[太字][斜体]2023年 春:地方都市・ライブ会場[/斜体][/太字]
全国ツアーの中盤。会場は数千人規模のホールである。
開演まで残り30分。バックステージには、本番直前の独特の緊張感が漂っている。
あなたはロビーでの運営状況を確認し、楽屋裏の通路に戻ってきた。
その時、無線機から焦った声が入る。
「……マシントラブルです。同期用のPCが一台フリーズしました。復旧を試みていますが、再起動に時間がかかります」
音響スタッフの声。
ライブの根幹を支えるシステムに異常が出た。
周囲のスタッフの動きが一気に慌ただしくなる。
チーフマネージャーがインカムで指示を飛ばすが、現場には動揺が広がっている。
あなたは足を止め、手元の時計を見る。
次に、楽屋の入り口に目を向けた。中では、すでに集中を高めているメンバー三人の気配がある。
あなたは迷わず、音響ブースではなく、まずは楽屋へ向かった。
「失礼します」
ノックをして扉を開けると、大森がギターを抱えたまま顔を上げた。
あなたの表情から、瞬時に異変を察したようだ。
「……何かあった?」
「機材の最終調整で、少し時間が押しています。開演を10分遅らせます」
あなたはあえて「トラブル」という言葉を使わず、「調整」と告げた。
声のトーンは低く、一定。焦りの色は微塵もない。
「10分。わかった」
大森が頷く。
若井と藤澤も、あなたの落ち着いた態度を見て、楽器を置いてソファに座り直した。
「10分間、喉を休めてください。藤澤さん、少しストレッチを追加しますか? 若井さん、指先冷えないようにカイロ代えますね」
三人に最低限の指示とケアを施すと、あなたはすぐに部屋を出た。
廊下に出た瞬間、足早に音響ブースへ向かう。
「復旧まであと何分ですか?」
現場責任者に短く問う。
「……あと7分、いや8分はかかる。客席がざわつき始めてる」
「私が客入れのBGMと照明のトーンを調整させて、10分稼ぎます。その間に必ず立ち上げてください。無理なら、1曲目をアコースティックに切り替えるようメンバーに伝えますので。」
あなたは舞台監督と照明スタッフにテキパキと指示を出し、場内の空気をコントロールさせる。
客席からは「演出の一部」のように見えるよう、不自然な沈黙を作らせない。
5分後。無線から「復旧しました。オールグリーンです」と報告が入る。
あなたは一つだけ深く息を吐き、すぐに表情を「マネージャー」に戻して楽屋のドアを叩いた。
「お待たせしました。準備整いました。いきましょう」
ステージへ向かう三人の背中を見送る。
トラブルがあったことなど微塵も感じさせない、完璧なオープニング曲が会場に響き渡った。
あなたは袖でその音を聞きながら、手帳に今回のトラブルの経緯と、終演後の検証事項を淡々とメモし始めた。