夜の喫茶店は、
相変わらず名前を持たなかった。
時計は動いているのに、
時間だけが椅子に腰かけて休んでいるような場所。
カウンターの奥で、
マスターは何も書いていないメモ帳を閉じた。
星座の夜は終わり、
惑星の夜が始まってから、
ここを訪れるのは「語られなかった重さ」を持つ者ばかりだ。
扉の鈴が、
ひとつ鳴る。
それは、
ほとんど音を立てない来客だった。
[水平線]
ふわふわした、
水色を溶かしたみたいな服。
パステル調の青が、
夜の色と衝突せずに溶け込んでいる。
少女の顔立ちに、
水色の垂れ目。
短い髪は外に跳ねて、
ツインに結ばれていた。
背は低い。
年齢は、八つ。
―天王星。
「…こんばんは」
声は小さい。
あたたかくしようとして、
ほんの少しだけ力が入りすぎている。
「ほしら、だよ。
えっと…マスター…」
一瞬、
言葉が止まる。
「…じゃなくて、もうお友達だね?」
そう言って、
無理やり笑った。
その笑顔は、
[太字][大文字]凍らないようにしている[/大文字][/太字]表情だった。
[水平線]
マスターは、
いつも通り、
立場を名乗らなかった。
迎えるでも、
導くでもなく、
ただ一つ、
問いを置く。
「座る?」
ほしらは、
こくんと頷いた。
椅子に座った瞬間、
肩がほんの少し下がる。
誰も見ていないところで、
ずっと力を入れていたのが分かる。
「…ねえ」
カウンター越しに、ほしらが言う。
「惑星の中で、一番冷たい星…ほしら…だよね…」
そこで声が震えた。
「みんな、知ってる。
天王星は冷たいって。
近づくと、壊れるって」
ぽろり、と。
涙が一粒、
落ちた。
「…でもさ」
ほしらは、
袖で乱暴に目を拭く。
「知らない所で声を殺して泣くぐらいなら、
ここで泣く方がいい、って…思ったの」
[水平線]
マスターは、
何も言わなかった。
代わりに、
メニューを一つ、
カウンターに置く。
「今日は、これが出せる」
商品名は、
短く書かれている。
―天王星(Uranus)のチョコ
丸い。
見た目は、
まるで小さな天王星そのもの。
淡い水色の層が、
静かに光を反射している。
フォークを渡すと、
ほしらは少し驚いた顔をした。
「…ほしら?」
「うん」
フォークを入れる。
割れた瞬間、
ふわり、
と煙のようなものが立ちのぼった。
スモークとも、
吐息ともつかない白。
中から、
水色のソースがとろりと溢れ出す。
「…きれい」
口に運ぶ。
甘い。
でも、
強くない。
主張しないのに、
消えない味。
「…優しい」
ぽつり、
と言った。
「冷たい星なのにね」
しばらく、
静かに食べる。
やがて、
ほしらは言った。
「ほしらね、
あったかいふり、してるの」
笑う。
でも、
それはもう無理をしていない。
「ほんとは、めっちゃ冷たい。
離れたくなる気持ち、分かる」
カウンターの木目を見つめながら、
「でも…」
顔を上げる。
「だいじょうぶ。
きみが立ち止まってる間も、
ほしらはずっと、きみのために光を残してる」
それは、
誰かに向けた言葉であり、
同時に、
自分に言い聞かせる言葉だった。
マスターは、
その言葉を
評価もしなければ、
訂正もしなかった。
ただ、
その光が「存在していい」ことだけを、
黙って認めた。
夜は、
まだ終わらない。
天王星は、
遠くて、
冷たくて、
それでも確かに、
ここに座っていた。
光を残すために。
相変わらず名前を持たなかった。
時計は動いているのに、
時間だけが椅子に腰かけて休んでいるような場所。
カウンターの奥で、
マスターは何も書いていないメモ帳を閉じた。
星座の夜は終わり、
惑星の夜が始まってから、
ここを訪れるのは「語られなかった重さ」を持つ者ばかりだ。
扉の鈴が、
ひとつ鳴る。
それは、
ほとんど音を立てない来客だった。
[水平線]
ふわふわした、
水色を溶かしたみたいな服。
パステル調の青が、
夜の色と衝突せずに溶け込んでいる。
少女の顔立ちに、
水色の垂れ目。
短い髪は外に跳ねて、
ツインに結ばれていた。
背は低い。
年齢は、八つ。
―天王星。
「…こんばんは」
声は小さい。
あたたかくしようとして、
ほんの少しだけ力が入りすぎている。
「ほしら、だよ。
えっと…マスター…」
一瞬、
言葉が止まる。
「…じゃなくて、もうお友達だね?」
そう言って、
無理やり笑った。
その笑顔は、
[太字][大文字]凍らないようにしている[/大文字][/太字]表情だった。
[水平線]
マスターは、
いつも通り、
立場を名乗らなかった。
迎えるでも、
導くでもなく、
ただ一つ、
問いを置く。
「座る?」
ほしらは、
こくんと頷いた。
椅子に座った瞬間、
肩がほんの少し下がる。
誰も見ていないところで、
ずっと力を入れていたのが分かる。
「…ねえ」
カウンター越しに、ほしらが言う。
「惑星の中で、一番冷たい星…ほしら…だよね…」
そこで声が震えた。
「みんな、知ってる。
天王星は冷たいって。
近づくと、壊れるって」
ぽろり、と。
涙が一粒、
落ちた。
「…でもさ」
ほしらは、
袖で乱暴に目を拭く。
「知らない所で声を殺して泣くぐらいなら、
ここで泣く方がいい、って…思ったの」
[水平線]
マスターは、
何も言わなかった。
代わりに、
メニューを一つ、
カウンターに置く。
「今日は、これが出せる」
商品名は、
短く書かれている。
―天王星(Uranus)のチョコ
丸い。
見た目は、
まるで小さな天王星そのもの。
淡い水色の層が、
静かに光を反射している。
フォークを渡すと、
ほしらは少し驚いた顔をした。
「…ほしら?」
「うん」
フォークを入れる。
割れた瞬間、
ふわり、
と煙のようなものが立ちのぼった。
スモークとも、
吐息ともつかない白。
中から、
水色のソースがとろりと溢れ出す。
「…きれい」
口に運ぶ。
甘い。
でも、
強くない。
主張しないのに、
消えない味。
「…優しい」
ぽつり、
と言った。
「冷たい星なのにね」
しばらく、
静かに食べる。
やがて、
ほしらは言った。
「ほしらね、
あったかいふり、してるの」
笑う。
でも、
それはもう無理をしていない。
「ほんとは、めっちゃ冷たい。
離れたくなる気持ち、分かる」
カウンターの木目を見つめながら、
「でも…」
顔を上げる。
「だいじょうぶ。
きみが立ち止まってる間も、
ほしらはずっと、きみのために光を残してる」
それは、
誰かに向けた言葉であり、
同時に、
自分に言い聞かせる言葉だった。
マスターは、
その言葉を
評価もしなければ、
訂正もしなかった。
ただ、
その光が「存在していい」ことだけを、
黙って認めた。
夜は、
まだ終わらない。
天王星は、
遠くて、
冷たくて、
それでも確かに、
ここに座っていた。
光を残すために。
- 1.ティータイムの始まり。
- 2.乙女座 やさしく、つよくなれなくて。
- 3.蟹座 甘さの奥で、息を止めてきた
- 4.牡牛座 余裕の仮面と、足りない甘さ
- 5.山羊座 ゆっくりでいいと、知らなかった
- 6.双子座 言葉が二つに割れたまま
- 7.天秤座 言葉を量る、沈黙の重さは。
- 8.獅子座 微笑みの奥で、拳を握るひと
- 9.射手座 遠くを願い、声を置いてきた
- 10.水瓶座 笑っているあいだは、自由でいられた
- 11.牡羊座 引き受ける勇気と、静かな覚悟
- 12.魚座 仮の笑顔と振り返ってしまったこと
- 13.蟹座 信じられなかった手の、ぬくもりを思い出すまで
- 14.宇宙という名の空を結びに。
- 15.蛇遣い座 13番目になれなくて。
- 16.第二期 惑星たちの夜
- 17.金星 一行の本音は、金星に預けて
- 18.土星 抱え込めてしまった者は、零れ方を知らない
- 19.天王星 光を残す星