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母の日に、花が落ちた

母の日の前日、母が少しだけ若返った。

もちろん、本当に若返ったわけではない。

ただ、夕暮れの台所で笑う横顔が、幼い頃の記憶と重なって見えただけだ。

「そんな顔して、どうしたの」

流し台の前で味噌汁をよそいながら、母が言った。

遥は首を振った。

「別に」

嘘だった。

本当は、怖かったのだ。

母が老いていくことが。

去年まで軽々と持っていた鍋を、最近は両手で持つようになったこと。
眼鏡を探す時間が増えたこと。
階段を下りる足音が、少し遅くなったこと。

人は、こうして静かに遠ざかっていく。

それを知ってしまった。

食卓には、鯖の味噌煮と卵焼き。
どれも昔から変わらない味だった。

「明日には帰るんでしょ?」

「うん」

「忙しいんだから、無理して来なくてよかったのに」

母はそう言って笑った。

遥は箸を止めた。

来年も、この食卓はあるだろうか。

再来年は。

五年後は。

そんなことを考えてしまう年齢になっていた。

夜、実家の縁側に出ると、庭の夏椿が白く咲いていた。

子どもの頃、母はよく言っていた。

「この花ね、一日で落ちちゃうの」

朝に咲いて、夜には落ちる花。

それでも毎年、季節になれば静かに咲く。

遥は縁側に座ったまま、庭を眺めていた。

しばらくして、母が隣に腰を下ろす。

「東京、楽しい?」

「……どうだろ」

「そっか」

母は追及しなかった。

昔からそうだった。

遥が話したくないことを、無理に聞かない人だった。

沈黙の中で、風だけが木を揺らしていた。

やがて母が、小さく笑う。

「遥が小さい頃ね、母の日に折り紙くれたの覚えてる?」

「……そんなのあったっけ」

「あるよ。まだ取ってある」

恥ずかしくなって、遥は顔をしかめた。

母は楽しそうに続ける。

「“まま いつもありがとう”って書いてあった」

その瞬間、胸の奥が少し痛んだ。

ありがとう。

大人になるほど、その言葉は減っていく。

照れくさいから。
今さらだから。
言わなくてもわかると思うから。

でも本当は、言葉にしなければ消えてしまうものがある。

庭で、夏椿がひとつ落ちた。

音もなく。

白い花は、落ちてもなお綺麗だった。

遥は夜空を見上げた。

星は見えなかった。

けれど雲の向こうに、確かに光があることを知っていた。

「お母さん」

「ん?」

遥は少し迷ってから、笑った。

「いつも、ありがとう」

母は驚いた顔をして、それから静かに笑った。

「こちらこそ」

風が吹いた。

どこかで、また花が落ちた。

季節はいつか終わる。

人もいつかいなくなる。

だからきっと、愛情は美しい。

消えてしまうものに、人は名前をつけて、大事に抱きしめるのだ。

作者メッセージ

詩の投稿は少しお待ちください!

お母さん、いつもありがとう!

では!

2026/05/10 18:00

KanonLOVE
ID:≫ n00YEDEqgv6kY
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