[太字][斜体]2023年 春:終演直後・ステージ袖[/斜体][/太字]
ライブの幕が閉じ、大歓声の中をメンバーがステージから戻ってくる。
汗だくの三人は、あなたから手渡されるタオルと水を受け取りながら、荒い息を整えている。
大森が、水を一口飲んでから、あなたを真っ直ぐに見た。
「さっきの10分……。本当は機材、結構まずい状態だったでしょ」
「同期システムが一時停止していました。ですが予備への切り替えと復旧が間に合いましたので、問題ありません」
あなたは表情を変えず、使用済みタオルを回収する。
「……あの時、マネージャーさんが『10分喉休めて』って普通に言ったから、誰も焦らなかったんだと思うよ。ありがと」
大森はそれだけ言うと、スタッフとのミーティングのために歩き出した。
若井と藤澤も、すれ違いざまに「助かりました」「さすがです」と短く言葉を残していく。
あなたは「仕事ですから」とだけ返し、すぐに撤収作業の指示へと戻った。
[太字][斜体]同日 深夜:地方の居酒屋(打ち上げ会場)[/斜体][/太字]
今回のツアーで恒例となっている、主要スタッフとメンバーによる打ち上げ。
座敷の席では、ライブの成功を祝してグラスが交わされている。
あなたは入り口近くの下座に座り、店員への追加オーダーや、メンバーのグラスの空き具合、そして明日の出発時間に合わせたお開きのタイミングを計算している。
「あ、マネージャーさん。ここ、空いてるよ。座れば?」
藤澤が自分の隣の座布団を叩いて笑う。
あなたは「失礼します」と会釈して、端の方に腰を下ろした。
「今日、若井が楽屋で言ってたんだよ。『あのマネージャーさんが来てから、なんか現場の空気が締まったよね』って」
藤澤の言葉に、向かいに座っていた若井が少し照れくさそうに頷く。
「いや、マジで。前の現場の時より、ライブ前の変なノイズが減った気がする。……ところで、マネージャーさんって、俺たちの曲、最近は何が好きなの?」
若井が唐突に聞いてくる。
三人の視線があなたに集まる。
彼らにとって、あなたは「有能な仕事人」ではあるが、まだ「どんな人間か」が見えていない。
「……仕事で毎日聴いていますが、改めて聞かれると難しいですね」
あなたは手元の烏龍茶を見つめ、少し考えてから答える。
「強いて言うなら、リハーサルで何度も聴いた新曲の、Bメロのベースラインでしょうか。あそこのリズムの作り方は、現場で聴いていて非常に論理的だと感じました」
感情的な感想ではなく、技術的な視点。
三人は一瞬顔を見合わせた後、オレンジジュースを飲んでいた大森が、堪えきれずに吹き出した。
「……ベースライン? 普通、歌詞とかメロディって言うでしょ。マネージャーさんって面白いね、やっぱり」
大森が楽しそうに笑う。
「アーティスト」として崇められることに慣れている彼らにとって、自分の冷徹なまでに客観的な評価は、新鮮に映ったようだった。
「まあ、好きになれとは言わないけどさ。これからも俺たちのこと、その冷静な目で見ててよ」
大森がグラスを軽く掲げる。
あなたは「善処します」と短く返し、お開きの時間を告げるために時計を確認した。
まだ彼らとの距離は、適切な「プロ同士」のまま。だが、壁が一つ消えたような、そんな夜だった。