夜の街は、
もうほとんど音を立てていなかった。
歩くたび、
靴底が地面に触れる音だけが、
ぽつ、ぽつ、と残る。
「…ねむー」
羊夢八生は、
片手で山羊のぬいぐるみを抱え、
もう片方で目をこする。
襟付きのロンTの上に、
ぶかぶかの青紫色のセーター。
少し大きくて、
袖が手の甲を隠している。
「ここもやるん?
…いや、ちがうか」
誰に向けたわけでもない言葉。
でも、
足は自然と止まっていた。
裏道の先。
星みたいなランプが、
ぽわっと光っている。
「…おみせ?」
看板はない。
でも、
あったかそうだった。
理由は、
それだけで十分だった。
カラン。
鈴の音が鳴る。
「…あ」
ぬいぐるみを抱え直して、
小さく頭を下げる。
「い、いらっしゃいませー…じゃなくて」
自分で言って、
少しだけ照れる。
「うちは八生っていうんよ。
よろしく」
「こんにちは。いらっしゃいませ」
カウンターの向こうのマスターは、
いつもと同じ声で迎える。
「山羊座ですね」
「ん。そう」
こくん、と頷く。
カウンターの椅子は、
少し高い。
よじっと座って、
足をぶらぶらさせる。
差し出された紅茶は、
色がやさしくて、
甘い匂いがした。
「…あの」
遠慮がちに、
ぬいぐるみの耳を指でつまむ。
「それ、あまいやつ?」
「ええ」
その一言で、
表情が少しゆるむ。
一口飲んで、
ほっと息を吐く。
「…おいしい、甘いの、すきなんよ」
自然に言葉が出る。
「でもな、
おとなの人って、
がまんするでしょ」
カップを両手で包む。
「あまいの、あとで、って」
少しだけ、
眉が下がる。
「うちもな、
がんばらなって思って」
「ちゃんとせなって」
「ゆっくりやと、
だめな気して」
紅茶の湯気が、
ふわっと揺れる。
「…でも」
声が、
とても小さくなる。
「ねむいときは、
ほんとは、
ねむたいんよ」
マスターは、
何も言わない。
ただ、
カップを温め直す。
「山羊座は」
静かな声。
[大文字][太字][明朝体]「登ることを、
とても大切にする星です」[/明朝体][/太字][/大文字]
八生は、
ぬいぐるみをぎゅっと抱く。
「でも」
続く言葉は、
やわらかかった。
[大文字][太字][明朝体]「登る速さは、
決まっていません」[/明朝体][/太字][/大文字]
「……ほんま?」
「ええ」
「立ち止まっても、
座り込んでも」
眠ってしまっても」
八生の目が、
少し丸くなる。
「…じゃあ」
「うち、
ちょっとだけ、
やすんでもええ?」
「もちろんです」
その返事を聞いた瞬間、
肩の力が抜ける。
「…ねむー」
そう言って、
ぬいぐるみを抱えたまま、
こてん、と前のめりになる。
「んにゃー…」
マスターは、
そっとランプを見る。
星図の壁に、
ゆっくり、確かな線が一本、刻まれた。
高くはない。
けれど、
とても安定した線。
「急がない強さも、
確かにあります」
カラン。
扉が閉まる音は、
いつもより静かだった。
夜は、まだ深い。
次の星は、
自分の速さを、
まだ知らないまま、
でも確かに、
ここへ向かっている。
もうほとんど音を立てていなかった。
歩くたび、
靴底が地面に触れる音だけが、
ぽつ、ぽつ、と残る。
「…ねむー」
羊夢八生は、
片手で山羊のぬいぐるみを抱え、
もう片方で目をこする。
襟付きのロンTの上に、
ぶかぶかの青紫色のセーター。
少し大きくて、
袖が手の甲を隠している。
「ここもやるん?
…いや、ちがうか」
誰に向けたわけでもない言葉。
でも、
足は自然と止まっていた。
裏道の先。
星みたいなランプが、
ぽわっと光っている。
「…おみせ?」
看板はない。
でも、
あったかそうだった。
理由は、
それだけで十分だった。
カラン。
鈴の音が鳴る。
「…あ」
ぬいぐるみを抱え直して、
小さく頭を下げる。
「い、いらっしゃいませー…じゃなくて」
自分で言って、
少しだけ照れる。
「うちは八生っていうんよ。
よろしく」
「こんにちは。いらっしゃいませ」
カウンターの向こうのマスターは、
いつもと同じ声で迎える。
「山羊座ですね」
「ん。そう」
こくん、と頷く。
カウンターの椅子は、
少し高い。
よじっと座って、
足をぶらぶらさせる。
差し出された紅茶は、
色がやさしくて、
甘い匂いがした。
「…あの」
遠慮がちに、
ぬいぐるみの耳を指でつまむ。
「それ、あまいやつ?」
「ええ」
その一言で、
表情が少しゆるむ。
一口飲んで、
ほっと息を吐く。
「…おいしい、甘いの、すきなんよ」
自然に言葉が出る。
「でもな、
おとなの人って、
がまんするでしょ」
カップを両手で包む。
「あまいの、あとで、って」
少しだけ、
眉が下がる。
「うちもな、
がんばらなって思って」
「ちゃんとせなって」
「ゆっくりやと、
だめな気して」
紅茶の湯気が、
ふわっと揺れる。
「…でも」
声が、
とても小さくなる。
「ねむいときは、
ほんとは、
ねむたいんよ」
マスターは、
何も言わない。
ただ、
カップを温め直す。
「山羊座は」
静かな声。
[大文字][太字][明朝体]「登ることを、
とても大切にする星です」[/明朝体][/太字][/大文字]
八生は、
ぬいぐるみをぎゅっと抱く。
「でも」
続く言葉は、
やわらかかった。
[大文字][太字][明朝体]「登る速さは、
決まっていません」[/明朝体][/太字][/大文字]
「……ほんま?」
「ええ」
「立ち止まっても、
座り込んでも」
眠ってしまっても」
八生の目が、
少し丸くなる。
「…じゃあ」
「うち、
ちょっとだけ、
やすんでもええ?」
「もちろんです」
その返事を聞いた瞬間、
肩の力が抜ける。
「…ねむー」
そう言って、
ぬいぐるみを抱えたまま、
こてん、と前のめりになる。
「んにゃー…」
マスターは、
そっとランプを見る。
星図の壁に、
ゆっくり、確かな線が一本、刻まれた。
高くはない。
けれど、
とても安定した線。
「急がない強さも、
確かにあります」
カラン。
扉が閉まる音は、
いつもより静かだった。
夜は、まだ深い。
次の星は、
自分の速さを、
まだ知らないまま、
でも確かに、
ここへ向かっている。
- 1.ティータイムの始まり。
- 2.乙女座 やさしく、つよくなれなくて。
- 3.蟹座 甘さの奥で、息を止めてきた
- 4.牡牛座 余裕の仮面と、足りない甘さ
- 5.山羊座 ゆっくりでいいと、知らなかった
- 6.双子座 言葉が二つに割れたまま
- 7.天秤座 言葉を量る、沈黙の重さは。
- 8.獅子座 微笑みの奥で、拳を握るひと
- 9.射手座 遠くを願い、声を置いてきた
- 10.水瓶座 笑っているあいだは、自由でいられた
- 11.牡羊座 引き受ける勇気と、静かな覚悟
- 12.魚座 仮の笑顔と振り返ってしまったこと
- 13.蟹座 信じられなかった手の、ぬくもりを思い出すまで
- 14.宇宙という名の空を結びに。
- 15.蛇遣い座 13番目になれなくて。
- 16.第二期 惑星たちの夜
- 17.金星 一行の本音は、金星に預けて
- 18.土星 抱え込めてしまった者は、零れ方を知らない
- 19.天王星 光を残す星