恋は記憶喪失だった。
漫画や小説でよく出てくる”ネタ”。本当にあるかどうかも知らなかったけれど、実際に起きる症状らしい。
恋は車にはねられたことで脳になんらかの影響を受け、自分の名前、まわりの環境、そして私達をはじめとした親族の名前を忘れてしまったらしい。
誰?
恋は確かにそう言った。
ショックだった。
「娘さんは明日で退院できますよ」
先生は笑顔でそう言ったが、私達は喜べなかった。
学校でどうやってやっていくのだろう?
環境に溶け込めるだろうか?
そんな不安が胸をよぎる。
恋は、私達をいまだに「お母さん?」「お父さん?」と”疑問形”で呼んでいる。
親にとって、これほど辛いことは、ない。
そして、恋にとっても、これほど辛いことは、ないだろう。
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《わたしの一行日記》
7月17日 しらないおばさんとおじさんに「れん」と言われ、誰?と思った。
7月18日 わたしの名前はにしだれんというらしく、漢字は西田恋。
7月19日 わたしは明日、退院できるらしい。
7月20日 おばさんとおじさんは、今日が記念日だと言ったけど、なんでだろう?
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たったこれだけで終わった、恋の日記。
恋の見えないところでこっそり、ノートを見た。
わたしは静かに泣いた。
涙がページを濡らしてゆく。しずくのポタポタと落ちる音が、暗い、暗い寝室に響いていた。