俺は今、敵兵に囲まれていた。
前には敵兵。後ろにも敵兵。
そして背中には、俺の肩を震える手で握る幼女。
言うまでもなく、絶体絶命の大ピンチである。
兵士が何か喋っているが、人間の言葉なので魔族である俺には分からない。語気からして、恐らく罵倒の言葉だろう。憎々しげに俺を睨んでいる。
正直、この兵士たちはそこまで強くないように思う。
剣は持ち方からしてお粗末だし、平気そうな顔を装っているが、足は子鹿のように震えている。
普段の俺ならば、体術なり魔術なり鬼化なり使って容易く殺すことができるであろう相手だ。
しかし、それはできない。
何故ならば、背中に幼女を負ぶさっているからだ。
体術は、無理だ。幼女を負ぶさるために両手が塞がっているし、足技を使えば恐らくこの幼女は振り落とされるだろう。
魔術も無理だ。俺の得意とする風魔術では、まず間違いなくこの幼女を巻き込んでしまう。
鬼化などもってのほかだ。最悪、幼女が死んでしまう。
どうしてこの俺が、幼女なんていう今までの人生で全く関わりを持ってこなかった生き物を負ぶさる羽目になったのか。
それは、つい15分前のことだった。
---
「おーい! ノクちゃんいる!?」
ドンドンドンと、ドアが激しく叩かれた。
木製のドアが、ミシミシと嫌な音を立てる。
ここは魔王城最上階。
俺たち四天王と、魔王様の自室がある場所だ。
そして、この部屋は他ならぬ俺の部屋だった。
「いません」
半ば自棄を起こす気持ちで言うと、ドアが勢いよく開いた。
そこには、見た目麗しい少女がいた。
輝かんばかりの銀髪を揺らし、端正な顔に笑みを浮かべて立っている。
「何か御用でしょうか、魔王様」
そう。
この人こそが、我ら魔族を纏める御方——魔王様だ。
「聞いて驚くなよノクちゃん」
「ええ、多分驚きませんので、どうぞ何でも仰って下さい」
「勇者が攻めてきた!! 軍隊引き連れて」
「……は?」
俺は衝撃を受けて固まった。
魔王様が、「へっへー、ノクちゃん驚いてやんの」と笑う。
「軍隊っつっても、勇者と聖女以外は雑魚ばっかだから安心して!! ちょっと私が行ってぶっ潰してくるよ」
「いや、え?」
「でもさ、今代勇者ってすっげー空間魔術の使い手だって言うじゃん? っつーことで、念話石使ってみんなに避難命令出してくんない?」
「ま、魔王様、少し状況を整理する時間を頂けませんか」
「無理無理。時間ないって」
「ちょっ、待っ……」
「ああ、あとそれと」
魔王様が一歩後ろに下がると、背後から何者かの気配がした。
俺は反射的に身構える。
「そんな身構えなくてもダイジョブダイジョブ!」
魔王様が明るい声音で言う。
その気配の主は、
魔王様よりも更に小さな、少女だった。
幼女と言ったほうが正しいかもしれない。
魔王様と、そしてあいつとそっくりな銀髪。
真紅の薔薇のような瞳が、不安げに揺れている。
「あの、この子供は……? まさか」
「そのまさかだよノクちゃん! この子ね、私の娘」
「っ、はあ……」
もう何を言われても驚く気がしない。
勇者? 軍隊? 魔王様の娘?
いや、どういうこと?
「はーい、自己紹介しちゃってくださーい!」
「……り、りざべる」
「はい可愛い!!! はいこちら、私の世界一きゃわなリザベルちゃんです! リザちゃんって呼んだげてね!!」
「……」
「ノクちゃんにはね、この子を連れて逃げて欲しいの!」
「え」
俺は状況の整理をした。
勇者が軍隊を連れて攻めてきている。
魔王様は、自らの娘を連れて俺に逃げろと言っている。
他の者にも避難命令を出せ、とも言っている……
「魔王様、お言葉ですが……流石に軍隊と一人で戦うのは、いくら魔王様でも無謀なように思います。我ら四天王は魔王様を守るため、存在しておりますから……この、魔王様の御息女様? は別の者に任せて、私は魔王様と共に戦います」
「え、やだ」
この御方なら、そう言うと思った。
思ったけれど、流石にここは譲れない。
俺は語気を強めた。
「魔王様! 考え直して下さい」
「……ノクターン。いいから私の言うことに従って」
名前を呼ばれて、俺はハッとした。
あいつの声に、あまりにも似ていたから。
「この子は、魔神族の正統な血を継いだ子。魔力量は既に私を上回っているし、きっと魔術の才能もある。この子なら、私がいなくなった後でも魔王の座を引き継げる」
「……」
「でも、まだ戦闘能力のない無力な子供なの。だから、他ならぬあなたに護衛を頼みたい。今この国で私の次に強いのは、あなたでしょう?」
「……っ、分かりました。引き受けましょう」
俺がそう言うと、魔王様はキラキラと目を輝かせた。
あいつも小さい頃、よくこんな目をしていたっけ。
「よっしゃ! 頼んだよノクちゃん!」
「ええ……この子が魔王の座を継ぐまで、この子を守り抜くと誓いましょう」
俺は跪き、魔王様の手をスッと取ると、雪のように真っ白な手の甲に、キスを落とした。
魔王様は少し驚いた素振りを見せて、ぼぅっと固まったあと、気を取り直したかのように言い放った。
「じゃあね、ノクターン! もし私が無事だったら、また会おう!」
「勿論です。御武運をお祈りしております」
魔王様が部屋から駆け出た。
部屋には、俺と魔王様の御息女……リザベルが、取り残された。
前には敵兵。後ろにも敵兵。
そして背中には、俺の肩を震える手で握る幼女。
言うまでもなく、絶体絶命の大ピンチである。
兵士が何か喋っているが、人間の言葉なので魔族である俺には分からない。語気からして、恐らく罵倒の言葉だろう。憎々しげに俺を睨んでいる。
正直、この兵士たちはそこまで強くないように思う。
剣は持ち方からしてお粗末だし、平気そうな顔を装っているが、足は子鹿のように震えている。
普段の俺ならば、体術なり魔術なり鬼化なり使って容易く殺すことができるであろう相手だ。
しかし、それはできない。
何故ならば、背中に幼女を負ぶさっているからだ。
体術は、無理だ。幼女を負ぶさるために両手が塞がっているし、足技を使えば恐らくこの幼女は振り落とされるだろう。
魔術も無理だ。俺の得意とする風魔術では、まず間違いなくこの幼女を巻き込んでしまう。
鬼化などもってのほかだ。最悪、幼女が死んでしまう。
どうしてこの俺が、幼女なんていう今までの人生で全く関わりを持ってこなかった生き物を負ぶさる羽目になったのか。
それは、つい15分前のことだった。
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「おーい! ノクちゃんいる!?」
ドンドンドンと、ドアが激しく叩かれた。
木製のドアが、ミシミシと嫌な音を立てる。
ここは魔王城最上階。
俺たち四天王と、魔王様の自室がある場所だ。
そして、この部屋は他ならぬ俺の部屋だった。
「いません」
半ば自棄を起こす気持ちで言うと、ドアが勢いよく開いた。
そこには、見た目麗しい少女がいた。
輝かんばかりの銀髪を揺らし、端正な顔に笑みを浮かべて立っている。
「何か御用でしょうか、魔王様」
そう。
この人こそが、我ら魔族を纏める御方——魔王様だ。
「聞いて驚くなよノクちゃん」
「ええ、多分驚きませんので、どうぞ何でも仰って下さい」
「勇者が攻めてきた!! 軍隊引き連れて」
「……は?」
俺は衝撃を受けて固まった。
魔王様が、「へっへー、ノクちゃん驚いてやんの」と笑う。
「軍隊っつっても、勇者と聖女以外は雑魚ばっかだから安心して!! ちょっと私が行ってぶっ潰してくるよ」
「いや、え?」
「でもさ、今代勇者ってすっげー空間魔術の使い手だって言うじゃん? っつーことで、念話石使ってみんなに避難命令出してくんない?」
「ま、魔王様、少し状況を整理する時間を頂けませんか」
「無理無理。時間ないって」
「ちょっ、待っ……」
「ああ、あとそれと」
魔王様が一歩後ろに下がると、背後から何者かの気配がした。
俺は反射的に身構える。
「そんな身構えなくてもダイジョブダイジョブ!」
魔王様が明るい声音で言う。
その気配の主は、
魔王様よりも更に小さな、少女だった。
幼女と言ったほうが正しいかもしれない。
魔王様と、そしてあいつとそっくりな銀髪。
真紅の薔薇のような瞳が、不安げに揺れている。
「あの、この子供は……? まさか」
「そのまさかだよノクちゃん! この子ね、私の娘」
「っ、はあ……」
もう何を言われても驚く気がしない。
勇者? 軍隊? 魔王様の娘?
いや、どういうこと?
「はーい、自己紹介しちゃってくださーい!」
「……り、りざべる」
「はい可愛い!!! はいこちら、私の世界一きゃわなリザベルちゃんです! リザちゃんって呼んだげてね!!」
「……」
「ノクちゃんにはね、この子を連れて逃げて欲しいの!」
「え」
俺は状況の整理をした。
勇者が軍隊を連れて攻めてきている。
魔王様は、自らの娘を連れて俺に逃げろと言っている。
他の者にも避難命令を出せ、とも言っている……
「魔王様、お言葉ですが……流石に軍隊と一人で戦うのは、いくら魔王様でも無謀なように思います。我ら四天王は魔王様を守るため、存在しておりますから……この、魔王様の御息女様? は別の者に任せて、私は魔王様と共に戦います」
「え、やだ」
この御方なら、そう言うと思った。
思ったけれど、流石にここは譲れない。
俺は語気を強めた。
「魔王様! 考え直して下さい」
「……ノクターン。いいから私の言うことに従って」
名前を呼ばれて、俺はハッとした。
あいつの声に、あまりにも似ていたから。
「この子は、魔神族の正統な血を継いだ子。魔力量は既に私を上回っているし、きっと魔術の才能もある。この子なら、私がいなくなった後でも魔王の座を引き継げる」
「……」
「でも、まだ戦闘能力のない無力な子供なの。だから、他ならぬあなたに護衛を頼みたい。今この国で私の次に強いのは、あなたでしょう?」
「……っ、分かりました。引き受けましょう」
俺がそう言うと、魔王様はキラキラと目を輝かせた。
あいつも小さい頃、よくこんな目をしていたっけ。
「よっしゃ! 頼んだよノクちゃん!」
「ええ……この子が魔王の座を継ぐまで、この子を守り抜くと誓いましょう」
俺は跪き、魔王様の手をスッと取ると、雪のように真っ白な手の甲に、キスを落とした。
魔王様は少し驚いた素振りを見せて、ぼぅっと固まったあと、気を取り直したかのように言い放った。
「じゃあね、ノクターン! もし私が無事だったら、また会おう!」
「勿論です。御武運をお祈りしております」
魔王様が部屋から駆け出た。
部屋には、俺と魔王様の御息女……リザベルが、取り残された。