夜の街は、
深く静まり返っていた。
歩道に落ちる街灯の光が、
まるで星の粒のように路面を照らす。
人通りは少なく、
耳に届くのは遠くの信号の音だけ。
凛世は、
手首の銀の腕時計に触れた。
所々に錆びた跡がある金属の感触は、
心を少し落ち着かせる。
高校から付き合っていた彼が、
去年、
病で亡くなった。
覚悟はしていた―
―でも、日常の中でふと襲ってくる喪失感は、簡単に消えない。
「…どうすればいいか、わからないの」
凛世は小さく呟き、
足を進める。
一本裏道に入ると、
夜の静寂の中で、
ぽつりと揺れる光が目に入った。
小さな喫茶店―
―看板もなく、
星の欠片のようなランプだけが、
淡く瞬いている。
―こんな場所、今まで気づかなかった。
カラン。
扉の鈴が鳴る。
店内に入ると、
外の冷たい空気とは違う、
柔らかい温かさに包まれる。
壁には星図が描かれ、
時計の針はゆっくりとしか動いていないようだった。
現実と夢の境目のような、
静かで不思議な空間。
カウンターの向こうに立つマスターは、
年齢も性別も読み取れない。
しかしその瞳には、
どこか深く温かな光が宿っている。
「こんにちは、私は魚留凛世です。よろしくね」
マスターは小さく頷き、
無言で紅茶の用意を始める。
差し出されたのは、
ほのかに渋みを含む色の紅茶。
香りは控えめで、
でもどこか心の奥に届く甘さがある。
凛世は一口含む。
熱さが体を通り抜け、
胸に引っかかっていた痛みを少しだけ解きほぐす。
「…私は紅茶もコーヒーも好きよ」
そう言いながら、
凛世はかすかに笑った。
その笑顔の奥には、
手首の腕時計を撫でる指先の震えが隠れている。
マスターは何も言わず、
ただカップを温め直す。
その沈黙が、
言葉よりも慰めになる。
凛世の視線は自然と、
窓の外の夜空へと向かう。
思い出が、
次々と胸に浮かぶ。
高校の教室、
彼と肩を並べて笑った日々。
文化祭の帰り道、
寒い夜に手をつないだこと。
誕生日にプレゼントしてくれたこの銀の腕時計―
―錆びた小さな傷も、全て覚えている。
「…高校からずっと一緒だったのに…」
声が途切れる。
「去年、彼が…亡くなったの」
涙はまだ出ない。
ただ、
喉の奥に重さが残る。
マスターは静かに見つめ、
何も言わない。
ただ、
紅茶の湯気をゆっくりと立ち上らせ、
カップを温め直すだけ。
その行為に、
凛世の胸は少しだけ楽になる。
「…あー、彼氏ほしいわー…なんちゃって」
冗談めかして口に出す。
少しだけ笑ったけれど、
目は伏せたままだ。
マスターは微かに頷き、
口を開く。
[大文字][太字][斜体][明朝体]「魚座は、愛したものを大切に抱え続ける星です」
[/明朝体][/斜体][/太字][/大文字]
凛世は息をつく。
「…そうね。手放せない」
しばらくの間、
二人は沈黙のまま紅茶を味わう。
時間の針はゆっくり動き、
星図の壁の星たちは、
まだ線を結んでいない。
でも、
それが凛世には心地よい。
線で結ばれてしまう前の、
柔らかくて自由な瞬間―
―まるで自分の心も、
少しだけ自由になれた気がした。
「…どうすればいいんだろう」
凛世は小さくつぶやく。
「前に進むには、
忘れなきゃいけないのかな…?」
マスターは答えない。
ただ、
彼女の紅茶の温度を確かめるように、
そっとカップを持ち上げる。
「忘れることだけが、前に進む手段ではありません」
静かに言葉を紡ぐ。
「思い出を抱えたまま、少しずつ歩いていけます」
凛世は目を閉じ、
湯気の香りを吸い込む。
彼と過ごした日々、
笑ったこと、泣いたこと、
手をつないだ感覚。
全てを、今ここで味わうことができる―
―そんな気がした。
時間がゆっくり過ぎる中、
カラン。
扉の鈴が鳴る。
凛世は立ち上がる。
外の冷たい空気は相変わらずだが、
胸の奥にはほんのわずかに温かさが残っている。
「…また、来てもいい?」
小さな声で尋ねる。
「ええ」
マスターは微笑むように頷く。
「扉は、あなたを覚えています」
夜の街に溶けるように、
凛世は歩き出す。
腕時計は手首で静かに光り、
過去も痛みも、
少しずつ夜の星に溶けていく。
そして、
星図の壁では、
魚座の点がゆっくりと線に繋がっていく―
―凛世が抱えた心の痕跡のように。
夜はまだ深く、
次の星もまた、
静かに息を整えているところだった。
深く静まり返っていた。
歩道に落ちる街灯の光が、
まるで星の粒のように路面を照らす。
人通りは少なく、
耳に届くのは遠くの信号の音だけ。
凛世は、
手首の銀の腕時計に触れた。
所々に錆びた跡がある金属の感触は、
心を少し落ち着かせる。
高校から付き合っていた彼が、
去年、
病で亡くなった。
覚悟はしていた―
―でも、日常の中でふと襲ってくる喪失感は、簡単に消えない。
「…どうすればいいか、わからないの」
凛世は小さく呟き、
足を進める。
一本裏道に入ると、
夜の静寂の中で、
ぽつりと揺れる光が目に入った。
小さな喫茶店―
―看板もなく、
星の欠片のようなランプだけが、
淡く瞬いている。
―こんな場所、今まで気づかなかった。
カラン。
扉の鈴が鳴る。
店内に入ると、
外の冷たい空気とは違う、
柔らかい温かさに包まれる。
壁には星図が描かれ、
時計の針はゆっくりとしか動いていないようだった。
現実と夢の境目のような、
静かで不思議な空間。
カウンターの向こうに立つマスターは、
年齢も性別も読み取れない。
しかしその瞳には、
どこか深く温かな光が宿っている。
「こんにちは、私は魚留凛世です。よろしくね」
マスターは小さく頷き、
無言で紅茶の用意を始める。
差し出されたのは、
ほのかに渋みを含む色の紅茶。
香りは控えめで、
でもどこか心の奥に届く甘さがある。
凛世は一口含む。
熱さが体を通り抜け、
胸に引っかかっていた痛みを少しだけ解きほぐす。
「…私は紅茶もコーヒーも好きよ」
そう言いながら、
凛世はかすかに笑った。
その笑顔の奥には、
手首の腕時計を撫でる指先の震えが隠れている。
マスターは何も言わず、
ただカップを温め直す。
その沈黙が、
言葉よりも慰めになる。
凛世の視線は自然と、
窓の外の夜空へと向かう。
思い出が、
次々と胸に浮かぶ。
高校の教室、
彼と肩を並べて笑った日々。
文化祭の帰り道、
寒い夜に手をつないだこと。
誕生日にプレゼントしてくれたこの銀の腕時計―
―錆びた小さな傷も、全て覚えている。
「…高校からずっと一緒だったのに…」
声が途切れる。
「去年、彼が…亡くなったの」
涙はまだ出ない。
ただ、
喉の奥に重さが残る。
マスターは静かに見つめ、
何も言わない。
ただ、
紅茶の湯気をゆっくりと立ち上らせ、
カップを温め直すだけ。
その行為に、
凛世の胸は少しだけ楽になる。
「…あー、彼氏ほしいわー…なんちゃって」
冗談めかして口に出す。
少しだけ笑ったけれど、
目は伏せたままだ。
マスターは微かに頷き、
口を開く。
[大文字][太字][斜体][明朝体]「魚座は、愛したものを大切に抱え続ける星です」
[/明朝体][/斜体][/太字][/大文字]
凛世は息をつく。
「…そうね。手放せない」
しばらくの間、
二人は沈黙のまま紅茶を味わう。
時間の針はゆっくり動き、
星図の壁の星たちは、
まだ線を結んでいない。
でも、
それが凛世には心地よい。
線で結ばれてしまう前の、
柔らかくて自由な瞬間―
―まるで自分の心も、
少しだけ自由になれた気がした。
「…どうすればいいんだろう」
凛世は小さくつぶやく。
「前に進むには、
忘れなきゃいけないのかな…?」
マスターは答えない。
ただ、
彼女の紅茶の温度を確かめるように、
そっとカップを持ち上げる。
「忘れることだけが、前に進む手段ではありません」
静かに言葉を紡ぐ。
「思い出を抱えたまま、少しずつ歩いていけます」
凛世は目を閉じ、
湯気の香りを吸い込む。
彼と過ごした日々、
笑ったこと、泣いたこと、
手をつないだ感覚。
全てを、今ここで味わうことができる―
―そんな気がした。
時間がゆっくり過ぎる中、
カラン。
扉の鈴が鳴る。
凛世は立ち上がる。
外の冷たい空気は相変わらずだが、
胸の奥にはほんのわずかに温かさが残っている。
「…また、来てもいい?」
小さな声で尋ねる。
「ええ」
マスターは微笑むように頷く。
「扉は、あなたを覚えています」
夜の街に溶けるように、
凛世は歩き出す。
腕時計は手首で静かに光り、
過去も痛みも、
少しずつ夜の星に溶けていく。
そして、
星図の壁では、
魚座の点がゆっくりと線に繋がっていく―
―凛世が抱えた心の痕跡のように。
夜はまだ深く、
次の星もまた、
静かに息を整えているところだった。
- 1.ティータイムの始まり。
- 2.乙女座 やさしく、つよくなれなくて。
- 3.蟹座 甘さの奥で、息を止めてきた
- 4.牡牛座 余裕の仮面と、足りない甘さ
- 5.山羊座 ゆっくりでいいと、知らなかった
- 6.双子座 言葉が二つに割れたまま
- 7.天秤座 言葉を量る、沈黙の重さは。
- 8.獅子座 微笑みの奥で、拳を握るひと
- 9.射手座 遠くを願い、声を置いてきた
- 10.水瓶座 笑っているあいだは、自由でいられた
- 11.牡羊座 引き受ける勇気と、静かな覚悟
- 12.魚座 仮の笑顔と振り返ってしまったこと
- 13.蟹座 信じられなかった手の、ぬくもりを思い出すまで
- 14.宇宙という名の空を結びに。
- 15.蛇遣い座 13番目になれなくて。
- 16.第二期 惑星たちの夜
- 17.金星 一行の本音は、金星に預けて
- 18.土星 抱え込めてしまった者は、零れ方を知らない
- 19.天王星 光を残す星