森は、音を立てなかった。
風はあるのに、葉は揺れず、
世界そのものが息を潜めているみたいだった。
その中心に、ひとりの少女が立っている。
黒いパーカーに、少し大きめのジーンズ。
白いスニーカーは、土に汚れているのに、
本人は気にも留めていない様子だった。
手の中には、翡翠。
深く、静かな緑。
光を主張しないのに、確かにそこにある色。
「…こんにちは」
少女は、先に声を出した。
「髙柳茉冬です。よろしくお願いします」
言葉は丁寧で、無駄がない。
それは礼儀というより、距離の取り方だった。
魔女は、少しだけ首を傾ける。
「ここで、何をしているの?」
「…見張りです」
即答だった。
「誰かに頼まれたわけではありません。
私が、そうするべきだと思っただけです」
翡翠が、かすかに光る。
でも、その光は外へ向かない。
内側に、沈み込むような輝きだった。
魔女は、少女の隣に立つ。
森の奥を、一緒に見る。
「疲れない?」
「…慣れています」
少しの間。
「疲れていない、とは言いません」
その訂正が、茉冬らしかった。
「貴方は、守る側ね」
魔女がそう言うと、
茉冬の指が、翡翠を握り直す。
「…はい」
否定しない。
「でも」
魔女は、続ける。
「あなたが守っているのは、
本当に[太字]“誰か”[/太字]かしら」
沈黙。
森の奥で、枝が一本、静かに折れた。
「…分かりません」
茉冬は、目を伏せる。
「守護者だから、守る。
優等生だから、期待に応える。
冷静だから、感情を出さない」
一つひとつ、整理するように言う。
「そうしていれば、問題は起きません。
誰も困りません」
「あなたは?」
魔女の声は、低い。
「…私は」
言葉が、止まる。
翡翠の緑が、わずかに揺れた。
「私は、
何を守りたいのか、分からなくなります」
それは告白だった。
魔女は、翡翠を見る。
「この宝石はね」
静かに言う。
「癒しの石。でも同時に、
“境界”を作る石でもあるわ」
茉冬は、顔を上げる。
[太字][明朝体]「守るために、距離を引く。
自分を傷つけないために、役割を演じる」[/明朝体][/太字]
翡翠は、深く、深く光る。
「それは、弱さじゃない」
魔女は、茉冬を見る。
「でもね。
守ることばかり続けていると、
[太字]“守られていい存在”[/太字]であることを、忘れてしまう」
茉冬の胸が、少しだけ苦しくなる。
「…私は、守られる側じゃありません」
反射的に言った。
魔女は、否定しない。
「今は、そうね」
そして、こう続ける。
「でも、翡翠は[太字]“壊れない石”[/太字]じゃない。
丁寧に扱われて、初めて、その静けさを保てる」
風が、ようやく葉を揺らした。
「…翡翠、綺麗だな」
茉冬は、小さくつぶやく。
「癒される」
それは、誰かに言うための言葉じゃない。
自分のための、確認だった。
「私」
少し迷ってから、続ける。
「完璧でいなくても、いいんでしょうか」
魔女は、即答しない。
その代わり、こう言った。
[太字][大文字][明朝体]「守る理由を、
“義務”から“選択”に変えられたら」[/明朝体][/大文字][/太字]
翡翠が、淡く光る。
「それだけで、色は違って見えるわ」
茉冬は、しばらく宝石を見つめていた。
深い緑。
揺れないようでいて、確かに変わっている。
「…私は、ここに残ります」
「ええ」
魔女はうなずく。
「静かな場所が、必要な人もいる」
別れ際、茉冬は言った。
「貴方は、名前を聞かないんですね」
魔女は、少しだけ笑う。
「必要になったら、風が教えてくれるから」
魔女は、森を出ていく。
茉冬は、見送らない。
ただ、翡翠を胸に当てる。
守ること。
演じること。
そして、少しだけ、自分を緩めること。
静かな緑は、今日も光っている。
完全じゃなくても、
役割の中に閉じこもっていても。
それでも—
翡翠は、確かにここにある。
風はあるのに、葉は揺れず、
世界そのものが息を潜めているみたいだった。
その中心に、ひとりの少女が立っている。
黒いパーカーに、少し大きめのジーンズ。
白いスニーカーは、土に汚れているのに、
本人は気にも留めていない様子だった。
手の中には、翡翠。
深く、静かな緑。
光を主張しないのに、確かにそこにある色。
「…こんにちは」
少女は、先に声を出した。
「髙柳茉冬です。よろしくお願いします」
言葉は丁寧で、無駄がない。
それは礼儀というより、距離の取り方だった。
魔女は、少しだけ首を傾ける。
「ここで、何をしているの?」
「…見張りです」
即答だった。
「誰かに頼まれたわけではありません。
私が、そうするべきだと思っただけです」
翡翠が、かすかに光る。
でも、その光は外へ向かない。
内側に、沈み込むような輝きだった。
魔女は、少女の隣に立つ。
森の奥を、一緒に見る。
「疲れない?」
「…慣れています」
少しの間。
「疲れていない、とは言いません」
その訂正が、茉冬らしかった。
「貴方は、守る側ね」
魔女がそう言うと、
茉冬の指が、翡翠を握り直す。
「…はい」
否定しない。
「でも」
魔女は、続ける。
「あなたが守っているのは、
本当に[太字]“誰か”[/太字]かしら」
沈黙。
森の奥で、枝が一本、静かに折れた。
「…分かりません」
茉冬は、目を伏せる。
「守護者だから、守る。
優等生だから、期待に応える。
冷静だから、感情を出さない」
一つひとつ、整理するように言う。
「そうしていれば、問題は起きません。
誰も困りません」
「あなたは?」
魔女の声は、低い。
「…私は」
言葉が、止まる。
翡翠の緑が、わずかに揺れた。
「私は、
何を守りたいのか、分からなくなります」
それは告白だった。
魔女は、翡翠を見る。
「この宝石はね」
静かに言う。
「癒しの石。でも同時に、
“境界”を作る石でもあるわ」
茉冬は、顔を上げる。
[太字][明朝体]「守るために、距離を引く。
自分を傷つけないために、役割を演じる」[/明朝体][/太字]
翡翠は、深く、深く光る。
「それは、弱さじゃない」
魔女は、茉冬を見る。
「でもね。
守ることばかり続けていると、
[太字]“守られていい存在”[/太字]であることを、忘れてしまう」
茉冬の胸が、少しだけ苦しくなる。
「…私は、守られる側じゃありません」
反射的に言った。
魔女は、否定しない。
「今は、そうね」
そして、こう続ける。
「でも、翡翠は[太字]“壊れない石”[/太字]じゃない。
丁寧に扱われて、初めて、その静けさを保てる」
風が、ようやく葉を揺らした。
「…翡翠、綺麗だな」
茉冬は、小さくつぶやく。
「癒される」
それは、誰かに言うための言葉じゃない。
自分のための、確認だった。
「私」
少し迷ってから、続ける。
「完璧でいなくても、いいんでしょうか」
魔女は、即答しない。
その代わり、こう言った。
[太字][大文字][明朝体]「守る理由を、
“義務”から“選択”に変えられたら」[/明朝体][/大文字][/太字]
翡翠が、淡く光る。
「それだけで、色は違って見えるわ」
茉冬は、しばらく宝石を見つめていた。
深い緑。
揺れないようでいて、確かに変わっている。
「…私は、ここに残ります」
「ええ」
魔女はうなずく。
「静かな場所が、必要な人もいる」
別れ際、茉冬は言った。
「貴方は、名前を聞かないんですね」
魔女は、少しだけ笑う。
「必要になったら、風が教えてくれるから」
魔女は、森を出ていく。
茉冬は、見送らない。
ただ、翡翠を胸に当てる。
守ること。
演じること。
そして、少しだけ、自分を緩めること。
静かな緑は、今日も光っている。
完全じゃなくても、
役割の中に閉じこもっていても。
それでも—
翡翠は、確かにここにある。