神様が作り損ねた、心臓の欠片
#1
硝子の胸郭
放課後の教室は、西日に焼かれた埃が金色の粒子となって舞い、ひどく静まり返っていた。
クラスメイトたちが部活動や遊びに繰り出し、喧騒が遠のいた後の空間。私は、忘れた筆箱を取りに戻っただけの、本来ならそこにいるはずのない存在だった。だから、見てしまった。窓際の特等席で、この世の誰よりも「完璧」だと称される少年が、音もなく崩れ落ちる瞬間を。
綾瀬唯。
その名を知らない生徒はいない。セットなどしていないのに羽のように整った黒髪。日本人離れした長い睫毛が落とす影は、陶器のように白い頬に繊細なコントラストを描いている。女子が憧れるモデルのような細身の体躯は、制服越しでもわかるほど華奢で、特にその指先の美しさは、ページを捲る仕草だけで一つの芸術品のようだった。
普段の彼は、カーストの頂点に君臨する男子たちからも一目置かれ、女子たちからは羨望と、そして「告白しても即座に振られる」という冷徹さへの僅かな反感の混じった視線を浴びている。
けれど、今の彼に、いつもの超然とした気高さはなかった。
「……っ、あ……」
椅子から滑り落ちるように床に膝をついた彼の指先が、純白のワイシャツの胸元を強く掴んだ。アイロンの効いた生地が無惨に歪み、細い指の関節が白く浮き出る。
彼は心臓を押さえていた。
苦痛に歪むその表情は、あまりに凄惨で、同時に息を呑むほどに美しかった。長い睫毛が震え、硬く閉じられた瞼の端から、熱を帯びた涙がひとしずく溢れて頬を伝う。人形のように整った顔が、耐え難い拍動に苛まれ、紅潮と蒼白を交互に繰り返している。
「はっ……は、く……っ」
薄い唇から漏れるのは、酸素を求めて喘ぐ、ひどく脆い呼気だ。彼が呼吸を繰り返すたび、その細い腰が、しなやかな背骨が、弓なりにしなって痙攣する。まるで、その華奢な胸郭の内側で、制御不能になった荒々しい生き物が暴れ回っているかのようだった。
彼は床に突いた左手を震わせ、必死に自分を支えようとしている。だが、節の目立たない綺麗な指は、冷たい床の上を力なく彷徨うばかりだ。
西日が彼の輪郭を黄金色に縁取り、苦しみに悶える姿を神聖な儀式のように照らし出している。
クラスの誰にも見せず、一人きりで抱えてきたであろう、この「死」の気配。
彼は、一軍の友人たちに見せる無邪気な笑顔も、告白を切り捨てる冷淡な仮面もすべて剥ぎ取られ、ただ一人の、壊れそうな少年としてそこにいた。心臓を抉り取るような痛みに耐えかねたのか、彼の身体が大きく折れ曲がる。
喉の奥から絞り出された、言葉にならない掠れた声。
「……だれ、か……」
その弱々しい呟きが、静寂に沈んだ教室に、呪文のように響き渡った。
クラスメイトたちが部活動や遊びに繰り出し、喧騒が遠のいた後の空間。私は、忘れた筆箱を取りに戻っただけの、本来ならそこにいるはずのない存在だった。だから、見てしまった。窓際の特等席で、この世の誰よりも「完璧」だと称される少年が、音もなく崩れ落ちる瞬間を。
綾瀬唯。
その名を知らない生徒はいない。セットなどしていないのに羽のように整った黒髪。日本人離れした長い睫毛が落とす影は、陶器のように白い頬に繊細なコントラストを描いている。女子が憧れるモデルのような細身の体躯は、制服越しでもわかるほど華奢で、特にその指先の美しさは、ページを捲る仕草だけで一つの芸術品のようだった。
普段の彼は、カーストの頂点に君臨する男子たちからも一目置かれ、女子たちからは羨望と、そして「告白しても即座に振られる」という冷徹さへの僅かな反感の混じった視線を浴びている。
けれど、今の彼に、いつもの超然とした気高さはなかった。
「……っ、あ……」
椅子から滑り落ちるように床に膝をついた彼の指先が、純白のワイシャツの胸元を強く掴んだ。アイロンの効いた生地が無惨に歪み、細い指の関節が白く浮き出る。
彼は心臓を押さえていた。
苦痛に歪むその表情は、あまりに凄惨で、同時に息を呑むほどに美しかった。長い睫毛が震え、硬く閉じられた瞼の端から、熱を帯びた涙がひとしずく溢れて頬を伝う。人形のように整った顔が、耐え難い拍動に苛まれ、紅潮と蒼白を交互に繰り返している。
「はっ……は、く……っ」
薄い唇から漏れるのは、酸素を求めて喘ぐ、ひどく脆い呼気だ。彼が呼吸を繰り返すたび、その細い腰が、しなやかな背骨が、弓なりにしなって痙攣する。まるで、その華奢な胸郭の内側で、制御不能になった荒々しい生き物が暴れ回っているかのようだった。
彼は床に突いた左手を震わせ、必死に自分を支えようとしている。だが、節の目立たない綺麗な指は、冷たい床の上を力なく彷徨うばかりだ。
西日が彼の輪郭を黄金色に縁取り、苦しみに悶える姿を神聖な儀式のように照らし出している。
クラスの誰にも見せず、一人きりで抱えてきたであろう、この「死」の気配。
彼は、一軍の友人たちに見せる無邪気な笑顔も、告白を切り捨てる冷淡な仮面もすべて剥ぎ取られ、ただ一人の、壊れそうな少年としてそこにいた。心臓を抉り取るような痛みに耐えかねたのか、彼の身体が大きく折れ曲がる。
喉の奥から絞り出された、言葉にならない掠れた声。
「……だれ、か……」
その弱々しい呟きが、静寂に沈んだ教室に、呪文のように響き渡った。