梅雨は、
嫌いじゃなかった。
雨音は教室のざわめきを少しだけ遠ざけてくれる。
窓ガラスを流れる雫をぼんやり眺めている時間も、
私は好きだった。
でも、
その年の梅雨だけは違った。
「ねえ、朝比奈くん。」
昼休み。
教室の入り口から女の子の声がした。
私はシャーペンを動かす手を止める。
見たことのない制服のリボン。
二年生だった。
「進路のことで聞きたいことがあるんだけど。」
「俺?」
悠斗は少し驚いたように自分を指差した。
「先生が朝比奈くんに聞くといいって。」
「ああ、いいよ。」
そのまま二人は廊下へ出ていった。
私は窓の外を見るふりをした。
別に、
なんでもない。
後輩が先輩に相談するなんて普通のことだ。
そう思おうとしても、
胸の奥が少しだけざわつく。
「気になる?」
後ろから声をかけられた。
振り返ると、
親友の美咲がニヤリと笑っている。
「……何が?」
「朝比奈くん。」
「違うし。」
「はいはい。」
美咲は机に頬杖をついた。
「でもさ。」
少しだけ真面目な顔になる。
「早く言わないと取られるよ。」
その言葉に、
心臓が小さく跳ねた。
「別に……。」
「好きじゃない?」
答えられなかった。
好き。
その二文字を認めてしまえば、
今までの関係には戻れない気がした。
だから私は笑った。
「友達だから。」
その言葉は、
自分に言い聞かせるための嘘だった。
それから、
その子は何度も教室へ来るようになった。
名前は、
七瀬ひまり。
人懐っこくて、
誰とでもすぐ仲良くなれる子だった。
「朝比奈先輩!」
そう呼ぶ声が聞こえるたび、
私は無意識に耳を澄ませてしまう。
ある日の帰り道。
「最近、後輩によく話しかけられてるね。」
何気ないふりをして言うと、
悠斗は困ったように笑った。
「進路相談だけだよ。」
「そうなんだ。」
「なんか勘違いされそうで困る。」
その言葉に、
私は少しだけ安心した。
だけど。
「ひまりちゃん、いい子だよね。」
続いたその一言が、
小さな棘になった。
「話してて楽しいし。」
私は笑顔を作る。
「そうなんだ。」
雨が降り始めた。
今日は傘を一本しか持っていなかった。
いつものように二人で肩を寄せる。
その距離は昨日までと同じはずなのに、
今日は少し遠く感じた。
「寒い?」
「ううん。」
「顔色悪いけど。」
「平気。」
平気なわけがない。
でも、
それを言ったら何かが壊れてしまう気がした。
七月。
梅雨明けまであと少し。
教室には進路希望調査の紙が配られた。
東京。
横浜。
仙台。
それぞれの未来が、
少しずつ違う方向を向き始める。
「ねえ。」
放課後、
駅まで歩きながら悠斗が言った。
「卒業してもさ。」
「うん。」
「友達でいような。」
その言葉は、
優しかった。
優しすぎた。
恋人じゃなくて。
特別でもなくて。
ずっと友達。
私は笑って答えた。
「もちろん。」
その瞬間。
私の初恋は、
静かに終わりへ向かい始めた。
まだ失恋していない。
告白もしていない。
何も始まっていない。
それなのに、
心だけが終わりを知ってしまった。
空を見上げる。
厚い雲の向こうで、
太陽はきっと笑っている。
なのに私の空だけは、
雨を降らせる準備をしていた。
嫌いじゃなかった。
雨音は教室のざわめきを少しだけ遠ざけてくれる。
窓ガラスを流れる雫をぼんやり眺めている時間も、
私は好きだった。
でも、
その年の梅雨だけは違った。
「ねえ、朝比奈くん。」
昼休み。
教室の入り口から女の子の声がした。
私はシャーペンを動かす手を止める。
見たことのない制服のリボン。
二年生だった。
「進路のことで聞きたいことがあるんだけど。」
「俺?」
悠斗は少し驚いたように自分を指差した。
「先生が朝比奈くんに聞くといいって。」
「ああ、いいよ。」
そのまま二人は廊下へ出ていった。
私は窓の外を見るふりをした。
別に、
なんでもない。
後輩が先輩に相談するなんて普通のことだ。
そう思おうとしても、
胸の奥が少しだけざわつく。
「気になる?」
後ろから声をかけられた。
振り返ると、
親友の美咲がニヤリと笑っている。
「……何が?」
「朝比奈くん。」
「違うし。」
「はいはい。」
美咲は机に頬杖をついた。
「でもさ。」
少しだけ真面目な顔になる。
「早く言わないと取られるよ。」
その言葉に、
心臓が小さく跳ねた。
「別に……。」
「好きじゃない?」
答えられなかった。
好き。
その二文字を認めてしまえば、
今までの関係には戻れない気がした。
だから私は笑った。
「友達だから。」
その言葉は、
自分に言い聞かせるための嘘だった。
それから、
その子は何度も教室へ来るようになった。
名前は、
七瀬ひまり。
人懐っこくて、
誰とでもすぐ仲良くなれる子だった。
「朝比奈先輩!」
そう呼ぶ声が聞こえるたび、
私は無意識に耳を澄ませてしまう。
ある日の帰り道。
「最近、後輩によく話しかけられてるね。」
何気ないふりをして言うと、
悠斗は困ったように笑った。
「進路相談だけだよ。」
「そうなんだ。」
「なんか勘違いされそうで困る。」
その言葉に、
私は少しだけ安心した。
だけど。
「ひまりちゃん、いい子だよね。」
続いたその一言が、
小さな棘になった。
「話してて楽しいし。」
私は笑顔を作る。
「そうなんだ。」
雨が降り始めた。
今日は傘を一本しか持っていなかった。
いつものように二人で肩を寄せる。
その距離は昨日までと同じはずなのに、
今日は少し遠く感じた。
「寒い?」
「ううん。」
「顔色悪いけど。」
「平気。」
平気なわけがない。
でも、
それを言ったら何かが壊れてしまう気がした。
七月。
梅雨明けまであと少し。
教室には進路希望調査の紙が配られた。
東京。
横浜。
仙台。
それぞれの未来が、
少しずつ違う方向を向き始める。
「ねえ。」
放課後、
駅まで歩きながら悠斗が言った。
「卒業してもさ。」
「うん。」
「友達でいような。」
その言葉は、
優しかった。
優しすぎた。
恋人じゃなくて。
特別でもなくて。
ずっと友達。
私は笑って答えた。
「もちろん。」
その瞬間。
私の初恋は、
静かに終わりへ向かい始めた。
まだ失恋していない。
告白もしていない。
何も始まっていない。
それなのに、
心だけが終わりを知ってしまった。
空を見上げる。
厚い雲の向こうで、
太陽はきっと笑っている。
なのに私の空だけは、
雨を降らせる準備をしていた。