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《スピンオフ》紫原家のにちじょう。(不穏)

紫原瑚緑が最初に覚えている感覚は、寒さだった。

それは冬の冷気ではない。
床から這い上がってくる、骨の内側まで染みるような冷えだった。
薄暗い部屋。灯りは裸電球ひとつ。壁にはひび割れ、床には血と油の混じった臭い。

「……なまえ……」

四歳の瑚緑は、声を出すことが苦手だった。
声帯がどうこうというより、声を出す必要がなかった。

命令は殴打で教え込まれた。
失敗は痛みで理解させられた。
泣けば無駄に体力を奪われるだけだと、誰かが教えてくれたわけでもないのに、瑚緑は自然と学んでいた。

隣には、いつも小さな気配があった。

賈緑――妹だ。

彼女は瑚緑より少しだけ幼く、少しだけ弱かった。
だから、瑚緑は妹の前では殴られなかった。
殴られる役目は、兄のものだった。

「……ころ……?」

怯えた声で名前を呼ばれると、瑚緑は静かに首を振った。
声を出すな、目立つな、生き残れ。
それが、兄として最初に覚えた役割だった。

彼が初めて「仕事」をしたのは、四歳の終わりだった。

連れて行かれた先は、見知らぬ屋敷。
畳敷きの部屋に、見た目だけは立派な男が一人、酔い潰れていた。

「触るな。近づけ。首だ」

命令は短かった。
瑚緑は躊躇しなかった。

――躊躇するという感情を、まだ知らなかった。

小さな拳が振り下ろされる。
人は、壊れるときはとても簡単だということを、瑚緑はそのとき理解した。

戻ったとき、妹は膝を抱えて座っていた。
瑚緑の着物に付いた赤を見て、何も言わなかった。

ただ、その夜、彼女は兄の袖を強く掴んで眠った。

二人は「商品」だった。

値札の付いた存在。
良く出来れば価値が上がり、失敗すれば処分される。

賈緑は笑うことを学んだ。
貼り付けた笑みを。

「私は商品、私は商品」

それを唱えることで、心を体から切り離した。
殴られても、触れられても、目を逸らせば自分じゃなくなる。

瑚緑は、逆だった。

彼は感情を削いだ。
喜びも、怒りも、悲しみも。
削ぎ落とし、研ぎ澄ませ、ただ使える刃になることを選んだ。

兄が刃になり、妹が人形になる。
それが、二人が生き残るための役割分担だった。

転機は、ある夜に訪れた。

競りの前日。
いつもより警備が緩い。
瑚緑は、妙な感覚に気づいた。

――触れられない。

殴られたはずの拳が、体をすり抜けた。
蹴りが、影を裂くだけで終わった。

「……?」

恐怖より先に、理解が来た。

死んだ。

それが確信だった。

だが、意識は消えなかった。
体は床に倒れているのに、視界は立ったままだった。

「ころ……?」

妹の声が震える。

瑚緑は、彼女の前に立った。
立った、はずだった。

「……僕は……ここに、いるよ」

声は届かなかった。
手も、触れられなかった。

賈緑は兄の亡骸を揺さぶり、叫び、泣き、やがて――
無音になった。

その瞬間が、瑚緑の中で永遠に凍りついた。

翌朝、妹はいなかった。

連れ出されたのだと、すぐに分かった。
競りは予定通り行われたのだろう。

瑚緑は、その場を離れられなかった。
理由は分からない。
ただ、妹が消えた場所から、動けなかった。

それから先の記憶は、ところどころ欠けている。

誰かを殺した。
どこかで戦った。
名前を呼ばれた。

紫殺。

気づけば、彼は「不死身」と呼ばれていた。
幽霊の暗殺者。
触れられない刃。

だが、心の奥底に残っていたのは、ただ一つ。

――妹の声。

「お兄ちゃん……今どこで何してるのかな……」

その声が、瑚緑を縛り続けている。

感情は無いはずなのに。
記憶も曖昧なのに。

それでも彼は、今日もどこかで立っている。

妹が生きている限り。
再会するその瞬間まで。

紫原瑚緑は、ここにいる_____

作者メッセージ

まじマッハでかいたよ

2025/12/21 23:30

meruku-q
ID:≫ 11GsR4EM2gvPY
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PG-12 #暴力表現紫原紫原家

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