訳した瞬間、言葉は嘘になる
外国語の授業は、
いつも二つの列から始まる。
左に英語。
右に日本語。
先生は言う。
「意味は同じです」
「正しく訳しなさい」
私はその「同じ」という言葉を、
ずっと疑っていた。
単語は対応しても、
沈黙の長さは対応しない。
声の温度も、
躊躇の間も、
辞書には載っていない。
高校一年の春。
初めて外国語が、
「教科」になった。
文法。
語順。
時制。
間違えると、
意味が変わると言われた。
でも私は思った。
正しくても、
何かが消えることがある。
“I’m fine.”
それを、
「元気です」と訳す。
でもその文は、
本当は、
会話を終わらせるために
使われることもある。
私はノートの端に書いた。
―これは、翻訳か?
―それとも、置き換えか?
外国語は、
理解のための橋だと言われる。
でも橋は、
渡るときに
下を見ないように作られている。
深さを見たら、
渡れなくなるからだ。
リスニングのテストで、
私は音を聞き逃した。
一語。
ほんの一瞬。
その瞬間、
文全体が崩れた。
意味は、
積み木みたいだった。
一つ欠けると、
全体が立たない。
「集中しなさい」
先生は言った。
でも私は知っている。
集中しても、
聞き取れない音がある。
それは、
能力の問題じゃない。
世界が、
その言葉を
こちらに向けていないだけだ。
外国語で話すとき、
私は少しだけ別の人になる。
慎重で、
簡単な言葉しか使えず、
冗談も言えない。
語彙が足りないからじゃない。
余計なことを、
言えなくなるからだ。
それは、
不自由で、
少しだけ楽だった。
日本語では、
言いすぎてしまう。
説明しすぎて、
取り繕ってしまう。
外国語は、
私からそれを奪う。
だから、
嘘も小さくなる。
大学で、
留学生と話す機会があった。
私たちは、
たどたどしい英語で、
ゆっくり話した。
文法は、
何度も壊れた。
発音も、
正しくなかった。
それでも、
不思議と、
話は続いた。
完璧じゃない言葉のほうが、
沈黙に近い。
沈黙に近い言葉は、
相手を追い詰めない。
「伝わったかどうか」
それは、
誰にも分からない。
分かるのは、
「伝えようとしたかどうか」だけだ。
翻訳は、
意味を固定する。
でも会話は、
意味を揺らす。
外国語は、
正確さよりも、
勇気の教科だと思う。
間違える勇気。
通じないかもしれない勇気。
それでも、
声を出す勇気。
彼の外国語は、
訳した瞬間から始まった。
そして、
「伝わったはずだ」と
思ったところで、
終わった。
でも私は知っている。
伝わらなかった部分こそ、
本当は、
一番人間的だった。
言葉にならなかったもの。
言い直したかった沈黙。
相手の表情だけが返事だった瞬間。
外国語は、
分かり合うための道具じゃない。
分かり合えないままでも、
隣に立つための方法だ。
私は今日も、
正しくない文を話す。
意味がずれても、
文法が壊れても。
それでも、
黙るよりは、
少しだけましだから。
いつも二つの列から始まる。
左に英語。
右に日本語。
先生は言う。
「意味は同じです」
「正しく訳しなさい」
私はその「同じ」という言葉を、
ずっと疑っていた。
単語は対応しても、
沈黙の長さは対応しない。
声の温度も、
躊躇の間も、
辞書には載っていない。
高校一年の春。
初めて外国語が、
「教科」になった。
文法。
語順。
時制。
間違えると、
意味が変わると言われた。
でも私は思った。
正しくても、
何かが消えることがある。
“I’m fine.”
それを、
「元気です」と訳す。
でもその文は、
本当は、
会話を終わらせるために
使われることもある。
私はノートの端に書いた。
―これは、翻訳か?
―それとも、置き換えか?
外国語は、
理解のための橋だと言われる。
でも橋は、
渡るときに
下を見ないように作られている。
深さを見たら、
渡れなくなるからだ。
リスニングのテストで、
私は音を聞き逃した。
一語。
ほんの一瞬。
その瞬間、
文全体が崩れた。
意味は、
積み木みたいだった。
一つ欠けると、
全体が立たない。
「集中しなさい」
先生は言った。
でも私は知っている。
集中しても、
聞き取れない音がある。
それは、
能力の問題じゃない。
世界が、
その言葉を
こちらに向けていないだけだ。
外国語で話すとき、
私は少しだけ別の人になる。
慎重で、
簡単な言葉しか使えず、
冗談も言えない。
語彙が足りないからじゃない。
余計なことを、
言えなくなるからだ。
それは、
不自由で、
少しだけ楽だった。
日本語では、
言いすぎてしまう。
説明しすぎて、
取り繕ってしまう。
外国語は、
私からそれを奪う。
だから、
嘘も小さくなる。
大学で、
留学生と話す機会があった。
私たちは、
たどたどしい英語で、
ゆっくり話した。
文法は、
何度も壊れた。
発音も、
正しくなかった。
それでも、
不思議と、
話は続いた。
完璧じゃない言葉のほうが、
沈黙に近い。
沈黙に近い言葉は、
相手を追い詰めない。
「伝わったかどうか」
それは、
誰にも分からない。
分かるのは、
「伝えようとしたかどうか」だけだ。
翻訳は、
意味を固定する。
でも会話は、
意味を揺らす。
外国語は、
正確さよりも、
勇気の教科だと思う。
間違える勇気。
通じないかもしれない勇気。
それでも、
声を出す勇気。
彼の外国語は、
訳した瞬間から始まった。
そして、
「伝わったはずだ」と
思ったところで、
終わった。
でも私は知っている。
伝わらなかった部分こそ、
本当は、
一番人間的だった。
言葉にならなかったもの。
言い直したかった沈黙。
相手の表情だけが返事だった瞬間。
外国語は、
分かり合うための道具じゃない。
分かり合えないままでも、
隣に立つための方法だ。
私は今日も、
正しくない文を話す。
意味がずれても、
文法が壊れても。
それでも、
黙るよりは、
少しだけましだから。
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