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BL、GL、NLは今後付けるかもです。
雨の気配だけが、ずっと空に残っていた。
降りそうで降らない夜だった。
湿った風が高架下を抜けて、終電前の駅に冷たく流れ込む。
ホームに並ぶ人たちは皆、疲れ切った顔をしてスマホを見ていた。
誰とも目を合わせないまま、一日を終わらせようとしている。
その空気が、妙に好きだった。
都会には時々、誰にも期待されない静けさがある。
私はそれを知っている。
改札を抜けたところで、スマホが震えた。
短い通知音。
画面には、名前だけ。
[斜体][太字]——《今どこ?》
[/太字][/斜体]
たったそれだけのメッセージ。
句読点もない。
相変わらずだな、と思った。
私は立ち止まったまま数秒考えて、それから返信を打つ。
[太字][斜体]《駅》
[/斜体][/太字]
送信してすぐ、既読がつく。
[斜体][太字]《いた》
[/太字][/斜体]
その直後、背後から声がした。
「ほんとにいた」
振り返る。
黒いコート。
無造作な髪。
少し眠たそうな目。
三年ぶりだった。
「……なにそれ」
思わず笑うと、彼も小さく笑った。
「いや、お前って急にいなくなるから」
「そっちでしょ」
「俺はちゃんといるよ」
「連絡返さないくせに」
「生きてる確認はできるじゃん」
「最低限すぎる」
他愛もない会話だった。
なのに、胸の奥が妙に静かになる。
たぶん私は、この空気を覚えていた。
彼とは、昔付き合っていた。
“昔”と言うには長すぎて、“今”と言うには曖昧な関係。
最初は恋人だった。
ちゃんと好きだと言われたし、私も好きだった。
でも年月が経つにつれて、関係は少しずつ形を失っていった。
仕事が忙しくなって。
会う頻度が減って。
連絡が途切れて。
久しぶりに会っても、前みたいに未来の話をしなくなった。
別れ話はしなかった。
自然消滅、というやつだったのだと思う。
東京にはそういう終わり方がよく似合う。
それでも、彼は時々戻ってきた。
忘れた頃に連絡をしてきて、何事もなかったみたいに「飯行く?」と言う。
私は毎回無視しようとして、結局返信してしまう。
自分でも呆れるくらい、終わりきれなかった。
「飲む?」
彼がコンビニ袋を軽く持ち上げる。
中には缶コーヒーが二本入っていた。
「最初から誘う気だったんだ」
「まあね」
「断ったら?」
「それでも来てた」
「怖」
彼は笑いながら一本を差し出す。
缶の冷たさが手に馴染んだ。
ホームの端にあるベンチへ移動する。
終電前の駅は、不思議と時間が遅い。
アナウンスが遠く響いて、電車のライトが時々線路を流れていく。
「仕事は」
彼が訊く。
「普通。そっちは」
「普通」
「絶対嘘」
「なんで」
「普通な人は深夜に突然呼び出さない」
「会いたかったんだよ」
あまりにも自然に言うから、返事に困る。
昔からそうだった。
彼は大事なことを、冗談みたいに言う。
だから本気なのか逃げなのか分からない。
「……何かあった?」
訊くと、彼は少しだけ黙った。
視線を線路へ向けたまま、缶コーヒーを揺らす。
その沈黙に、胸がざわつく。
「あー……」
彼は小さく息を吐いた。
「転勤」
「え」
「来月」
「どこ」
「仙台」
思ったより遠かった。
私は「へえ」とだけ返す。
それ以上の言葉が出なかった。
彼は昔から、突然どこかへ行く人だった。
大学時代も、卒業旅行だと言って一ヶ月東南アジアを放浪したり、仕事を辞めて海外へ行ったり。
気づけばいなくなっている。
でも、ふと戻ってくる。
まるで渡り鳥みたいに。
「いつ決まったの」
「結構前」
「なんで今言うの」
「今会ったから」
「連絡くらいできたでしょ」
「できたね」
「……腹立つ」
彼は笑った。
悪びれもなく。
その顔を見ていると、怒っている自分が馬鹿みたいになる。
沈黙が落ちる。
ホームを風が抜けた。
遠くで誰かの咳が聞こえる。
「そういえばさ」
彼が突然言う。
「昔、かくれんぼしたよね」
私は眉を寄せた。
「……いつ」
「終電逃した時」
思い出す。
何年も前。
付き合っていた頃。
二人で飲みすぎて終電を逃し、始発まで時間を潰していた夜。
冬だった。
街は静かで、公園には誰もいなかった。
彼が突然、「かくれんぼしよう」と言い出したのだ。
「意味分かんなかった」
「楽しかったじゃん」
「寒かった記憶しかない」
「お前本気で探してたよね」
「当たり前でしょ」
あの日、彼は本当に見つからなかった。
滑り台の裏にもいない。
トイレにもいない。
コンビニにもいない。
十分、二十分。
だんだん腹が立ってきて、帰ろうと思った頃。
彼は、公園の外れの自販機の横にいた。
体育座りをして、ぼんやり空を見ていた。
「なにしてんの」
「待ってた」
「は?」
「見つけてくれるかなって」
その時のことを、なぜか今でも覚えている。
白い息。
自販機の明かり。
真夜中の静かな道路。
あの時から、少しだけ思っていた。
この人はたぶん、“いなくなる側”の人間なんだろうと。
「お前、あの時泣きそうだった」
彼が笑う。
「寒かったから」
「嘘」
「嘘じゃない」
「俺、ちょっと嬉しかったもん」
「何が」
「ちゃんと探してくれたから」
私は返事をしなかった。
できなかった。
ホームに電車が滑り込んでくる。
金属音が夜に響く。
乗客が降りて、また乗っていく。
その流れを、私たちは黙って見ていた。
「……向こう行ったら、戻るの」
「どうだろ」
「曖昧」
「でも東京飽きたんだよね」
彼はそう言って笑った。
でもその笑顔は少し薄かった。
私は知っている。
彼は、何かを失くした時ほど軽く笑う。
「向こうで誰かできるかもね」
冗談っぽく言うと、彼は「かもね」と返した。
その返事が思ったより静かで、胸が少し痛む。
昔なら、こんな会話しなかった。
もっと子どもだった。
未来が永遠に続くと思っていた。
別れなんて、自分たちには関係ないと思っていた。
でも大人になると、終わりは静かに来る。
前触れもなく。
電車の発車ベルが鳴る。
彼が立ち上がった。
「じゃ、乗るわ」
「うん」
「見送り?」
「なんで」
「寂しいかなって」
「自意識過剰」
笑い合う。
なのに、どこか息苦しい。
彼はドアの前で振り返った。
何か言いかけて、やめる。
昔からそうだった。
一番大事な言葉だけ、いつも飲み込む。
ドアが閉まる。
電車が動き出す。
窓越しに彼が見える。
ぼやけた光の中で、彼は少しだけ笑っていた。
そのまま電車は闇の向こうへ消える。
残ったのは、静かなホームと、冷えた缶コーヒーだけだった。
私はしばらく動けなかった。
もう帰ろうと思った時、スマホが震える。
彼からだった。
[太字][斜体]《もういいかい》
[/斜体][/太字]
短い文字。
それだけ。
私は画面を見つめたまま、小さく息を吐く。
昔のかくれんぼ。
見つけてほしいくせに、隠れるのが上手かった人。
ホームの蛍光灯が白く滲む。
雨はまだ降らない。
まるで空まで、何かを迷っているみたいだった。
降りそうで降らない夜だった。
湿った風が高架下を抜けて、終電前の駅に冷たく流れ込む。
ホームに並ぶ人たちは皆、疲れ切った顔をしてスマホを見ていた。
誰とも目を合わせないまま、一日を終わらせようとしている。
その空気が、妙に好きだった。
都会には時々、誰にも期待されない静けさがある。
私はそれを知っている。
改札を抜けたところで、スマホが震えた。
短い通知音。
画面には、名前だけ。
[斜体][太字]——《今どこ?》
[/太字][/斜体]
たったそれだけのメッセージ。
句読点もない。
相変わらずだな、と思った。
私は立ち止まったまま数秒考えて、それから返信を打つ。
[太字][斜体]《駅》
[/斜体][/太字]
送信してすぐ、既読がつく。
[斜体][太字]《いた》
[/太字][/斜体]
その直後、背後から声がした。
「ほんとにいた」
振り返る。
黒いコート。
無造作な髪。
少し眠たそうな目。
三年ぶりだった。
「……なにそれ」
思わず笑うと、彼も小さく笑った。
「いや、お前って急にいなくなるから」
「そっちでしょ」
「俺はちゃんといるよ」
「連絡返さないくせに」
「生きてる確認はできるじゃん」
「最低限すぎる」
他愛もない会話だった。
なのに、胸の奥が妙に静かになる。
たぶん私は、この空気を覚えていた。
彼とは、昔付き合っていた。
“昔”と言うには長すぎて、“今”と言うには曖昧な関係。
最初は恋人だった。
ちゃんと好きだと言われたし、私も好きだった。
でも年月が経つにつれて、関係は少しずつ形を失っていった。
仕事が忙しくなって。
会う頻度が減って。
連絡が途切れて。
久しぶりに会っても、前みたいに未来の話をしなくなった。
別れ話はしなかった。
自然消滅、というやつだったのだと思う。
東京にはそういう終わり方がよく似合う。
それでも、彼は時々戻ってきた。
忘れた頃に連絡をしてきて、何事もなかったみたいに「飯行く?」と言う。
私は毎回無視しようとして、結局返信してしまう。
自分でも呆れるくらい、終わりきれなかった。
「飲む?」
彼がコンビニ袋を軽く持ち上げる。
中には缶コーヒーが二本入っていた。
「最初から誘う気だったんだ」
「まあね」
「断ったら?」
「それでも来てた」
「怖」
彼は笑いながら一本を差し出す。
缶の冷たさが手に馴染んだ。
ホームの端にあるベンチへ移動する。
終電前の駅は、不思議と時間が遅い。
アナウンスが遠く響いて、電車のライトが時々線路を流れていく。
「仕事は」
彼が訊く。
「普通。そっちは」
「普通」
「絶対嘘」
「なんで」
「普通な人は深夜に突然呼び出さない」
「会いたかったんだよ」
あまりにも自然に言うから、返事に困る。
昔からそうだった。
彼は大事なことを、冗談みたいに言う。
だから本気なのか逃げなのか分からない。
「……何かあった?」
訊くと、彼は少しだけ黙った。
視線を線路へ向けたまま、缶コーヒーを揺らす。
その沈黙に、胸がざわつく。
「あー……」
彼は小さく息を吐いた。
「転勤」
「え」
「来月」
「どこ」
「仙台」
思ったより遠かった。
私は「へえ」とだけ返す。
それ以上の言葉が出なかった。
彼は昔から、突然どこかへ行く人だった。
大学時代も、卒業旅行だと言って一ヶ月東南アジアを放浪したり、仕事を辞めて海外へ行ったり。
気づけばいなくなっている。
でも、ふと戻ってくる。
まるで渡り鳥みたいに。
「いつ決まったの」
「結構前」
「なんで今言うの」
「今会ったから」
「連絡くらいできたでしょ」
「できたね」
「……腹立つ」
彼は笑った。
悪びれもなく。
その顔を見ていると、怒っている自分が馬鹿みたいになる。
沈黙が落ちる。
ホームを風が抜けた。
遠くで誰かの咳が聞こえる。
「そういえばさ」
彼が突然言う。
「昔、かくれんぼしたよね」
私は眉を寄せた。
「……いつ」
「終電逃した時」
思い出す。
何年も前。
付き合っていた頃。
二人で飲みすぎて終電を逃し、始発まで時間を潰していた夜。
冬だった。
街は静かで、公園には誰もいなかった。
彼が突然、「かくれんぼしよう」と言い出したのだ。
「意味分かんなかった」
「楽しかったじゃん」
「寒かった記憶しかない」
「お前本気で探してたよね」
「当たり前でしょ」
あの日、彼は本当に見つからなかった。
滑り台の裏にもいない。
トイレにもいない。
コンビニにもいない。
十分、二十分。
だんだん腹が立ってきて、帰ろうと思った頃。
彼は、公園の外れの自販機の横にいた。
体育座りをして、ぼんやり空を見ていた。
「なにしてんの」
「待ってた」
「は?」
「見つけてくれるかなって」
その時のことを、なぜか今でも覚えている。
白い息。
自販機の明かり。
真夜中の静かな道路。
あの時から、少しだけ思っていた。
この人はたぶん、“いなくなる側”の人間なんだろうと。
「お前、あの時泣きそうだった」
彼が笑う。
「寒かったから」
「嘘」
「嘘じゃない」
「俺、ちょっと嬉しかったもん」
「何が」
「ちゃんと探してくれたから」
私は返事をしなかった。
できなかった。
ホームに電車が滑り込んでくる。
金属音が夜に響く。
乗客が降りて、また乗っていく。
その流れを、私たちは黙って見ていた。
「……向こう行ったら、戻るの」
「どうだろ」
「曖昧」
「でも東京飽きたんだよね」
彼はそう言って笑った。
でもその笑顔は少し薄かった。
私は知っている。
彼は、何かを失くした時ほど軽く笑う。
「向こうで誰かできるかもね」
冗談っぽく言うと、彼は「かもね」と返した。
その返事が思ったより静かで、胸が少し痛む。
昔なら、こんな会話しなかった。
もっと子どもだった。
未来が永遠に続くと思っていた。
別れなんて、自分たちには関係ないと思っていた。
でも大人になると、終わりは静かに来る。
前触れもなく。
電車の発車ベルが鳴る。
彼が立ち上がった。
「じゃ、乗るわ」
「うん」
「見送り?」
「なんで」
「寂しいかなって」
「自意識過剰」
笑い合う。
なのに、どこか息苦しい。
彼はドアの前で振り返った。
何か言いかけて、やめる。
昔からそうだった。
一番大事な言葉だけ、いつも飲み込む。
ドアが閉まる。
電車が動き出す。
窓越しに彼が見える。
ぼやけた光の中で、彼は少しだけ笑っていた。
そのまま電車は闇の向こうへ消える。
残ったのは、静かなホームと、冷えた缶コーヒーだけだった。
私はしばらく動けなかった。
もう帰ろうと思った時、スマホが震える。
彼からだった。
[太字][斜体]《もういいかい》
[/斜体][/太字]
短い文字。
それだけ。
私は画面を見つめたまま、小さく息を吐く。
昔のかくれんぼ。
見つけてほしいくせに、隠れるのが上手かった人。
ホームの蛍光灯が白く滲む。
雨はまだ降らない。
まるで空まで、何かを迷っているみたいだった。