルマこと、猫たち。
「とりあえずこの子たちはあそこで放そうと思ってて…」
柊が指さした先には、会場の隅に設けられたやや広めのフェンス。中のスペースにはもこもこのカーペットが敷き詰められており、出入口の傍には「ふれあい広場」という丸文字が書かれた看板が立てられている。
「立派なの作ったもんだねえ…」
「たくさんの人に協力してもらってさ。パーティーの主役の子は、たぶん絶対猫好きだと思うな…」
「〝たぶん絶対〟て」
2人は束の間を笑いあって、再び猫たちを抱え、喋り合いながらその場を去っていった。
「ケーキ…そっか、ケーキに使われたんだね」
様々な人で賑わう会場内で、話しかけて来ようとする何人もの笑顔の参加者たちをさらりとかわし、君はステージのすぐ前に立っていた。
話しかけを取り合って貰えなかった人たちも、特に気にすることなく他の人たちとの談笑に戻っている。
人々のさざめきと華やかな煌めきの中、首を持ち上げて眩しそうに上の方を眺める君が、
僕にとってはどうしようもなく、美しく見えた。
そこにあるのは、とても大きな抹茶のホールケーキ。
2段に重ねられたそれには、君が摘んだ桜の花が満開の木のように咲かせられていた。
苔むした翠色の大地に散る、羽二重のように柔らかい花びら。
桜はまるで君の笑顔みたいだ、なんて陳腐すぎる文句を心の中にそっとしまって、僕は話しかけた。
「いや、ケーキだけじゃないみたいだよ」
その言葉に振り向いた君は、
……僕の後ろを見たまま、驚いたように瞬きをした。
一瞬遅れで僕が振り向くと、そこは会場の入り口。
全員が、遅れてやってきた「だれか」に向けて、割れるような拍手をしている。
その「だれか」を包むように、桜色の雨が、はらはらと降り注いでいた。
桜を浴びた、「彼女」は……
「それでは、本日の主役の入場です!」
美しい低音のアナウンスに、一斉に集まる注目。
桜と抹茶の香りに包まれた教会に、優しい拍手が鳴り響く。
「ちょっと莉沙、突然連れてこられてコレ何!?何なのこの盛大すぎるパーティーは!」
「ほら、みんな待ってるよ!行こ」
「サプライズにしても限度があるって!」
何人かの友人に半ば引きずり込まれるような形で入場した彼女を、笑顔で迎え入れる。
誰も彼も皆、「彼女」の生み出した、夢物語。
優しすぎる涙と夜の香りに濡らされた、蜂蜜酒に酔ってしまいそうな甘い、物語。
彼女の、その名は。
「Happybirthday!!」
どこからかやってきた黒猫が、窓の外の暗闇から大聖堂を眺めて、ちいさく鳴いた。
やがて軽やかな足取りで、黒猫は森へと去っていった。
夜に溶けていく墨のような体躯に、桜色の花びらが1枚、咲いていた。
次にその薔薇の香りに包まれながら、ランタンが照らす、白い飛び石の夜道を抜ける。
そしてこの建物のステンドグラスに立てられた、数百本ものあたたかな蝋燭の炎に、目を輝かせることだろう。
3月のまだほんのり肌寒い夜。
薄ら寒い風に歯を鳴らしながらこの明るくて暖かい教会に入ってきた彼らは、今まで襟を合わせてきたコートを脱いで、ウェルカムドリンクを手渡される。
そのカフェオレのほろ苦い香りをいっぱいに楽しみながら、招待状と会場とをちらちらと見比べて、
[漢字]受付[/漢字][ふりがな]ココ[/ふりがな]へ来るのだ。
俺は悪魔。名前はアガペ。
「本当の本当に特例だぞ。こんなことは500年に一度、許すか許さぬかくらいの奇跡だ」
大きな尺を地面に叩きつけ、「言ってこおおい!」という雷の轟くような大声で、閻魔様は俺を人間界へ送り出してくれた。
「なんだかんだ言って、あの方も身内には甘いな…」
もちろんそのレア度は理解しているし、俺の為に閻魔様がどれほどあちこちで根回しを重ねたことか、そのとてつもない労力だってありがたく思っている。
ただ、隣が気になりすぎる。
「本日はお寒い中お越しいただきありがとうございます!招待状を拝見いたしますね。…はい、日向様と堕瀬様…ですね。確認いたしました!それでは、このコサージュをお付け下さい」
高校生のカップルらしき男女に桜のコサージュを渡す指先はしなやかで、ミルクのように白い肌に、花の色と同じ、淡い桜色の熱がほのかに差している。
高校生カップルが連れ立って会場に入っていくと、受付の隣に座る彼女は、手元の用紙に何やら書き付け始めた。
…この字、間違いない。
ほう…と息を吐いてちょこんと座る少女は、
俺がずっと、ずっと焦がれていた、
純白の、天使。
「アガペさん?どうしました?」
アンサスの柔らかい声に、俺ははっと我に返った。
俺とアンサスは、この受付にて、続々とやってくる参加者たちを受け入れる業務をしている。
先ほど俺が、彼女が〝アンサス〟だと気づく前から、何やら予感はしていた。
艶々のブロンドの、編み込みシニヨン。
ドレスは、フォーマルながらクラシカルな上品さを湛えた白。
オフショルダーのビショップスリーブジャボカラー。
…おそらく俺が何を言っているか、ほとんどのヤツは分からないとは思うが。
とにかく、見た目からして色々な意味で天使だった。
人間ではないな、とひと目で分かるくらいには、慈愛に満ちた、美しい姿をしていた。
まるで、夢物語だ。
きっと一生、文字でしか彼女と触れ合う機会はないと思っていたのに。
天使と悪魔の一生は、1万年続くから。
「ごめん、何でもないよ」
「そうですか。…あ、そうだ。ちょっと言いたいことがあったんですよ。直近のアガペさんのお手紙……」
〝言いたいこと〟とやらを聞き逃さないため聴覚に集中力を全て注ぎ込んでいると、目の前にまた客が訪れた。
「あっ、本日はお寒い中お越しいただきありがとうございます!招待状を改めさせていただきますね。…はい、確認できました。こちらのコサージュを付けて頂いて…はい、ありがとうございます。どうぞお入りください!」
メガネを掛けた中学生らしき男女が、会場へ入っていった。
途中少女の方が入口の段差につまづきそうになり、少年はそれをさりげなく支え、「桜音、大丈夫?」なんて声を掛けている。
…さっきから、やけにカップルが多くないか。
胸に詰まるような少々の湿り気を感じ、苦々しい顔を慌てて噛み潰す。危ない。悪魔に脅しはお手の物だが、この祝福の場にこれほど似つかわしくない物はない。
そもそも、神聖域である教会に、悪魔の俺がいること自体イレギュラーなのだ。だからこそ「アガペは、聖堂に長いこと居たら副作用出かねないでしょ。エントランスの受付カウンターで避難してな」とあんじゅに言われ、受付役にされたのである。
半ば押し付けられるような形ではあったが、[漢字]彼女[/漢字][ふりがな]あんじゅ[/ふりがな]を恨んではいない。むしろ感謝しているくらいである。
なんてったって、「じゃ、そのヘルプに入ってあげて」とニヤニヤしながらアンサスと俺を組ませてくれたのが、他でもないあんじゅなのだから。
「……お手紙の話ですけど、「二度と戻ってこられないかも知れない」なんて脅かしてこないで下さいよ!人間界、とっても素敵じゃないですか……」
そう言ってうっとりと手を組む姿も、まさに天使。
「ああ、ごめん僕はホラ…罪人ばっか相手してるから。心配が高じて、最悪の状況しか思い浮かばなくて…」
「やっぱり、あんじゅさんの仰っていた通りだったんですね。いつもお仕事、お疲れ様です」
アンサスは、名前の通り花のようににこりと笑った。
「招待状を確認させて頂きます。……藍羽志様ですね。ではこちらをお付けいただき、お入りくださいませ」
「夢ノ宮様方、団体の方でいらっしゃいますね。どうぞお入りください」
ふたりで客をテキパキと捌きながら、間に談笑を挟む。その何気ない雑談が、俺にとってどれほど夢に見たことだったか。
話題は、ほとんどが対応した客の話。
たとえば、先ほど「夢ノ宮」と名乗った彼らは、少女が3人(そしてそのうち一人は欧米系の顔立ち)、若い成人男性が一人、高校生らしき青年とその母親と思しき中年女性…という、なんとも珍妙な組み合わせだった。
「…今の方々、ご家族…って感じじゃありませんでしたよね」
噂話は褒められたものではないが、その背徳感が秘密の会話をより盛り上げる。
「思った。…友達…ってのも考えにくいし…」
「私思うんですけど、近頃人間界で流行りの〝シェアメイト〟ってやつじゃないでしょうか」
「シェアメイト?」
聞き慣れない言葉に小声で繰り返すと、アンサスはより声を落として、会話を続けた。
「年齢も性別も違う人たちが、ルームシェアをする…〝友達〟と〝他人〟の間みたいな絶妙な距離感なんですって」
「はあ、何それ。なんかどんどん新しい価値観が作られてくよね、人間って。ほら、個性を尊重しよう的な。今よくある…」
「〝多様性〟?」
「それそれ」
ふたりで小さく笑い合っていると、いつの間にかまた客が来ていたことに気がついた。
「あの…?」
「ハイッ!すみません!お越しいただきありがとうございます!」
アンサスは、その客に戸惑ったように声を掛けられた時初めて気がついたらしい。内緒ばなしをするため俺の方に寄せていた身体をびくりと慌てて前に向け、裏返った声で返事をした。
その様子に俺がまた笑いそうになっていると、彼女から睨みを向けられた。
「はい、露夢様、月読様、星月様ですね。ではこちらのコサージュを付け……きゃあっ!」
アンサスが突然小さな悲鳴を上げ、俺も慌ててそちらを見た。
彼女が見ている方向には、眼鏡を掛けた知的な雰囲気の若い男性が。
深い紺色のスーツの袖から見える手首に、鮮血の花が咲いていた。
例えでなく、本当に赤い大きな花が。
「なっ…お怪我なさって…?大丈夫ですか!」
アンサスが慌ててそう言っても、彼女らは驚きすらしない。ただ手首から花が咲いている謎の男性は、あ、と呟いた。
「先生ー、多分ここに来るまでに、薔薇の茂みで切っちゃったんだよ。ほら、バンソーコー」
隣の少女が男性の腕を覗き込んで、ハンドバッグから出した絆創膏を彼の傷口らしきもの…に貼る。真っ赤な大輪の花は、絆創膏に覆われると同時に急速に萎れて、消えてなくなってしまった。
「お騒がせいたしました。もう大丈夫です」
「あの…失礼ですが、先ほどの花は…?」
丁寧に礼をする男性に、アンサスが問いかけた。
「そういう体質です」
先ほど絆創膏を貼っていたのとは違う、眠たげな少女が端的に答える。
「いえ、ですが…」
「〝多様性〟ですよ。そういう人だっているんです。個性を尊重、してくださいね」
言葉を失っているアンサスに軽く礼をしながら、彼女たちは笑顔で、颯爽と会場へと歩いていった。
「…アガペさん」
「何?」
「ああいう個性も、あるんですねえ」
「ないと思うよ?」
「え?」
天使と悪魔コンビが受付で会話を楽しんでいる間。
ツインテールを揺らすあんじゅは、そのイタズラっぽい「嗤い顔」を浮かべながら、会場を駆け回っていた。
現在、広い会場内はフリータイム。絢爛豪華なシャンデリアの光の下、ワイングラスやなんやらを片手に参加者たちが談笑している。
聞き耳を立てると、様々な声が聞こえてきた。天使の地獄耳…いや、天使なのだから天国耳…?を持つあんじゅには、どんな声も筒抜けなのである。
5人の学生集団が、喋っている。
うち3人は知り合いで、残り2人とは初対面らしいが…
初めは全員女子かと思っていたのだが、会話の中で「白守」や「翠」と呼ばれていた2人は、どうやら男子だったらしい。
誰なんだ、この女々しい人たち…
沙良は、少々困惑していた。
このパーティーに参加する前、彼女は手ずからケーキ用の抹茶クリームを作った。
そして張り切ってメイクやコーディネートをした後、親友の冬香、その彼氏の白守と共に、意気揚々と会場へ入ったのだが…
「[漢字]瑠唯[/漢字][ふりがな]るい[/ふりがな]、やっほ」
会場のドリンクを手に取るや否や白守は、近くを通る見知らぬ二人組に話しかけたのだ。
最初は女子かと思っていた「瑠唯」さんは、白守の話ぶりからしておそらく男子だった。
ただ、隣に立つ気弱そうな少女は、間違いなく女子らしい。
彼女は「初めまして。[漢字]御守[/漢字][ふりがな]みもり[/ふりがな]です」と、名字だけの簡潔な名乗りをした。
「…えっ瑠唯、[漢字]御守[/漢字][ふりがな]カタギ[/ふりがな]さんに言っちゃってるの?」
「そうそう。そんで南都に話しておきたいことがあってさ…そこのおふたり、白守の家の稼業はご存知?」
彼女…じゃなくて彼の視線が唐突に、私と冬香に向かう。私は少したじろぎ、冬香は警戒しているようだった…が、彼の質問の真意を、私はすぐに理解した。
「…ああ!はい、教えてもらっております。あの…白守さんのお家は…いわゆる、ヤク」
「はいストップストップ」
冬香が笑いながら止めてきたので、私は慌てて口を噤んだ。
「そう。それなら話が早いね。
…実はここにいる御守さん、前、百合下の組の方から襲われたんだよね」
瑠唯さんの言葉に、白守の顔が険しくなった。
「百合下…江藤系の?」
「そう。当然この子とはなんの関わりもないんだけど、調べてみてもなんで御守さんが恨みを買ったのか分からなくてさ」
「最近チョコ関係で、東南アジアとの交易路で揉めてるらしいけど…もしかして、単純に名字の問題じゃない?」
あ、もう分かんねえ。
とりあえず難しそうなことを話している男子を放っておいて、私と冬香は御守さんと話し始めた。
「…名字?」
「ほら、ウチの分家って江戸から続く門番の家系だから、名前に〝守〟の字が入ってるじゃん。それで御守さんが、分家の世継ぎとでも思ったんじゃないかな」
「はあ〜、なるほど。チョコルートにちょっかい出した?」
「…出した。ベトナムのタンソンニャットの空港税関、買収した」
「ああ…それで下っ端がイキっちゃったか」
ドラマみたいな会話には一応聞き耳を立ててたけど…うん。
何から何まで、分からなかった。
白守は、「じゃあ御守さん、巻き込んじゃってごめんね。瑠唯、ばーいばい」と言って彼らに手を振った。
私と冬香も、なんとなく手を振る。
「ちなみに白守、何話してたの?」
冬香がものすごく聴きづらそうに尋ねた。おお、さすが我が友!私も同じ疑問を抱いていたぞ!
「敵対してる組の、〝百合下〟っていうヤンチャ坊主の話。あとチョコの話」
「…チョコ。百合下、甘党なのか」
冗談めかしてそう言った私が、悪かった。
「いや、チョコっていうのはつまり、違法ドラッ…」
「わーってるから!ココであんま言うな言うな!おいマジでふざけんなよ白守お前!」
「ごめんって…」
今日の冬香は、言ってはいけないコトを寸止めするのに忙しい。
「あはは、初っ端から後ろ暗い話題に触れちゃったなあ…
…あっ、もうすぐでパーティー始まっちゃう!私も、行きますか」
羽を隠した背中を窮屈そうに背伸びしながら、あんじゅはポテポテと歩いていった。
突如、煌びやかな会場の証明が一気に落ち、大聖堂は急に仄暗がりの夜闇に包まれた。
そしてすぐにステージすぐ側、マイクスタンドテーブルに煌々と照明が当たる。
唐突に強いスポットライトで照らされたその1箇所に、会場に居る全員の視線が、集中する。
光の中に立つ春華は、紺色のブレザーの裾をぐっと握り締め、顔を上げた。
「皆様、本日はお忙しい中当パーティーにお越しいただき、誠にありがとうございます。本日司会を務めさせて頂きます、陽鮫春華と申します。よろしくお願いいたします」
よく響く低音の声が途切れ、春華は深々と礼をした。
〝開会のあいさつ〟が無事に終了し、会場に元の輝かしい照明が戻ると、春華はひとり息を吐いた。
…なんとか、やれそうかも。
ふとホールの端を見ると、片手に皿を持った酔雨が笑いながら、こちらに向かって親指を突き立てていた。
「ようこそお越しくださいました!ウェルカムドリンクの特製カフェオレで~す!」
受付よりも手前、教会の入口付近に立つ寝灯は、手に持った木のトレーに、お洒落なクリアカップのカフェオレを載せていた。
声を掛けられた招待客は皆、嬉しそうな顔でドリンクを受け取り、「美味しそう、ありがとうございます」と言ってくれる。そんな笑顔と優しい白薔薇の香りに包まれて、寝灯は祝福の夜に与えられたこの仕事を、心から楽しんでいた。
「それにしても…冷えるなあ。3月下旬でも、夜はまだこんな肌寒いのかな」
起毛のグレーコートの襟を伸ばして首元を覆い、指先に息を吐いた。静かな夜の薔薇園に客足は途絶え、寝灯は銀色の腕時計を確認する。
そろそろ、開会挨拶の時間か…?
「寝灯~~!お客さん終わった~?ちょっ…ちょっと手伝って!」
会場に戻って柊を探すと、彼女は細腕に大量のケージを抱えていた。
中身はもちろん、もふもふの毛ダルマこと、猫たち。
「とりあえずこの子たちはあそこで放そうと思ってて…」
柊が指さした先には、会場の隅に設けられたやや広めのフェンス。中のスペースにはもこもこのカーペットが敷き詰められており、出入口の傍には「ふれあい広場」という丸文字が書かれた看板が立てられている。
「立派なの作ったもんだねえ…」
「たくさんの人に協力してもらってさ。パーティーの主役の子は、たぶん絶対猫好きだと思うな…」
「〝たぶん絶対〟て」
2人は束の間を笑いあって、再び猫たちを抱え、喋り合いながらその場を去っていった。
「ケーキ…そっか、ケーキに使われたんだね」
様々な人で賑わう会場内で、話しかけて来ようとする何人もの笑顔の参加者たちをさらりとかわし、君はステージのすぐ前に立っていた。
話しかけを取り合って貰えなかった人たちも、特に気にすることなく他の人たちとの談笑に戻っている。
人々のさざめきと華やかな煌めきの中、首を持ち上げて眩しそうに上の方を眺める君が、
僕にとってはどうしようもなく、美しく見えた。
そこにあるのは、とても大きな抹茶のホールケーキ。
2段に重ねられたそれには、君が摘んだ桜の花が満開の木のように咲かせられていた。
苔むした翠色の大地に散る、羽二重のように柔らかい花びら。
桜はまるで君の笑顔みたいだ、なんて陳腐すぎる文句を心の中にそっとしまって、僕は話しかけた。
「いや、ケーキだけじゃないみたいだよ」
その言葉に振り向いた君は、
……僕の後ろを見たまま、驚いたように瞬きをした。
一瞬遅れで僕が振り向くと、そこは会場の入り口。
全員が、遅れてやってきた「だれか」に向けて、割れるような拍手をしている。
その「だれか」を包むように、桜色の雨が、はらはらと降り注いでいた。
桜を浴びた、「彼女」は……
「それでは、本日の主役の入場です!」
美しい低音のアナウンスに、一斉に集まる注目。
桜と抹茶の香りに包まれた教会に、優しい拍手が鳴り響く。
「ちょっと莉沙、突然連れてこられてコレ何!?何なのこの盛大すぎるパーティーは!」
「ほら、みんな待ってるよ!行こ」
「サプライズにしても限度があるって!」
何人かの友人に半ば引きずり込まれるような形で入場した彼女を、笑顔で迎え入れる。
誰も彼も皆、「彼女」の生み出した、夢物語。
優しすぎる涙と夜の香りに濡らされた、蜂蜜酒に酔ってしまいそうな甘い、物語。
彼女の、その名は。
「Happybirthday!!」
どこからかやってきた黒猫が、窓の外の暗闇から大聖堂を眺めて、ちいさく鳴いた。
やがて軽やかな足取りで、黒猫は森へと去っていった。
夜に溶けていく墨のような体躯に、桜色の花びらが1枚、咲いていた。
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