試験まであと1週間。
カレンダーの数字が、牙を剥いて私に襲いかかってくる。
私の名前は「るみねーじゅ」。
自分で言うのもなんだが、自称キラキラ系女子である。
キラキラ系を名乗るからには、たとえ中身がスカスカでも、外側だけはデコレーションケーキのように華やかでなくてはならない。
しかし、今の私の現実は、デコる前のスポンジどころか、ただの小麦粉の塊である。
目の前には、広げただけで眠気を誘う数学の過去問。
「人生そんなもん。そんな日もあるよ」
これが私の座右の銘であり、全ての現実逃避を正当化する魔法の呪文だ。
世の中には「摂理」というものがあるらしい。
例えば、リンゴが木から落ちるのは万有引力の法則だ。
じゃあ、私の成績が地べたを這いずり回っているのも、何かしら宇宙の巨大な力が働いているに違いない。
そう思わないとやってられない。
よく「努力は裏切らない」なんて言葉を聞くけれど、あれは嘘だ。
努力はたまに、予告なしに長期旅行に出かける。
そして、私が一番助けてほしいタイミングで、どこか遠くの南の島でバカンスを楽しんでいる。
私は自称キラキラ系だが、実はSNSをあまりやっていない。
世の中のキラキラ女子たちは、カフェのパンケーキを100枚くらい撮って、一番映える1枚をアップするのに命を懸けている。
でも、私は思うのだ。
パンケーキは温かいうちに食べてこそパンケーキである。
冷めたパンケーキを「最高♡」と言って投稿するのは、もはや偽造工作に近い。
「人生そんなもん。画面の中と外は、だいたい違うものだよ」
試験も同じだ。
「試験前、全然勉強してなーい!」と言いながら、ちゃっかり高得点を取るやつがいる。
あれは「自分、追い込まれてる感」を演出するキラキラの一種に違いない。
私は違う。
私は本当にやっていない。
この純度の高い「未学習」こそ、ある意味、人間としての誠実さではないだろうか。
泣いても笑っても、試験は1週間後。
世の中の摂理(前話参照)によれば、時間は平等に流れる。
大富豪にも、絶世の美女にも、そして今、シャーペンの芯を切らして絶望している私にも。
「一週間後には、全てが終わっている。地球が滅亡してなければね」
私は空を見上げる。
もし今、巨大な隕石が降ってきたら、この「需要と供給の曲線」を覚える必要もなくなるのに。
でも、そんな都合のいい奇跡は起きない。
それがこの世界の、残酷で平等な摂理だ。
結局、私はコンビニで買った高めのエナジードリンク(パッケージがキラキラしているやつ)を開けた。
「まあ、なんとかなるでしょ。人生なるようになるし!」
私は、まだ真っ白な問題集に向き合うことにした。
キラキラ系女子としてのプライドにかけて、マークシートだけは誰よりも綺麗に塗りつぶしてやる。
中身が間違っていようが、その塗りつぶしの美しさこそが、私の最後の抵抗なのだ。