右腕を走る鋭痛。足首に居座る鈍い重み。
それらを肺の奥底へと押し殺し、翠憐は深く長く、息を吸い込んだ。
鼻腔を突くのは、胸の芯を焼き焦がすような、あまりに濃密な酒の芳香。
嗅ぎ慣れたはずのその毒が、今夜はやけに喉を締め上げる。
広間の中央、一段高く設えられた円形の舞台。
翠憐は音もなく、その聖域へと身を投じた。
刹那、喧騒が凪ぐ。
舞台を囲む客たちは、一様に顔の下半分を薄布で覆っていた。
ここ「零番街」において、素性を晒すのは無粋の極み。
名も、顔も、過去も。
すべてを闇に葬り去ることで許される、束の間の火遊び。
布一枚という名の絶対的な盾の裏側で、剥き出しの欲望だけがぎらりと、あるいはねっとりと、翠憐の肌を這い回る。
翠憐が纏うのは、月光を織り上げたような銀の絹。
先ほど床に落とした肩巾を掬い上げ、首筋に沿って優雅に流す。
雪の如き白肌。
夜を溶かしたような漆黒の双眸。
そのあまりに鮮烈な対比は、見る者の理性を、この世ならぬ妖艶さで塗り潰していく。
翠憐の顔を隠す薄布に触れられるのは、今夜、最も高い対価を支払った者のみ。
舞という名の、美しき競売。
翠憐は静かに、扇を構えた。
流麗な指の動き。
手首のひと捻りで、扇が鮮やかに、命を吹き込まれたように開く。
「っ……!」
広間の空気が、再び沸騰した。
それは熱狂というより、魂を奪われた者たちの、浅い、呻きのような吐息。
静寂から、激動へ。
細い体躯から繰り出される舞は、夜の闇に咲き誇る、猛毒を孕んだ一輪の花。
優雅でありながら、どこか破滅的な熱を帯びたその動きが、観衆の奥底に眠る「獣」を呼び覚ましていく。
加速する旋律。
流れる風景の端で、翠憐はふと思考を遊ばせた。
羽振りの良い、馴染みの客。
今夜もまた、あの男が私を買うのだろうか。
そんな、他人事のような思考。
(いつになったら、私はここを ―― )
ふいに過った言葉を、翠憐は強引に振り払った。
希望を抱くには、この場所はあまりに暗く、あまりに深い。
(夢なんて、一生、夢のままでいい)
曲が終盤を迎え、舞が最高潮に達しようとした、その時。
―――[太字]ドガンッ![/太字]