ボクは、自分の足音が嫌いだった。
地面に触れるたび、そこに「確かに存在している」ことを突きつけられる気がして。
でも、魔女は何も言わない。
ただ前を歩く。風に乗るみたいに、軽やかに。
衣の色が、水色から紫へと移ろう。
アレキサンドライトは、迷う宝石だ。
昼と夜で色を変えるのは、きっと世界に合わせるためじゃない。
自分が何者か、決めきれないからだ。
「ねえ、魔女さん」
呼ぶと、彼女は歩調を緩めた。
「貴方は、ボクのこと…信用していますか?」
少し、勇気がいった質問だった。
だってボクは、嘘をつく。
自分でも、どこまでが本当かわからないほど。
魔女は立ち止まり、振り返る。
「信用してるわ」
「即答なんですね」
「嘘をつく理由が、あなたの場合、優しいから」
…そんな言い方、卑怯だ。
胸の奥で、何かがひび割れる音がした。
忘れていた記憶の欠片が、ほんの少しだけ、動いた気がする。
ボクは、かつて守護者だった。
それは事実だ。
でも、守れなかった。
誰を?
何を?
なぜ?
そこだけが、霧に覆われている。
夜、焚き火のそばで、宝石は静かに光る。
紫色が、深く、深く染み込む。
「ボクね」
火を見つめたまま、口を開く。
「昔、何かを失ったんです」
それは、嘘じゃない。
でも、具体的なことは言えない。
言えないから、涙も出ない。
「それで…怖くなった。だから、嘘をつくようになったんだと思います」
魔女は、黙って聞いている。
魔法も、言葉も使わない。
「嘘をついていれば、本当を思い出さなくていい。
思い出さなければ、また失うこともない」
声が、少し震えた。
「……でも」
言葉が、喉につかえる。
「貴方と旅をしていると、忘れていたままじゃ、いられなくなる」
魔女は、ゆっくりとボクの方を見た。
「それは、怖い?」
「…はい」
正直に言えたことに、自分でも驚いた。
「でも」
衣の色が、ほんの一瞬、水色に戻る。
「それ以上に、嬉しいんです」
世界がまだ、光を求めていること。
守護者が、完全にいらなくなったわけじゃないこと。
そして何より—
ボク自身が、まだここにいていいと思えたこと。
魔女は、そっと言った。
「思い出さなくてもいい。
でも、今ここで感じたことは、嘘にしなくていい」
その言葉が、胸に落ちる。
ああ、そうか。
宝石は、完全な輝きを取り戻さなくてもいいんだ。
欠けていても、迷っていても、
誰かの隣で、光ることはできる。
「魔女さん」
「なに?」
「もしボクが、思い出して…泣いてしまったら」
少し、間を置いて。
「その時は、そばにいてくれますか?」
彼女は、微笑んだ。
「ええ。風が止まるまで」
その夜、アレキサンドライトは、
水色と紫のあいだで、静かに、確かに、輝いていた。
嘘じゃない光で。
◇
朝の空は、薄く色を変えながら広がっていた。
水色と紫のあいだを、ためらうように。
丘の上で、魔女は足を止める。
「ここまでね」
ただそれだけ。
でも、胸の奥はちゃんと理解してしまった。
ボクは衣の端をつまむ。
きらきらとした布が、光を受けて、また色を変える。
「…ボク、少しだけ思い出しました」
魔女は振り返らない。
「全部じゃないですけど…
隠してた気持ちが、たぶん、いちばん重かった」
風が、間を通り抜ける。
魔女は、独り言みたいに言った。
「大切な想いほど、しまい込んでしまうものよね」
それが、ひとつ目の言葉だと、
ボクは後になって気づく。
「光って、いつも同じ顔をしていなくていい」
彼女は、空を見る。
「昼と夜で違っても、どちらも本物だから」
衣の色が、ゆっくりと移ろう。
水色から紫へ。
紫から、また水色へ。
「選ぶときってね」
魔女は、少しだけ微笑んだ。
「迷いが残るほうが、ちゃんと自分で決めた証だったりする」
胸の奥で、何かがほどける。
ボクは、息を吸って言った。
「…だから、ここで止まります」
魔女は、うなずいた。
「ええ。いい色になったわ」
それだけだった。
宝石の名前も、言葉の意味も、
彼女は一度も口にしない。
でも、確かに—
秘めていた想いは肯定され、
二つの色は否定されず、
この別れは、間違いじゃないと伝えられた。
「ありがとう、如月」
魔女は、また歩き出す。
風に乗って、先へ。
どこへ向かうのかは、語られない。
ボクは、見送らない。
ただ、空を見る。
水色と紫が溶け合う、境目の色。
「…いってらっしゃい」
その言葉は、静かで、確かだった。
変わり続けること。
隠していた想いを抱えたまま、選ぶこと。
それが、ボクの光だ。
物語は続く。
ページをめくる音は、風にまぎれて聞こえなかった。
地面に触れるたび、そこに「確かに存在している」ことを突きつけられる気がして。
でも、魔女は何も言わない。
ただ前を歩く。風に乗るみたいに、軽やかに。
衣の色が、水色から紫へと移ろう。
アレキサンドライトは、迷う宝石だ。
昼と夜で色を変えるのは、きっと世界に合わせるためじゃない。
自分が何者か、決めきれないからだ。
「ねえ、魔女さん」
呼ぶと、彼女は歩調を緩めた。
「貴方は、ボクのこと…信用していますか?」
少し、勇気がいった質問だった。
だってボクは、嘘をつく。
自分でも、どこまでが本当かわからないほど。
魔女は立ち止まり、振り返る。
「信用してるわ」
「即答なんですね」
「嘘をつく理由が、あなたの場合、優しいから」
…そんな言い方、卑怯だ。
胸の奥で、何かがひび割れる音がした。
忘れていた記憶の欠片が、ほんの少しだけ、動いた気がする。
ボクは、かつて守護者だった。
それは事実だ。
でも、守れなかった。
誰を?
何を?
なぜ?
そこだけが、霧に覆われている。
夜、焚き火のそばで、宝石は静かに光る。
紫色が、深く、深く染み込む。
「ボクね」
火を見つめたまま、口を開く。
「昔、何かを失ったんです」
それは、嘘じゃない。
でも、具体的なことは言えない。
言えないから、涙も出ない。
「それで…怖くなった。だから、嘘をつくようになったんだと思います」
魔女は、黙って聞いている。
魔法も、言葉も使わない。
「嘘をついていれば、本当を思い出さなくていい。
思い出さなければ、また失うこともない」
声が、少し震えた。
「……でも」
言葉が、喉につかえる。
「貴方と旅をしていると、忘れていたままじゃ、いられなくなる」
魔女は、ゆっくりとボクの方を見た。
「それは、怖い?」
「…はい」
正直に言えたことに、自分でも驚いた。
「でも」
衣の色が、ほんの一瞬、水色に戻る。
「それ以上に、嬉しいんです」
世界がまだ、光を求めていること。
守護者が、完全にいらなくなったわけじゃないこと。
そして何より—
ボク自身が、まだここにいていいと思えたこと。
魔女は、そっと言った。
「思い出さなくてもいい。
でも、今ここで感じたことは、嘘にしなくていい」
その言葉が、胸に落ちる。
ああ、そうか。
宝石は、完全な輝きを取り戻さなくてもいいんだ。
欠けていても、迷っていても、
誰かの隣で、光ることはできる。
「魔女さん」
「なに?」
「もしボクが、思い出して…泣いてしまったら」
少し、間を置いて。
「その時は、そばにいてくれますか?」
彼女は、微笑んだ。
「ええ。風が止まるまで」
その夜、アレキサンドライトは、
水色と紫のあいだで、静かに、確かに、輝いていた。
嘘じゃない光で。
◇
朝の空は、薄く色を変えながら広がっていた。
水色と紫のあいだを、ためらうように。
丘の上で、魔女は足を止める。
「ここまでね」
ただそれだけ。
でも、胸の奥はちゃんと理解してしまった。
ボクは衣の端をつまむ。
きらきらとした布が、光を受けて、また色を変える。
「…ボク、少しだけ思い出しました」
魔女は振り返らない。
「全部じゃないですけど…
隠してた気持ちが、たぶん、いちばん重かった」
風が、間を通り抜ける。
魔女は、独り言みたいに言った。
「大切な想いほど、しまい込んでしまうものよね」
それが、ひとつ目の言葉だと、
ボクは後になって気づく。
「光って、いつも同じ顔をしていなくていい」
彼女は、空を見る。
「昼と夜で違っても、どちらも本物だから」
衣の色が、ゆっくりと移ろう。
水色から紫へ。
紫から、また水色へ。
「選ぶときってね」
魔女は、少しだけ微笑んだ。
「迷いが残るほうが、ちゃんと自分で決めた証だったりする」
胸の奥で、何かがほどける。
ボクは、息を吸って言った。
「…だから、ここで止まります」
魔女は、うなずいた。
「ええ。いい色になったわ」
それだけだった。
宝石の名前も、言葉の意味も、
彼女は一度も口にしない。
でも、確かに—
秘めていた想いは肯定され、
二つの色は否定されず、
この別れは、間違いじゃないと伝えられた。
「ありがとう、如月」
魔女は、また歩き出す。
風に乗って、先へ。
どこへ向かうのかは、語られない。
ボクは、見送らない。
ただ、空を見る。
水色と紫が溶け合う、境目の色。
「…いってらっしゃい」
その言葉は、静かで、確かだった。
変わり続けること。
隠していた想いを抱えたまま、選ぶこと。
それが、ボクの光だ。
物語は続く。
ページをめくる音は、風にまぎれて聞こえなかった。