魔女の花の種になる
#1
火の夜
山の夜はいつも静かだった。風は細く、畑の土には昼のぬくもりがわずかに残り、家々の灯りは遠くで淡く揺れている。
少女は畑の端で白い葉をそっとなでていた。小さな野草は冷えはじめた空気でも柔らかく、その感触が安心のしるしのように胸に広がった。銀の髪が夜気を吸い、わずかに青みを帯びる。[漢字]橙金[/漢字][ふりがな]アウロラ[/ふりがな]の瞳には油灯の光が映り込み、その光がふと揺れた。
胸の奥がざわついた。
理由はわからない。ただ、いつもの夜とは違う何かが足元の土の下で動いているような気がした。
少女は家へ戻ろうと身を返した。だが、その瞬間、空気がゆっくりと押しつぶされるように静まり返った。
そして、音がした。
遠くで木が折れるような、乾いた響き。続いて、地面を短く叩く低い震え。足の裏に伝わったその揺れが、獣の気配でも、人の走りでもないことを、身体は直感で理解した。
風が止み、鳥が鳴きやみ、夜そのものが息をひそめた。世界がどこか不自然に凪いでいる。
闇の奥から影が現れた。ゆっくりと、村へ向かって歩み寄る人影がいくつも連なっている。黒い布が揺れ、焔のような色がちらつき、月明かりに照らされるたび輪郭が歪んで見えた。知らない人たち。そのはずなのに、少女は息が浅くなるのを止められなかった。
近づいてはいけないと心が強く訴えている。
家のほうで声が上がった。怒号とも悲鳴ともつかない、聞いたことのない音が混ざり合い、闇に飲まれていく。何かが倒れ、燃え広がる音がして、遠くの空が赤くくすんだ。
少女はただ立ち尽くしていた。視線が影たちと村の灯りのあいだを行き来し、足は土に貼りついたように動かなかった。胸が痛いほど脈打ち、息は震え、手のひらが冷たくなる。
逃げなくてはと思うのに、呼吸ばかりが早くなり、身体はひどく重くなった。
背後で土を踏む音がした。振り返るより早く、腕がつかまれた。小さな手首は簡単に握り込まれ、少女の身体は思い切り引き寄せられた。息が止まり、喉がひきつる。
「……いや……」
声はかすれ、夜に吸い込まれていく。
村のほうで炎が上がった。赤い光が揺れ、屋根が崩れ、大切なものがひとつずつ音もなく消えていく。名前を呼ぶ声も、手を伸ばす影も、もう見えなかった。
少女は引きずられた。腕が痛くても抵抗は弱く、歩幅の違いで転びそうになる。涙が視界に滲む。それでも家の方向へ手を伸ばしたが、闇に溶け、誰にも届かなかった。
もう二度と戻れない予感が胸を締めつけた。息が苦しく、世界の音が遠のく。夜の匂いにも、土の温度にも、どこか別の冷たさが混ざりはじめていた。
「あああああぁぁぁ……‼」
炎の光が遠ざかるにつれ、少女の世界は静かに閉じていった。それが終わりなのか始まりなのか、まだ誰にもわからなかった。
少女は畑の端で白い葉をそっとなでていた。小さな野草は冷えはじめた空気でも柔らかく、その感触が安心のしるしのように胸に広がった。銀の髪が夜気を吸い、わずかに青みを帯びる。[漢字]橙金[/漢字][ふりがな]アウロラ[/ふりがな]の瞳には油灯の光が映り込み、その光がふと揺れた。
胸の奥がざわついた。
理由はわからない。ただ、いつもの夜とは違う何かが足元の土の下で動いているような気がした。
少女は家へ戻ろうと身を返した。だが、その瞬間、空気がゆっくりと押しつぶされるように静まり返った。
そして、音がした。
遠くで木が折れるような、乾いた響き。続いて、地面を短く叩く低い震え。足の裏に伝わったその揺れが、獣の気配でも、人の走りでもないことを、身体は直感で理解した。
風が止み、鳥が鳴きやみ、夜そのものが息をひそめた。世界がどこか不自然に凪いでいる。
闇の奥から影が現れた。ゆっくりと、村へ向かって歩み寄る人影がいくつも連なっている。黒い布が揺れ、焔のような色がちらつき、月明かりに照らされるたび輪郭が歪んで見えた。知らない人たち。そのはずなのに、少女は息が浅くなるのを止められなかった。
近づいてはいけないと心が強く訴えている。
家のほうで声が上がった。怒号とも悲鳴ともつかない、聞いたことのない音が混ざり合い、闇に飲まれていく。何かが倒れ、燃え広がる音がして、遠くの空が赤くくすんだ。
少女はただ立ち尽くしていた。視線が影たちと村の灯りのあいだを行き来し、足は土に貼りついたように動かなかった。胸が痛いほど脈打ち、息は震え、手のひらが冷たくなる。
逃げなくてはと思うのに、呼吸ばかりが早くなり、身体はひどく重くなった。
背後で土を踏む音がした。振り返るより早く、腕がつかまれた。小さな手首は簡単に握り込まれ、少女の身体は思い切り引き寄せられた。息が止まり、喉がひきつる。
「……いや……」
声はかすれ、夜に吸い込まれていく。
村のほうで炎が上がった。赤い光が揺れ、屋根が崩れ、大切なものがひとつずつ音もなく消えていく。名前を呼ぶ声も、手を伸ばす影も、もう見えなかった。
少女は引きずられた。腕が痛くても抵抗は弱く、歩幅の違いで転びそうになる。涙が視界に滲む。それでも家の方向へ手を伸ばしたが、闇に溶け、誰にも届かなかった。
もう二度と戻れない予感が胸を締めつけた。息が苦しく、世界の音が遠のく。夜の匂いにも、土の温度にも、どこか別の冷たさが混ざりはじめていた。
「あああああぁぁぁ……‼」
炎の光が遠ざかるにつれ、少女の世界は静かに閉じていった。それが終わりなのか始まりなのか、まだ誰にもわからなかった。