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シーグラス

海へ行こうと言ったのは、私だった。
「夏が終わる前に、一度くらい海を見たいな」

そう言うと、悠斗は「いいね」と笑った。

その笑顔が、最後になるなんて思わなかった。

九月の海は静かだった。
観光客の姿はまばらで、波だけが規則正しく砂浜をさらっている。

私たちは言葉も少なく、波打ち際を歩いていた。

付き合って三年。

沈黙が苦じゃない関係になれたと思っていた。

でも今思えば、あの日の沈黙は、安心ではなく終わりの気配だった。

「これ、見て。」

悠斗がしゃがみ込み、小さなガラス片を拾った。

緑色の、曇った欠片。

角が丸く削られて、宝石みたいに光っていた。

「シーグラスっていうんだって。」

私は手のひらに乗せてもらう。

「もともとは割れた瓶なんだよ。何十年も波に揉まれて、こんな形になる。」

「何十年も?」

「うん。傷だらけだったものほど、きれいになる。」

私は笑って言った。

「じゃあ、人間もそうだったらいいのに。」

悠斗は返事をしなかった。

別れ話は、その帰り道だった。
駅へ向かう坂の途中。

夕日が長い影を作っていた。

「結衣。」

名前を呼ばれた瞬間、分かった。

恋人の声じゃなかった。

誰かを傷つける覚悟をした人の声だった。

「……ごめん。」

その一言で、三年が終わった。

理由はいくつもあった。

仕事が忙しいこと。

将来が見えないこと。

一人になりたいこと。

どれも嘘ではなかったんだろう。

でも、本当の理由はたぶん一つだった。

もう、私じゃなくなった。

それだけだった。

泣かなかった。

泣いたら終わる気がしたから。

「分かった。」

それだけ言って笑った。

人生で一番下手な笑顔だったと思う。

失恋すると、街の色が変わる。
コンビニのアイス売り場。

駅前のベンチ。

お気に入りだったカフェ。

全部に彼がいる。

思い出は、消えない。

むしろ何もかもが思い出になる。

スマホの写真を消せなくて。

LINEを消せなくて。

名前だけ見つめて眠れない夜が続いた。

冬になった頃だった。
部屋を掃除していると、小さな瓶が出てきた。

あの海で拾ったシーグラス。

「持ってて。」

そう言われて、ポケットへ入れたままだった。

掌に乗せる。

曇った緑色。

光にかざすと、柔らかく透ける。

不思議だった。

あの日は、ただのガラスに見えたのに。

今は、とてもきれいだった。

傷が消えたわけじゃない。

削られただけ。

角を失っただけ。

それでも、人は美しいと言う。

私はその瞬間、泣いた。

別れの日よりも。

写真を消した日よりも。

静かに、長く。

春になって、私は一人であの海へ戻った。
波は相変わらずだった。

世界は誰かの失恋なんて知らない顔をして続いている。

砂浜を歩いていると、小さな白いシーグラスを見つけた。

拾い上げる。

陽の光で乳白色に透けたそれは、まるで小さな月だった。

「人間も、そうだったらいいのに。」

あの日の自分の言葉を思い出す。

違った。

人間はシーグラスにはなれない。

傷は完全には丸くならない。

忘れることもできない。

それでも。

泣いた日々は少しずつ波にさらわれて。

憎しみは寂しさになり。

寂しさは懐かしさになり。

いつか、「好きだった」という優しい記憶だけが残る。

シーグラスは、割れたガラスの成れの果てじゃない。

長い時間を生き延びた証なのだ。

私は白い欠片をポケットへ入れた。

もう振り返らなかった。

海風が背中を押した。

春の光の中で、小さなガラスだけが、静かに笑っていた。

作者メッセージ

部活で県外行って疲れてそのあと塾で今。

……うん。

では!

2026/07/29 21:22

KanonLOVE
ID:≫ n00YEDEqgv6kY
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