「斉藤ハ、彼ノ魂ノ依リ代。贖罪ノタメニ、彼ノ体ヲ使ッテ、真実ヲ世界ニ伝エネバナラヌ。」
その言葉は、これまでのどんなメッセージよりも強く、冷たかった。
私は、斉藤さんが単なる被害者ではなく、この長い連鎖の中で重要な役割を担っていることを悟った。
日記の筆跡は、もはや田中さんのものでも、前の住人たちのものでもなく、屋敷の主人自身の、激しい執念そのものだった。
私は急いで隣の部屋へ向かった。
ドアをノックする私の手は、今度こそ震えていた。
斉藤さんはすぐにドアを開けてくれたが、彼の目は虚ろで、まるで何かに憑りつかれているかのようだった。
「斉藤さん!」
私は彼を呼んだ。
「屋敷の主人の魂が、あなたを依り代にしようとしています! 真実を伝えるためにって…」
斉藤さんは焦点の合わない目で私を見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「真実…彼が本当に愛していたのは…」
彼の声は、斉藤さんのものとは違う、もっと低く、古い時代の響きを持っていた。
「その女性ピアニストは、追放されたんじゃない」
と、その声は続けた。
「私は、彼女が私以外の男と話しているのを見て、嫉妬に狂った。私が、この手で…」
私は衝撃で言葉を失った。
手紙に書かれていたのは、美談に塗り替えられた偽りの歴史だったのだ。
屋敷の主人は、愛する女性を自らの手で殺害し、その罪を隠蔽するために彼女を追放したと見せかけたのだ。
彼の日記、そして手紙の一部が欠落していたのは、その真実を隠すためだったのだろう。
「私は、彼女の魂をこの屋敷に閉じ込めた。彼女が愛したピアノの音色で、永遠に私の罪を思い出させるために…」
屋敷の主人の声は、深く、悲痛な響きを帯びていた。
斉藤さんの体が、前のめりに傾いだ。
私は慌てて彼を支え、部屋の中のソファに座らせた。
斉藤さんは意識を失っていた。
私は震える手で、再び日記を開いた。
最後のページには、かすれた文字でこう書かれていた。
「真実ハ、音色ニ宿ル。彼女ノ最後ノ曲ヲ弾ケバ、魂ハ解放サレル。」
私は、斉藤さんの頭の中にあるという「頭の中に響く音色」こそが、屋敷の主人を縛り付け、そしてこのアパートの住人たちを巻き込んできた呪縛の源だと理解した。
そして、この最後のメッセージは、その呪縛を解く方法を示していた。
斉藤さんが意識を取り戻した時、私は彼に全てを話した。
彼は信じられないという表情をしていたが、私たちが発見した図書館の資料と、日記のメッセージを見せると、静かに納得した。
「彼女の最後の曲…」
斉藤さんはピアノの前に座った。
「僕には、その曲が頭の中に響いている。」
彼は鍵盤に指を置いた。
これまで聞いてきた、悲しみと後悔に満ちた音色とは全く違う、優しく、しかし決意に満ちたメロディが奏でられた。
それは、愛する人への別れと許しを願うような、美しい曲だった。
曲が終わった瞬間、部屋全体が淡い光に包まれた。
窓の外の満月が、まるで部屋の中に入り込んできたかのようだ。
光は、斉藤さんのピアノから発しているように見えた。
光が消えた後、部屋には静寂だけが残った。
斉藤さんは、まるで長年の重荷が下りたかのように、清々しい表情をしていた。
私は急いで日記を確認した。
最後のページに書かれていた文字は消え、まっさらになっていた。
そして、日記帳自体も、触れるとぼろぼろと崩れ落ち、灰になって消えてしまった。
斉藤さんと私は顔を見合わせた。
屋敷の主人と女性ピアニストの魂は、ようやく解放されたのだ。
「もう、ピアノの音は聞こえない…」
斉藤さんが呟いた。
私も、自分の中にあった、誰かの意思に操られているような感覚が消えていることに気づいた。
私たちは、自由になったのだ。
このアパートには、まだたくさんの人が住んでいる。
それぞれが、それぞれの人生を生き、それぞれの物語を持っている。
でも、もう日記に導かれることはない。
私は、自分の新しい日記帳を買い、まっさらなページに自分の言葉で書き始めた。「今日から、私は私の人生を生きる。」
窓の外には、満月が輝いていた。
今夜の月は、もう悲しみの光ではなく、希望の光に見えた。
〜ミステリー章 終〜
その言葉は、これまでのどんなメッセージよりも強く、冷たかった。
私は、斉藤さんが単なる被害者ではなく、この長い連鎖の中で重要な役割を担っていることを悟った。
日記の筆跡は、もはや田中さんのものでも、前の住人たちのものでもなく、屋敷の主人自身の、激しい執念そのものだった。
私は急いで隣の部屋へ向かった。
ドアをノックする私の手は、今度こそ震えていた。
斉藤さんはすぐにドアを開けてくれたが、彼の目は虚ろで、まるで何かに憑りつかれているかのようだった。
「斉藤さん!」
私は彼を呼んだ。
「屋敷の主人の魂が、あなたを依り代にしようとしています! 真実を伝えるためにって…」
斉藤さんは焦点の合わない目で私を見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「真実…彼が本当に愛していたのは…」
彼の声は、斉藤さんのものとは違う、もっと低く、古い時代の響きを持っていた。
「その女性ピアニストは、追放されたんじゃない」
と、その声は続けた。
「私は、彼女が私以外の男と話しているのを見て、嫉妬に狂った。私が、この手で…」
私は衝撃で言葉を失った。
手紙に書かれていたのは、美談に塗り替えられた偽りの歴史だったのだ。
屋敷の主人は、愛する女性を自らの手で殺害し、その罪を隠蔽するために彼女を追放したと見せかけたのだ。
彼の日記、そして手紙の一部が欠落していたのは、その真実を隠すためだったのだろう。
「私は、彼女の魂をこの屋敷に閉じ込めた。彼女が愛したピアノの音色で、永遠に私の罪を思い出させるために…」
屋敷の主人の声は、深く、悲痛な響きを帯びていた。
斉藤さんの体が、前のめりに傾いだ。
私は慌てて彼を支え、部屋の中のソファに座らせた。
斉藤さんは意識を失っていた。
私は震える手で、再び日記を開いた。
最後のページには、かすれた文字でこう書かれていた。
「真実ハ、音色ニ宿ル。彼女ノ最後ノ曲ヲ弾ケバ、魂ハ解放サレル。」
私は、斉藤さんの頭の中にあるという「頭の中に響く音色」こそが、屋敷の主人を縛り付け、そしてこのアパートの住人たちを巻き込んできた呪縛の源だと理解した。
そして、この最後のメッセージは、その呪縛を解く方法を示していた。
斉藤さんが意識を取り戻した時、私は彼に全てを話した。
彼は信じられないという表情をしていたが、私たちが発見した図書館の資料と、日記のメッセージを見せると、静かに納得した。
「彼女の最後の曲…」
斉藤さんはピアノの前に座った。
「僕には、その曲が頭の中に響いている。」
彼は鍵盤に指を置いた。
これまで聞いてきた、悲しみと後悔に満ちた音色とは全く違う、優しく、しかし決意に満ちたメロディが奏でられた。
それは、愛する人への別れと許しを願うような、美しい曲だった。
曲が終わった瞬間、部屋全体が淡い光に包まれた。
窓の外の満月が、まるで部屋の中に入り込んできたかのようだ。
光は、斉藤さんのピアノから発しているように見えた。
光が消えた後、部屋には静寂だけが残った。
斉藤さんは、まるで長年の重荷が下りたかのように、清々しい表情をしていた。
私は急いで日記を確認した。
最後のページに書かれていた文字は消え、まっさらになっていた。
そして、日記帳自体も、触れるとぼろぼろと崩れ落ち、灰になって消えてしまった。
斉藤さんと私は顔を見合わせた。
屋敷の主人と女性ピアニストの魂は、ようやく解放されたのだ。
「もう、ピアノの音は聞こえない…」
斉藤さんが呟いた。
私も、自分の中にあった、誰かの意思に操られているような感覚が消えていることに気づいた。
私たちは、自由になったのだ。
このアパートには、まだたくさんの人が住んでいる。
それぞれが、それぞれの人生を生き、それぞれの物語を持っている。
でも、もう日記に導かれることはない。
私は、自分の新しい日記帳を買い、まっさらなページに自分の言葉で書き始めた。「今日から、私は私の人生を生きる。」
窓の外には、満月が輝いていた。
今夜の月は、もう悲しみの光ではなく、希望の光に見えた。
〜ミステリー章 終〜