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クトゥルフ神話を題材にしてはおりますが、原作において登場しない架空の神性が登場することもございます。
[中央寄せ]2017年5月 東井紗枝[/中央寄せ]
紗枝は真っ暗闇の中にぽつんと立っているようだった。
どこを見ても真っ暗闇がどこまでも続く無音の世界。
否、紗枝自身が闇の一部として存在しているのかもしれない。
足と思しき部位を動かしているつもりだが歩いている感覚もなく、手と手を合わせようとしても何も触れあうことがない。
だから自分の肉体はとうになくなって意識だけの存在になってしまったのではないだろうか、と彼女は考えた。
つまり、死んだのだろうか。
彼女が出した結論がこれだった。
結論付けてからは彼女は今の状況をすとんと納得してしまって、その他に何も頭を悩ませる要素はなかった。
強いて言うことがあるとすれば、自分は生前こんなところに来なければならないほどの罪を犯したのだろうか、ということのみ。
天国のような楽園でもなく、地獄のような禍々しい場所でもない。
本当にただ無が広がる世界に投げ出されなければならないことが一番苦痛だ。
涙を流せる部位はもはやないだろうが、酷く泣きたくなってくる。
本音を言うならまだ死にたくなかった。
まだ恋人も出来てないしもっと贅沢したかった。
もしも死を『拒絶』することが出来るなら、紗枝はきっと全身全霊で『拒んだ』だろう。
でもそんなことできるはずがない、死はこの世界が定めた絶対法規の一つだ。
覆すことができるなら誰だって死に怯えることなんて無くなる。
それでも死にたくない、生きていたい。
頭の中で死を拒み続ける。
心の底から死を拒絶する。
刹那、再び紗枝の脳内に不可解な映像が焼き付けられる。
蛸だろうか?
鋭い眼光を持った不気味な存在が紗枝を睨みおろしている。
そのあまりにも巨大な存在はたった一瞬で彼女の精神に恐怖を刻み付けた。
漆黒のインクがじわりと滲み広がり侵食するように恐怖から不安と畏怖が沸き起こる。
点滅をするようにそれは何度も何度も紗枝の脳内に表出し消滅しを繰り返す。
途絶えない恐怖と不安に思考が殺されていく。
根源不明の絶望に叫びたくなった。
いや、もしかしたら紗枝はずっと叫んでいるのかもしれない。
恐怖に心臓を握りつぶされ、不安に四肢を解体される。絶望に全身を引き裂かれ、生きながらに殺し尽くされた。
全てイメージの産物でしかないのに、身体なんてないはずなのに痛みが鮮烈に刻み付けられる。
こんなものをずっと受け入れていれば魂が水泡のように弾けて消えてしまうような心地だった。
拒絶したい、しなければ、拒絶を、拒絶を。
この身に起きた不幸を絶望を、紗枝は拒絶した。
そうして彼女はぐぱりと顎を開いた何かに飲み込まれた。
[中央寄せ]2017年5月 黄蘗桜崖[/中央寄せ]
「まさか『不定領域』に『非術者』が巻き込まれるなんて…」
荘厳な死の陰気と静寂に包まれた遺体安置所。
そこには一人の遺体が冷たい鉄の台に横たわっている。
紫の髪を持った長身なスーツ姿の男性は、遺体に掛けられたシーツを軽く捲って顔を確認した。
まだ若い女性だった。
自分達の不手際によって、まだ先に続いていたはずの未来を閉ざしてしまったことが悔やまれてならない。
その死を悼む為に手を合わせ冥福を祈る。
「被害者の身元は分かっていますか?」
少し時間が経ってから、入口に立ち自身の失態に表情を青くしたスーツ姿の青年に向き直り問い掛ける。
彼は今年に入ってこの『組織』に所属することになった新人だった。
問い掛けられると新人は肩をビクッと震わせて脊髄反射的に返答を返した。
「彼女は埼玉県の『特別計画地区』に在住している22歳の東井紗枝さんで職業は……作家、ということまでしかまだ……彼女にどうやらご家族はいらっしゃらないようで……」
「特別計画地区……となると非術者と断定しても問題なさそうですね」
埼玉県『特別計画地区』
二十年前から日本で試験的に運営が行われ始めた計画都市だ。
人知を超越した幻想の力である『魔法』というものが実在するこの世界において、そのような都市計画を施行しているのはおそらく日本くらいのものだろう。
他国では多少の軋轢はあれど、『魔法』を扱う『術者』と扱わない『非術者』はどこでも住む場所を町単位で分けることなく調和を図りながら生きていた。
だが、日本は世界的に見ても唯一、術者と非術者で行政と司法が差別化されている。
術者には術者の政治と法律があり、非術者には非術者の政治と法律があった。
そんな日本で実験的に始まったのが『特別計画地区』の設置。
ある県の一部において完全に非術者だけの居住区を設け、統制をする『身の回りに一人も術者が居なかったら』というある実験を行うための地区だった。
つまりそこに住んでいるのは本当に魔法を扱えない非術者だけ、ということになる。
だからこそ、彼女は非術者であるとほぼ確信することが出来た。
おそらく東京へは遊びに来たのだろう、遊びに来た先でこのような事件に巻き込まれてしまったことが……否、『巻き込んでしまった』ことには胸を痛めずにはいられない。
「その後の『[太字][漢字]夢想家[/漢字][ふりがな]トロイメライ[/ふりがな][/太字]』の行方はどうなりましたか」
「『夢想家』はその後、不定領域を解除して行方を眩ませ、現在痕跡を追跡中です」
「追跡班に増員要請を出しておきます、確実に見つけてください」
『[漢字]夢想家[/漢字][ふりがな]トロイメライ[/ふりがな]』
その名の存在こそ、彼らが東井紗枝を巻き込んでしまうに至った理由にして原因だった。
彼らの正体はは外界対策機構『アーステラス』、国家からその存在を認められ国内に存在する有力な組織からのバックアップを受けて活動している。
その主な役目は『外界』と呼ばれる天外……太陽系の外に存在すると言われる[太字]もう一つの太陽系[/太字]から襲来する存在『星獣』による災害を未然に防ぐことだった。
そして、『夢想家』とは『外界』から『星獣』を呼び寄せ災害を度々起こしてきた危険人物なのだ。
その『夢想家』が突如として新宿に現れたことを受け、アーステラスは即時対応にあたり……このような事態になってしまった。
罪なき民間人を犠牲にしてしまった以上、『夢想家』を確実に追い詰めなければならない。
アーステラスの[太字]総監[/太字]『黄蘗桜崖』は強く決意し、犠牲となった紗枝の方もう一度振り向いた。
横たわっていたはずの、起き上がって頭を抑えている彼女を。
「………………」
「……頭いったぁ……というかここ、どこ……」
あれ、生きてる。
桜崖は絶句した。
さっきまで、あれ、おかしいな。
困惑が止まらない黄蘗桜崖総監。
新人はわなわなと震え出したし、亡くなっていたはずの紗枝は普通に生きていた。
桜崖は先程冥福を祈ったばかりなのだが、と考え込んでから見間違えかもしれないと目を閉じてもう一度目を開いた。
やっぱり生きている。
死の荘厳さと静寂に包まれた遺体安置所で新人の絶叫が響き渡った。
紗枝は真っ暗闇の中にぽつんと立っているようだった。
どこを見ても真っ暗闇がどこまでも続く無音の世界。
否、紗枝自身が闇の一部として存在しているのかもしれない。
足と思しき部位を動かしているつもりだが歩いている感覚もなく、手と手を合わせようとしても何も触れあうことがない。
だから自分の肉体はとうになくなって意識だけの存在になってしまったのではないだろうか、と彼女は考えた。
つまり、死んだのだろうか。
彼女が出した結論がこれだった。
結論付けてからは彼女は今の状況をすとんと納得してしまって、その他に何も頭を悩ませる要素はなかった。
強いて言うことがあるとすれば、自分は生前こんなところに来なければならないほどの罪を犯したのだろうか、ということのみ。
天国のような楽園でもなく、地獄のような禍々しい場所でもない。
本当にただ無が広がる世界に投げ出されなければならないことが一番苦痛だ。
涙を流せる部位はもはやないだろうが、酷く泣きたくなってくる。
本音を言うならまだ死にたくなかった。
まだ恋人も出来てないしもっと贅沢したかった。
もしも死を『拒絶』することが出来るなら、紗枝はきっと全身全霊で『拒んだ』だろう。
でもそんなことできるはずがない、死はこの世界が定めた絶対法規の一つだ。
覆すことができるなら誰だって死に怯えることなんて無くなる。
それでも死にたくない、生きていたい。
頭の中で死を拒み続ける。
心の底から死を拒絶する。
刹那、再び紗枝の脳内に不可解な映像が焼き付けられる。
蛸だろうか?
鋭い眼光を持った不気味な存在が紗枝を睨みおろしている。
そのあまりにも巨大な存在はたった一瞬で彼女の精神に恐怖を刻み付けた。
漆黒のインクがじわりと滲み広がり侵食するように恐怖から不安と畏怖が沸き起こる。
点滅をするようにそれは何度も何度も紗枝の脳内に表出し消滅しを繰り返す。
途絶えない恐怖と不安に思考が殺されていく。
根源不明の絶望に叫びたくなった。
いや、もしかしたら紗枝はずっと叫んでいるのかもしれない。
恐怖に心臓を握りつぶされ、不安に四肢を解体される。絶望に全身を引き裂かれ、生きながらに殺し尽くされた。
全てイメージの産物でしかないのに、身体なんてないはずなのに痛みが鮮烈に刻み付けられる。
こんなものをずっと受け入れていれば魂が水泡のように弾けて消えてしまうような心地だった。
拒絶したい、しなければ、拒絶を、拒絶を。
この身に起きた不幸を絶望を、紗枝は拒絶した。
そうして彼女はぐぱりと顎を開いた何かに飲み込まれた。
[中央寄せ]2017年5月 黄蘗桜崖[/中央寄せ]
「まさか『不定領域』に『非術者』が巻き込まれるなんて…」
荘厳な死の陰気と静寂に包まれた遺体安置所。
そこには一人の遺体が冷たい鉄の台に横たわっている。
紫の髪を持った長身なスーツ姿の男性は、遺体に掛けられたシーツを軽く捲って顔を確認した。
まだ若い女性だった。
自分達の不手際によって、まだ先に続いていたはずの未来を閉ざしてしまったことが悔やまれてならない。
その死を悼む為に手を合わせ冥福を祈る。
「被害者の身元は分かっていますか?」
少し時間が経ってから、入口に立ち自身の失態に表情を青くしたスーツ姿の青年に向き直り問い掛ける。
彼は今年に入ってこの『組織』に所属することになった新人だった。
問い掛けられると新人は肩をビクッと震わせて脊髄反射的に返答を返した。
「彼女は埼玉県の『特別計画地区』に在住している22歳の東井紗枝さんで職業は……作家、ということまでしかまだ……彼女にどうやらご家族はいらっしゃらないようで……」
「特別計画地区……となると非術者と断定しても問題なさそうですね」
埼玉県『特別計画地区』
二十年前から日本で試験的に運営が行われ始めた計画都市だ。
人知を超越した幻想の力である『魔法』というものが実在するこの世界において、そのような都市計画を施行しているのはおそらく日本くらいのものだろう。
他国では多少の軋轢はあれど、『魔法』を扱う『術者』と扱わない『非術者』はどこでも住む場所を町単位で分けることなく調和を図りながら生きていた。
だが、日本は世界的に見ても唯一、術者と非術者で行政と司法が差別化されている。
術者には術者の政治と法律があり、非術者には非術者の政治と法律があった。
そんな日本で実験的に始まったのが『特別計画地区』の設置。
ある県の一部において完全に非術者だけの居住区を設け、統制をする『身の回りに一人も術者が居なかったら』というある実験を行うための地区だった。
つまりそこに住んでいるのは本当に魔法を扱えない非術者だけ、ということになる。
だからこそ、彼女は非術者であるとほぼ確信することが出来た。
おそらく東京へは遊びに来たのだろう、遊びに来た先でこのような事件に巻き込まれてしまったことが……否、『巻き込んでしまった』ことには胸を痛めずにはいられない。
「その後の『[太字][漢字]夢想家[/漢字][ふりがな]トロイメライ[/ふりがな][/太字]』の行方はどうなりましたか」
「『夢想家』はその後、不定領域を解除して行方を眩ませ、現在痕跡を追跡中です」
「追跡班に増員要請を出しておきます、確実に見つけてください」
『[漢字]夢想家[/漢字][ふりがな]トロイメライ[/ふりがな]』
その名の存在こそ、彼らが東井紗枝を巻き込んでしまうに至った理由にして原因だった。
彼らの正体はは外界対策機構『アーステラス』、国家からその存在を認められ国内に存在する有力な組織からのバックアップを受けて活動している。
その主な役目は『外界』と呼ばれる天外……太陽系の外に存在すると言われる[太字]もう一つの太陽系[/太字]から襲来する存在『星獣』による災害を未然に防ぐことだった。
そして、『夢想家』とは『外界』から『星獣』を呼び寄せ災害を度々起こしてきた危険人物なのだ。
その『夢想家』が突如として新宿に現れたことを受け、アーステラスは即時対応にあたり……このような事態になってしまった。
罪なき民間人を犠牲にしてしまった以上、『夢想家』を確実に追い詰めなければならない。
アーステラスの[太字]総監[/太字]『黄蘗桜崖』は強く決意し、犠牲となった紗枝の方もう一度振り向いた。
横たわっていたはずの、起き上がって頭を抑えている彼女を。
「………………」
「……頭いったぁ……というかここ、どこ……」
あれ、生きてる。
桜崖は絶句した。
さっきまで、あれ、おかしいな。
困惑が止まらない黄蘗桜崖総監。
新人はわなわなと震え出したし、亡くなっていたはずの紗枝は普通に生きていた。
桜崖は先程冥福を祈ったばかりなのだが、と考え込んでから見間違えかもしれないと目を閉じてもう一度目を開いた。
やっぱり生きている。
死の荘厳さと静寂に包まれた遺体安置所で新人の絶叫が響き渡った。