「氷華の長老」の異名を持つ「梅谷梅」、「聖百合の乙女」の異名を持つ「Liliane Blanche」や、「胡蝶の舞」の異名を持つ「白蘭蝶」。
〝結構強い魔力を持つ女子団〟の集合所のようだ。
想像力の強く、空気の読めない藤白玲音がこの場にいたら、指を折り曲げながら
「ツァーリ・ボンバとB41とキャッスル・ブラボーと水素爆弾とコバルト爆弾(最初から順に世界でも強い爆弾ランキング上から)(とくに旧ソビエトロ連邦で作られたツァーリ・ボンバは危険すぎて実験できないレベルの爆弾)の上で戦争をやるよりすごいことだ」
と言うだろう。
「どういうお話がある?」
楽しそうに聴く梅。
「そんなことより、時空移動魔法できるようになったって、蝶ちゃんも成長したね。」
―時空移動魔法は私が得意としているから、教わりに来たことがあったなぁ。一ヶ月ぐらい前に人の心 に触る魔法も教えたっけ?―
しれっと話題を変えた。みんなが「おい、話題変えたな?」という顔をしている。そんなの気にせずに心のなかで独り言をしながら指をくるりと回して、ティーカップ三つと大きめのポット、美味しそうなパイ(梅はアップルパイだと予想する)を出して、お茶を注ぎ始める、リリアン。鼻歌交じりで、誰が見ても楽しいと思っているのが分かる。が、あまり良くないことをしたとは気づいていなさそうだ―
ティーカップを取りながら梅が考える―
―リリアンって女子に対する穏やかそうな態度とか、見た目とかとは違って、半グレ集団の大半のチーム―魔法マ●ィアとか、魔法殺●屋とか、魔法暴●族とか、魔法ヤ●キー団とか、魔法●ャル団とかと喧嘩した事があるって聞いたことがあるけど、こうやって人から恨みを買うんだな―
そう心から思ってしまう。
お茶はアップルティーなのだろう、飲みやすい上に、心が落ち着く。
パイはアップルパイで当たっていたようだ。それも美味しい。
お茶とパイを飲んだ梅と蝶は気持ちがほぐれて、誰が見ても心が落ち着いたことが分かるぐらいリラックスした顔になる。
「お茶、美味しいね。」
「ん?あー。こないだ勝負したマ●ィアから戦利品としてもらったからねぇ。そこのマ●ィア、アップルティー専門店だったからね。ちなみに、アップルパイは殺●屋からもらったものなんだ。えっと、確か、毒使いのグループで、白雪姫の物語に出てくる毒リンゴを再現して〝殺せるレベル〟までアレンジさせた、まあ、一週間あればできそうなことを一年かけてやってたグループだっけ。これも戦利品。」
梅が紅茶を吹きそうになったのか、むせている。
蝶はアップルパイを口に運んでいた手を止める。
お茶を飲みながら涼し気な表情で答えるリリアン。
―私の辞書とリリアンの辞書の〝戦利品〟は同じ意味なのかが気になるよっ!てか、マ●ィアの作るアップルティーって大丈夫なの!?殺●屋の作ったアップルパイをって大丈夫なの!?美味しいけどさ!?―
「毒は私が飲んで、食べて大丈夫だったから、安心して。毒見しといたんだ!」
そうリリアンが言った次の瞬間、二人の脳裏にはリリアンがこの前のお茶会で言っていた言葉、その時のリリアンの表情、どんなところだったかなどをすべて思い出し、それが新しい映画の映像のようにきれいに映し出された
―実はね、私は、毒耐性能力があるの。だからね、大抵の毒は平気なの。塩酸も美味しいと思うぐらいだし―
〝しっかりときれい〟に梅は少し吐き気がしてきた。蝶も同じことを感じているのだろう、死人のような顔色だ。
―やばい―
そう感じた梅は〝どんな毒でも無効化できる解毒剤になる魔草〟を慌てて出す。
眼の前がくらくらしてきたときに慌てて口に突っ込む―セーフだった。
安心した梅は蝶の話を聞こうと話し出す―
「で、どんなことがあったの?」
「こ、こんな事があったんだ―」
俺は毎日夢を見る。
夢の中で奇妙な白い庭園に迷い込む。
そこには一面の胡蝶蘭と蝶のような優しい女の子―白蘭 蝶がいる。
一十二歳ぐらいの見た目だった。きれいにポニーテールされた淡い水色の髪の毛、赤い瞳、白い服。人間離れしていると思っていたら、「実は、私、魔女だよ。」とか言われて、ビビったこともあったっけ。
現実では心を閉じてしまう自分―飛来正成(とびらいまさしげ)。
ここにいるとなんだか素直でいれる。
そこで蝶とは話ができる。
それが、嬉しかった。
「あなたの心は壊れている」
ある日言われた言葉だった。
―こわれている?―
疑問だった。なぜ、そんなことを言われるのかが。
「壊れているって、どういうこと?」
何が壊れているのだろう。
「壊れている、それを直さないとあなたは、人間として生きられない―」
は?
蝶と過ごして奇妙なことがあったが、こんな事言われるのは初めてだった。
「壊れてる―取り方は色々あると思う。ただ、あなたの〝壊れている〟は〝記憶がかけている〟そう捉えてもらったほうがわかりやすいのかもしれない。」
そうなんだ。
「知らなかったかもしれないけど、あなたがここにいられるのって、私達の指導者と生みの親である―花咲紬様―いわば会長なのかな?が、直々に命令してくださったんだって。まあ、ラッキー(?)と思っていいよ」
ラッキー…なのか?
そんなことより気になったのが「花咲紬」という名前だ。
父さん―飛来疾風は今じゃ世界的な走者だが、中学校のとき、陸上部で戸惑いがあったらしい。その時に励ましてくれた人の名前は―
「花咲紬」
蝶はコクっと頷く。
「私はあなたの記憶に喋りかけたの。それでこの庭にはいっつもきれいな胡蝶蘭が咲いている。ここにある胡蝶蘭はあなたの記憶の数。殆どの花が咲いたんだけど…。一輪だけ咲かない花があるの。少し前にリリ―、私の友達が記憶のない子を預かったらしいけど、そのこともあなたは違うみたいなの。ない記憶に心当たりはない?」
「えっとね…。」
喋りかけようとした瞬間、蝶と庭がぐんぐんと遠くに見えていく。
―夢から覚める時間が近づいてきたようだ―
嫌だな。なんとなくもう少し話したかった。
しかし、そんな夢は届かず、俺は目覚めた
まだ朝の五時だった。
なんだかモヤモヤとする気持ちを胸に、俺は目覚めた。
窓の外は暗かった。町の身の回りにある胡蝶蘭と正反対の、漆黒と言ってもいいぐらいのきれいで艶のある黒だった。
まるで、闇と光が戦っているシーンを見せつけられたような気持ちになった。
俺の頬には涙が流れていることを〝俺〟は知らなかった。
頬を伝って落ちた涙は、少しずつ出てきた太陽に照らされて、ダイヤモンドのように光り輝いていた。
しかし、俺の心はまだ暗い宇宙(そら)――空の色のようだった。
目を閉じると、再びあの白い庭が浮かんできた。
あの静かな空気と、あの言葉。
『あなたの心は壊れている』
あの言葉の意味。
本当は、少しだけ分かっている気がする。
でも、分かりたくない気もする。
それが怖くて、朝になったら全部忘れてしまえばいい、そう思っていた。
けれど。
「……また来たんだね」
いつのまにか、俺はまた庭に立っていた。
あの白い胡蝶蘭が揺れる、静かな場所に。
眠って会おうとしていた。情けなかった。
そして、そこにいたのは――蝶だった。
昨日と同じ白い服。けれど、どこか雰囲気が違う。
少しだけ、表情が柔らかくなっていた。
「まさしげ、顔ちょっとマシになってるじゃん。昨日より」
俺は思わず、苦笑した。
この庭にいると、不思議と自分がしゃべれる。何も隠さなくていい気がする。
「おまえ、今日も来たのか」
「そっちでしょ。こっちはずっとここにいるんだってば」
蝶は、ふわっと笑う。
「……前に言ってたよな。“壊れてる”って」
「うん。けどさ、それが悪いとか、ダメだとかは言ってないじゃん」
蝶は白い胡蝶蘭の花を一つ、そっと撫でるように指先を添えた。
「壊れるのってさ、なにかを大事にしてたってことだよ。
がんばってたから、傷つくんだし。
それに……そういうの、隠して生きてる人、たくさんいるよ」
「……俺も?」
「うん。まさしげも。たぶん自分で気づいてないだけで、いろんなものを抱えてたんだと思う。
無理に“いい子”やろうとして、ほんとはちょっと疲れてたでしょ?」
胸の奥が、ぎゅっとなった。
「正直……分かんない。俺、自分のこと、よく分かんない。
誰かを嫌ったり、傷ついたりしてるのに、気づかないフリしてて……」
「気づいてる時点で、ちゃんとしてるよ」
蝶は俺の言葉を遮らず、否定もせず、ただそこにいてくれる。
「でさ、ひとつ伝えたいことがあるんだけど――」
蝶は、立ち止まって、空を見上げた。
「今日で、この庭に来るの、たぶん最後なんだよね」
その言葉が、庭の空気を変えた。
「……え?」
「ほら、さっき泣いてたでしょ? 朝。
ちゃんと自分で涙を流せたってことはさ、“自分の気持ち”にちゃんと触れたってことじゃん。
だから、この庭、もう必要ないんだと思う」
蝶は俺のほうを見た。
まっすぐな目だった。子どものようで、でもどこかすごく遠くを見てるような目。
「この庭はね、誰かが心の奥で閉じ込めた気持ちが、そっと咲く場所なんだ。
ここに来る人って、みんなちょっとだけ壊れてるけど…。
でもね、壊れたままでも咲く花ってあるんだよ」
「……俺の花も?」
「うん。いっぱい咲いてるじゃん」
蝶は少し笑って、俺の肩を軽くたたいた。
「まさしげ、もう大丈夫だよ。
もう、自分でちゃんと歩けるって、心が言ってる。
それだけで、もう十分じゃん」
俺は、言葉を失った。
でも、不思議と寂しくはなかった。
ただ――何かが胸の奥で、あたたかくなる。
「ありがとうな。…蝶」
「どーいたしまして。
まさしげがまた困ったら、胡蝶蘭に聞いてみなよ。風の音にまぎれて、ちゃーんと咲いてるからさ」
そのとき、庭に一筋の風が吹いた。
胡蝶蘭の花がふわりと舞い上がり、空へと昇っていく。
蝶の姿も、花の光に包まれるように、だんだん薄れていった。
「じゃあね。またね、とは言わないよ」
「え?」
「“また会おう”って言ってくれたら、そのときは、こっちから行くから」
そう言って、蝶は笑った。
風が庭を抜け、光が満ちる。
俺は、ゆっくりと目を開けた。
朝の六時。
世界が目を覚ます音が、少しずつ部屋の中にも届いてくる。
窓の外を見ると、小さな植木鉢に、一輪だけ白い胡蝶蘭が咲いていた。
植えた覚えなんて、ない。
けれど、それを見た瞬間、胸の奥がすっと軽くなった。
「苦しい」と思ったら思い切り泣いていい。
「悲しい」と思ったら思い切り甘えていい。
「楽しい」と思ったら思い切り笑っていい。
そして何よりも大切なのは―
「気持ちが抑えきれなくなったら」―思い出していい。
きっと今でもあの庭では蝶と胡蝶蘭が笑っている。
今日は少しだけ、誰かに「おはよう」って言ってみようと思った。
たぶん、うまく言えない。でも、うまく言えなくてもいい。
いつでも心のなかに胡蝶蘭の花はきれいに咲き誇っている。
心のなかでそう呟くと、胡蝶蘭が白い花をその言葉に反応するように静かに、優しく頷くようにゆれた。
いつだって胡蝶蘭の花はどこかで咲き誇って、悲しんでいる誰かを癒やしている。
―これが始まりだ―
そう感じた少年は笑って今日の準備を始めた。
「いつでも胡蝶蘭は咲き誇っているの」
話し終えた蝶はくすりと笑いながら〝自分で〟召喚したお茶を飲む。
聞き終えた梅はくすりと笑いながら〝自分で〟召喚したパイを食べる。
「アップルパイとアップルティー、美味しくなかった?」
リリアンが悲しそうに聴く。
「そ、そんなことなかったよ。ね、梅?」
「う、うん。そうだよね、蝶。」
気まずそうに誤魔化す二人の魔女。
「よかった。じゃあ、私はこのあと、なんか暴●団との対決があるだ。というわけで、おいとまします。」
そう言い、ふわりと消えるリリアン。
「私も、少し用事あるから…。」
梅はそう言い消えた。
残った蝶は回って胡蝶蘭の庭を見る。
奥には小さな女の子がいる。
そして、蝶は語りかける
―あたなの心はこわれている―
〝結構強い魔力を持つ女子団〟の集合所のようだ。
想像力の強く、空気の読めない藤白玲音がこの場にいたら、指を折り曲げながら
「ツァーリ・ボンバとB41とキャッスル・ブラボーと水素爆弾とコバルト爆弾(最初から順に世界でも強い爆弾ランキング上から)(とくに旧ソビエトロ連邦で作られたツァーリ・ボンバは危険すぎて実験できないレベルの爆弾)の上で戦争をやるよりすごいことだ」
と言うだろう。
「どういうお話がある?」
楽しそうに聴く梅。
「そんなことより、時空移動魔法できるようになったって、蝶ちゃんも成長したね。」
―時空移動魔法は私が得意としているから、教わりに来たことがあったなぁ。一ヶ月ぐらい前に人の心 に触る魔法も教えたっけ?―
しれっと話題を変えた。みんなが「おい、話題変えたな?」という顔をしている。そんなの気にせずに心のなかで独り言をしながら指をくるりと回して、ティーカップ三つと大きめのポット、美味しそうなパイ(梅はアップルパイだと予想する)を出して、お茶を注ぎ始める、リリアン。鼻歌交じりで、誰が見ても楽しいと思っているのが分かる。が、あまり良くないことをしたとは気づいていなさそうだ―
ティーカップを取りながら梅が考える―
―リリアンって女子に対する穏やかそうな態度とか、見た目とかとは違って、半グレ集団の大半のチーム―魔法マ●ィアとか、魔法殺●屋とか、魔法暴●族とか、魔法ヤ●キー団とか、魔法●ャル団とかと喧嘩した事があるって聞いたことがあるけど、こうやって人から恨みを買うんだな―
そう心から思ってしまう。
お茶はアップルティーなのだろう、飲みやすい上に、心が落ち着く。
パイはアップルパイで当たっていたようだ。それも美味しい。
お茶とパイを飲んだ梅と蝶は気持ちがほぐれて、誰が見ても心が落ち着いたことが分かるぐらいリラックスした顔になる。
「お茶、美味しいね。」
「ん?あー。こないだ勝負したマ●ィアから戦利品としてもらったからねぇ。そこのマ●ィア、アップルティー専門店だったからね。ちなみに、アップルパイは殺●屋からもらったものなんだ。えっと、確か、毒使いのグループで、白雪姫の物語に出てくる毒リンゴを再現して〝殺せるレベル〟までアレンジさせた、まあ、一週間あればできそうなことを一年かけてやってたグループだっけ。これも戦利品。」
梅が紅茶を吹きそうになったのか、むせている。
蝶はアップルパイを口に運んでいた手を止める。
お茶を飲みながら涼し気な表情で答えるリリアン。
―私の辞書とリリアンの辞書の〝戦利品〟は同じ意味なのかが気になるよっ!てか、マ●ィアの作るアップルティーって大丈夫なの!?殺●屋の作ったアップルパイをって大丈夫なの!?美味しいけどさ!?―
「毒は私が飲んで、食べて大丈夫だったから、安心して。毒見しといたんだ!」
そうリリアンが言った次の瞬間、二人の脳裏にはリリアンがこの前のお茶会で言っていた言葉、その時のリリアンの表情、どんなところだったかなどをすべて思い出し、それが新しい映画の映像のようにきれいに映し出された
―実はね、私は、毒耐性能力があるの。だからね、大抵の毒は平気なの。塩酸も美味しいと思うぐらいだし―
〝しっかりときれい〟に梅は少し吐き気がしてきた。蝶も同じことを感じているのだろう、死人のような顔色だ。
―やばい―
そう感じた梅は〝どんな毒でも無効化できる解毒剤になる魔草〟を慌てて出す。
眼の前がくらくらしてきたときに慌てて口に突っ込む―セーフだった。
安心した梅は蝶の話を聞こうと話し出す―
「で、どんなことがあったの?」
「こ、こんな事があったんだ―」
俺は毎日夢を見る。
夢の中で奇妙な白い庭園に迷い込む。
そこには一面の胡蝶蘭と蝶のような優しい女の子―白蘭 蝶がいる。
一十二歳ぐらいの見た目だった。きれいにポニーテールされた淡い水色の髪の毛、赤い瞳、白い服。人間離れしていると思っていたら、「実は、私、魔女だよ。」とか言われて、ビビったこともあったっけ。
現実では心を閉じてしまう自分―飛来正成(とびらいまさしげ)。
ここにいるとなんだか素直でいれる。
そこで蝶とは話ができる。
それが、嬉しかった。
「あなたの心は壊れている」
ある日言われた言葉だった。
―こわれている?―
疑問だった。なぜ、そんなことを言われるのかが。
「壊れているって、どういうこと?」
何が壊れているのだろう。
「壊れている、それを直さないとあなたは、人間として生きられない―」
は?
蝶と過ごして奇妙なことがあったが、こんな事言われるのは初めてだった。
「壊れてる―取り方は色々あると思う。ただ、あなたの〝壊れている〟は〝記憶がかけている〟そう捉えてもらったほうがわかりやすいのかもしれない。」
そうなんだ。
「知らなかったかもしれないけど、あなたがここにいられるのって、私達の指導者と生みの親である―花咲紬様―いわば会長なのかな?が、直々に命令してくださったんだって。まあ、ラッキー(?)と思っていいよ」
ラッキー…なのか?
そんなことより気になったのが「花咲紬」という名前だ。
父さん―飛来疾風は今じゃ世界的な走者だが、中学校のとき、陸上部で戸惑いがあったらしい。その時に励ましてくれた人の名前は―
「花咲紬」
蝶はコクっと頷く。
「私はあなたの記憶に喋りかけたの。それでこの庭にはいっつもきれいな胡蝶蘭が咲いている。ここにある胡蝶蘭はあなたの記憶の数。殆どの花が咲いたんだけど…。一輪だけ咲かない花があるの。少し前にリリ―、私の友達が記憶のない子を預かったらしいけど、そのこともあなたは違うみたいなの。ない記憶に心当たりはない?」
「えっとね…。」
喋りかけようとした瞬間、蝶と庭がぐんぐんと遠くに見えていく。
―夢から覚める時間が近づいてきたようだ―
嫌だな。なんとなくもう少し話したかった。
しかし、そんな夢は届かず、俺は目覚めた
まだ朝の五時だった。
なんだかモヤモヤとする気持ちを胸に、俺は目覚めた。
窓の外は暗かった。町の身の回りにある胡蝶蘭と正反対の、漆黒と言ってもいいぐらいのきれいで艶のある黒だった。
まるで、闇と光が戦っているシーンを見せつけられたような気持ちになった。
俺の頬には涙が流れていることを〝俺〟は知らなかった。
頬を伝って落ちた涙は、少しずつ出てきた太陽に照らされて、ダイヤモンドのように光り輝いていた。
しかし、俺の心はまだ暗い宇宙(そら)――空の色のようだった。
目を閉じると、再びあの白い庭が浮かんできた。
あの静かな空気と、あの言葉。
『あなたの心は壊れている』
あの言葉の意味。
本当は、少しだけ分かっている気がする。
でも、分かりたくない気もする。
それが怖くて、朝になったら全部忘れてしまえばいい、そう思っていた。
けれど。
「……また来たんだね」
いつのまにか、俺はまた庭に立っていた。
あの白い胡蝶蘭が揺れる、静かな場所に。
眠って会おうとしていた。情けなかった。
そして、そこにいたのは――蝶だった。
昨日と同じ白い服。けれど、どこか雰囲気が違う。
少しだけ、表情が柔らかくなっていた。
「まさしげ、顔ちょっとマシになってるじゃん。昨日より」
俺は思わず、苦笑した。
この庭にいると、不思議と自分がしゃべれる。何も隠さなくていい気がする。
「おまえ、今日も来たのか」
「そっちでしょ。こっちはずっとここにいるんだってば」
蝶は、ふわっと笑う。
「……前に言ってたよな。“壊れてる”って」
「うん。けどさ、それが悪いとか、ダメだとかは言ってないじゃん」
蝶は白い胡蝶蘭の花を一つ、そっと撫でるように指先を添えた。
「壊れるのってさ、なにかを大事にしてたってことだよ。
がんばってたから、傷つくんだし。
それに……そういうの、隠して生きてる人、たくさんいるよ」
「……俺も?」
「うん。まさしげも。たぶん自分で気づいてないだけで、いろんなものを抱えてたんだと思う。
無理に“いい子”やろうとして、ほんとはちょっと疲れてたでしょ?」
胸の奥が、ぎゅっとなった。
「正直……分かんない。俺、自分のこと、よく分かんない。
誰かを嫌ったり、傷ついたりしてるのに、気づかないフリしてて……」
「気づいてる時点で、ちゃんとしてるよ」
蝶は俺の言葉を遮らず、否定もせず、ただそこにいてくれる。
「でさ、ひとつ伝えたいことがあるんだけど――」
蝶は、立ち止まって、空を見上げた。
「今日で、この庭に来るの、たぶん最後なんだよね」
その言葉が、庭の空気を変えた。
「……え?」
「ほら、さっき泣いてたでしょ? 朝。
ちゃんと自分で涙を流せたってことはさ、“自分の気持ち”にちゃんと触れたってことじゃん。
だから、この庭、もう必要ないんだと思う」
蝶は俺のほうを見た。
まっすぐな目だった。子どものようで、でもどこかすごく遠くを見てるような目。
「この庭はね、誰かが心の奥で閉じ込めた気持ちが、そっと咲く場所なんだ。
ここに来る人って、みんなちょっとだけ壊れてるけど…。
でもね、壊れたままでも咲く花ってあるんだよ」
「……俺の花も?」
「うん。いっぱい咲いてるじゃん」
蝶は少し笑って、俺の肩を軽くたたいた。
「まさしげ、もう大丈夫だよ。
もう、自分でちゃんと歩けるって、心が言ってる。
それだけで、もう十分じゃん」
俺は、言葉を失った。
でも、不思議と寂しくはなかった。
ただ――何かが胸の奥で、あたたかくなる。
「ありがとうな。…蝶」
「どーいたしまして。
まさしげがまた困ったら、胡蝶蘭に聞いてみなよ。風の音にまぎれて、ちゃーんと咲いてるからさ」
そのとき、庭に一筋の風が吹いた。
胡蝶蘭の花がふわりと舞い上がり、空へと昇っていく。
蝶の姿も、花の光に包まれるように、だんだん薄れていった。
「じゃあね。またね、とは言わないよ」
「え?」
「“また会おう”って言ってくれたら、そのときは、こっちから行くから」
そう言って、蝶は笑った。
風が庭を抜け、光が満ちる。
俺は、ゆっくりと目を開けた。
朝の六時。
世界が目を覚ます音が、少しずつ部屋の中にも届いてくる。
窓の外を見ると、小さな植木鉢に、一輪だけ白い胡蝶蘭が咲いていた。
植えた覚えなんて、ない。
けれど、それを見た瞬間、胸の奥がすっと軽くなった。
「苦しい」と思ったら思い切り泣いていい。
「悲しい」と思ったら思い切り甘えていい。
「楽しい」と思ったら思い切り笑っていい。
そして何よりも大切なのは―
「気持ちが抑えきれなくなったら」―思い出していい。
きっと今でもあの庭では蝶と胡蝶蘭が笑っている。
今日は少しだけ、誰かに「おはよう」って言ってみようと思った。
たぶん、うまく言えない。でも、うまく言えなくてもいい。
いつでも心のなかに胡蝶蘭の花はきれいに咲き誇っている。
心のなかでそう呟くと、胡蝶蘭が白い花をその言葉に反応するように静かに、優しく頷くようにゆれた。
いつだって胡蝶蘭の花はどこかで咲き誇って、悲しんでいる誰かを癒やしている。
―これが始まりだ―
そう感じた少年は笑って今日の準備を始めた。
「いつでも胡蝶蘭は咲き誇っているの」
話し終えた蝶はくすりと笑いながら〝自分で〟召喚したお茶を飲む。
聞き終えた梅はくすりと笑いながら〝自分で〟召喚したパイを食べる。
「アップルパイとアップルティー、美味しくなかった?」
リリアンが悲しそうに聴く。
「そ、そんなことなかったよ。ね、梅?」
「う、うん。そうだよね、蝶。」
気まずそうに誤魔化す二人の魔女。
「よかった。じゃあ、私はこのあと、なんか暴●団との対決があるだ。というわけで、おいとまします。」
そう言い、ふわりと消えるリリアン。
「私も、少し用事あるから…。」
梅はそう言い消えた。
残った蝶は回って胡蝶蘭の庭を見る。
奥には小さな女の子がいる。
そして、蝶は語りかける
―あたなの心はこわれている―