浴室の湿度は、私の体温をじわじわと奪い去る代わりに
肌にしっとりとした熱をまとわせる。
白く、重たく曇った鏡。
そこには、火照った身体も、揺れる視線も、すべてが曖昧な輪郭となって閉じ込められていた。
私はゆっくりと、人差し指をその白い膜に這わせる。
指先から伝わる、鏡のひんやりとした感触と、指の腹が吸い付くような抵抗。
まずは、三角形を描き、その下に一本の線を深く、長く引き下ろした。
左側に、彼の名前を刻む。
『ジンくん』
一文字書くたびに、指先から彼への想いが溶け出していく。
「ジ」の濁点で指を止め、私はそっと吐息をこぼした。
その吐息が、せっかく書いた文字をまたうっすらと白くぼかしていく。
右側の、私の居場所は空けたまま。
その代わりに、私は鏡に描いた彼の名前のすぐ隣に、自分の唇をそっと寄せた。
鏡の冷たさが、熱を持った唇をピリリと刺激する。
触れるか触れないかの距離で、彼の名前をなぞるように息を吹きかけると
水滴がひとつ、またひとつと、彼の名前を壊しながらゆっくりと流れ落ちた。
それはまるで、彼に触れられた時に流れる、私の背中の汗のようで。
「……ねえ、ジンくん」
呼んでも届かない声を、狭い浴室に沈める。
溶けて混じり合う水滴の跡を指で追いかけながら、私は鏡に映る、自分でも見たことのないような熱を帯びた瞳を見つめ返した。
外は冷たい雨が降っている。
けれど、この小さな傘の下だけは、息が苦しくなるほどの熱に満たされていた。