鍋の煙が立ち上る図書室の奥。
スープ戦線をかろうじて乗り切った私たちの目の前で、
風白先生は静かにデザートの材料を並べていた。
「さて、最後はデザートです」
先生の声は穏やかそのもの。
でも、
私の心臓は小さく跳ねた。
…もう、何が起きても驚けない。
「先生、これは…ケーキですか?」
紗玖が恐る恐る聞く。
「はい。簡単なものです」
先生はにっこり微笑む。
確かに、
見た目は普通の生クリームとスポンジ。
―普通に見えるだけだ。
部員たちは、
おそるおそる手を出す。
私も、
小さなスプーンを持って立ち上がる。
先生は真剣そのものだ。
一つひとつの材料を計量し、混ぜ、焼く―
…しかし、混ぜ方が明らかに不自然だ。
生クリームが飛び散り、
粉砂糖が空中を舞う。
「…先生…」
私が声をかけると、
先生は真顔でうなずく。
「はい、神谷さん、少しだけ手伝ってください」
小さなボウルを持って、
生地をかき混ぜる。
混ざっているはず…
…なのに、見た目はまだ粉っぽい。
オーブンに入れると、
すぐに異変が起きた。
「…え、膨らんでない?」
茉冬さんが顔をしかめる。
「少し時間がかかるだけです」
先生の声は、
まるで何事もないように響く。
でも、
オーブンの中のケーキは、
ぺしゃんと沈んでいる。
「…先生、これは…」
「はい…焼き加減は…微妙ですね」
平然と言う先生の目は真剣そのもの。
その真剣さが、
余計に怖い。
生クリームをのせる段階で、
さらなる惨劇が待っていた。
泡立て器で混ぜるたびに、
生クリームは固く、
白く、
粉っぽく変化していく。
「…これ、食べられるのか…?」
雷が耳元で小さくつぶやく。
ついに、
先生は皿に盛り付けた。
見た目はケーキ…?
でも、
触れると、
ボソボソと崩れ、
口に運べば舌が拒絶することを約束しているような感触。
「…味見をお願いします」
先生は、
まるで世界最高のシェフのように差し出す。
私が一口食べると―
―思わず目を閉じた。
口の中で生地と砂糖と何か不思議な香辛料が混ざり合い、
味覚がパニックを起こす。
「…うっ…」
紗玖も、
茉冬さんも、
無言でスプーンを置いた。
雷が小さく舌打ちする。
「…もう、これは…最後の晩餐級だ」
先生は笑顔を崩さない。
「…少し、工夫すれば、皆で楽しめるかもしれませんね」
その声が余計に恐ろしい。
「…先生…!」
私が思わず叫ぶと、
先生は小さく首をかしげる。
「神谷さん、焦ることはありません。少しずつ、直せば大丈夫です」
部員たちは目を見合わせ、
肩をすくめる。
誰も声に出せない。
でも、
動きは止まらない。
何とかして、
これを「食べられるもの」に変えなければならない。
私は小さく息を吐き、
包丁を握り直す。
まだ、
戦いは終わっていない。
夜食作りの、
最後の戦線。
風白先生は、
笑顔のまま、次の指示を出す。
「神谷さん、次はトッピングをお願いします」
…心の奥で、雷がぽつりと言った。
「…やっぱり、この顧問、最強すぎる」
でも、
誰も見捨てない。
部員たちと一緒に、私は立ち向かう。
夜食作りの“最終局面”が、
今、
静かに幕を開けた。
図書室の奥は、
もう戦場のようになっていた。
デザートの“最後の晩餐”は、
まだ完成していない。
「次は、フルーツのトッピングですね」
先生は、
真剣そのものの表情で果物を切り始める。
包丁の動きは正確すぎて、
どこか機械的。
でも切った瞬間、
オレンジが粉々に砕け、
イチゴは変な色に変化していた。
「…先生、それ、大丈夫ですか…?」
紗玖が恐る恐る尋ねる。
「大丈夫です、神谷さん」
先生の声は穏やか。
でも、
何をどうして大丈夫なのか、
まったく理解できない。
盛り付けが始まると、
悲劇は一気に加速した。
生クリームとスポンジの上に、
粉々になった果物を乗せる―
―はずが、なぜか液体が分離し、
皿の上で謎の固まりがうごめくような状態になってしまった。
「…えっと、これは…ケーキ…?」
茉冬さんが小さく呟く。
雷が小さく舌打ちする。
「もう…食べられる気がしない」
先生は、
何も悪びれず真面目な顔で説明する。
「神谷さん、ここに少し砂糖を足すと、味が整うかもしれません」
「…いや、整わない…!」
私が声を上げると、
先生はうなずきながらも手を止めない。
むしろ真剣な顔で、
次の指示を待っている。
部員たちは互いに目を合わせ、
深くため息をつく。
「…私たち、もうこれ食べられないよね…」
紗玖の小さな声に、
誰も否定できない。
そして、
ついに先生は皿を差し出した。
見た目はかろうじて「ケーキっぽい形」なのに、
香りは完全に怪しい。
手で触ると、
ボソボソ、
ベタベタ、
液体が染み出し、
口に入れる前から絶望感しかない。
「…味見を」
先生は穏やかに言う。
私が一口食べると、
口の中で粉と砂糖と果物と生クリームがまざり、
完全に味覚崩壊。
雷が耳元で小さく呟く。
「…これはもう、食べ物じゃない。芸術品だ」
先生は微笑みながらも、
真面目そのもの。
「では、皆さんもどうぞ」
部員たちは全員、
無言でスプーンを置く。
目は皿を避け、
口を閉ざす。
だが、
先生はまったく気にしない。
「次は、皆で分けられる工夫をしましょう」
その声が、
逆に恐怖だった。
私は深く息を吸い、
決意する。
まだ、
夜食作りは終わっていない。
でも、
この戦場で、
私たちは何とか食べられるものに変えなければならない。
雷が小さくつぶやく。
「…やっぱり、最終局面の顧問は破壊力が違う」
私は小さく頷く。
部員たちと一緒に、
“食べられない料理”との戦いが、
まだ続くのだ。
誰も、
すぐには動かなかった。
皿の上には、
“かつてケーキだった何か”。
見た目は崩壊し、
香りは危険域を超え、
触れば粉と液体が同時に主張してくる。
「…これは…」
紗玖が、言葉を探す。
「……完全にアウトだな」
雷が、遠慮なく言い切った。
でも。
風白先生だけは、
違った。
「…まだ、終わっていません」
その声は、
相変わらず穏やかで、
妙に前向きだった。
「工夫次第で、結果は変わります」
…その自信は、
どこから来るんですか。
私は思わず、
先生を見る。
先生は、皿を見ていない。
部員たちを見ている。
「皆さん」
静かな声。
「今の状態を、どう改善すればいいと思いますか」
―え。
ここで、丸投げ?
◇
一瞬の沈黙。
次に動いたのは、
茉冬さんだった。
「…砕いて、冷やせば…まだ…」
「ゼリー系に逃げるしかない」
紗玖が即座に続く。
雷が腕を組む。
「熱を入れたのが失敗だな。甘味は、もう加熱しちゃダメだ」
私は、
はっとする。
「…混ぜないで、分離させた方がいいかも」
ばらばらだった意見が、
少しずつ、
一本の線になる。
風白先生は、
それを一つも否定しない。
「なるほど…」
メモを取りながら、
真剣に頷く。
「では、一度、すべて解体しましょう」
…解体。
その言葉が、
なぜか一番怖かった。
◇
ボウルに移される“それ”。
砕かれ、
潰され、
もはや原型はない。
先生は、
ここで一切、
手を出さなかった。
完全に、部員主導。
―珍しい。
「神谷さん」
先生が、静かに言う。
「今日は、皆さんの判断を優先します」
…え。
雷が、
私の耳元で小さく言う。
「自覚あるんだな…」
私は、
少しだけ息を整えて、
スプーンを握り直した。
冷蔵庫。
氷。
ゼラチン。
砂糖は―
―最小限。
「…先生、味見は…」
「今回は、皆さんが“いける”と思ったらで」
その一言で、
場の空気が変わった。
◇
冷やす時間。
沈黙。
誰も喋らない。
ただ、
時計の音だけが聞こえる。
やがて。
「…固まってる」
紗玖が、そっと言った。
透明感のある、
なんとかデザートと呼べそうな形。
「…匂い、マシ」
茉冬さんが、
慎重に評価する。
私は、
一口。
…食べられる。
ちゃんと、
甘い。
「…っ」
思わず、
息が漏れた。
雷が、覗き込む。
「どうだ?」
「…生きてる」
完全に、
デザートを作っているときに、
出てくるような言葉ではない。
でも、
その瞬間、
部員たちの肩から、
一斉に力が抜けた。
◇
風白先生は、
完成した器を見て、
少しだけ目を細めた。
「…素晴らしいですね」
それは、
教師としての評価でも、
顧問としての言葉でもなく。
ただの、
心からの感想だった。
「皆さんのおかげです」
一瞬、
先生の視線が、
空を切った。
雷の立っている位置。
でも、
やっぱり、見ない。
見えていないふりを、
最後まで貫く。
◇
こうして。
夜食は、
“なんとか食べられるもの”として完成した。
最初から、
先生一人だったら―
確実に、最後の晩餐だった。
でも。
誰も、先生を責めない。
誰も、笑わない。
ただ、
全員が思っている。
―この顧問、
料理は壊滅的。
でも、
人の扱いだけは、
完璧すぎる。
雷が、
ぽつりと言った。
「…なぁ、ゆめ」
「うん」
「この人、
自分がダメな分野、
ちゃんと引くんだな」
私は、
うなずいた。
風白先生は、
“見えないふり”も、
“できないふり”も、
全部、
自覚して選んでいる。
だからこそ。
何でも屋は、
今日も潰れなかった。
―むしろ、
少しだけ、
強くなった気がした。
◇
数日後。
何でも屋の活動日。
ホワイトボードに書かれていた文字が、
いつの間にか、変わっていた。
―本日の活動:相談のみ
(※調理なし)
…誰が書いたかは、やっぱり分からない。
◇
「今日、夜食作らないんですか?」
新しく来た依頼人が、
首を傾げる。
「…作らないよ」
私は、即答した。
「え、なんで?」
部室(図書室の奥)にいた全員が、
一瞬だけ、
風白先生を見る。
先生は、
ちょうど資料を整理していて、
こちらを見ていない。
「…色々あって」
「うん、色々」
説明は、
それ以上増えなかった。
◇
実は。
夜食を作る、
という案は、
誰かが正式に却下したわけじゃない。
でも。
材料を出す人がいなくなり、
家庭科室を使う話題が出ると沈黙が流れ、
鍋、フライパン、包丁、すべてが触れてはいけない過去扱いになった
結果。
夜食は、
やらないものになった。
◇
「先生、夜食やらなくていいんですか?」
誰かが、
軽く聞いた。
風白先生は、
一瞬だけ考えてから、
穏やかに答える。
「ええ。
相談に来る人が、
温かい気持ちになれれば、
それで十分です」
…温かい気持ち。
胃じゃなくて、心の方。
雷が、
私の肩に肘をついて言う。
「つまり―
―この学園、
夜食より平和を選んだってことだな」
◇
その日から。
何でも屋は、
お菓子を“持ち込む”場所になった。
買ってきたパン。
差し入れのクッキー。
誰かの手作り(※風白先生以外)。
「作るのは禁止、
食べるのは自由」
―これも、
誰も決めてないルール。
でも、
全員が守っている。
◇
家庭科室の前を通るたび、
私は思う。
鍋は、
今日も静かだ。
砂糖と塩は、
それぞれの棚で、
平和に眠っている。
風白先生は、
相変わらず完璧な先生で、
料理だけが、
永遠に封印された。
「…結果オーライ、だよね」
私が呟くと、
雷が、
にやっと笑った。
「うん。
一番の被害者が、
世界じゃなくて夜食で済んだ」
何でも屋は、
今日も平和です。
スープ戦線をかろうじて乗り切った私たちの目の前で、
風白先生は静かにデザートの材料を並べていた。
「さて、最後はデザートです」
先生の声は穏やかそのもの。
でも、
私の心臓は小さく跳ねた。
…もう、何が起きても驚けない。
「先生、これは…ケーキですか?」
紗玖が恐る恐る聞く。
「はい。簡単なものです」
先生はにっこり微笑む。
確かに、
見た目は普通の生クリームとスポンジ。
―普通に見えるだけだ。
部員たちは、
おそるおそる手を出す。
私も、
小さなスプーンを持って立ち上がる。
先生は真剣そのものだ。
一つひとつの材料を計量し、混ぜ、焼く―
…しかし、混ぜ方が明らかに不自然だ。
生クリームが飛び散り、
粉砂糖が空中を舞う。
「…先生…」
私が声をかけると、
先生は真顔でうなずく。
「はい、神谷さん、少しだけ手伝ってください」
小さなボウルを持って、
生地をかき混ぜる。
混ざっているはず…
…なのに、見た目はまだ粉っぽい。
オーブンに入れると、
すぐに異変が起きた。
「…え、膨らんでない?」
茉冬さんが顔をしかめる。
「少し時間がかかるだけです」
先生の声は、
まるで何事もないように響く。
でも、
オーブンの中のケーキは、
ぺしゃんと沈んでいる。
「…先生、これは…」
「はい…焼き加減は…微妙ですね」
平然と言う先生の目は真剣そのもの。
その真剣さが、
余計に怖い。
生クリームをのせる段階で、
さらなる惨劇が待っていた。
泡立て器で混ぜるたびに、
生クリームは固く、
白く、
粉っぽく変化していく。
「…これ、食べられるのか…?」
雷が耳元で小さくつぶやく。
ついに、
先生は皿に盛り付けた。
見た目はケーキ…?
でも、
触れると、
ボソボソと崩れ、
口に運べば舌が拒絶することを約束しているような感触。
「…味見をお願いします」
先生は、
まるで世界最高のシェフのように差し出す。
私が一口食べると―
―思わず目を閉じた。
口の中で生地と砂糖と何か不思議な香辛料が混ざり合い、
味覚がパニックを起こす。
「…うっ…」
紗玖も、
茉冬さんも、
無言でスプーンを置いた。
雷が小さく舌打ちする。
「…もう、これは…最後の晩餐級だ」
先生は笑顔を崩さない。
「…少し、工夫すれば、皆で楽しめるかもしれませんね」
その声が余計に恐ろしい。
「…先生…!」
私が思わず叫ぶと、
先生は小さく首をかしげる。
「神谷さん、焦ることはありません。少しずつ、直せば大丈夫です」
部員たちは目を見合わせ、
肩をすくめる。
誰も声に出せない。
でも、
動きは止まらない。
何とかして、
これを「食べられるもの」に変えなければならない。
私は小さく息を吐き、
包丁を握り直す。
まだ、
戦いは終わっていない。
夜食作りの、
最後の戦線。
風白先生は、
笑顔のまま、次の指示を出す。
「神谷さん、次はトッピングをお願いします」
…心の奥で、雷がぽつりと言った。
「…やっぱり、この顧問、最強すぎる」
でも、
誰も見捨てない。
部員たちと一緒に、私は立ち向かう。
夜食作りの“最終局面”が、
今、
静かに幕を開けた。
図書室の奥は、
もう戦場のようになっていた。
デザートの“最後の晩餐”は、
まだ完成していない。
「次は、フルーツのトッピングですね」
先生は、
真剣そのものの表情で果物を切り始める。
包丁の動きは正確すぎて、
どこか機械的。
でも切った瞬間、
オレンジが粉々に砕け、
イチゴは変な色に変化していた。
「…先生、それ、大丈夫ですか…?」
紗玖が恐る恐る尋ねる。
「大丈夫です、神谷さん」
先生の声は穏やか。
でも、
何をどうして大丈夫なのか、
まったく理解できない。
盛り付けが始まると、
悲劇は一気に加速した。
生クリームとスポンジの上に、
粉々になった果物を乗せる―
―はずが、なぜか液体が分離し、
皿の上で謎の固まりがうごめくような状態になってしまった。
「…えっと、これは…ケーキ…?」
茉冬さんが小さく呟く。
雷が小さく舌打ちする。
「もう…食べられる気がしない」
先生は、
何も悪びれず真面目な顔で説明する。
「神谷さん、ここに少し砂糖を足すと、味が整うかもしれません」
「…いや、整わない…!」
私が声を上げると、
先生はうなずきながらも手を止めない。
むしろ真剣な顔で、
次の指示を待っている。
部員たちは互いに目を合わせ、
深くため息をつく。
「…私たち、もうこれ食べられないよね…」
紗玖の小さな声に、
誰も否定できない。
そして、
ついに先生は皿を差し出した。
見た目はかろうじて「ケーキっぽい形」なのに、
香りは完全に怪しい。
手で触ると、
ボソボソ、
ベタベタ、
液体が染み出し、
口に入れる前から絶望感しかない。
「…味見を」
先生は穏やかに言う。
私が一口食べると、
口の中で粉と砂糖と果物と生クリームがまざり、
完全に味覚崩壊。
雷が耳元で小さく呟く。
「…これはもう、食べ物じゃない。芸術品だ」
先生は微笑みながらも、
真面目そのもの。
「では、皆さんもどうぞ」
部員たちは全員、
無言でスプーンを置く。
目は皿を避け、
口を閉ざす。
だが、
先生はまったく気にしない。
「次は、皆で分けられる工夫をしましょう」
その声が、
逆に恐怖だった。
私は深く息を吸い、
決意する。
まだ、
夜食作りは終わっていない。
でも、
この戦場で、
私たちは何とか食べられるものに変えなければならない。
雷が小さくつぶやく。
「…やっぱり、最終局面の顧問は破壊力が違う」
私は小さく頷く。
部員たちと一緒に、
“食べられない料理”との戦いが、
まだ続くのだ。
誰も、
すぐには動かなかった。
皿の上には、
“かつてケーキだった何か”。
見た目は崩壊し、
香りは危険域を超え、
触れば粉と液体が同時に主張してくる。
「…これは…」
紗玖が、言葉を探す。
「……完全にアウトだな」
雷が、遠慮なく言い切った。
でも。
風白先生だけは、
違った。
「…まだ、終わっていません」
その声は、
相変わらず穏やかで、
妙に前向きだった。
「工夫次第で、結果は変わります」
…その自信は、
どこから来るんですか。
私は思わず、
先生を見る。
先生は、皿を見ていない。
部員たちを見ている。
「皆さん」
静かな声。
「今の状態を、どう改善すればいいと思いますか」
―え。
ここで、丸投げ?
◇
一瞬の沈黙。
次に動いたのは、
茉冬さんだった。
「…砕いて、冷やせば…まだ…」
「ゼリー系に逃げるしかない」
紗玖が即座に続く。
雷が腕を組む。
「熱を入れたのが失敗だな。甘味は、もう加熱しちゃダメだ」
私は、
はっとする。
「…混ぜないで、分離させた方がいいかも」
ばらばらだった意見が、
少しずつ、
一本の線になる。
風白先生は、
それを一つも否定しない。
「なるほど…」
メモを取りながら、
真剣に頷く。
「では、一度、すべて解体しましょう」
…解体。
その言葉が、
なぜか一番怖かった。
◇
ボウルに移される“それ”。
砕かれ、
潰され、
もはや原型はない。
先生は、
ここで一切、
手を出さなかった。
完全に、部員主導。
―珍しい。
「神谷さん」
先生が、静かに言う。
「今日は、皆さんの判断を優先します」
…え。
雷が、
私の耳元で小さく言う。
「自覚あるんだな…」
私は、
少しだけ息を整えて、
スプーンを握り直した。
冷蔵庫。
氷。
ゼラチン。
砂糖は―
―最小限。
「…先生、味見は…」
「今回は、皆さんが“いける”と思ったらで」
その一言で、
場の空気が変わった。
◇
冷やす時間。
沈黙。
誰も喋らない。
ただ、
時計の音だけが聞こえる。
やがて。
「…固まってる」
紗玖が、そっと言った。
透明感のある、
なんとかデザートと呼べそうな形。
「…匂い、マシ」
茉冬さんが、
慎重に評価する。
私は、
一口。
…食べられる。
ちゃんと、
甘い。
「…っ」
思わず、
息が漏れた。
雷が、覗き込む。
「どうだ?」
「…生きてる」
完全に、
デザートを作っているときに、
出てくるような言葉ではない。
でも、
その瞬間、
部員たちの肩から、
一斉に力が抜けた。
◇
風白先生は、
完成した器を見て、
少しだけ目を細めた。
「…素晴らしいですね」
それは、
教師としての評価でも、
顧問としての言葉でもなく。
ただの、
心からの感想だった。
「皆さんのおかげです」
一瞬、
先生の視線が、
空を切った。
雷の立っている位置。
でも、
やっぱり、見ない。
見えていないふりを、
最後まで貫く。
◇
こうして。
夜食は、
“なんとか食べられるもの”として完成した。
最初から、
先生一人だったら―
確実に、最後の晩餐だった。
でも。
誰も、先生を責めない。
誰も、笑わない。
ただ、
全員が思っている。
―この顧問、
料理は壊滅的。
でも、
人の扱いだけは、
完璧すぎる。
雷が、
ぽつりと言った。
「…なぁ、ゆめ」
「うん」
「この人、
自分がダメな分野、
ちゃんと引くんだな」
私は、
うなずいた。
風白先生は、
“見えないふり”も、
“できないふり”も、
全部、
自覚して選んでいる。
だからこそ。
何でも屋は、
今日も潰れなかった。
―むしろ、
少しだけ、
強くなった気がした。
◇
数日後。
何でも屋の活動日。
ホワイトボードに書かれていた文字が、
いつの間にか、変わっていた。
―本日の活動:相談のみ
(※調理なし)
…誰が書いたかは、やっぱり分からない。
◇
「今日、夜食作らないんですか?」
新しく来た依頼人が、
首を傾げる。
「…作らないよ」
私は、即答した。
「え、なんで?」
部室(図書室の奥)にいた全員が、
一瞬だけ、
風白先生を見る。
先生は、
ちょうど資料を整理していて、
こちらを見ていない。
「…色々あって」
「うん、色々」
説明は、
それ以上増えなかった。
◇
実は。
夜食を作る、
という案は、
誰かが正式に却下したわけじゃない。
でも。
材料を出す人がいなくなり、
家庭科室を使う話題が出ると沈黙が流れ、
鍋、フライパン、包丁、すべてが触れてはいけない過去扱いになった
結果。
夜食は、
やらないものになった。
◇
「先生、夜食やらなくていいんですか?」
誰かが、
軽く聞いた。
風白先生は、
一瞬だけ考えてから、
穏やかに答える。
「ええ。
相談に来る人が、
温かい気持ちになれれば、
それで十分です」
…温かい気持ち。
胃じゃなくて、心の方。
雷が、
私の肩に肘をついて言う。
「つまり―
―この学園、
夜食より平和を選んだってことだな」
◇
その日から。
何でも屋は、
お菓子を“持ち込む”場所になった。
買ってきたパン。
差し入れのクッキー。
誰かの手作り(※風白先生以外)。
「作るのは禁止、
食べるのは自由」
―これも、
誰も決めてないルール。
でも、
全員が守っている。
◇
家庭科室の前を通るたび、
私は思う。
鍋は、
今日も静かだ。
砂糖と塩は、
それぞれの棚で、
平和に眠っている。
風白先生は、
相変わらず完璧な先生で、
料理だけが、
永遠に封印された。
「…結果オーライ、だよね」
私が呟くと、
雷が、
にやっと笑った。
「うん。
一番の被害者が、
世界じゃなくて夜食で済んだ」
何でも屋は、
今日も平和です。