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祭囃子があそこに聞こえる

『祭囃子があそこに聞こえる』

あそこ、と祖母は言った。

決して指を差さない。ただ、縁側に腰を下ろし、夕焼けが山の端に沈み始める頃になると、少し目を細めて、

「祭囃子が、あそこに聞こえる」

とだけ呟く。

私は耳を澄ませる。蝉の声。風が竹藪を撫でる音。遠くを走る列車。

祭囃子など、どこにも聞こえない。

「聞こえないよ。」

そう言うたび、祖母は少しだけ笑った。

「若い耳には聞こえないんだよ。」

その言葉を、私は年寄りの冗談だと思っていた。

祖母が亡くなったのは、秋祭りの三日前だった。
村では例年通り提灯が吊るされ、子どもたちは法被を着て走り回る。

人は死んでも祭りは来る。

その当たり前が、どうしてこんなに残酷なのかと、その時初めて知った。

四十九日を終えた頃、私は祖母の家を片付けていた。

箪笥の奥から一冊の古い手帳が出てくる。

そこには、毎年同じ一文だけが書かれていた。

「今年も祭囃子が聞こえた。」

その横には、小さく名前が添えられている。

夫。

母。

弟。

娘。

どれも、祖母より先に亡くなった人たちだった。

最後のページだけ、名前はなかった。

「来年は、私の番かもしれない。」

冬が過ぎ、春が来て、また夏が終わる。
祭りの日が近づく。

私は仕事帰りに祖母の家へ寄った。

誰もいない縁側。

座布団もない。

それでも自然と腰を下ろしていた。

夕焼けが山へ沈む。

風が止む。

世界が、ひと息だけ息を潜めた。

その時だった。

……トン。

笛。

……トトン。

太鼓。

かすかに。

本当にかすかに。

山の向こうから祭囃子が流れてきた。

村の祭りは反対側だ。

音が届くはずのない方向。

それでも確かに聞こえる。

懐かしい旋律。

一度も聞いたことのないはずなのに、どうしてこんなにも懐かしいのだろう。

私は立ち上がり、山を見つめた。

夕焼けの中に、人影が並んでいた。

白い着物。

浴衣。

子ども。

老人。

みんな笑っている。

そして、その最後尾に祖母がいた。

祖母は何も言わなかった。

ただ、いつものように少しだけ笑っていた。

私は思わず手を振った。

祖母も、ゆっくりと手を振り返す。

祭囃子が少しだけ大きくなる。

けれど、一歩でも近づけば消えてしまいそうで、私はその場から動けなかった。

やがて夕陽が沈みきると、人影も音も、霧のように夜へ溶けていった。

それ以来、私は毎年その時間になると縁側へ座る。
祭囃子が聞こえる年もある。

聞こえない年もある。

不思議と、誰かを失った年ほど音は近い。

人は死ぬと消えるのではない。

思い出になるのでもない。

生きている者の時間から少し外れた場所で、祭りを続けているのかもしれない。

太鼓は心臓の代わりに鳴り、

笛は名前を忘れないために響き、

提灯は帰る場所を照らしている。

だから私は、誰かを見送るたびに悲しむだけではなく、耳を澄ませる。

夕焼けの向こう。

あそこ。

祭囃子が聞こえる。

そして、いつか私にも聞こえなくなる日ではなく、あちら側から聞こえる日が来るのだろう。

そのとき初めて、この祭りが終わるのではなく、ずっと続いていたことを知るのだ。

作者メッセージ

塾行く前で忙しい()()

では!

2026/07/28 18:05

KanonLOVE
ID:≫ n00YEDEqgv6kY
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