広告代理店の十八女さんは案外暇じゃない
「広告代理店って、毎日終電まで残業して、夜は業界人の飲み会で、いつもギラギラしてるんでしょう?」
世間が抱くそんなステレオタイプを、[漢字]十八女[/漢字][ふりがな]さかり[/ふりがな] [漢字]律[/漢字][ふりがな]りつ[/ふりがな]は「まあ、人によりますよ」と穏やかな笑顔で受け流す。
彼女の所属する中堅代理店・毎朝エージェンシーの営業部は、確かに忙しい。
しかし、入社4年目の律のデスクワークは、定時の18時を過ぎると驚くほど綺麗に片付いている。
周りの後輩からは「十八女先輩、今日も定時退社ですか?案外暇なんですね」と羨ましがられることもある。
だが、違った。
彼女は決して「暇」なわけではない。
「お疲れ様でした」
18時3分。
律はオフィスの自動ドアを滑り込みで抜け出す。
駅の公衆トイレに駆け込み、仕立ての良いオフィスカジュアルを脱ぎ捨てる。
代わりに身にまとったのは、夜の街に完全に溶け込む、一切の装飾を排した黒いライダースジャケットだった。
彼女が定時退社に命をかける理由。それは、『裏の家業――始末屋の依頼遂行』だった。
「十八女」の家系は、表向きは普通の血筋を装いながら、裏では何世代にもわたり「法で裁けない悪」を闇から闇へ葬ってきた。
律はその現役の「執行人」だ。
今夜のターゲットは、世間を騒がせている連続詐欺グループの主犯格。
情報屋からの指定時間は「20時00分、港の倉庫街」。
1分の遅れも、自身の正体の露見、ひいては「死」を意味する。
彼女が職場で他人の3倍のスピードで仕事をこなすのは、すべて「夜の暗殺計画を完璧に遂行するため」の、命がけのタイムマネジメントだった。
しかし、そんな極限のタイムラインを揺るがす事件が起きる。
「十八女さん、緊急事態だ!大手飲料メーカーのコンペ、急遽明日の朝までに修正案を出さなきゃいけなくなった!」
17時45分。
あと15分で定時というタイミングで、上司の熱血部長が真っ青な顔で駆け込んできた。
チーム全体に絶望的な空気が流れる。
「全員、今日は徹夜を覚悟してくれ!」
部長の言葉に、律の切れ長の目がわずかに細くなった。
――徹夜……? 冗談じゃない。今夜のターゲットを逃せば、次のチャンスは数ヶ月後。その間にまた被害者が出る。
表の仕事も完璧にこなすのが、この家業のプライドだ。
ここで会社を無断で飛び出すわけにはいかない。
律の脳細胞が、超高速でコンペ資料の構成と、暗殺ルートの再計算を始めた。
「部長、徹夜なんて必要ありません。全員、私の指示に従ってください」
律の声は、オフィス全体の焦燥感を一瞬で黙らせるほど冷徹で、そして絶対的な説得力があった。
「君はリサーチデータのグラフ化、君はデザインのレイアウト修正。私はプレゼン資料のテキストを直します。各自の持ち時間は45分。18時45分に一度すり合わせます。……いいですね?」
「お、おう……!」
普段「定時で帰る暇そうな先輩」だと思っていた律から放たれる、本物の「強者」のオーラ。
チームの誰もが逆らえず、猛スピードで手が動き出す。
律自身も、プロフェッショナルとしての全神経を画面に集中させ、超人的なタイピング速度で資料を構築していく。
ターゲットの防犯カメラの死角、警備の人数、コンペの修正テキスト。
彼女の脳内では、その両方が完全に並行処理されていた。
「——できた。これでどうでしょう!」
18時50分。
奇跡的とも言えるクオリティの修正案が完成した。
チーム全員が「これなら勝てる!」と歓声を上げる中、律はすでにバッグを肩にかけ、完璧にPCをシャットダウンしていた。
「すみません、私はこれで失礼します!」
「えっ、十八女さん!今からみんなで最終チェックを兼ねてピザでも頼んで……案外暇じゃなかったのか!?」
「暇なわけないじゃないですか」
律は一瞬だけ、ゾッとするほど美しい笑みを浮かべ、しかし引き締まった口調で言い放った。
「今夜は、片付けなきゃいけない『大口の案件』があるんです。お疲れ様でした!」
疾風のように去っていく律の背中を、残された部員たちはただ呆然と見送るしかなかった。
彼女の背負うものの危うさを、誰も知る由はなかったが、その圧倒的な背中に畏怖の念すら抱いていた。
◇◆◇
20時00分。
港の倉庫街。
静寂の中に、一筋の鋭い火花が散り、そして消えた。
律は手袋についたわずかな汚れを払い落とし、夜の闇に消える。
翌朝、コンペは見事に勝ち取った。
いつも通り1分前に出社し、完璧な笑顔でコーヒーを飲む十八女さんのデスクは、今日もすっきりと片付いている。
世間が抱くそんなステレオタイプを、[漢字]十八女[/漢字][ふりがな]さかり[/ふりがな] [漢字]律[/漢字][ふりがな]りつ[/ふりがな]は「まあ、人によりますよ」と穏やかな笑顔で受け流す。
彼女の所属する中堅代理店・毎朝エージェンシーの営業部は、確かに忙しい。
しかし、入社4年目の律のデスクワークは、定時の18時を過ぎると驚くほど綺麗に片付いている。
周りの後輩からは「十八女先輩、今日も定時退社ですか?案外暇なんですね」と羨ましがられることもある。
だが、違った。
彼女は決して「暇」なわけではない。
「お疲れ様でした」
18時3分。
律はオフィスの自動ドアを滑り込みで抜け出す。
駅の公衆トイレに駆け込み、仕立ての良いオフィスカジュアルを脱ぎ捨てる。
代わりに身にまとったのは、夜の街に完全に溶け込む、一切の装飾を排した黒いライダースジャケットだった。
彼女が定時退社に命をかける理由。それは、『裏の家業――始末屋の依頼遂行』だった。
「十八女」の家系は、表向きは普通の血筋を装いながら、裏では何世代にもわたり「法で裁けない悪」を闇から闇へ葬ってきた。
律はその現役の「執行人」だ。
今夜のターゲットは、世間を騒がせている連続詐欺グループの主犯格。
情報屋からの指定時間は「20時00分、港の倉庫街」。
1分の遅れも、自身の正体の露見、ひいては「死」を意味する。
彼女が職場で他人の3倍のスピードで仕事をこなすのは、すべて「夜の暗殺計画を完璧に遂行するため」の、命がけのタイムマネジメントだった。
しかし、そんな極限のタイムラインを揺るがす事件が起きる。
「十八女さん、緊急事態だ!大手飲料メーカーのコンペ、急遽明日の朝までに修正案を出さなきゃいけなくなった!」
17時45分。
あと15分で定時というタイミングで、上司の熱血部長が真っ青な顔で駆け込んできた。
チーム全体に絶望的な空気が流れる。
「全員、今日は徹夜を覚悟してくれ!」
部長の言葉に、律の切れ長の目がわずかに細くなった。
――徹夜……? 冗談じゃない。今夜のターゲットを逃せば、次のチャンスは数ヶ月後。その間にまた被害者が出る。
表の仕事も完璧にこなすのが、この家業のプライドだ。
ここで会社を無断で飛び出すわけにはいかない。
律の脳細胞が、超高速でコンペ資料の構成と、暗殺ルートの再計算を始めた。
「部長、徹夜なんて必要ありません。全員、私の指示に従ってください」
律の声は、オフィス全体の焦燥感を一瞬で黙らせるほど冷徹で、そして絶対的な説得力があった。
「君はリサーチデータのグラフ化、君はデザインのレイアウト修正。私はプレゼン資料のテキストを直します。各自の持ち時間は45分。18時45分に一度すり合わせます。……いいですね?」
「お、おう……!」
普段「定時で帰る暇そうな先輩」だと思っていた律から放たれる、本物の「強者」のオーラ。
チームの誰もが逆らえず、猛スピードで手が動き出す。
律自身も、プロフェッショナルとしての全神経を画面に集中させ、超人的なタイピング速度で資料を構築していく。
ターゲットの防犯カメラの死角、警備の人数、コンペの修正テキスト。
彼女の脳内では、その両方が完全に並行処理されていた。
「——できた。これでどうでしょう!」
18時50分。
奇跡的とも言えるクオリティの修正案が完成した。
チーム全員が「これなら勝てる!」と歓声を上げる中、律はすでにバッグを肩にかけ、完璧にPCをシャットダウンしていた。
「すみません、私はこれで失礼します!」
「えっ、十八女さん!今からみんなで最終チェックを兼ねてピザでも頼んで……案外暇じゃなかったのか!?」
「暇なわけないじゃないですか」
律は一瞬だけ、ゾッとするほど美しい笑みを浮かべ、しかし引き締まった口調で言い放った。
「今夜は、片付けなきゃいけない『大口の案件』があるんです。お疲れ様でした!」
疾風のように去っていく律の背中を、残された部員たちはただ呆然と見送るしかなかった。
彼女の背負うものの危うさを、誰も知る由はなかったが、その圧倒的な背中に畏怖の念すら抱いていた。
◇◆◇
20時00分。
港の倉庫街。
静寂の中に、一筋の鋭い火花が散り、そして消えた。
律は手袋についたわずかな汚れを払い落とし、夜の闇に消える。
翌朝、コンペは見事に勝ち取った。
いつも通り1分前に出社し、完璧な笑顔でコーヒーを飲む十八女さんのデスクは、今日もすっきりと片付いている。
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