ガトスは重い足取りで準準決勝の舞台へ向かおうとしていた。ふと、開け放たれた敗退者専用の控え室に目を向ける。
ガトス(なんか......静かすぎないか?)
500人以上が参加した大会だ。予選で落ちた者、本戦で敗れた猛者たちが、もっとこの辺りで愚痴でもこぼしながら荷物をまとめているはずだった。しかし、視界に入る人影はまばら。まるで最初から存在しなかったかのように、負けた者たちが会場から消えている。
ガトス(......まあ、負けたら即帰ってもいいルールだしな。あんな鉄柱を全力で殴らせるような大会だ、みんな愛想を尽かしてさっさと酒場にでも行ったんだろう。)
自分もキルンが見つからなければ、すぐにでもその先に帰った連中に混ざりたい気分だった。荷物もない身軽なガトスは、それ以上の疑問を思考の隅に追いやった。
ガトスが選手用通路を歩いていると、前方から一人の男が歩いてきた。
鮮やかな青い髪。今回の大会でガトスと並び、圧倒的な実力で勝ち進んでいる男――グーラだ。
ガトス(あいつ......。確かまだ勝ち残ってるはずだよな。準決勝で当たる可能性が高い相手だ)
二人の視線が一瞬交差する。グーラの瞳は、どこか焦点が合っていないような、それでいて底知れない渇きを孕んでいるように見えた。
グーラはガトスに言葉をかけることもなく、そのまま先ほどガトスが違和感を覚えた敗退者控え室の中へと入っていった。
ガトス(......? 負けた知り合いでも励ましに行ったのか? 意外とマメな奴だな)
そう結論づけ、ガトスは自分の試合のために背を向けた。
だが、その時。
背後の控え室から、『ガリ...ボリ...』という、硬いものを噛み砕くような異質な音が、一瞬だけ聞こえた気がした。
ガトス「......? 首の骨でも鳴らしたか?」
振り返っても、扉はすでに閉まっている。
ガトスは自嘲気味に首を振った。
ガトス「......キルンが見つからないからって、神経質になりすぎだな。さっさと終わらせよう。45位の俺が、どこまでやれるか知らないけどさ...」
そう思い、通路を歩くと、見知った顔を見つけた。
ガトス「ルエルフ!」
向こうから来たのはルエルフという名のエルダーエルフ(※詳しくは『闇に堕ちる勇者 ~魔勇の日常~』の「古代エルフ」を参照)。三年くらいの付き合いだ。
ガトス「お前もこの大会に出たんだな!」
ルエルフ「あぁ。...キルンは居ないのか?」
ガトス「...行方不明でさ。探してるんだ。」
ルエルフ「え!?あのキルンが!?」
ガトス「信じられないがそうだ。」
ルエルフ「そうか...なにか手伝えることがあれば言ってくれ。力になる。」
ガトス「ありがとう。嬉しいよ。」
ルエルフ「じゃ、次の試合頑張れよ!」
ガトス「おう!そっちもな!」
ルエルフとの再会で、少しだけ心が軽くなったガトス。
親友キルンの不在、予選45位の屈辱、そして控え室での不気味な音――それらのノイズを振り払うように、彼はリングへと足を踏み入れた。
アナウンサー「さあ、準々決勝! 注目の一戦です! スピードスター・ガトス対、北域の重戦士・バルザック!!」
対戦相手は、身の丈2メートルを超える大男。
開始の合図と共に、ガトスは弾かれたように跳んだ。
ガトス(迷ってる暇はない......最短最速で終わらせる!)
相手の斧が空を切る音を耳元で聞きながら、ガトスは最小限の動きで懐に潜り込む。
「速すぎて見えねぇ......!」というバルザックの呻きが聞こえた瞬間、ガトスの掌底が相手の鳩尾に吸い込まれた。
一撃。
巨体が宙を舞い、リング外へと崩れ落ちる。
アナウンサー「勝者、ガトス! 圧倒的! 45位という順位が信じられないほどの神速だぁーー!!」
[水平線]
準準決勝戦が終わり、準決勝を前にガトスは一度精神を落ち着かせようと選手控え室へ向かっていた。
その通路の途中、運命のいたずらか...彼は再びあの場所の前に差し掛かる。
『敗退者控え室』
重厚な扉の前に、一人の男が立っていた。準決勝で拳を交えることになる相手、グーラだ。
彼はちょうど、中から出てきたところだった。
ガトス(......また、あそこから......)
グーラはガトスの存在に気づいているのかいないのか、冷徹な無表情のまま、口元を手の甲で無造作に拭った。その瞳は、先ほどよりもさらに深く、底なしの暗闇を湛えているように見える。
すれ違いざま、ガトスの鼻腔を微かにかすめたのは、鉄錆のような、生々しい『血』の匂い。
ガトス(......っ!?)
思わず足を止め、背後を振り返る。
グーラは悠然と、獲物を仕留め終えた捕食者のような足取りで通路の奥へと消えていった。
ガトスは吸い寄せられるように、彼が出てきたばかりの扉に手をかけた。
ほんの少し前まで、そこからは「ガリ......ボリ......」という、あの不気味な咀嚼音が漏れ聞こえていたはずだった。
ガトス「......おい、誰かいないのか?」
返事はない。
意を決して扉をわずかに開け、中を覗き込む。
ガトス「...............え?」
そこには、何もなかった。
荷物も、これまでに敗退したはずの数十、数百の戦士たちの姿も。
ただ、誰もいなくなったガランとした部屋に、強烈な消毒液のような匂いと、先ほどまで誰かがそこにいたという微かな体温だけが残されている。
あんなに騒がしかったはずの敗退者たちの気配が、完全に消失している。
まるで、最初からこの世に存在しなかったかのように。
ガトス「......嘘だろ......?他の奴らは......一体どこに消えたんだ......?」
耳を澄ませても、聞こえるのは遠くの観客席から響く、事情を知らない観衆たちの空虚な歓声だけ。
少し前は聞こえていた硬いものを噛み砕く音が消えているこの死んだような静寂。それが何よりも恐ろしかった。
「ガトス選手! 出番です、準決勝のリングへ!」
スタッフの声が、呪縛を解くように響く。
ガトスは震える手で扉を閉めると、逃げるようにリングへと走り出した。
親友キルンを探すために出た大会。だが、今やこの場所は、一歩間違えれば自分も喰われかねない、巨大な胃袋のように感じられた。
ガトス(......ルエルフ。お前、絶対に負けるなよ。負けてあの中に行くんじゃないぞ......!)
祈るような心地で、ガトスは青白い光が差し込む準決勝のリングへと躍り出た。
対峙する先には、先ほど口元を拭っていた男――グーラが、静かに彼を待っていた。
第16話「Side ガトス5」終
次回 第17話「Side ガトス6」
ガトス(なんか......静かすぎないか?)
500人以上が参加した大会だ。予選で落ちた者、本戦で敗れた猛者たちが、もっとこの辺りで愚痴でもこぼしながら荷物をまとめているはずだった。しかし、視界に入る人影はまばら。まるで最初から存在しなかったかのように、負けた者たちが会場から消えている。
ガトス(......まあ、負けたら即帰ってもいいルールだしな。あんな鉄柱を全力で殴らせるような大会だ、みんな愛想を尽かしてさっさと酒場にでも行ったんだろう。)
自分もキルンが見つからなければ、すぐにでもその先に帰った連中に混ざりたい気分だった。荷物もない身軽なガトスは、それ以上の疑問を思考の隅に追いやった。
ガトスが選手用通路を歩いていると、前方から一人の男が歩いてきた。
鮮やかな青い髪。今回の大会でガトスと並び、圧倒的な実力で勝ち進んでいる男――グーラだ。
ガトス(あいつ......。確かまだ勝ち残ってるはずだよな。準決勝で当たる可能性が高い相手だ)
二人の視線が一瞬交差する。グーラの瞳は、どこか焦点が合っていないような、それでいて底知れない渇きを孕んでいるように見えた。
グーラはガトスに言葉をかけることもなく、そのまま先ほどガトスが違和感を覚えた敗退者控え室の中へと入っていった。
ガトス(......? 負けた知り合いでも励ましに行ったのか? 意外とマメな奴だな)
そう結論づけ、ガトスは自分の試合のために背を向けた。
だが、その時。
背後の控え室から、『ガリ...ボリ...』という、硬いものを噛み砕くような異質な音が、一瞬だけ聞こえた気がした。
ガトス「......? 首の骨でも鳴らしたか?」
振り返っても、扉はすでに閉まっている。
ガトスは自嘲気味に首を振った。
ガトス「......キルンが見つからないからって、神経質になりすぎだな。さっさと終わらせよう。45位の俺が、どこまでやれるか知らないけどさ...」
そう思い、通路を歩くと、見知った顔を見つけた。
ガトス「ルエルフ!」
向こうから来たのはルエルフという名のエルダーエルフ(※詳しくは『闇に堕ちる勇者 ~魔勇の日常~』の「古代エルフ」を参照)。三年くらいの付き合いだ。
ガトス「お前もこの大会に出たんだな!」
ルエルフ「あぁ。...キルンは居ないのか?」
ガトス「...行方不明でさ。探してるんだ。」
ルエルフ「え!?あのキルンが!?」
ガトス「信じられないがそうだ。」
ルエルフ「そうか...なにか手伝えることがあれば言ってくれ。力になる。」
ガトス「ありがとう。嬉しいよ。」
ルエルフ「じゃ、次の試合頑張れよ!」
ガトス「おう!そっちもな!」
ルエルフとの再会で、少しだけ心が軽くなったガトス。
親友キルンの不在、予選45位の屈辱、そして控え室での不気味な音――それらのノイズを振り払うように、彼はリングへと足を踏み入れた。
アナウンサー「さあ、準々決勝! 注目の一戦です! スピードスター・ガトス対、北域の重戦士・バルザック!!」
対戦相手は、身の丈2メートルを超える大男。
開始の合図と共に、ガトスは弾かれたように跳んだ。
ガトス(迷ってる暇はない......最短最速で終わらせる!)
相手の斧が空を切る音を耳元で聞きながら、ガトスは最小限の動きで懐に潜り込む。
「速すぎて見えねぇ......!」というバルザックの呻きが聞こえた瞬間、ガトスの掌底が相手の鳩尾に吸い込まれた。
一撃。
巨体が宙を舞い、リング外へと崩れ落ちる。
アナウンサー「勝者、ガトス! 圧倒的! 45位という順位が信じられないほどの神速だぁーー!!」
[水平線]
準準決勝戦が終わり、準決勝を前にガトスは一度精神を落ち着かせようと選手控え室へ向かっていた。
その通路の途中、運命のいたずらか...彼は再びあの場所の前に差し掛かる。
『敗退者控え室』
重厚な扉の前に、一人の男が立っていた。準決勝で拳を交えることになる相手、グーラだ。
彼はちょうど、中から出てきたところだった。
ガトス(......また、あそこから......)
グーラはガトスの存在に気づいているのかいないのか、冷徹な無表情のまま、口元を手の甲で無造作に拭った。その瞳は、先ほどよりもさらに深く、底なしの暗闇を湛えているように見える。
すれ違いざま、ガトスの鼻腔を微かにかすめたのは、鉄錆のような、生々しい『血』の匂い。
ガトス(......っ!?)
思わず足を止め、背後を振り返る。
グーラは悠然と、獲物を仕留め終えた捕食者のような足取りで通路の奥へと消えていった。
ガトスは吸い寄せられるように、彼が出てきたばかりの扉に手をかけた。
ほんの少し前まで、そこからは「ガリ......ボリ......」という、あの不気味な咀嚼音が漏れ聞こえていたはずだった。
ガトス「......おい、誰かいないのか?」
返事はない。
意を決して扉をわずかに開け、中を覗き込む。
ガトス「...............え?」
そこには、何もなかった。
荷物も、これまでに敗退したはずの数十、数百の戦士たちの姿も。
ただ、誰もいなくなったガランとした部屋に、強烈な消毒液のような匂いと、先ほどまで誰かがそこにいたという微かな体温だけが残されている。
あんなに騒がしかったはずの敗退者たちの気配が、完全に消失している。
まるで、最初からこの世に存在しなかったかのように。
ガトス「......嘘だろ......?他の奴らは......一体どこに消えたんだ......?」
耳を澄ませても、聞こえるのは遠くの観客席から響く、事情を知らない観衆たちの空虚な歓声だけ。
少し前は聞こえていた硬いものを噛み砕く音が消えているこの死んだような静寂。それが何よりも恐ろしかった。
「ガトス選手! 出番です、準決勝のリングへ!」
スタッフの声が、呪縛を解くように響く。
ガトスは震える手で扉を閉めると、逃げるようにリングへと走り出した。
親友キルンを探すために出た大会。だが、今やこの場所は、一歩間違えれば自分も喰われかねない、巨大な胃袋のように感じられた。
ガトス(......ルエルフ。お前、絶対に負けるなよ。負けてあの中に行くんじゃないぞ......!)
祈るような心地で、ガトスは青白い光が差し込む準決勝のリングへと躍り出た。
対峙する先には、先ほど口元を拭っていた男――グーラが、静かに彼を待っていた。
第16話「Side ガトス5」終
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