ぼくの社会は 地図を見たところから始まって 答えがあるふりで終わった
社会の時間は、たいてい地図帳から始まる。
机の上に広げると、世界がぎゅっと紙の上に縮まる。
川や山、町の名前がちりばめられていて、どこに何があるか一目でわかる。
先生が言う。
「この国の首都はどこですか」
ぼくは指で地図をたどる。
小さな四角の中に、街や川が描かれている。
でも、その国に行ったことはない。
見たことのない街に、どんな人が暮らしているのか想像する。
「答えはここ」と先生が指さす。
正しい。
でも、地図の中の街は、まだぼくには何も語らない。
歴史の時間もそうだ。
昔の人がどんな暮らしをしていたか、戦いや文化が広がった順番を学ぶ。
教科書には年号と出来事が並ぶ。
ぼくは読める。
でも、戦いの中で泣いた人、疲れた人、笑った人の気持ちは、どこに書けばいいんだろう。
社会は、「知っていること」と「感じたこと」を分ける。
ぼくは感じたい。
でも、テストでは知っていることだけが答えになる。
ある日、授業で話し合った。
「もし自分がその時代にいたら、どうしますか」
みんなが口々に答える。
ぼくも考えた。
でも手を挙げなかった。
答えは決まっているような気がした。
正しいかどうかは、誰かが決める。
放課後、社会の資料室に残った。
古い新聞や写真、絵地図が並ぶ棚。
紙の上の出来事は、教科書の文章よりも生きている気がした。
昔の町の写真を見ていると、
人々の生活や仕事の音まで聞こえるような気がした。
でも、誰もそれを教えてはくれない。
答えにはならないから。
社会の教科書は、答えを教えてくれる。
でも、そこに書かれていないことも、
無数に存在する。
たとえば、隣の席の友達の家のこと。
ニュースにはならない日常の出来事。
祭りの音、風の匂い、夕日の色。
ぼくは、それも社会だと思う。
でも、答えにはならない。
ある日、先生は「社会をつなげて考えよう」と言った。
川の流れと町の発展、山と文化、歴史の因果関係をつなげる問題だった。
ぼくはノートに書く。
でも、書きながら思う。
実際に人が生きていた世界は、もっと複雑で、
単純な線や矢印では説明できないのではないかと。
戦争や平和の話を聞くと、胸がざわつく。
昔の人の決断は、正しかったのか?
間違っていたのか?
ぼくには答えられない。
でも、考えることはできる。
社会は、知ることの教科。
でも、知るだけでは世界を理解できない。
数字や年号、出来事は目に見えるけれど、
人々の気持ちや小さな出来事は、紙の上には残らない。
ぼくの社会は、地図を見たところから始まった。
答えがあるふりで終わった。
でも、ぼくの中では、答えの裏にある世界を、いつも探している。
夜、家に帰って新聞を開く。
新しい町の出来事、知らない人たちの生活。
世界は教科書の通りじゃない。
答えも、正しいことも、ひとつじゃない。
ぼくは地図帳を開き、再び指で街をなぞる。
どこに行きたいわけでもない。
ただ、まだ見ぬ世界を考えてみたいだけだ。
社会は、分かることだけを教えてくれるけれど、
分からないことを考える時間をくれる教科でもある。
だから、ぼくはまだ歩き続ける。
紙の上の世界の外にある、
本当の世界を想像して。
机の上に広げると、世界がぎゅっと紙の上に縮まる。
川や山、町の名前がちりばめられていて、どこに何があるか一目でわかる。
先生が言う。
「この国の首都はどこですか」
ぼくは指で地図をたどる。
小さな四角の中に、街や川が描かれている。
でも、その国に行ったことはない。
見たことのない街に、どんな人が暮らしているのか想像する。
「答えはここ」と先生が指さす。
正しい。
でも、地図の中の街は、まだぼくには何も語らない。
歴史の時間もそうだ。
昔の人がどんな暮らしをしていたか、戦いや文化が広がった順番を学ぶ。
教科書には年号と出来事が並ぶ。
ぼくは読める。
でも、戦いの中で泣いた人、疲れた人、笑った人の気持ちは、どこに書けばいいんだろう。
社会は、「知っていること」と「感じたこと」を分ける。
ぼくは感じたい。
でも、テストでは知っていることだけが答えになる。
ある日、授業で話し合った。
「もし自分がその時代にいたら、どうしますか」
みんなが口々に答える。
ぼくも考えた。
でも手を挙げなかった。
答えは決まっているような気がした。
正しいかどうかは、誰かが決める。
放課後、社会の資料室に残った。
古い新聞や写真、絵地図が並ぶ棚。
紙の上の出来事は、教科書の文章よりも生きている気がした。
昔の町の写真を見ていると、
人々の生活や仕事の音まで聞こえるような気がした。
でも、誰もそれを教えてはくれない。
答えにはならないから。
社会の教科書は、答えを教えてくれる。
でも、そこに書かれていないことも、
無数に存在する。
たとえば、隣の席の友達の家のこと。
ニュースにはならない日常の出来事。
祭りの音、風の匂い、夕日の色。
ぼくは、それも社会だと思う。
でも、答えにはならない。
ある日、先生は「社会をつなげて考えよう」と言った。
川の流れと町の発展、山と文化、歴史の因果関係をつなげる問題だった。
ぼくはノートに書く。
でも、書きながら思う。
実際に人が生きていた世界は、もっと複雑で、
単純な線や矢印では説明できないのではないかと。
戦争や平和の話を聞くと、胸がざわつく。
昔の人の決断は、正しかったのか?
間違っていたのか?
ぼくには答えられない。
でも、考えることはできる。
社会は、知ることの教科。
でも、知るだけでは世界を理解できない。
数字や年号、出来事は目に見えるけれど、
人々の気持ちや小さな出来事は、紙の上には残らない。
ぼくの社会は、地図を見たところから始まった。
答えがあるふりで終わった。
でも、ぼくの中では、答えの裏にある世界を、いつも探している。
夜、家に帰って新聞を開く。
新しい町の出来事、知らない人たちの生活。
世界は教科書の通りじゃない。
答えも、正しいことも、ひとつじゃない。
ぼくは地図帳を開き、再び指で街をなぞる。
どこに行きたいわけでもない。
ただ、まだ見ぬ世界を考えてみたいだけだ。
社会は、分かることだけを教えてくれるけれど、
分からないことを考える時間をくれる教科でもある。
だから、ぼくはまだ歩き続ける。
紙の上の世界の外にある、
本当の世界を想像して。
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