踏み出したのです。
明るさに、目がやっと慣れてきました。
私は、びしょ濡れに濡れそぼった、底冷えのする身体を抱きしめながら、絶望していたのです。
目の前には、どこまでもゆるやかに続く、真っ白な階段。
そして横には、見渡す限りの広い広い海。
ずるずると歩く度、束のように頬に絡みつく髪と紺色のマフラーから、ぴちゃぴちゃと、耳障りな水音が響いていました。
それでも、歩き続けるしかないことは分かりきっているのです。どんなに悲しくても、切なくても、この足がふらついて道から逸れたりしない限り。
この白い階段の、その果てにたどり着くまでは。
クジラの鳴き声が、遠くから響いていました。
重低音と、時折噴き上がる潮を、その海洋の端に捉えたことはあるのですが、いかんせん彼らは私にその姿を見せてはくれないのです。
たとえほんの少し、その岩のような大きな黒いからだの一部さえ見せてくれたら、どれだけ慰めになるか知れないのに。
私がゆっくりと歩くこの道は、広がる青い青い大海原の真ん中に、白い線が引かれたように続いています。
静かで穏やかな波音のする海と、決して雨の降らない優しい空の下、海面からかぞえてとても高いところにこの道はぽつりとあるのです。
幅は私の身長をふたり分ほど、少し進むたびに少しづつ、階段を一段一段、登っていかなければなりません。
風が吹きました。私の身体は、いつの間にかからりと乾いていました。
びゅうと潮の香りが鼻を掠めて、首が突然寒くなりました。
強い風が吹いて、紺色のマフラーが飛ばされてしまったのです。
うしろを振り返ると、今まで私が歩いてきた道のはるか後方に、そのマフラーはひっかかって、はためいていました。
私はマフラーを拾うため、そちらへ駆けだそうとして、…動きを、とめました。
もう何度繰り返したかわからないのです。
私は、そのままくるりと前に向き直り、再び歩き始めました。
少しだけ疲れたので、私は立ち止まって、その場に座りました。
白い地面が一気に近くに見えて、私は思わずその地面に手を触れてみます。
こつこつと、冷たい感触がしました。
少し身体を動かして、その道の端――崖のように直線的に切り立った、はるか下の方に見える海を、覗き込みました。
遠くから見える海面は今日もとても穏やかで、水の上に押し合いへし合いしている小さな光の輪が、ひどく規則的に、これから変わることなどなにもないかのように、つまらなく思えました。
どうしようもなく、怖いと思えました。
絶対に、こんな高いところから足を踏み外して、恐ろしい海に落ちてしまいたくはない、と。
もうどのくらい、歩き続けたでしょうか。
私はいつものように進もうとしていた道に、とんでもないものを見つけてしまったのです。
白い階段に引っかかってはたはたと揺れているもの。
目の前の道にあるのは、遠いあの日落とした、紺色のマフラー。
やっぱり、私は同じことを繰り返しているだけだったのです。
同じところを歩いて、果てしなくあるはずもない何かを探し続けて。
過去を変えられるかもしれないという僅かな希望を胸に行ってきたその行動に、いったいどれほどの意味があったというのでしょう。なにも変わらない。なにも、変えられない。ずうっと、単調なリズムで同じ螺旋を辿るだけ。
私は呆然と手に取ったマフラーを見つめました。
柔らかくてあたたかいそれは、目も覚めるような深い紺色をしています。
まるで月のない夜空や、くじらが寂しく鳴いている、大きな海のような…
そこまで考えた時、私は、マフラーから目を放し、すぐ側の海を見つめました。
ピントが遠くへと移り変わって、明るい空と混じるような水平線のかなたまで、はっきりと見えました。
最初から、答えはそこにあったのです。
あれほどあった恐れは、今や、穏やかなやすらぎへと変わっていました。
私は全身のちからを抜き、海に落ちてゆきました。
どれほど、揺蕩っていたのでしょう。
冷たい水の中は、思っていた以上にいごこちのよいものでした。
ある日、何かこつりと硬いものに、足が触れました。
そこには、水面の外から伸びる、白い地面の端が。
やっぱり、ここで合っていたんですね。
ここへ行けば必ず、この螺旋から抜け出すことができる。
そこに新たな道は、広がっている。
たしかな希望を持って、私はその道に足をかけ、眩いほどに明るい光の中へ、その一歩を
私は、びしょ濡れに濡れそぼった、底冷えのする身体を抱きしめながら、絶望していたのです。
目の前には、どこまでもゆるやかに続く、真っ白な階段。
そして横には、見渡す限りの広い広い海。
ずるずると歩く度、束のように頬に絡みつく髪と紺色のマフラーから、ぴちゃぴちゃと、耳障りな水音が響いていました。
それでも、歩き続けるしかないことは分かりきっているのです。どんなに悲しくても、切なくても、この足がふらついて道から逸れたりしない限り。
この白い階段の、その果てにたどり着くまでは。
クジラの鳴き声が、遠くから響いていました。
重低音と、時折噴き上がる潮を、その海洋の端に捉えたことはあるのですが、いかんせん彼らは私にその姿を見せてはくれないのです。
たとえほんの少し、その岩のような大きな黒いからだの一部さえ見せてくれたら、どれだけ慰めになるか知れないのに。
私がゆっくりと歩くこの道は、広がる青い青い大海原の真ん中に、白い線が引かれたように続いています。
静かで穏やかな波音のする海と、決して雨の降らない優しい空の下、海面からかぞえてとても高いところにこの道はぽつりとあるのです。
幅は私の身長をふたり分ほど、少し進むたびに少しづつ、階段を一段一段、登っていかなければなりません。
風が吹きました。私の身体は、いつの間にかからりと乾いていました。
びゅうと潮の香りが鼻を掠めて、首が突然寒くなりました。
強い風が吹いて、紺色のマフラーが飛ばされてしまったのです。
うしろを振り返ると、今まで私が歩いてきた道のはるか後方に、そのマフラーはひっかかって、はためいていました。
私はマフラーを拾うため、そちらへ駆けだそうとして、…動きを、とめました。
もう何度繰り返したかわからないのです。
私は、そのままくるりと前に向き直り、再び歩き始めました。
少しだけ疲れたので、私は立ち止まって、その場に座りました。
白い地面が一気に近くに見えて、私は思わずその地面に手を触れてみます。
こつこつと、冷たい感触がしました。
少し身体を動かして、その道の端――崖のように直線的に切り立った、はるか下の方に見える海を、覗き込みました。
遠くから見える海面は今日もとても穏やかで、水の上に押し合いへし合いしている小さな光の輪が、ひどく規則的に、これから変わることなどなにもないかのように、つまらなく思えました。
どうしようもなく、怖いと思えました。
絶対に、こんな高いところから足を踏み外して、恐ろしい海に落ちてしまいたくはない、と。
もうどのくらい、歩き続けたでしょうか。
私はいつものように進もうとしていた道に、とんでもないものを見つけてしまったのです。
白い階段に引っかかってはたはたと揺れているもの。
目の前の道にあるのは、遠いあの日落とした、紺色のマフラー。
やっぱり、私は同じことを繰り返しているだけだったのです。
同じところを歩いて、果てしなくあるはずもない何かを探し続けて。
過去を変えられるかもしれないという僅かな希望を胸に行ってきたその行動に、いったいどれほどの意味があったというのでしょう。なにも変わらない。なにも、変えられない。ずうっと、単調なリズムで同じ螺旋を辿るだけ。
私は呆然と手に取ったマフラーを見つめました。
柔らかくてあたたかいそれは、目も覚めるような深い紺色をしています。
まるで月のない夜空や、くじらが寂しく鳴いている、大きな海のような…
そこまで考えた時、私は、マフラーから目を放し、すぐ側の海を見つめました。
ピントが遠くへと移り変わって、明るい空と混じるような水平線のかなたまで、はっきりと見えました。
最初から、答えはそこにあったのです。
あれほどあった恐れは、今や、穏やかなやすらぎへと変わっていました。
私は全身のちからを抜き、海に落ちてゆきました。
どれほど、揺蕩っていたのでしょう。
冷たい水の中は、思っていた以上にいごこちのよいものでした。
ある日、何かこつりと硬いものに、足が触れました。
そこには、水面の外から伸びる、白い地面の端が。
やっぱり、ここで合っていたんですね。
ここへ行けば必ず、この螺旋から抜け出すことができる。
そこに新たな道は、広がっている。
たしかな希望を持って、私はその道に足をかけ、眩いほどに明るい光の中へ、その一歩を
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