閲覧前に必ずご確認ください
クトゥルフ神話を題材にしてはおりますが、原作において登場しない架空の神性が登場することもございます。
[中央寄せ]2017年5月 東井紗枝[/中央寄せ]
嗚呼、流石は都会。
もう既に空気も人も何もかもが違う。
埼玉は埼玉でも家の周りにはせいぜいコンビニ程度しかない田舎に暮らしていたせいで、来たばかりだというのに紗枝のヒットポイントはゴリゴリと削れている。
まだ特に何もしていないのに。
いや、降り立った場所が悪いのかもしれない。
いきなり新宿なんかに来たのが悪かったのかもしれない。
だから己が陰キャで引きこもりがちな田舎者だから、というわけではない、と信じたい。
とりあえず、打ちひしがれるのはやめて一泊する宿を探さねばならない。
なるべく安くて、ベッドで、なるべく安い……
「……ビジホかなぁ」
東京まで来たというのに、虚しい限りである。
やはり金、金がすべてを解決するのだ。
重い足取りでキラキラ輝く若者達の中を歩いていく。
右を見ても左を見ても、前を見ても後ろを見ても、自分よりも遥かにオシャレで人生を楽しんでいそうな東京の人間達。
母親に手を引かれて歩いているような子供ですら自分よりもオシャレに見える。
対する彼女はというと、ただ髪型を整えただけで色艶の悪い髪に適当に引っ張り出したオシャレさの欠片もないファッションセンスと陰キャ感の溢れる黒縁の丸眼鏡。
雑に不慣れな化粧をしても目つきの悪さは誤魔化せない、そして何より自信のなさが姿勢から滲み出ていた。
キラキラなオーラを纏う人々に囲まれている彼女は、背中を丸めて存在感を消しながら歩くしかないのだ。
何もしていないはずなのに、歩いているだけなのに申し訳なさが溢れてくる。
喪女とか芋女とか、きっと自分のことなんだろうなとか考えてしまう紗枝。
嗚呼、彼女の残り少ないヒットポイントがまた削れていく。
「あれ、なんか泣けてきたな……」
発想の転換を求めに来たのになぜメンタルヘルスに異常を来さねばならないのか。
メンタルヘルス弱体のせいか先程よりも足取りが重くなっている感じがする。悪循環である。
このままでは僅かに残ったやる気すらへし折られてしまいそうだった。
人が少なくて、心を癒せる場所はないのか。
そこに行くまでやはりこの人混みを通過しないといけない、このままでは彼女は都会のど真ん中で行き倒れる羽目になる。
こうなったら理性をつなぎとめる都会の便利なところを考えながら歩いてみるしかない、と思い立った彼女は考えてみることにした。
まず第一に言えることは移動が便利であることだろう。
埼玉で移動をするときには必ず県民カードと呼ばれる身分証明証を持ち歩いている必要がある。
ICカードの役割を果たしているため便利なのは確かだが、何故わざわざそのような物を使う必要があるのか彼女の幼い頃からずっとある疑問だ。
現に、東京ではそのような県民カードなるものを使っている様子がない。
だから埼玉よりも東京の移動の方がずっと楽だった。
あとは店の数が圧倒的なこと。
埼玉も大宮の方まで出てくれば栄えてはいるが、東京は比べ物にならないといっていい。
充実した街並み、こんな場所に住んでいれば嫌でもオシャレになるだろうかと紗枝は考える。
これから一発逆転すれば住めるだろうか、とも。
しかし彼女には二つほど、見落としていたことがある。
東京とは地の利がない人間にとってはぼんやりしているとすぐに迷ってしまう魔境、ということ。
なのでものの見事に紗枝はその魔境で迷子に進化、気づいた時には自分が今どこを歩いているのか、全く分からなくなってしまっていた。
そして第二に、東京という町は紗枝が想定をしているよりも命を懸けなければならない街ということだ。
「……むやみに出歩かないでビジホに直行すればよかった」
今更過ぎる呟きをこぼしながら、紗枝は辺りを見渡す。
先程の人々はどこへやら、急に人がいなくなった周囲の空気は異様さを孕んでいた。
しかたなくスマートフォンをポケットから取り出して、近くのビジホを検索にかける。
だが検索にかけると同時に画面に表示された『インターネットに接続されていません』の文字を見た瞬間、すっと身体から体温が消えた気がした。
「こんな大都会で、圏外……?」
誰にも拾われない独り言を零し、意味もなくあたりを見渡す。
文明の利器がただのガラクタになった状況下で紗枝は今の状況が明らかに異常であると確信するに至った。
いくらぼんやり歩いていたからと言って、いきなり雑踏が消えることがそもそもおかしい。
まるで自分だけが別世界に来てしまったかのようだ、それも終末後の世界に。
「ど、どうしよ……え?マジでどうすればいい?」
また意味もなく独り言を零す。
そして彼女は弱弱しい足取りで変貌してしまった新宿の街を彷徨い出した。
確かに、自分とは違って輝いている都会人に嫉妬していたし煩わしく思っていた。
だが彼女は消えてしまえ……と心のどこかで願ったかもしれないが、望んではいない。
考え出せば考え出すほどに彼女の心に堆積していた鬱憤が曝け出されていく。
自分よりももっとずっと評価されてどんどん届かない存在になっていく作家が羨ましかったし、妬ましかった。
自分に努力が足りないのは百も承知だ。
だが『それだけではどうにもならないこと』もあると知っている。
それを言い訳にできないことも知っているが、紗枝は自分の不運の言い訳として『努力ではどうにもならないこと』使わせてほしかった。
今だけは、紗枝は自分がこの世界で最も不幸な人間だと言わせてほしかった。
だが、そんな彼女にもようやく一筋の光が差し込んだ。
視界の端に一瞬、ただ一人だけ人影がちらつき、紗枝は眼を見開く。
どんな人物であろうがこの状況下ではただ一つの希望、見失う前に追いかけなければと紗枝は脇目も振らずに駆け出した。
「待って!!聞きたいことが!!」
白いフードを被った人物は彼女の必死な呼びかけも聞こえていないのか、止まることなく突き進んでいる。
なので叫ぶのをやめ、日頃引きこもっているせいでないにも等しい体力を振り絞り追いかけるしかない。
だが不可解なことにどれだけ走っても、前を歩く人物に全く追いつけない。
いくら運動不足の紗枝だからと言って、同じペースで歩き続ける相手に追いつけないはずがない。
どうして追いつけないのか、何故止まってくれないのか。
何故とどうしてが思考をかき乱し、心がぐちゃぐちゃに壊される。
余計な思考に囚われたせいなのか、彼女の足はもつれてその場に転倒してしまった。
もう訳が分からない。
不安だけでなく痛みにも襲われたせいで涙がこみあげてくる。
どうしてこれだけ呼び止めても止まってくれないのだ。
紗枝は憎しみをぶつけるように顔を上げて目の前を睨みつけた。
目の前にあったのは壁。
つまり行き止まりだった。
「……どうして…?」
どう考えてもあり得ない状況だった。
転ぶ寸前まで紗枝の目は白フードの人物を捉えていたし、その人物の先にも道は確かにあった。
なのにほんの僅かな時間目を離しただけで目の前にはコンクリートの無機質な壁が聳え立っている。
転んだ瞬間に紗枝が一瞬で別の場所に転移させられた、そんなあり得ない現象を疑わざるを得ない状況だ。
そんな『魔法』みたいなこと、あり得るはずがない。
痛みを堪えて立ち上がりよたよたと壁に近づく。
壁にはよく見ると不気味な紋章が描かれていた。
蛸の足のような触手が不気味に絡み合ったマーク、何かのエンブレムだろうか。
そのエンブレムに手を伸ばすと目の裏に不気味な光景が一瞬だけ焼き付くように現れ、そして消えた。
「…………もう、意味わかんない」
何度目かの意味のない呟きを零し、後ずさる。
だが今度は独り言は決して虚空に吐き捨てられたわけではなかったようだ。
後ろに誰かいる。
「やはり僕の見間違いではなかったようだね」
きっと先程から紗枝が追いかけていた人物に違いない。
若々しい青年の声でおどける様に話している。
文句の一つでも言ってやりたいが、背中で感じ取るヒリヒリとした不気味さのせいで体が動かないどころか声すら出ない。
「可哀そうに、こんなところに迷い込むなんて君は生まれついて『狂っている』ようだね」
「何、勝手な……」
「わぁ、僕の波動を受けても喋れるんだねぇ……相当だね」
狂ってるだの波動だの、もう訳が分からなかった。
だから最後に相手の顔くらいは拝んでおこうと、覚悟を決めて振り向いた。
その瞬間、紗枝の体は見えない力に吹き飛ばされ全身が砕けるほどの力で壁に叩きつけられた。
耳鳴りがする、視界が赤くなる、意識が遠のく。
そんな状態で彼女が最後に聞いたのは青年の耳を疑うような一言だった。
「狂気に侵された子羊に、主の救いがあらんことを」
嗚呼、流石は都会。
もう既に空気も人も何もかもが違う。
埼玉は埼玉でも家の周りにはせいぜいコンビニ程度しかない田舎に暮らしていたせいで、来たばかりだというのに紗枝のヒットポイントはゴリゴリと削れている。
まだ特に何もしていないのに。
いや、降り立った場所が悪いのかもしれない。
いきなり新宿なんかに来たのが悪かったのかもしれない。
だから己が陰キャで引きこもりがちな田舎者だから、というわけではない、と信じたい。
とりあえず、打ちひしがれるのはやめて一泊する宿を探さねばならない。
なるべく安くて、ベッドで、なるべく安い……
「……ビジホかなぁ」
東京まで来たというのに、虚しい限りである。
やはり金、金がすべてを解決するのだ。
重い足取りでキラキラ輝く若者達の中を歩いていく。
右を見ても左を見ても、前を見ても後ろを見ても、自分よりも遥かにオシャレで人生を楽しんでいそうな東京の人間達。
母親に手を引かれて歩いているような子供ですら自分よりもオシャレに見える。
対する彼女はというと、ただ髪型を整えただけで色艶の悪い髪に適当に引っ張り出したオシャレさの欠片もないファッションセンスと陰キャ感の溢れる黒縁の丸眼鏡。
雑に不慣れな化粧をしても目つきの悪さは誤魔化せない、そして何より自信のなさが姿勢から滲み出ていた。
キラキラなオーラを纏う人々に囲まれている彼女は、背中を丸めて存在感を消しながら歩くしかないのだ。
何もしていないはずなのに、歩いているだけなのに申し訳なさが溢れてくる。
喪女とか芋女とか、きっと自分のことなんだろうなとか考えてしまう紗枝。
嗚呼、彼女の残り少ないヒットポイントがまた削れていく。
「あれ、なんか泣けてきたな……」
発想の転換を求めに来たのになぜメンタルヘルスに異常を来さねばならないのか。
メンタルヘルス弱体のせいか先程よりも足取りが重くなっている感じがする。悪循環である。
このままでは僅かに残ったやる気すらへし折られてしまいそうだった。
人が少なくて、心を癒せる場所はないのか。
そこに行くまでやはりこの人混みを通過しないといけない、このままでは彼女は都会のど真ん中で行き倒れる羽目になる。
こうなったら理性をつなぎとめる都会の便利なところを考えながら歩いてみるしかない、と思い立った彼女は考えてみることにした。
まず第一に言えることは移動が便利であることだろう。
埼玉で移動をするときには必ず県民カードと呼ばれる身分証明証を持ち歩いている必要がある。
ICカードの役割を果たしているため便利なのは確かだが、何故わざわざそのような物を使う必要があるのか彼女の幼い頃からずっとある疑問だ。
現に、東京ではそのような県民カードなるものを使っている様子がない。
だから埼玉よりも東京の移動の方がずっと楽だった。
あとは店の数が圧倒的なこと。
埼玉も大宮の方まで出てくれば栄えてはいるが、東京は比べ物にならないといっていい。
充実した街並み、こんな場所に住んでいれば嫌でもオシャレになるだろうかと紗枝は考える。
これから一発逆転すれば住めるだろうか、とも。
しかし彼女には二つほど、見落としていたことがある。
東京とは地の利がない人間にとってはぼんやりしているとすぐに迷ってしまう魔境、ということ。
なのでものの見事に紗枝はその魔境で迷子に進化、気づいた時には自分が今どこを歩いているのか、全く分からなくなってしまっていた。
そして第二に、東京という町は紗枝が想定をしているよりも命を懸けなければならない街ということだ。
「……むやみに出歩かないでビジホに直行すればよかった」
今更過ぎる呟きをこぼしながら、紗枝は辺りを見渡す。
先程の人々はどこへやら、急に人がいなくなった周囲の空気は異様さを孕んでいた。
しかたなくスマートフォンをポケットから取り出して、近くのビジホを検索にかける。
だが検索にかけると同時に画面に表示された『インターネットに接続されていません』の文字を見た瞬間、すっと身体から体温が消えた気がした。
「こんな大都会で、圏外……?」
誰にも拾われない独り言を零し、意味もなくあたりを見渡す。
文明の利器がただのガラクタになった状況下で紗枝は今の状況が明らかに異常であると確信するに至った。
いくらぼんやり歩いていたからと言って、いきなり雑踏が消えることがそもそもおかしい。
まるで自分だけが別世界に来てしまったかのようだ、それも終末後の世界に。
「ど、どうしよ……え?マジでどうすればいい?」
また意味もなく独り言を零す。
そして彼女は弱弱しい足取りで変貌してしまった新宿の街を彷徨い出した。
確かに、自分とは違って輝いている都会人に嫉妬していたし煩わしく思っていた。
だが彼女は消えてしまえ……と心のどこかで願ったかもしれないが、望んではいない。
考え出せば考え出すほどに彼女の心に堆積していた鬱憤が曝け出されていく。
自分よりももっとずっと評価されてどんどん届かない存在になっていく作家が羨ましかったし、妬ましかった。
自分に努力が足りないのは百も承知だ。
だが『それだけではどうにもならないこと』もあると知っている。
それを言い訳にできないことも知っているが、紗枝は自分の不運の言い訳として『努力ではどうにもならないこと』使わせてほしかった。
今だけは、紗枝は自分がこの世界で最も不幸な人間だと言わせてほしかった。
だが、そんな彼女にもようやく一筋の光が差し込んだ。
視界の端に一瞬、ただ一人だけ人影がちらつき、紗枝は眼を見開く。
どんな人物であろうがこの状況下ではただ一つの希望、見失う前に追いかけなければと紗枝は脇目も振らずに駆け出した。
「待って!!聞きたいことが!!」
白いフードを被った人物は彼女の必死な呼びかけも聞こえていないのか、止まることなく突き進んでいる。
なので叫ぶのをやめ、日頃引きこもっているせいでないにも等しい体力を振り絞り追いかけるしかない。
だが不可解なことにどれだけ走っても、前を歩く人物に全く追いつけない。
いくら運動不足の紗枝だからと言って、同じペースで歩き続ける相手に追いつけないはずがない。
どうして追いつけないのか、何故止まってくれないのか。
何故とどうしてが思考をかき乱し、心がぐちゃぐちゃに壊される。
余計な思考に囚われたせいなのか、彼女の足はもつれてその場に転倒してしまった。
もう訳が分からない。
不安だけでなく痛みにも襲われたせいで涙がこみあげてくる。
どうしてこれだけ呼び止めても止まってくれないのだ。
紗枝は憎しみをぶつけるように顔を上げて目の前を睨みつけた。
目の前にあったのは壁。
つまり行き止まりだった。
「……どうして…?」
どう考えてもあり得ない状況だった。
転ぶ寸前まで紗枝の目は白フードの人物を捉えていたし、その人物の先にも道は確かにあった。
なのにほんの僅かな時間目を離しただけで目の前にはコンクリートの無機質な壁が聳え立っている。
転んだ瞬間に紗枝が一瞬で別の場所に転移させられた、そんなあり得ない現象を疑わざるを得ない状況だ。
そんな『魔法』みたいなこと、あり得るはずがない。
痛みを堪えて立ち上がりよたよたと壁に近づく。
壁にはよく見ると不気味な紋章が描かれていた。
蛸の足のような触手が不気味に絡み合ったマーク、何かのエンブレムだろうか。
そのエンブレムに手を伸ばすと目の裏に不気味な光景が一瞬だけ焼き付くように現れ、そして消えた。
「…………もう、意味わかんない」
何度目かの意味のない呟きを零し、後ずさる。
だが今度は独り言は決して虚空に吐き捨てられたわけではなかったようだ。
後ろに誰かいる。
「やはり僕の見間違いではなかったようだね」
きっと先程から紗枝が追いかけていた人物に違いない。
若々しい青年の声でおどける様に話している。
文句の一つでも言ってやりたいが、背中で感じ取るヒリヒリとした不気味さのせいで体が動かないどころか声すら出ない。
「可哀そうに、こんなところに迷い込むなんて君は生まれついて『狂っている』ようだね」
「何、勝手な……」
「わぁ、僕の波動を受けても喋れるんだねぇ……相当だね」
狂ってるだの波動だの、もう訳が分からなかった。
だから最後に相手の顔くらいは拝んでおこうと、覚悟を決めて振り向いた。
その瞬間、紗枝の体は見えない力に吹き飛ばされ全身が砕けるほどの力で壁に叩きつけられた。
耳鳴りがする、視界が赤くなる、意識が遠のく。
そんな状態で彼女が最後に聞いたのは青年の耳を疑うような一言だった。
「狂気に侵された子羊に、主の救いがあらんことを」