彼女の数学は平面を信じた日から始まり、立体が証明になって終わった
数学は、
ノートの上ではいつも平らだった。
点があって、
線が引かれて、
面が生まれる。
すべては、
見下ろせる場所にある。
私は、
その安心感が好きだった。
全体を一度に把握できること。
見えない部分が、
存在しないこと。
平面には、
裏側がない。
立体幾何に入った日、
その前提は崩れた。
先生は黒板に、
直方体を描いた。
正確なはずの線は、
嘘をついていた。
奥行きは、
存在するのに描けない。
「これは、
三次元を二次元に落とした図です」
落とす。
削る。
失う。
その言葉が、
やけに現実的に聞こえた。
見えない面は、
存在しないのではなく、
こちらを向いていないだけ。
私はノートに、
小さく立方体を描いた。
面を一枚一枚、
番号で埋めていく。
一、二、三。
四、五、六。
すべてある。
でも同時には見えない。
「人も、
立体なのかもしれない」
ふと、
そんな考えが浮かんだ。
正面だけで、
判断される存在。
背面や内部は、
想像に任される。
投影図の問題で、
私はよく間違えた。
正面図。
平面図。
側面図。
どれも正しい。
なのに、
組み立てると
別の形になる。
部分的な正解は、
全体の正解を保証しない。
「ここが、
見えていますか?」
先生は言う。
見えているか。
それが、
評価基準だった。
でも私は思った。
見えていない部分ほど、
形を決めているのではないか。
中空。
切断。
断面。
立体は、
内部を持つ。
切って初めて、
現れる形。
それは、
傷つけないと
理解できないということだ。
私は、
理解したくなかった。
展開図の問題が、
一番苦手だった。
広げた瞬間、
立体は失われる。
正しい配置でも、
折り間違えれば、
元には戻らない。
一度ほどいたものは、
もう同じにはならない。
それでも、
答えは一つだと
言われる。
展開図は、
未来の形を約束する。
でも本当は、
折られるまでは、
どんな立体にもなれる。
未定形の自由。
ある日、
多面体の定理を習った。
面の数。
辺の数。
頂点の数。
すべてを足して引いて、
必ず同じ数になる。
どんな形でも、
どんなに歪んでも。
「不変量です」
先生は、
誇らしげに言った。
私はその言葉に、
少しだけ救われた。
見え方が変わっても、
切られても、
回されても。
壊れないものが、
確かにある。
それは、
証明できる安心だった。
彼女は、
立体を信じるようになった。
見えない面があっても、
存在を疑わないこと。
触れられなくても、
内部を想像すること。
平面では、
人は説明できない。
彼女の数学は、
平面を信じた日から始まり、
立体が証明になって終わった。
今日も私は、
誰かの正面だけを見て、
全体を分かったつもりになる。
でも心のどこかで、
必ず裏側があると
思うようにしている。
見えないからこそ、
存在するものがある。
それを否定しないことが、
私にとっての数学だった。
ノートの上ではいつも平らだった。
点があって、
線が引かれて、
面が生まれる。
すべては、
見下ろせる場所にある。
私は、
その安心感が好きだった。
全体を一度に把握できること。
見えない部分が、
存在しないこと。
平面には、
裏側がない。
立体幾何に入った日、
その前提は崩れた。
先生は黒板に、
直方体を描いた。
正確なはずの線は、
嘘をついていた。
奥行きは、
存在するのに描けない。
「これは、
三次元を二次元に落とした図です」
落とす。
削る。
失う。
その言葉が、
やけに現実的に聞こえた。
見えない面は、
存在しないのではなく、
こちらを向いていないだけ。
私はノートに、
小さく立方体を描いた。
面を一枚一枚、
番号で埋めていく。
一、二、三。
四、五、六。
すべてある。
でも同時には見えない。
「人も、
立体なのかもしれない」
ふと、
そんな考えが浮かんだ。
正面だけで、
判断される存在。
背面や内部は、
想像に任される。
投影図の問題で、
私はよく間違えた。
正面図。
平面図。
側面図。
どれも正しい。
なのに、
組み立てると
別の形になる。
部分的な正解は、
全体の正解を保証しない。
「ここが、
見えていますか?」
先生は言う。
見えているか。
それが、
評価基準だった。
でも私は思った。
見えていない部分ほど、
形を決めているのではないか。
中空。
切断。
断面。
立体は、
内部を持つ。
切って初めて、
現れる形。
それは、
傷つけないと
理解できないということだ。
私は、
理解したくなかった。
展開図の問題が、
一番苦手だった。
広げた瞬間、
立体は失われる。
正しい配置でも、
折り間違えれば、
元には戻らない。
一度ほどいたものは、
もう同じにはならない。
それでも、
答えは一つだと
言われる。
展開図は、
未来の形を約束する。
でも本当は、
折られるまでは、
どんな立体にもなれる。
未定形の自由。
ある日、
多面体の定理を習った。
面の数。
辺の数。
頂点の数。
すべてを足して引いて、
必ず同じ数になる。
どんな形でも、
どんなに歪んでも。
「不変量です」
先生は、
誇らしげに言った。
私はその言葉に、
少しだけ救われた。
見え方が変わっても、
切られても、
回されても。
壊れないものが、
確かにある。
それは、
証明できる安心だった。
彼女は、
立体を信じるようになった。
見えない面があっても、
存在を疑わないこと。
触れられなくても、
内部を想像すること。
平面では、
人は説明できない。
彼女の数学は、
平面を信じた日から始まり、
立体が証明になって終わった。
今日も私は、
誰かの正面だけを見て、
全体を分かったつもりになる。
でも心のどこかで、
必ず裏側があると
思うようにしている。
見えないからこそ、
存在するものがある。
それを否定しないことが、
私にとっての数学だった。
クリップボードにコピーしました