ユリ・アーシアは、
背筋をまっすぐに伸ばして歩いていた。
赤いふりふりの服は、
どこから見ても非の打ち所がない。
汚れひとつなく、
皺ひとつなく、
歩き方まで“正しい”。
「わたくしの得意なことですか?…ピアノとかでしょうか?」
そう言うとき、
声はいつも柔らかい。
少し高くて、
少し曖昧で、
誰にも引っかからない音。
―優等生は、角があってはいけない。
それを、
ユリは身体で覚えていた。
胸元に揺れるウォーター・オパールは、
透明に近い乳白色。
光の角度で、
青にも、
緑にも、
淡い虹にも見える。
とても綺麗で、
そして、
どこにも定まらない色。
砂利道の先に、
ひとりの魔女が立っていた。
淡い水色と紫のあいだを揺れる衣。
風に逆らわず、
ただそこにいる人。
「こんにちは、ユリ・アーシア」
名前を呼ばれ、
ユリは小さく驚く。
「…わたくしをご存じなのですか?」
「ええ。音がとても綺麗だったから」
「音…?」
「歩く音。呼吸の音。全部、我慢している音」
ユリは、
反射的に微笑んだ。
「まあ…そのようなことは…。
皆さんすごいですね。わたくしなんて、まだまだですわ」
いつもの言葉。
いつもの安全な返答。
けれど、
ウォーター・オパールが、かすかに曇った。
魔女は何も言わず、
ただ隣を歩く。
しばらくして、
丘の上に古いピアノがあった。
風雨にさらされ、
音は狂っているはずなのに。
「弾いてみる?」
「……よろしいのですか?」
「ええ。間違えても」
ユリの指は、
少し震えていた。
それでも鍵盤に触れる。
音が、
零れた。
綺麗な旋律。
でも途中で、
音が濁る。
指が止まり、
息が詰まる。
―間違えたら、価値がない。
その記憶が、
胸を締めつけた。
突然、
視界が滲んだ。
ぽた、
と鍵盤に水滴が落ちる。
「…あ」
涙だった。
「わ、わたくし…失礼を…」
謝ろうとするユリを、魔女は止めない。
慰めない。
ただ、
言う。
「ウォーター・オパールはね、感情を隠さない宝石なの」
ユリは、
涙を拭えなかった。
「優等生でいないと…
わたくし、殴られて…
褒められると、少しだけ、生きていい気がして…」
声が崩れる。
「だから、頑張らないと…
遅れたら…価値がなくなるから…」
ウォーター・オパールが、強く光った。
揺れながら、
濁りながら、
それでも美しく。
魔女は静かに言う。
「揺れていいのよ、ユリ」
「…え?」
「水は、形を決めない。
だからこそ、どんな器にもなれる」
ユリは、
初めて顔を上げた。
「優等生じゃないあなたも、
泣いて止まるあなたも、
どちらも、あなたの本当の光」
沈黙の中、
風が吹く。
ユリの宝石は、
涙の色を含んだまま、
淡く輝いていた。
「…わたくし」
小さく、
でもはっきり言う。
「間違えても…よろしいのでしょうか」
魔女は微笑む。
「ええ。
むしろ、嘘をつくよりずっと」
ユリは、
もう一度鍵盤に触れた。
音は完璧じゃない。
でも、
逃げなかった。
ウォーター・オパールは、
水面のように揺れながら、
確かに光る。
―評価されなくても、
―役に立たなくても、
―ここにいていい。
その夜、
ユリは初めて、
「優等生」ではない自分の呼吸を、
愛おしいと思った。
物語は続く。
揺れる光は、
嘘をつかないまま、
そこにあった。
背筋をまっすぐに伸ばして歩いていた。
赤いふりふりの服は、
どこから見ても非の打ち所がない。
汚れひとつなく、
皺ひとつなく、
歩き方まで“正しい”。
「わたくしの得意なことですか?…ピアノとかでしょうか?」
そう言うとき、
声はいつも柔らかい。
少し高くて、
少し曖昧で、
誰にも引っかからない音。
―優等生は、角があってはいけない。
それを、
ユリは身体で覚えていた。
胸元に揺れるウォーター・オパールは、
透明に近い乳白色。
光の角度で、
青にも、
緑にも、
淡い虹にも見える。
とても綺麗で、
そして、
どこにも定まらない色。
砂利道の先に、
ひとりの魔女が立っていた。
淡い水色と紫のあいだを揺れる衣。
風に逆らわず、
ただそこにいる人。
「こんにちは、ユリ・アーシア」
名前を呼ばれ、
ユリは小さく驚く。
「…わたくしをご存じなのですか?」
「ええ。音がとても綺麗だったから」
「音…?」
「歩く音。呼吸の音。全部、我慢している音」
ユリは、
反射的に微笑んだ。
「まあ…そのようなことは…。
皆さんすごいですね。わたくしなんて、まだまだですわ」
いつもの言葉。
いつもの安全な返答。
けれど、
ウォーター・オパールが、かすかに曇った。
魔女は何も言わず、
ただ隣を歩く。
しばらくして、
丘の上に古いピアノがあった。
風雨にさらされ、
音は狂っているはずなのに。
「弾いてみる?」
「……よろしいのですか?」
「ええ。間違えても」
ユリの指は、
少し震えていた。
それでも鍵盤に触れる。
音が、
零れた。
綺麗な旋律。
でも途中で、
音が濁る。
指が止まり、
息が詰まる。
―間違えたら、価値がない。
その記憶が、
胸を締めつけた。
突然、
視界が滲んだ。
ぽた、
と鍵盤に水滴が落ちる。
「…あ」
涙だった。
「わ、わたくし…失礼を…」
謝ろうとするユリを、魔女は止めない。
慰めない。
ただ、
言う。
「ウォーター・オパールはね、感情を隠さない宝石なの」
ユリは、
涙を拭えなかった。
「優等生でいないと…
わたくし、殴られて…
褒められると、少しだけ、生きていい気がして…」
声が崩れる。
「だから、頑張らないと…
遅れたら…価値がなくなるから…」
ウォーター・オパールが、強く光った。
揺れながら、
濁りながら、
それでも美しく。
魔女は静かに言う。
「揺れていいのよ、ユリ」
「…え?」
「水は、形を決めない。
だからこそ、どんな器にもなれる」
ユリは、
初めて顔を上げた。
「優等生じゃないあなたも、
泣いて止まるあなたも、
どちらも、あなたの本当の光」
沈黙の中、
風が吹く。
ユリの宝石は、
涙の色を含んだまま、
淡く輝いていた。
「…わたくし」
小さく、
でもはっきり言う。
「間違えても…よろしいのでしょうか」
魔女は微笑む。
「ええ。
むしろ、嘘をつくよりずっと」
ユリは、
もう一度鍵盤に触れた。
音は完璧じゃない。
でも、
逃げなかった。
ウォーター・オパールは、
水面のように揺れながら、
確かに光る。
―評価されなくても、
―役に立たなくても、
―ここにいていい。
その夜、
ユリは初めて、
「優等生」ではない自分の呼吸を、
愛おしいと思った。
物語は続く。
揺れる光は、
嘘をつかないまま、
そこにあった。