サークル棟の隅の隅、最も端に構える小部屋が、僕らの『読書サークル』だ。相変わらず閑古鳥が鳴いているようだが、扉の鍵が開いているので[漢字]自[/漢字][ふりがな]おの[/ふりがな]ずと[太字]あの子[/太字]が活動をしているのは察することができた。
「…入るよ」
僕はあの子の集中をちぎらないように細心の注意を払い、扉を小さく開けた。
カラカラカラ――。
扉を引く指に力をかけすぎず、絶妙なコントロールで引き戸を[漢字]捌[/漢字][ふりがな]さば[/ふりがな]く。
やはり、そこにいたのは一人の女の子だった。半ば地毛でもあろう、氷色の長く豊かな髪が風と戯れ、しかしながら紙と文字を見つめるその目は真剣で、だれにも邪魔できない雰囲気をまとっている。
彼女の名前は[漢字]千冬[/漢字][ふりがな]ちふゆ[/ふりがな]。ペンネームは『[太字]あいだ千冬[/太字]』。数年前から小説家として活動し、次世代の文豪として注目を集めている。尚且つ大学のマドンナ的存在だというのだ。彼女にぴったりな言葉は、まさに『高嶺の花』。
しかも彼女は――。
「あら?ヤカヅクくんだったのね。そうだ。私のママには『今日の帰り、遅くなる』って連絡してくれない?」
「…うん。分かった。じゃあ晩御飯は僕の家で食べていきなよ」
「ほんと?じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな」
――…彼女は、僕の幼馴染でもある。
千冬だけが、僕の名前を『ヤカヅクくん』などと――絶対わざとだが、あえて片言にするように――呼んでいる。千冬とは大学で再会した。小さいころまで一緒に絵本を読むような仲だったのに、今や相手は売れっ子の作家になっていたと知った時の僕の心情は、かなり激しいことになっている。
「…千冬、今は何を書いてるの?」
「んー?ちょこっと冒険小説…かなぁ。まだ少ししか書けていないけれど」
そういう彼女の足元は、資源ごみのように紐で括られた紙束がいくつも埋め尽くしている。これが『少し』?僕は幼馴染の感性を疑った。
僕が中途半端に散らばった紙の端々をかき集めると、どれも達筆に…彼女の美しく鋭い感性が光る文章の数々が目に飛び込んできた。僕には絶対できない所業である。
「僕には到底真似できないことばっかりだね、千冬は」
「そうかな。私が思うには、ヤカヅクくんのほうが感受性が豊かだから、何かを表現するのは向いてると思うよ」
そういうと千冬は己の髪をすこし掬い、気まぐれに編み込みを始めた。僕はその自由奔放な姿を眩し気に捉えて、ネラ=大図書館が語る『理想の0番』の姿と重ねてみた。
――…僕なんかより、千冬のほうが『0番』に向いている気がするのにな…。ううん、あの人は僕を選んでくれたんだから。
僕は不意に浮かんだその思いを頭から掻き消して、サークル部屋の中にあった大きな姿見の前に立った。そして無理にでも笑う…つもりだった。
「えっ⁉」
「どうしたのよ?」
僕は千冬の問いかけに応答すらできず、ただ放心して自分の顔――正しくは右の頭頂部を凝視した。
僕の頭には、でかでかと、よく映えるような色鮮やかさを持った『0』という数字が浮かんでいたのだ。それは、僕が…僕こそが0番だと証明する代物でもあり、心のどこかで『夢』と解釈していた自分を正面から砕くような、驚きの事実でもあったのだ。
「…入るよ」
僕はあの子の集中をちぎらないように細心の注意を払い、扉を小さく開けた。
カラカラカラ――。
扉を引く指に力をかけすぎず、絶妙なコントロールで引き戸を[漢字]捌[/漢字][ふりがな]さば[/ふりがな]く。
やはり、そこにいたのは一人の女の子だった。半ば地毛でもあろう、氷色の長く豊かな髪が風と戯れ、しかしながら紙と文字を見つめるその目は真剣で、だれにも邪魔できない雰囲気をまとっている。
彼女の名前は[漢字]千冬[/漢字][ふりがな]ちふゆ[/ふりがな]。ペンネームは『[太字]あいだ千冬[/太字]』。数年前から小説家として活動し、次世代の文豪として注目を集めている。尚且つ大学のマドンナ的存在だというのだ。彼女にぴったりな言葉は、まさに『高嶺の花』。
しかも彼女は――。
「あら?ヤカヅクくんだったのね。そうだ。私のママには『今日の帰り、遅くなる』って連絡してくれない?」
「…うん。分かった。じゃあ晩御飯は僕の家で食べていきなよ」
「ほんと?じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな」
――…彼女は、僕の幼馴染でもある。
千冬だけが、僕の名前を『ヤカヅクくん』などと――絶対わざとだが、あえて片言にするように――呼んでいる。千冬とは大学で再会した。小さいころまで一緒に絵本を読むような仲だったのに、今や相手は売れっ子の作家になっていたと知った時の僕の心情は、かなり激しいことになっている。
「…千冬、今は何を書いてるの?」
「んー?ちょこっと冒険小説…かなぁ。まだ少ししか書けていないけれど」
そういう彼女の足元は、資源ごみのように紐で括られた紙束がいくつも埋め尽くしている。これが『少し』?僕は幼馴染の感性を疑った。
僕が中途半端に散らばった紙の端々をかき集めると、どれも達筆に…彼女の美しく鋭い感性が光る文章の数々が目に飛び込んできた。僕には絶対できない所業である。
「僕には到底真似できないことばっかりだね、千冬は」
「そうかな。私が思うには、ヤカヅクくんのほうが感受性が豊かだから、何かを表現するのは向いてると思うよ」
そういうと千冬は己の髪をすこし掬い、気まぐれに編み込みを始めた。僕はその自由奔放な姿を眩し気に捉えて、ネラ=大図書館が語る『理想の0番』の姿と重ねてみた。
――…僕なんかより、千冬のほうが『0番』に向いている気がするのにな…。ううん、あの人は僕を選んでくれたんだから。
僕は不意に浮かんだその思いを頭から掻き消して、サークル部屋の中にあった大きな姿見の前に立った。そして無理にでも笑う…つもりだった。
「えっ⁉」
「どうしたのよ?」
僕は千冬の問いかけに応答すらできず、ただ放心して自分の顔――正しくは右の頭頂部を凝視した。
僕の頭には、でかでかと、よく映えるような色鮮やかさを持った『0』という数字が浮かんでいたのだ。それは、僕が…僕こそが0番だと証明する代物でもあり、心のどこかで『夢』と解釈していた自分を正面から砕くような、驚きの事実でもあったのだ。