文字サイズ変更

愛の輪郭

夜の海は、世界の輪郭を曖昧にする。

波の音だけが繰り返され、
空と海の境界も、
過去と現在の境界も、
生と記憶の境界さえ溶かしていくようだった。

直人は防波堤に腰掛け、煙草に火をつけた。

隣には、澪がいる。

互いに三十を過ぎ、
学生だった頃よりも多くを失い、
多くを知ったはずなのに、
二人の間には今も、答えの出ない沈黙があった。

「人ってさ」

澪が言った。

「選ばなかった人生のこと、忘れられるのかな」

直人は煙を吐き、少し考えた。

「忘れるんじゃなくて、別の場所に積もるんじゃないか」

「別の場所?」

「自分でも見えない場所」

澪は笑った。
だが、その笑みには疲労が滲んでいた。

二人は互いを愛していた。

それは疑いようがなかった。

学生時代、誰より長く話し、
誰より深く理解し合い、
誰より自然に孤独を預けられる相手だった。

だが、二人は結ばれなかった。

直人は「自由」であることを恐れる人間だった。

誰かを選ぶということは、
他の可能性を殺すことだと思っていた。

一方で澪は、
「必要とされること」によってしか、自分の存在を信じられなかった。

だから彼女は病を抱える父のもとへ戻り、
直人は研究のため海外へ渡った。

互いに「行かないで」と言えなかった。

愛とは、相手を縛る権利ではないと知っていたから。

しかし同時に、
愛とは、本来きっと、
「行かないで」と言ってしまう弱さでもあった。

風が吹いた。

遠くの灯台が、一定の間隔で光る。

まるで時間そのものが点滅しているようだった。

「ねえ」

澪が静かに言う。

「もし私たちが結婚してたら、幸せだったと思う?」

直人は答えなかった。

幸福とは結果ではなく、
解釈なのかもしれないと思った。

同じ人生でも、
ある日には祝福に見え、
別の日には失敗に見える。

人間は、現在の感情によって過去を書き換え続ける生き物だ。

だから「もしも」の人生に、真実は存在しない。

存在するのは、
今ここにないものへの想像だけだ。

「たぶん」

直人はようやく口を開いた。

「幸せだったし、不幸でもあったと思う」

澪は少し笑った。

「なにそれ」

「どんな人生でも、そうじゃないかな」

波が砕ける。

世界は意味を持たない。
それなのに人は、
意味を求めずには生きられない。

誰かを愛することも、きっと同じだった。

愛には完成がない。

結ばれたから正しいわけでも、
叶わなかったから間違いなわけでもない。

むしろ人は、
失われることでしか、
愛の輪郭を知れないのかもしれなかった。

澪が立ち上がる。

「帰ろうか」

その言葉に、
終わりの響きはなかった。

始まりもなかった。

ただ時間だけが、
二人を少しずつ別々の場所へ運んでいく。

直人は思う。

人生とは選択の集積ではなく、
選ばれなかった無数の可能性によって形作られているのではないか、と。

今の自分は、
手に入れたものだけで出来ているのではない。

置いてきたもの、
諦めたもの、
言えなかった言葉、
触れなかった未来――

それらの空白によって、
人は「自分」という輪郭を与えられている。

澪が少し先を歩く。

直人はその背中を見つめながら、
ふと理解する。

人は、愛する人と結ばれるためだけに出会うのではない。

たった一人の存在によって、
世界の見え方そのものを変えられてしまう。

そのために出会うこともある。

夜の海は暗い。

それでも波は絶えず岸へ向かう。

届かないものへ向かい続けるその運動だけが、
まるで人間の愛に似ていた。

作者メッセージ

なんかできた⭐︎

でえーっと…

では!

2026/05/23 12:53

コメント

クリップボードにコピーしました

この小説につけられたタグ

通報フォーム

お名前
(任意)
Mailアドレス
(任意)

※入力した場合は確認メールが自動返信されます
違反の種類 ※必須 ※ご自分の小説の削除依頼はできません。
違反内容、削除を依頼したい理由など※必須

盗作されたと思われる作品のタイトル

どういった部分が元作品と類似しているかを具体的に記入して下さい。

※できるだけ具体的に記入してください。

《記入例》
・3ページ目の『~~』という箇所に、禁止されているグロ描写が含まれていました
・「〇〇」という作品の盗作と思われます。登場人物の名前を変えているだけで●●というストーリーや××という設定が同じ
…等

備考欄
※伝言などありましたらこちらへ記入
メールフォーム規約」に同意して送信しますか?※必須
タイトル
URL

この小説の著作権はKanonLOVE @小説家時々詩人時々小説家さんに帰属します

TOP