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放送部入ってるんですけどNコンには出ないので想像です。
私達の夢は絶対に叶う! (シリーズ化 放送部版)
キイイイイイイイイン
ヘッドホンから漏れる、鼓膜を突き刺すような甲高いテストトーン。
桜の花が咲き乱れる季節。
春の全国高校放送コンテスト・決勝戦、場所はーー
聖地、東京・渋谷のNHKホール!!
「ーー以上をもちまして、アナウンス部門・最優秀賞、蒼穹学園高校、3年、如月怜奈さん」
ステージの上で、割れんばかりの拍手を浴びながら美しく微笑む怜奈先輩。
彼女の発する一言一言は、ホール全体の空気を震わせ、聴く者すべての心を奪う圧倒的な「音の芸術」だった。
全国の頂点に立ち、美しく引退していった怜奈先輩。
その後を引き継ぎ、新チームの「4番(チーフアナウンサー)」に指名されたのは、高校2年生の私、音羽結衣だった。
あれから、あっという間に3ヶ月が経とうとしていた。
正直、夏の「NHK杯全国高校放送コンテスト(Nコン)」まであまり時間がない。
7月になれば本格的に発声の追い込みと番組制作の徹夜作業に入り、あっという間に8月になり、全国大会が始まる。
「1年、2年集合ーー」
部室に響き渡る、よく通る大きな声。2年の、、、3年の部長、響先輩が号令をかける。
「はい!」
大きな声が響き渡る放課後の放送室。
機材のコードが複雑に入り組み、遮音壁に囲まれたこの狭い空間も、来年には立つこともないと考えると胸の奥が寂しくなる。
「みんな、春の全国優勝に甘えるなよ!
夏のNコンは、全国のどの強豪校も死に物狂いで私達を倒しにくる。もう一度、あのNHKホールのステージを踏むぞ!」
「おーーっ!」
響先輩の力強い声に、部員の士気が一気に跳ね上がる。
偉大な怜奈先輩の背中は遠い。4番マイクを握るプレッシャーがないと言えば嘘になる。
でも、響先輩たち3年生にとって、これが泣いても笑っても最後の夏なのだ。
絶対に私の声で、もう一度みんなを全国へ連れていく。
そう強く拳を握りしめた、その時だった。
(……あれ?)
頭の芯が、ぐらりと揺れた。
視界が一瞬だけ白く歪み、防音室の壁がぐにゃりと傾くような感覚に襲われる。
慌ててアナウンス原稿の載った机にしがみついたけれど、額からは冷たい汗がじわりと流れ落ちていた。
最近、どうも体の調子がおかしい。
いつも通るはずの発声が、急に喉に鉛が詰まったように重く感じられたり、少し原稿を読むだけで異常に息が切れたりする。
でも、今は7月。本格的な夏が始まろうとしているのだ。きっとただの夏バテ、少し疲れが溜まっているだけ。せっかくチーフアナウンサーを任せてもらったのに、こんなところで弱音なんて吐けるわけがない。
「結衣先輩っ!」
不意に、後ろから私の制服の裾をきゅっと引っ張る気配がした。
振り返ると、1年生の紬が、くりくりとした大きな目を輝かせてこちらを見上げていた。
紬は今年入ってきたルーキーで、小柄な体からは想像もつかないような、芯のある凛とした美声を響かせる、
ずば抜けたアナウンス才能の持ち主だ。なぜか私のことを熱烈に慕ってくれていて、
練習中もいつもトコトコと私の後ろをペンギンのように随いて回っている。
「結衣先輩、今日の原稿読み、また私のアクセントと鼻濁音を見てもらってもいいですか?
先輩みたいに、もっと聴く人の心に真っ直ぐ届く、綺麗で強いアナウンスがしたいんです!」
無邪気に笑う紬の笑顔を見ていたら、
さっきまでの目眩(めまい)が嘘のように消えていく気がした。
「もちろん。紬はもっと腹式呼吸を意識すれば、私なんかよりずっと遠くまで響く声になるよ」
「えへへ、ありがとうございます!
私、結衣先輩の後ろを任せてもらえるような、新チームの5番(エースアナウンサー)になれるように、いっぱい練習します!」
紬の頭を優しく撫でながら、私は胸の奥で、小さく息を吐いた。
大丈夫。この子がいれば、大丈夫。
もしも……もしも私の体に、これ以上マイクの前で声が出せなくなるような何かが起きたとしても。
このずば抜けた才能を持つ紬が、きっと私の代わりに放送部の未来を引っ張ってくれる。
「よし、機材立ち上げて! 紬、絶対に夏も全国行くよ!」
「はいっ、結衣先輩!」
自分の体に忍び寄る影から目を背けるように、
私は紬の小さな手を引き、大好きなミキシングコンソールのあるスタジオへと駆け出した。
カンカンと照りつける7月の太陽が、容赦なく校舎を焦がしていた。
他部の練習の声、蝉の鳴き声。
ついに、夏の全国高校放送コンテスト・地方予選の第1回戦が幕を開けた。
会場である市民ホールの楽屋には、独特の緊張感が張り詰めている。
[太字]『アナウンス部門、エントリーナンバー12番。蒼穹学園高校、2年、音羽結衣さん』[/太字]
ステージの袖から、私の名前を呼ぶアナウンスが会場に響く。
新チームの命運を分ける、最初の予選の壇上。これ以上ないプレッシャーがかかる瞬間だった。
「結衣先輩! 絶対にいつも通りの声を出してください! 後ろは私が繋ぎますから!」
袖の待機席から、5番の紬が台本を両手に持って、ちぎれんばかりにブンブンと振っている。その必死で健気な姿に、自然と口元が緩んだ。
(大丈夫。紬のためにも、ここで完璧なアナウンスを繋ぐんだ)
そう思ってパイプ椅子から立ち上がった、その瞬間。
心臓がドクン、と大きく跳ねた。
「っ……あ……」
急激に視界が遮られ、目の前が真っ白になる。
呼吸がうまくできない。肺に冷たい塊が居座っているように息が苦しく、足の先から力がスーッと抜けていく。原稿を持った両手が、自分のものじゃないみたいに激しく震えていた。
(嘘でしょ……今、このタイミングで……!?)
「音羽さん、大丈夫ですか? 順番、少し遅らせますか?」
舞台監督のスタッフが心配そうに声をかけてくる。袖のベンチからも、部長の響先輩が何かを察したように腰を浮かせかけるのが見えた。
ここで止まったら、みんなにバレてしまう。
私の夏が終わってしまう。
「……いいえ、大丈夫です!」
私は無理やり笑顔を作り、大きく足を踏出してステージのセンター、マイクの前へと向かった。
原稿をギュッと握り直す。手のひらは冷や汗でびっしょりだった。
急性白血病ーー。
大会の一週間前、体のだるさに耐えかねてこっそり行った病院で告げられた病名。
医師からは「即刻入院して治療を始めないと、命の保証はない」と強く詰め寄られた。
だけど、私の頭に浮かんだのは、泣いても笑ってもこれが最後の夏になる響先輩たちの顔。そして、「結衣先輩の5番を打ちます!」とマイクの前で目を輝かせてくれた紬の笑顔だった。
私の命なんて、どうなったっていい。
この夏だけ、この大会が終わるまでだけでいいから、私の声を、喉を動かして。
みんなと一緒に、あのNHKホールへ行くんだ。
[太字]『私達の夢は、絶対に叶う!』[/太字]
心の中で、呪文のように何度も何度も繰り返す。
ステージのスポットライトが眩しい。
マイクの前に立つ。並んだ文字が、視界の中でぐにゃりと歪んで3つに見えた。
(真ん中の、一番光っている文字をーー読む!)
ただそれだけを信じて、私は残された全ての力を肺に込め、泥臭く、しかし誰よりも美しい声をマイクに叩きつけた。
「ーー以上で、私の発表を終わります」
言い切った瞬間、会場全体が割れんばかりの拍さに包まれた。
そして、ドラマは怒涛の勢いで進んでいった。
夏の地方予選、決勝戦。最後の最後まで声を枯らし、全員の番組をアナウンスで支えきり、私達はついに、夏の全国大会(NHKホール)への切符を掴み取ったのだ。
「やったぁぁぁ! 結衣先輩、東京ですよ! NHKホールです!」
5番の紬が、涙で顔をくしゃくしゃにしながらステージ裏へ走ってくる。
響先輩たち3年生も飛び出し、みんなで歓喜の輪を作って抱き合った。
「みんな……やったね……!」
私もみんなと抱き合い、飛び跳ねて喜んだ。
微熱と怠さに耐えながら、限界を超えて声を出したその瞬間、私の中で張り詰めていた最後の糸が、音を立てて千切れた。
ガクン、と膝の力が抜ける。
ホールの天井がぐるりと回転し、目の前が真っ白な闇に包まれていく。
「え……? 結衣先輩……?」
紬の焦ったような声が遠くに聞こえる。
倒れゆく私を、紬と響先輩が慌てて抱きとめた。みんなの制服から、夏の熱い匂いがする。
「結衣! しっかりしろ! 結衣!!」
響先輩の叫び声を聞きながら、私はただ、暗くなっていく視界の中で微笑むことしかできなかった。
ごめんね、みんな。私の身体、ここまでしか持たなかったみたい。
でも、約束は守ったよ。みんなを、あのステージに連れていくっていう、約束ーー。
そのまま私の意識は、深い闇の底へと落ちていった。
(NHKホールのステージでは、結衣の代わりに4番アナウンスに入った紬が、涙を流しながら戦い続けていたーー)
熱気が渦巻く、渋谷のNHKホール。
悲願の全国大会、その決勝戦の舞台に、私達のチームの姿があった。
けれど、そこに「4番チーフ・音羽結衣」の姿はない。
本番直前。楽屋裏にある固定電話が激しく鳴り響いた。
受話器を取った顧問の先生の手が、見る見るうちに震えだす。楽屋に戻ってきた先生の顔は、幽霊のように真っ白だった。
「みんな、落ち着いて聞いてくれ……」
先生の声は、今にも消え入りそうだった。
「今、病院から連絡があった。音羽が……結衣は急性白血病で無理をしてたそうだ。お前たちに心配をかけまいと、ずっと隠して……」
その言葉が響いた瞬間、楽屋の空気が凍りついた。
「嘘……でしょ……?」
紬が手に持っていたマイクを床に落とした。カララン、と虚しい音が響く。
響先輩は、溢れ出てくる涙を制服の袖で必死に拭おうとしたが、涙は次から次へと溢れて止まらない。他の部員たちも、声を殺して泣き崩れた。
ずっと夏バテだと思っていた結衣の体調不良。それが、命を脅かす重い病気だったなんて、誰も知らなかった。結衣は、自分が死ぬかもしれないと知りながら、私達のために命を削って声を出し続けていたのだ。
「……泣くな!!」
楽屋に、響先輩の血を吐くような叫び声が響いた。
響先輩は、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、紬の肩を強く掴んだ。
「結衣は、病院のベッドで今も戦ってる! 結果を待ってるんだよ! 私達がここで泣き崩れてどうするの! 結衣に、私達の全国最優秀賞を届けるんでしょ!!」
「う、あ……うわぁぁぁん!」
紬は響先輩の胸に顔を埋めて大声を上げて泣いた。
ひとしきり泣いた後、紬は赤い目で、結衣がいつも使っていた、あの使い古されたマイマイクを強く抱きしめた。
「……行こう。結衣先輩に、私達の『声』を届けるんだ」
ベルの音が、ホールの舞台裏に鳴り響く。本番の合図だ。
部員たちは全員、涙の跡が残る顔を袖でゴシゴシと拭い、
前を向いた。結衣の想いが、遺された全員の身体に、確かに乗り移っていた。
ステージへ飛び出していく紬の胸には、
結衣の代わりに「4番」の責任が輝いている。
[太字]『私達の夢は、絶対に叶う!』[/太字]
白い天井。静かに響く、規則的な心電図の音。
病院のベッドの上で、私はかろうじて目を開けていた。
もう指一本動かす力も残っていない。視界はかすみ、意識は今にも遠いどこかへ飛んでいってしまいそうだった。
そんな私のベッドの傍らには、一人の女性がずっと付き添っていた。
「結衣、がんばれ……! みんな、今決勝のアナウンスが終わったよ。紬ちゃん、最高の発表をしたよ!」
そう言って私の冷たくなった手を握りしめてくれたのは、春に引退したはずの怜奈先輩だった。先輩の綺麗な目からは、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちて、私の手の甲を濡らしている。
病室の小さなテレビには、生中継されているNHKホールの決勝戦が映し出されていた。
みんな、戦っている。私のマイクを持った紬が、涙を堪えながらステージの中央に立っている。
「つ、む、ぎ……」
声にはならなかった。でも、私の目からも、一筋の涙が耳に向かって伝い落ちた。
審査は終盤に向かっていく。私の意識が遠のくたびに、怜奈先輩が「結衣! 目を開けて! あと少しだから!」と声を張り上げる。
そして、その瞬間は訪れた。
[大文字]『ーーアナウンス部門、最優秀賞。蒼穹学園高校!!』[/大文字]
テレビから割れんばかりの歓声と拍手が響く。画面の向こうで、響先輩も、紬も、全員が泣きながら抱き合っているのが見えた。
(よかった……みんな……夢、叶ったね……)
みんなの最高の笑顔を見届けた瞬間、私の中で張り詰めていた最後の糸が、静かに切れた。
心電図の音が、ピーーーという長い電子音に変わる。
「結衣? 結衣!! 嘘でしょ、目を開けてよ結衣ぃぃぃ!!」
泣き叫ぶ怜奈先輩の声を聞きながら、私の視界はゆっくりと、あの日みんなで目指した、どこまでも高い全国の空へと溶けていった。
「結衣先輩!!! 勝ちました!!! 日本一ですよ!!!」
バシャァン!と音を立てて、病室のドアが勢いよく開いた。
入ってきたのは、汗と涙が染み付いた制服姿の紬だった。表彰式が終わるやいなや、賞状とトロフィーを抱えたまま、新幹線を飛ばして病院へと駆けつけてきたのだ。
後ろからは、響先輩たち3年生も、息を切らしながらなだれ込んでくる。
みんなの顔には、まだ全国大会の興奮と、最高の笑顔が残っていた。
「結衣、約束通り賞状持ってきたぞ……って、あれ……?」
響先輩の声が、ピタリと止まった。
病室の中は、ひっそりと静まり返っていた。
ベッドの横で、怜奈先輩が顔を伏せて肩を激しく震わせている。
そして、ベッドの上の結衣は。
まるで大仕事を終えて、ぐっすりと眠りについたかのような優しい微笑みを浮かべたまま、静かに横たわっていた。その頬には、まだ乾ききっていない涙の跡が光っている。
「結衣先輩……? 冗談、だよね……? 今さっきまで、テレビで見てくれてたじゃん……」
紬が震える足で、一歩、ベッドに近づいた。
結衣の手を取る。けれど、いつも紬の頭を優しく撫でてくれたその手
は、もう驚くほど冷たくなっていた。
「結衣先輩……嘘です……嘘ですよね……?」
紬の目から、大粒の涙が溢れ出し、結衣の布団にポタポタと落ちていく。
「私、先輩のマイクで、4番として、ちゃんと一番良い声が出せたんですよ……! 褒めてくださいよ……! 結衣先輩っ、結衣先輩!! うわぁぁぁぁん!!」
紬は結衣の胸に顔を埋め、子供のように声を上げて泣き崩れた。
響先輩も、トロフィーを握りしめたまま、その場に膝をついて嗚咽した。
誰もいなくなったステージのように、静まり返った病室。
みんなが持って帰ってきた最優秀賞の盾だけが、夕暮れの光を浴て、切ないほどキラキラと輝いていた。
テレビの画面には、すべての放送が終わったことを告げる、静かな砂嵐だけが映っていた。
[太字]『私達の夢は、絶対に叶う。』[/太字]
結衣が遺したその言葉は、残された部員たちの胸の中で、紬の胸の中でこれからも永遠に生き続ける。
あの熱い夏から、3年の月日が流れた。
蝉の声が激しく降り注ぐ7月の放送室。
マイクがわずかな息遣いを捉える精密な音と、部員たちの発声練習の元気な声が響き渡る中、私はミキシングコンソールの横に立っていた。
「如月監督! 次のメニュー、番組の編集チェックでいいですか?」
「うん。アナウンスの音量バランスと、BGMのカットインを意識させて」
「はい!」
下級生にテキパキと指示を出すのは、この春に大学を卒業し、母校の放送部の顧問(監督)として戻ってきた怜奈先輩ーーいや、今は如月監督だ。
商用スタジオさながらの防音室の中で、厳しくも優しい声を張り上げているのは、新しく外部コーチに就任した響先輩。
みんな、あの夏を胸に抱いたまま、それぞれの道で「音」を紡ぎ続けていた。
「よし、ラスト1テイク! 音、もってこい!」
大きな声をスタジオに響かせ、マイクの前に入ったのは私、涼風紬。
高校を卒業し、今はプロのアナウンサーとして、マイクの前で言葉を追いかけている。今日はオフを利用して、久しぶりに母校の練習を手伝いに来ていた。
私の手元には、すっかり手に馴染んだ、少し古い型の大切なマイマイクが握られている。
あの日、結衣先輩から受け継いだ、大切な宝物だ。
「紬、相変わらずいい発声だね。結衣にそっくりだ」
ミキサーのツマミを調整しに来てくれた響先輩が、ふっと目を細めて微笑んだ。
「えへへ、私の憧れですから」
私はそう言って、防音室の小さな窓から見える青空を見上げた。
あの日、盾を抱きしめて病室で泣き崩れた私たちは、結衣先輩の遺品の中から一冊のノートを見つけた。
そこには、重い病気と闘いながら、最後まで諦めずに書かれた私たちの発声の癖や、イントネーションの分析データ、そして不器用な文字でこう書かれていた。
[太字]『みんななら、夏の全国でも絶対に優勝できる。私達の夢は絶対に叶う!』[/太字]
先輩の命はあの日、夏の終わりと共に空へと旅立ってしまったけれど、先輩が遺してくれたあの言葉と、放送への熱い魂は、私たちの心の中で今も1ミリも色褪せることなく生き続けている。
「よし、いくよ、紬! キュー(開始合図)出すよ!」
「お願いします!」
響先輩の指先から出された合図を見据え、私はあの日先輩に教えてもらった通り、腹式呼吸を意識して、思い切りマイクに向かって声を放った。
[大文字]キイイイイイイイイン[/大文字]
一瞬だけヘッドホンに響いた、あの春と、あの夏と同じ、澄み切った美しい発声のトーン。
私の声は、遮音壁を越え、吸い込まれるような夏の青空に向かって、綺麗な放物線を描いて広がっていく。
その先には、まるで優しく微笑みながら私たちの放送を聴いてくれている、結衣先輩の笑顔があるような気がした。
「結衣先輩、見ててください。私、これからもずっと、先輩のマイクと一緒に走り続けます!」
胸の奥でそう呟きながら、私は大好きな放送室の中で、一歩、力強く踏み出した。
(完)
ヘッドホンから漏れる、鼓膜を突き刺すような甲高いテストトーン。
桜の花が咲き乱れる季節。
春の全国高校放送コンテスト・決勝戦、場所はーー
聖地、東京・渋谷のNHKホール!!
「ーー以上をもちまして、アナウンス部門・最優秀賞、蒼穹学園高校、3年、如月怜奈さん」
ステージの上で、割れんばかりの拍手を浴びながら美しく微笑む怜奈先輩。
彼女の発する一言一言は、ホール全体の空気を震わせ、聴く者すべての心を奪う圧倒的な「音の芸術」だった。
全国の頂点に立ち、美しく引退していった怜奈先輩。
その後を引き継ぎ、新チームの「4番(チーフアナウンサー)」に指名されたのは、高校2年生の私、音羽結衣だった。
あれから、あっという間に3ヶ月が経とうとしていた。
正直、夏の「NHK杯全国高校放送コンテスト(Nコン)」まであまり時間がない。
7月になれば本格的に発声の追い込みと番組制作の徹夜作業に入り、あっという間に8月になり、全国大会が始まる。
「1年、2年集合ーー」
部室に響き渡る、よく通る大きな声。2年の、、、3年の部長、響先輩が号令をかける。
「はい!」
大きな声が響き渡る放課後の放送室。
機材のコードが複雑に入り組み、遮音壁に囲まれたこの狭い空間も、来年には立つこともないと考えると胸の奥が寂しくなる。
「みんな、春の全国優勝に甘えるなよ!
夏のNコンは、全国のどの強豪校も死に物狂いで私達を倒しにくる。もう一度、あのNHKホールのステージを踏むぞ!」
「おーーっ!」
響先輩の力強い声に、部員の士気が一気に跳ね上がる。
偉大な怜奈先輩の背中は遠い。4番マイクを握るプレッシャーがないと言えば嘘になる。
でも、響先輩たち3年生にとって、これが泣いても笑っても最後の夏なのだ。
絶対に私の声で、もう一度みんなを全国へ連れていく。
そう強く拳を握りしめた、その時だった。
(……あれ?)
頭の芯が、ぐらりと揺れた。
視界が一瞬だけ白く歪み、防音室の壁がぐにゃりと傾くような感覚に襲われる。
慌ててアナウンス原稿の載った机にしがみついたけれど、額からは冷たい汗がじわりと流れ落ちていた。
最近、どうも体の調子がおかしい。
いつも通るはずの発声が、急に喉に鉛が詰まったように重く感じられたり、少し原稿を読むだけで異常に息が切れたりする。
でも、今は7月。本格的な夏が始まろうとしているのだ。きっとただの夏バテ、少し疲れが溜まっているだけ。せっかくチーフアナウンサーを任せてもらったのに、こんなところで弱音なんて吐けるわけがない。
「結衣先輩っ!」
不意に、後ろから私の制服の裾をきゅっと引っ張る気配がした。
振り返ると、1年生の紬が、くりくりとした大きな目を輝かせてこちらを見上げていた。
紬は今年入ってきたルーキーで、小柄な体からは想像もつかないような、芯のある凛とした美声を響かせる、
ずば抜けたアナウンス才能の持ち主だ。なぜか私のことを熱烈に慕ってくれていて、
練習中もいつもトコトコと私の後ろをペンギンのように随いて回っている。
「結衣先輩、今日の原稿読み、また私のアクセントと鼻濁音を見てもらってもいいですか?
先輩みたいに、もっと聴く人の心に真っ直ぐ届く、綺麗で強いアナウンスがしたいんです!」
無邪気に笑う紬の笑顔を見ていたら、
さっきまでの目眩(めまい)が嘘のように消えていく気がした。
「もちろん。紬はもっと腹式呼吸を意識すれば、私なんかよりずっと遠くまで響く声になるよ」
「えへへ、ありがとうございます!
私、結衣先輩の後ろを任せてもらえるような、新チームの5番(エースアナウンサー)になれるように、いっぱい練習します!」
紬の頭を優しく撫でながら、私は胸の奥で、小さく息を吐いた。
大丈夫。この子がいれば、大丈夫。
もしも……もしも私の体に、これ以上マイクの前で声が出せなくなるような何かが起きたとしても。
このずば抜けた才能を持つ紬が、きっと私の代わりに放送部の未来を引っ張ってくれる。
「よし、機材立ち上げて! 紬、絶対に夏も全国行くよ!」
「はいっ、結衣先輩!」
自分の体に忍び寄る影から目を背けるように、
私は紬の小さな手を引き、大好きなミキシングコンソールのあるスタジオへと駆け出した。
カンカンと照りつける7月の太陽が、容赦なく校舎を焦がしていた。
他部の練習の声、蝉の鳴き声。
ついに、夏の全国高校放送コンテスト・地方予選の第1回戦が幕を開けた。
会場である市民ホールの楽屋には、独特の緊張感が張り詰めている。
[太字]『アナウンス部門、エントリーナンバー12番。蒼穹学園高校、2年、音羽結衣さん』[/太字]
ステージの袖から、私の名前を呼ぶアナウンスが会場に響く。
新チームの命運を分ける、最初の予選の壇上。これ以上ないプレッシャーがかかる瞬間だった。
「結衣先輩! 絶対にいつも通りの声を出してください! 後ろは私が繋ぎますから!」
袖の待機席から、5番の紬が台本を両手に持って、ちぎれんばかりにブンブンと振っている。その必死で健気な姿に、自然と口元が緩んだ。
(大丈夫。紬のためにも、ここで完璧なアナウンスを繋ぐんだ)
そう思ってパイプ椅子から立ち上がった、その瞬間。
心臓がドクン、と大きく跳ねた。
「っ……あ……」
急激に視界が遮られ、目の前が真っ白になる。
呼吸がうまくできない。肺に冷たい塊が居座っているように息が苦しく、足の先から力がスーッと抜けていく。原稿を持った両手が、自分のものじゃないみたいに激しく震えていた。
(嘘でしょ……今、このタイミングで……!?)
「音羽さん、大丈夫ですか? 順番、少し遅らせますか?」
舞台監督のスタッフが心配そうに声をかけてくる。袖のベンチからも、部長の響先輩が何かを察したように腰を浮かせかけるのが見えた。
ここで止まったら、みんなにバレてしまう。
私の夏が終わってしまう。
「……いいえ、大丈夫です!」
私は無理やり笑顔を作り、大きく足を踏出してステージのセンター、マイクの前へと向かった。
原稿をギュッと握り直す。手のひらは冷や汗でびっしょりだった。
急性白血病ーー。
大会の一週間前、体のだるさに耐えかねてこっそり行った病院で告げられた病名。
医師からは「即刻入院して治療を始めないと、命の保証はない」と強く詰め寄られた。
だけど、私の頭に浮かんだのは、泣いても笑ってもこれが最後の夏になる響先輩たちの顔。そして、「結衣先輩の5番を打ちます!」とマイクの前で目を輝かせてくれた紬の笑顔だった。
私の命なんて、どうなったっていい。
この夏だけ、この大会が終わるまでだけでいいから、私の声を、喉を動かして。
みんなと一緒に、あのNHKホールへ行くんだ。
[太字]『私達の夢は、絶対に叶う!』[/太字]
心の中で、呪文のように何度も何度も繰り返す。
ステージのスポットライトが眩しい。
マイクの前に立つ。並んだ文字が、視界の中でぐにゃりと歪んで3つに見えた。
(真ん中の、一番光っている文字をーー読む!)
ただそれだけを信じて、私は残された全ての力を肺に込め、泥臭く、しかし誰よりも美しい声をマイクに叩きつけた。
「ーー以上で、私の発表を終わります」
言い切った瞬間、会場全体が割れんばかりの拍さに包まれた。
そして、ドラマは怒涛の勢いで進んでいった。
夏の地方予選、決勝戦。最後の最後まで声を枯らし、全員の番組をアナウンスで支えきり、私達はついに、夏の全国大会(NHKホール)への切符を掴み取ったのだ。
「やったぁぁぁ! 結衣先輩、東京ですよ! NHKホールです!」
5番の紬が、涙で顔をくしゃくしゃにしながらステージ裏へ走ってくる。
響先輩たち3年生も飛び出し、みんなで歓喜の輪を作って抱き合った。
「みんな……やったね……!」
私もみんなと抱き合い、飛び跳ねて喜んだ。
微熱と怠さに耐えながら、限界を超えて声を出したその瞬間、私の中で張り詰めていた最後の糸が、音を立てて千切れた。
ガクン、と膝の力が抜ける。
ホールの天井がぐるりと回転し、目の前が真っ白な闇に包まれていく。
「え……? 結衣先輩……?」
紬の焦ったような声が遠くに聞こえる。
倒れゆく私を、紬と響先輩が慌てて抱きとめた。みんなの制服から、夏の熱い匂いがする。
「結衣! しっかりしろ! 結衣!!」
響先輩の叫び声を聞きながら、私はただ、暗くなっていく視界の中で微笑むことしかできなかった。
ごめんね、みんな。私の身体、ここまでしか持たなかったみたい。
でも、約束は守ったよ。みんなを、あのステージに連れていくっていう、約束ーー。
そのまま私の意識は、深い闇の底へと落ちていった。
(NHKホールのステージでは、結衣の代わりに4番アナウンスに入った紬が、涙を流しながら戦い続けていたーー)
熱気が渦巻く、渋谷のNHKホール。
悲願の全国大会、その決勝戦の舞台に、私達のチームの姿があった。
けれど、そこに「4番チーフ・音羽結衣」の姿はない。
本番直前。楽屋裏にある固定電話が激しく鳴り響いた。
受話器を取った顧問の先生の手が、見る見るうちに震えだす。楽屋に戻ってきた先生の顔は、幽霊のように真っ白だった。
「みんな、落ち着いて聞いてくれ……」
先生の声は、今にも消え入りそうだった。
「今、病院から連絡があった。音羽が……結衣は急性白血病で無理をしてたそうだ。お前たちに心配をかけまいと、ずっと隠して……」
その言葉が響いた瞬間、楽屋の空気が凍りついた。
「嘘……でしょ……?」
紬が手に持っていたマイクを床に落とした。カララン、と虚しい音が響く。
響先輩は、溢れ出てくる涙を制服の袖で必死に拭おうとしたが、涙は次から次へと溢れて止まらない。他の部員たちも、声を殺して泣き崩れた。
ずっと夏バテだと思っていた結衣の体調不良。それが、命を脅かす重い病気だったなんて、誰も知らなかった。結衣は、自分が死ぬかもしれないと知りながら、私達のために命を削って声を出し続けていたのだ。
「……泣くな!!」
楽屋に、響先輩の血を吐くような叫び声が響いた。
響先輩は、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、紬の肩を強く掴んだ。
「結衣は、病院のベッドで今も戦ってる! 結果を待ってるんだよ! 私達がここで泣き崩れてどうするの! 結衣に、私達の全国最優秀賞を届けるんでしょ!!」
「う、あ……うわぁぁぁん!」
紬は響先輩の胸に顔を埋めて大声を上げて泣いた。
ひとしきり泣いた後、紬は赤い目で、結衣がいつも使っていた、あの使い古されたマイマイクを強く抱きしめた。
「……行こう。結衣先輩に、私達の『声』を届けるんだ」
ベルの音が、ホールの舞台裏に鳴り響く。本番の合図だ。
部員たちは全員、涙の跡が残る顔を袖でゴシゴシと拭い、
前を向いた。結衣の想いが、遺された全員の身体に、確かに乗り移っていた。
ステージへ飛び出していく紬の胸には、
結衣の代わりに「4番」の責任が輝いている。
[太字]『私達の夢は、絶対に叶う!』[/太字]
白い天井。静かに響く、規則的な心電図の音。
病院のベッドの上で、私はかろうじて目を開けていた。
もう指一本動かす力も残っていない。視界はかすみ、意識は今にも遠いどこかへ飛んでいってしまいそうだった。
そんな私のベッドの傍らには、一人の女性がずっと付き添っていた。
「結衣、がんばれ……! みんな、今決勝のアナウンスが終わったよ。紬ちゃん、最高の発表をしたよ!」
そう言って私の冷たくなった手を握りしめてくれたのは、春に引退したはずの怜奈先輩だった。先輩の綺麗な目からは、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちて、私の手の甲を濡らしている。
病室の小さなテレビには、生中継されているNHKホールの決勝戦が映し出されていた。
みんな、戦っている。私のマイクを持った紬が、涙を堪えながらステージの中央に立っている。
「つ、む、ぎ……」
声にはならなかった。でも、私の目からも、一筋の涙が耳に向かって伝い落ちた。
審査は終盤に向かっていく。私の意識が遠のくたびに、怜奈先輩が「結衣! 目を開けて! あと少しだから!」と声を張り上げる。
そして、その瞬間は訪れた。
[大文字]『ーーアナウンス部門、最優秀賞。蒼穹学園高校!!』[/大文字]
テレビから割れんばかりの歓声と拍手が響く。画面の向こうで、響先輩も、紬も、全員が泣きながら抱き合っているのが見えた。
(よかった……みんな……夢、叶ったね……)
みんなの最高の笑顔を見届けた瞬間、私の中で張り詰めていた最後の糸が、静かに切れた。
心電図の音が、ピーーーという長い電子音に変わる。
「結衣? 結衣!! 嘘でしょ、目を開けてよ結衣ぃぃぃ!!」
泣き叫ぶ怜奈先輩の声を聞きながら、私の視界はゆっくりと、あの日みんなで目指した、どこまでも高い全国の空へと溶けていった。
「結衣先輩!!! 勝ちました!!! 日本一ですよ!!!」
バシャァン!と音を立てて、病室のドアが勢いよく開いた。
入ってきたのは、汗と涙が染み付いた制服姿の紬だった。表彰式が終わるやいなや、賞状とトロフィーを抱えたまま、新幹線を飛ばして病院へと駆けつけてきたのだ。
後ろからは、響先輩たち3年生も、息を切らしながらなだれ込んでくる。
みんなの顔には、まだ全国大会の興奮と、最高の笑顔が残っていた。
「結衣、約束通り賞状持ってきたぞ……って、あれ……?」
響先輩の声が、ピタリと止まった。
病室の中は、ひっそりと静まり返っていた。
ベッドの横で、怜奈先輩が顔を伏せて肩を激しく震わせている。
そして、ベッドの上の結衣は。
まるで大仕事を終えて、ぐっすりと眠りについたかのような優しい微笑みを浮かべたまま、静かに横たわっていた。その頬には、まだ乾ききっていない涙の跡が光っている。
「結衣先輩……? 冗談、だよね……? 今さっきまで、テレビで見てくれてたじゃん……」
紬が震える足で、一歩、ベッドに近づいた。
結衣の手を取る。けれど、いつも紬の頭を優しく撫でてくれたその手
は、もう驚くほど冷たくなっていた。
「結衣先輩……嘘です……嘘ですよね……?」
紬の目から、大粒の涙が溢れ出し、結衣の布団にポタポタと落ちていく。
「私、先輩のマイクで、4番として、ちゃんと一番良い声が出せたんですよ……! 褒めてくださいよ……! 結衣先輩っ、結衣先輩!! うわぁぁぁぁん!!」
紬は結衣の胸に顔を埋め、子供のように声を上げて泣き崩れた。
響先輩も、トロフィーを握りしめたまま、その場に膝をついて嗚咽した。
誰もいなくなったステージのように、静まり返った病室。
みんなが持って帰ってきた最優秀賞の盾だけが、夕暮れの光を浴て、切ないほどキラキラと輝いていた。
テレビの画面には、すべての放送が終わったことを告げる、静かな砂嵐だけが映っていた。
[太字]『私達の夢は、絶対に叶う。』[/太字]
結衣が遺したその言葉は、残された部員たちの胸の中で、紬の胸の中でこれからも永遠に生き続ける。
あの熱い夏から、3年の月日が流れた。
蝉の声が激しく降り注ぐ7月の放送室。
マイクがわずかな息遣いを捉える精密な音と、部員たちの発声練習の元気な声が響き渡る中、私はミキシングコンソールの横に立っていた。
「如月監督! 次のメニュー、番組の編集チェックでいいですか?」
「うん。アナウンスの音量バランスと、BGMのカットインを意識させて」
「はい!」
下級生にテキパキと指示を出すのは、この春に大学を卒業し、母校の放送部の顧問(監督)として戻ってきた怜奈先輩ーーいや、今は如月監督だ。
商用スタジオさながらの防音室の中で、厳しくも優しい声を張り上げているのは、新しく外部コーチに就任した響先輩。
みんな、あの夏を胸に抱いたまま、それぞれの道で「音」を紡ぎ続けていた。
「よし、ラスト1テイク! 音、もってこい!」
大きな声をスタジオに響かせ、マイクの前に入ったのは私、涼風紬。
高校を卒業し、今はプロのアナウンサーとして、マイクの前で言葉を追いかけている。今日はオフを利用して、久しぶりに母校の練習を手伝いに来ていた。
私の手元には、すっかり手に馴染んだ、少し古い型の大切なマイマイクが握られている。
あの日、結衣先輩から受け継いだ、大切な宝物だ。
「紬、相変わらずいい発声だね。結衣にそっくりだ」
ミキサーのツマミを調整しに来てくれた響先輩が、ふっと目を細めて微笑んだ。
「えへへ、私の憧れですから」
私はそう言って、防音室の小さな窓から見える青空を見上げた。
あの日、盾を抱きしめて病室で泣き崩れた私たちは、結衣先輩の遺品の中から一冊のノートを見つけた。
そこには、重い病気と闘いながら、最後まで諦めずに書かれた私たちの発声の癖や、イントネーションの分析データ、そして不器用な文字でこう書かれていた。
[太字]『みんななら、夏の全国でも絶対に優勝できる。私達の夢は絶対に叶う!』[/太字]
先輩の命はあの日、夏の終わりと共に空へと旅立ってしまったけれど、先輩が遺してくれたあの言葉と、放送への熱い魂は、私たちの心の中で今も1ミリも色褪せることなく生き続けている。
「よし、いくよ、紬! キュー(開始合図)出すよ!」
「お願いします!」
響先輩の指先から出された合図を見据え、私はあの日先輩に教えてもらった通り、腹式呼吸を意識して、思い切りマイクに向かって声を放った。
[大文字]キイイイイイイイイン[/大文字]
一瞬だけヘッドホンに響いた、あの春と、あの夏と同じ、澄み切った美しい発声のトーン。
私の声は、遮音壁を越え、吸い込まれるような夏の青空に向かって、綺麗な放物線を描いて広がっていく。
その先には、まるで優しく微笑みながら私たちの放送を聴いてくれている、結衣先輩の笑顔があるような気がした。
「結衣先輩、見ててください。私、これからもずっと、先輩のマイクと一緒に走り続けます!」
胸の奥でそう呟きながら、私は大好きな放送室の中で、一歩、力強く踏み出した。
(完)
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