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BL、GL、NLは今後付けるかもです。
この国では、十五歳になると喉に番号を刻まれる。
それは名前より大切なものだった。
番号は、その人間が一年間にどれだけ「善行」を行ったかを記録する。
落とし物を届けた。
困っている老人を助けた。
誰かの悪口を言わなかった。
笑顔で挨拶した。
怒らなかった。
泣かなかった。
誰かのために、自分の時間を譲った。
そういう小さな善意が、喉の奥にある黒い結晶へ蓄積される。
国民はそれを《聖痕》と呼んでいた。
聖痕が白く輝いている人間は、立派な市民。
灰色なら、要注意。
黒く濁れば――
《矯正対象》。
十五歳になった子供たちは皆、《慈愛学園》へ送られる。
そこでは、勉強より先に「正しい人間になる方法」を教えられる。
だから。
朝倉レイは、笑うのが嫌いだった。
「おはようございます」
鏡の前で口角を上げる。
頬が痛い。
それでも笑う。
「今日も素敵な一日になりそうですね」
鏡の中の自分は、ひどく気味が悪かった。
首筋には白い制服。
胸元には銀色の校章。
そして喉には、黒い数字が浮かんでいる。
0427。
昨夜、レイの聖痕が一段階濁った。
理由は簡単だった。
母親が転んだとき、手を差し伸べるのが遅れた。
たった三秒。
それだけで、彼の評価は下がった。
「レイ」
背後から声がした。
妹だった。
「笑って」
「……笑ってるよ」
「もっと」
妹は怯えた顔をしていた。
レイは笑った。
今度は完璧に。
妹も笑った。
それを確認してから、二人は家を出た。
学校へ向かう途中、街の巨大スクリーンが今日の標語を映していた。
――他人を愛せない者に、生きる資格はない。
その下を、何千人もの学生が歩いている。
全員が笑っていた。
誰一人として楽しそうではなかった。
◆
慈愛学園の一時間目は《共感倫理》だった。
「人間は、本来、他者を思いやる生き物です」
教壇に立つ教師の目は、青白く光っていた。
教師ではない。
正確には、人間の形をした、管理機械――《聖職者》だ。
「では、……朝倉君」
「はい」
「あなたの隣にいる人が、今、悲しんでいるとします。どうしますか?」
「声をかけます」
「なぜ?」
「その人を安心させるためです」
「不正解」
教室が静かになった。
「なぜ助けるのですか?」
「……相手が苦しんでいるから」
「不正解」
教師の瞳が赤くなる。
「正しい答えは――善行だから、です」
黒板に文字が浮かんだ。
善意に理由を求めてはいけない。
「人を助けることに疑問を持つ者は、自分自身の欲望を優先しています」
クラスメイトたちは一斉に頷いた。
レイも頷いた。
喉の奥が、少しだけ熱くなった。
授業の最後。
教師は一人の生徒を指差した。
「東雲ミナ」
「はい」
「あなたは昨日、同級生の相談を無視しましたね?」
少女が立ち上がる。
銀色の髪。
眠そうな目。
制服の袖から、細い黒い線が伸びている。
彼女の聖痕は、ほとんど黒だった。
「……はい」
「理由は?」
「面倒だったから」
教室の空気が凍った。
誰かが小さく息を呑む。
教師は笑った。
「素晴らしい」
「え?」
「あなたは初めて、本当のことを言いました」
レイは目を見開いた。
教師は続けた。
「しかし、本音は罪です」
ミナの喉の聖痕が、音を立てて黒く染まった。
「放課後、矯正室へ来なさい」
ミナは何も言わなかった。
ただ、レイの方を見た。
そして。
ほんの少しだけ笑った。
それは学園で初めて見た、本物の笑顔だった。
◆
放課後。
レイは屋上へ向かった。
理由はなかった。
ただ、ミナがそこへ向かったのを見たからだ。
扉を開ける。
夕焼けが広がっていた。
空は赤い。
地面も赤い。
まるで世界そのものが血を流しているようだった。
「来たんだ」
フェンスの向こうにミナがいた。
「矯正室は?」
「逃げてきた」
「……逃げたら、殺されるよ」
「知ってる」
ミナは空を見上げた。
「でも、死ぬ前に一つくらい、自分の好きなことをしたかった」
「何?」
「嫌われること」
「……は?」
「誰かに嫌われてみたい」
ミナは笑った。
「嫌われるって、たぶん自由だから」
レイは答えられなかった。
そのときだった。
校舎の時計が十三回鳴った。
本来、鳴るはずのない時間だった。
空が割れた。
赤い雲の向こうから、巨大な黒い手が伸びてくる。
街中の聖痕が一斉に明滅した。
白。
白。
白。
そして――
黒。
「なに、あれ……」
レイの喉が焼けるように熱くなった。
聖痕の奥から、声が聞こえた。
――ようやく、見つけた。
ミナも同時に喉を押さえる。
「レイ」
「何?」
「これ、知ってる」
「何を?」
彼女は震えていた。
「この国の神様」
黒い手が、空から地上へ降りてくる。
その指先には、無数の人間の顔が埋め込まれていた。
笑顔。
泣き顔。
怒った顔。
死んだ顔。
そのすべてが、同じ言葉を繰り返している。
――善い子になれ。
――善い子になれ。
――善い子になれ。
ミナが呟いた。
「神様は、人間を救ったんじゃない」
「……」
「人間の“悪いところ”を全部食べたんだよ」
彼女は喉の黒い聖痕を指でなぞった。
「怒りも、嫉妬も、憎しみも、欲望も」
そして笑った。
「だから、この国にはもう、悪い人がいない」
レイは気づいた。
それが何を意味するのか。
「……じゃあ」
「うん」
ミナが言う。
「この国で唯一、悪いことをするのは――」
空の怪物が、ゆっくりと目を開いた。
「――神様だよ」
その瞬間。
街中の人間が一斉に笑い始めた。
誰も楽しそうではない。
誰も笑いたくない。
それでも笑っている。
喉に刻まれた聖痕が、命令している。
笑え。
愛せ。
許せ。
誰かのために死ね。
自分を捨てろ。
そうすれば、善い人間になれる。
レイは初めて、笑わなかった。
喉の奥で何かが砕けた。
黒い結晶が崩れ落ちる。
そして、その奥から。
真っ赤な光が漏れた。
「……ミナ」
「なに?」
「僕、今から悪いことをする」
「うん」
ミナは嬉しそうに笑った。
「私も」
二人はフェンスを越えた。
眼下には、笑顔で埋め尽くされた街。
頭上には、人間の悪意を喰らって膨れ上がった神。
そしてその間に、二人だけが立っている。
レイは思った。
――誰かを救わなくてもいい。
――誰かに愛されなくてもいい。
――正しい人間にならなくてもいい。
ただ、自分が何をしたいのか。
それだけは、自分で決めたい。
だから。
二人は笑った。
今度こそ。
本当に。
誰かを救うためではなく。
自分たちが生きるために。
そして神様は、初めて、怯えた。
それは名前より大切なものだった。
番号は、その人間が一年間にどれだけ「善行」を行ったかを記録する。
落とし物を届けた。
困っている老人を助けた。
誰かの悪口を言わなかった。
笑顔で挨拶した。
怒らなかった。
泣かなかった。
誰かのために、自分の時間を譲った。
そういう小さな善意が、喉の奥にある黒い結晶へ蓄積される。
国民はそれを《聖痕》と呼んでいた。
聖痕が白く輝いている人間は、立派な市民。
灰色なら、要注意。
黒く濁れば――
《矯正対象》。
十五歳になった子供たちは皆、《慈愛学園》へ送られる。
そこでは、勉強より先に「正しい人間になる方法」を教えられる。
だから。
朝倉レイは、笑うのが嫌いだった。
「おはようございます」
鏡の前で口角を上げる。
頬が痛い。
それでも笑う。
「今日も素敵な一日になりそうですね」
鏡の中の自分は、ひどく気味が悪かった。
首筋には白い制服。
胸元には銀色の校章。
そして喉には、黒い数字が浮かんでいる。
0427。
昨夜、レイの聖痕が一段階濁った。
理由は簡単だった。
母親が転んだとき、手を差し伸べるのが遅れた。
たった三秒。
それだけで、彼の評価は下がった。
「レイ」
背後から声がした。
妹だった。
「笑って」
「……笑ってるよ」
「もっと」
妹は怯えた顔をしていた。
レイは笑った。
今度は完璧に。
妹も笑った。
それを確認してから、二人は家を出た。
学校へ向かう途中、街の巨大スクリーンが今日の標語を映していた。
――他人を愛せない者に、生きる資格はない。
その下を、何千人もの学生が歩いている。
全員が笑っていた。
誰一人として楽しそうではなかった。
◆
慈愛学園の一時間目は《共感倫理》だった。
「人間は、本来、他者を思いやる生き物です」
教壇に立つ教師の目は、青白く光っていた。
教師ではない。
正確には、人間の形をした、管理機械――《聖職者》だ。
「では、……朝倉君」
「はい」
「あなたの隣にいる人が、今、悲しんでいるとします。どうしますか?」
「声をかけます」
「なぜ?」
「その人を安心させるためです」
「不正解」
教室が静かになった。
「なぜ助けるのですか?」
「……相手が苦しんでいるから」
「不正解」
教師の瞳が赤くなる。
「正しい答えは――善行だから、です」
黒板に文字が浮かんだ。
善意に理由を求めてはいけない。
「人を助けることに疑問を持つ者は、自分自身の欲望を優先しています」
クラスメイトたちは一斉に頷いた。
レイも頷いた。
喉の奥が、少しだけ熱くなった。
授業の最後。
教師は一人の生徒を指差した。
「東雲ミナ」
「はい」
「あなたは昨日、同級生の相談を無視しましたね?」
少女が立ち上がる。
銀色の髪。
眠そうな目。
制服の袖から、細い黒い線が伸びている。
彼女の聖痕は、ほとんど黒だった。
「……はい」
「理由は?」
「面倒だったから」
教室の空気が凍った。
誰かが小さく息を呑む。
教師は笑った。
「素晴らしい」
「え?」
「あなたは初めて、本当のことを言いました」
レイは目を見開いた。
教師は続けた。
「しかし、本音は罪です」
ミナの喉の聖痕が、音を立てて黒く染まった。
「放課後、矯正室へ来なさい」
ミナは何も言わなかった。
ただ、レイの方を見た。
そして。
ほんの少しだけ笑った。
それは学園で初めて見た、本物の笑顔だった。
◆
放課後。
レイは屋上へ向かった。
理由はなかった。
ただ、ミナがそこへ向かったのを見たからだ。
扉を開ける。
夕焼けが広がっていた。
空は赤い。
地面も赤い。
まるで世界そのものが血を流しているようだった。
「来たんだ」
フェンスの向こうにミナがいた。
「矯正室は?」
「逃げてきた」
「……逃げたら、殺されるよ」
「知ってる」
ミナは空を見上げた。
「でも、死ぬ前に一つくらい、自分の好きなことをしたかった」
「何?」
「嫌われること」
「……は?」
「誰かに嫌われてみたい」
ミナは笑った。
「嫌われるって、たぶん自由だから」
レイは答えられなかった。
そのときだった。
校舎の時計が十三回鳴った。
本来、鳴るはずのない時間だった。
空が割れた。
赤い雲の向こうから、巨大な黒い手が伸びてくる。
街中の聖痕が一斉に明滅した。
白。
白。
白。
そして――
黒。
「なに、あれ……」
レイの喉が焼けるように熱くなった。
聖痕の奥から、声が聞こえた。
――ようやく、見つけた。
ミナも同時に喉を押さえる。
「レイ」
「何?」
「これ、知ってる」
「何を?」
彼女は震えていた。
「この国の神様」
黒い手が、空から地上へ降りてくる。
その指先には、無数の人間の顔が埋め込まれていた。
笑顔。
泣き顔。
怒った顔。
死んだ顔。
そのすべてが、同じ言葉を繰り返している。
――善い子になれ。
――善い子になれ。
――善い子になれ。
ミナが呟いた。
「神様は、人間を救ったんじゃない」
「……」
「人間の“悪いところ”を全部食べたんだよ」
彼女は喉の黒い聖痕を指でなぞった。
「怒りも、嫉妬も、憎しみも、欲望も」
そして笑った。
「だから、この国にはもう、悪い人がいない」
レイは気づいた。
それが何を意味するのか。
「……じゃあ」
「うん」
ミナが言う。
「この国で唯一、悪いことをするのは――」
空の怪物が、ゆっくりと目を開いた。
「――神様だよ」
その瞬間。
街中の人間が一斉に笑い始めた。
誰も楽しそうではない。
誰も笑いたくない。
それでも笑っている。
喉に刻まれた聖痕が、命令している。
笑え。
愛せ。
許せ。
誰かのために死ね。
自分を捨てろ。
そうすれば、善い人間になれる。
レイは初めて、笑わなかった。
喉の奥で何かが砕けた。
黒い結晶が崩れ落ちる。
そして、その奥から。
真っ赤な光が漏れた。
「……ミナ」
「なに?」
「僕、今から悪いことをする」
「うん」
ミナは嬉しそうに笑った。
「私も」
二人はフェンスを越えた。
眼下には、笑顔で埋め尽くされた街。
頭上には、人間の悪意を喰らって膨れ上がった神。
そしてその間に、二人だけが立っている。
レイは思った。
――誰かを救わなくてもいい。
――誰かに愛されなくてもいい。
――正しい人間にならなくてもいい。
ただ、自分が何をしたいのか。
それだけは、自分で決めたい。
だから。
二人は笑った。
今度こそ。
本当に。
誰かを救うためではなく。
自分たちが生きるために。
そして神様は、初めて、怯えた。