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一部流血表現やその他不快になる描写があるかも知れません。それを承知の上読んでいただけると幸いです。
ある冬の雨が降った日、旅の途中で私は遂に倒れた。栄養失調と、五感を一つ失いかける感覚への恐怖で。
「おい、嬢ちゃん。一体こんなところで…ん、リュナーシェルの国の顔立ちだな、訳アリか。とにかく中に入れ。ここじゃ寒くて話もできねぇだろ」
そう言って男が話しかけてきた。目線を合わせて口を開けても出てくるのは掠れ声だけで、どう返事しようか迷う。リュナーシェルは隣の国で、貧民の多い国。変化の魔術を使っていたおかげで良い感じに解釈してくれた。
「あぁ、声も出ねぇのか。じゃあちょっと大人しくしてろよ…それっ」
男は私に近づいて横抱きにした。さっきまでは出なかった「ひっ」という声が出て、男だけでなく自分も驚いた。
「うっ…すまんな、ガタイのいい男に抱き上げられたら驚くか…」
人間味のある…いや人間だから当たり前なのだが、そういう反応と久しぶりの人肌の暖かさに触れて、カクン、と首が揺れた。
「眠いなら寝とけよ。というかこりゃリデイアに怒られるな…リュナーシェルの子供だと言ったら分かってくれるか…?」
そこで私の意識は完全に途絶えた。
「起きてえぇぇぇ!!」
「うわぁっ!!」
幼い誰かの声で無理矢理叩き起こされ、思わず叫んでしまった。その声の持ち主を隣に座った女の人が「ジュリエナ、ダメじゃないの」と諭し、明るいオレンジのポニーテールを揺らしてこちらを向く。暖炉の火が揺らめいていて、暖かい快適な部屋だ。
「やっと起きたわね…ルギオンが女の子を連れてきた時はどうしようかと思ったけれど、貴女はリュナーシェルの貧民なのね。名前はなんて言うの?」
さっと考えを巡らせる。リュナーシェルに多い名前は…そうだ、レシェル。リュナーシェルの伝統的な名前だ。
「レシェルです」
「レシェルね。私はリデイア。貴女をここへ連れてきた男の人、ルギオンの妻よ。で、この子はジュリエナ。さっきは叩き起こしちゃってごめんなさいねぇ」
「いえ、大丈夫です。それにしてもよく似てらっしゃいますね…」
と、そこまで言った時。私とジュリエナのお腹が同時に鳴った。
「あら…詳しい話は後にして、先に昼食にしましょう」
「ごめんなさい、リデイアさん」
「ごめんねぇ、ママ!」
そう言って気がついた。私は昨日の夜から昼まで眠っていたのだ。どうりで光の差し込み方が…。
「あ、貴女はトマト、食べられる? ジュリエナは苦手だから、抜いておいてもいいのだけれど」
「大丈夫です。私に好き嫌いはあまりないので」
私はフュレイヴから受け継いだものの影響で少しずつ感覚を失っていて、今は味覚が少しずつ消えかけている。だから、好き嫌いも殆どなくなってきたのだ。
「分かったわ。見た目によらず、大人なのね」
フフッと笑って場を和ませたリデイアは、ジュリエナを私に任せて昼食を作りに行った。__え?ジュリエナを、私に?
「お姉ちゃんは、何処から来たの? お母さんは? お父さんは?」
「ええと、リュナーシェルというお隣の国から来たの。でも、敵の…ルテイフィラスって国知ってるかな? その国の兵隊さん達に村を襲われちゃって。お母さんとお父さんはね、もうずっと前にお空にいっちゃったのよ」
「そうなんだ。お母さんがいないのはさみしいよね。ジュリはお母さんがいないとさみしいよ!」
お父さんが可哀想じゃない? という心の中の言葉は飲み込んだ。因みにここで語ったことは全て真っ赤な嘘である。トマトだけに。
「二人とも、ご飯が出来たわよ」
リデイアが扉の隙間から顔を覗かせた。どうやらほとんど準備はできていたようで、他愛のない話をしているうちにすぐ呼ばれた。
「トマトは抜いた? ジュリ、食べないよ?」
「はいはい。その代わりレタスは多めにしているからね」
「えーっ、ママの裏切り者!」
微笑ましい会話に思わず「フフッ」と声が漏れる。二人はそんな私の声を聞いて少しばかり見つめあった後、可笑しそうに笑った。
「わっ、本当にレタスが…」
三人で食事部屋に入り、木で作られた椅子に座る。昼食の皿に乗せられた野菜の量は規格外だった。ジュリエナは真緑、ジュリエナ以外の私とリデイアは緑と赤と少しのオレンジ。肉は大きめのものを切り分けるらしい。この辺りではよくある食べ方だ。因みにルギオンは酒場で飲み仲間と食べるらしい。
「レシェルはパンは白パンとリドウル、どっちが好みかしら?」
大皿に二種類のパンが盛られている。リュナーシェルで広く食べられているのはリドウルという、ヤギのバターとブドウのクリームを生地に練り込んだパンだ。白パンはあまり浸透していない。
「私はリドウルで大丈夫です。慣れた味が一番ですから」
「分かったわ。うちのパンは世界一だから、たんとお食べなさい」
パンを一つ手に取って一口サイズにちぎり、口に含む。甘酸っぱいクリームとバターが口の中に広がる。
「美味しい…」
膝の上が濡れたことで私は初めて泣いていたことに気がついた。ジュリエナが心配そうに、俯いた私の顔を覗き込む。
「お姉ちゃん、そんなにパンが不味かった?」
「そういうわけじゃ…ないん、だよ。ただ、懐かしくて…」
あぁ、私はこんな時でも嘘を吐かなければならない。懐かしくなんてないし、むしろ初めて食べたまである。では何故。答えは簡単、久しぶりにまともな食事を食べたから。そして、人の優しさを感じたから。
「リュナーシェルからここは遠いもの。中々リドウルも食べられる機会がなかったでしょう」
「ごめんなさい、泣くつもりではなくて」
「いいえ、好きに泣いてもいいのよ。貴女は子供なんだから」
そのリデイアの言葉でわっと涙が溢れた。今まで自分を子供扱いする人はフュレイヴ以外に殆どいなかったし、今はそのヒュレリヴも死んでしまったから。私は自分の本心を隠しながら、リデイアの慰めの言葉に少しの時間甘えていた。そしてその日はまたルギオンの家に泊まらせてもらった。
翌日。朝食の場でリデイアに話を持ちかけられた。
「それでレシェル。当てが無いならここで働かない? うちのパン屋は従業員がルギオンと私ともう一人しかいなくって、お店がなかなか回らないのよ。ジュリエナのお世話もあるしね」
「良いんですか? 私、パンの焼き方なんて分からないですし…」
「大丈夫。初めは会計からすれば良いわ。でもリュナーシェルとは通貨が違うから教えなければならないわね」
就職はかなり親切にサポートしてくれるらしい。それくらい人手不足なのだろう。
「貴女は覚えがよさそうだし、すぐ頭に入れてくれそうね。はい、これで覚えて頂戴。かなり時間がかかると思うけれど…」
すっとリデイアがエプロンのポケットから出したのは、一冊のメモ帳だった。開いてみると、どの国の通貨がどの国の通貨のどれくらいと同じなのかが書いてある。リュナーシェルのリダ金貨と、この街のある国ティルツェリア王国のレザ金貨はレザ金貨がリダ金貨の3倍、リダ銀貨とレザ銀貨はレザ銀貨が2倍。リザ銅貨とレザ銅貨は同じで、補助通貨は銅貨の三分の一のエダを共通で使っている。他にも隣国ルテイフィラスの通貨やかなり遠い国のものも載っている。
「この街は旅の人がよく寄って行くから、色んな通貨で支払えるようになっているのよ。ただ、覚えなければならない量は増えるのだけどね」
「これを全て覚えているんですか? 純粋に凄いと思います…」
「いや、私も偶にそれを見ているわ。マイナーな国からやってくる人もいるから全て覚えるとなると大変よ。兎にも角にも、仕事をしてくれるのなら明日からこれを持って会計をしてもらえるかしら」
「分かりました。私は覚えるのは得意なので頑張らせてもらいます」
そうして、私のパン屋住み込み生活は始まったのである。
「おい、嬢ちゃん。一体こんなところで…ん、リュナーシェルの国の顔立ちだな、訳アリか。とにかく中に入れ。ここじゃ寒くて話もできねぇだろ」
そう言って男が話しかけてきた。目線を合わせて口を開けても出てくるのは掠れ声だけで、どう返事しようか迷う。リュナーシェルは隣の国で、貧民の多い国。変化の魔術を使っていたおかげで良い感じに解釈してくれた。
「あぁ、声も出ねぇのか。じゃあちょっと大人しくしてろよ…それっ」
男は私に近づいて横抱きにした。さっきまでは出なかった「ひっ」という声が出て、男だけでなく自分も驚いた。
「うっ…すまんな、ガタイのいい男に抱き上げられたら驚くか…」
人間味のある…いや人間だから当たり前なのだが、そういう反応と久しぶりの人肌の暖かさに触れて、カクン、と首が揺れた。
「眠いなら寝とけよ。というかこりゃリデイアに怒られるな…リュナーシェルの子供だと言ったら分かってくれるか…?」
そこで私の意識は完全に途絶えた。
「起きてえぇぇぇ!!」
「うわぁっ!!」
幼い誰かの声で無理矢理叩き起こされ、思わず叫んでしまった。その声の持ち主を隣に座った女の人が「ジュリエナ、ダメじゃないの」と諭し、明るいオレンジのポニーテールを揺らしてこちらを向く。暖炉の火が揺らめいていて、暖かい快適な部屋だ。
「やっと起きたわね…ルギオンが女の子を連れてきた時はどうしようかと思ったけれど、貴女はリュナーシェルの貧民なのね。名前はなんて言うの?」
さっと考えを巡らせる。リュナーシェルに多い名前は…そうだ、レシェル。リュナーシェルの伝統的な名前だ。
「レシェルです」
「レシェルね。私はリデイア。貴女をここへ連れてきた男の人、ルギオンの妻よ。で、この子はジュリエナ。さっきは叩き起こしちゃってごめんなさいねぇ」
「いえ、大丈夫です。それにしてもよく似てらっしゃいますね…」
と、そこまで言った時。私とジュリエナのお腹が同時に鳴った。
「あら…詳しい話は後にして、先に昼食にしましょう」
「ごめんなさい、リデイアさん」
「ごめんねぇ、ママ!」
そう言って気がついた。私は昨日の夜から昼まで眠っていたのだ。どうりで光の差し込み方が…。
「あ、貴女はトマト、食べられる? ジュリエナは苦手だから、抜いておいてもいいのだけれど」
「大丈夫です。私に好き嫌いはあまりないので」
私はフュレイヴから受け継いだものの影響で少しずつ感覚を失っていて、今は味覚が少しずつ消えかけている。だから、好き嫌いも殆どなくなってきたのだ。
「分かったわ。見た目によらず、大人なのね」
フフッと笑って場を和ませたリデイアは、ジュリエナを私に任せて昼食を作りに行った。__え?ジュリエナを、私に?
「お姉ちゃんは、何処から来たの? お母さんは? お父さんは?」
「ええと、リュナーシェルというお隣の国から来たの。でも、敵の…ルテイフィラスって国知ってるかな? その国の兵隊さん達に村を襲われちゃって。お母さんとお父さんはね、もうずっと前にお空にいっちゃったのよ」
「そうなんだ。お母さんがいないのはさみしいよね。ジュリはお母さんがいないとさみしいよ!」
お父さんが可哀想じゃない? という心の中の言葉は飲み込んだ。因みにここで語ったことは全て真っ赤な嘘である。トマトだけに。
「二人とも、ご飯が出来たわよ」
リデイアが扉の隙間から顔を覗かせた。どうやらほとんど準備はできていたようで、他愛のない話をしているうちにすぐ呼ばれた。
「トマトは抜いた? ジュリ、食べないよ?」
「はいはい。その代わりレタスは多めにしているからね」
「えーっ、ママの裏切り者!」
微笑ましい会話に思わず「フフッ」と声が漏れる。二人はそんな私の声を聞いて少しばかり見つめあった後、可笑しそうに笑った。
「わっ、本当にレタスが…」
三人で食事部屋に入り、木で作られた椅子に座る。昼食の皿に乗せられた野菜の量は規格外だった。ジュリエナは真緑、ジュリエナ以外の私とリデイアは緑と赤と少しのオレンジ。肉は大きめのものを切り分けるらしい。この辺りではよくある食べ方だ。因みにルギオンは酒場で飲み仲間と食べるらしい。
「レシェルはパンは白パンとリドウル、どっちが好みかしら?」
大皿に二種類のパンが盛られている。リュナーシェルで広く食べられているのはリドウルという、ヤギのバターとブドウのクリームを生地に練り込んだパンだ。白パンはあまり浸透していない。
「私はリドウルで大丈夫です。慣れた味が一番ですから」
「分かったわ。うちのパンは世界一だから、たんとお食べなさい」
パンを一つ手に取って一口サイズにちぎり、口に含む。甘酸っぱいクリームとバターが口の中に広がる。
「美味しい…」
膝の上が濡れたことで私は初めて泣いていたことに気がついた。ジュリエナが心配そうに、俯いた私の顔を覗き込む。
「お姉ちゃん、そんなにパンが不味かった?」
「そういうわけじゃ…ないん、だよ。ただ、懐かしくて…」
あぁ、私はこんな時でも嘘を吐かなければならない。懐かしくなんてないし、むしろ初めて食べたまである。では何故。答えは簡単、久しぶりにまともな食事を食べたから。そして、人の優しさを感じたから。
「リュナーシェルからここは遠いもの。中々リドウルも食べられる機会がなかったでしょう」
「ごめんなさい、泣くつもりではなくて」
「いいえ、好きに泣いてもいいのよ。貴女は子供なんだから」
そのリデイアの言葉でわっと涙が溢れた。今まで自分を子供扱いする人はフュレイヴ以外に殆どいなかったし、今はそのヒュレリヴも死んでしまったから。私は自分の本心を隠しながら、リデイアの慰めの言葉に少しの時間甘えていた。そしてその日はまたルギオンの家に泊まらせてもらった。
翌日。朝食の場でリデイアに話を持ちかけられた。
「それでレシェル。当てが無いならここで働かない? うちのパン屋は従業員がルギオンと私ともう一人しかいなくって、お店がなかなか回らないのよ。ジュリエナのお世話もあるしね」
「良いんですか? 私、パンの焼き方なんて分からないですし…」
「大丈夫。初めは会計からすれば良いわ。でもリュナーシェルとは通貨が違うから教えなければならないわね」
就職はかなり親切にサポートしてくれるらしい。それくらい人手不足なのだろう。
「貴女は覚えがよさそうだし、すぐ頭に入れてくれそうね。はい、これで覚えて頂戴。かなり時間がかかると思うけれど…」
すっとリデイアがエプロンのポケットから出したのは、一冊のメモ帳だった。開いてみると、どの国の通貨がどの国の通貨のどれくらいと同じなのかが書いてある。リュナーシェルのリダ金貨と、この街のある国ティルツェリア王国のレザ金貨はレザ金貨がリダ金貨の3倍、リダ銀貨とレザ銀貨はレザ銀貨が2倍。リザ銅貨とレザ銅貨は同じで、補助通貨は銅貨の三分の一のエダを共通で使っている。他にも隣国ルテイフィラスの通貨やかなり遠い国のものも載っている。
「この街は旅の人がよく寄って行くから、色んな通貨で支払えるようになっているのよ。ただ、覚えなければならない量は増えるのだけどね」
「これを全て覚えているんですか? 純粋に凄いと思います…」
「いや、私も偶にそれを見ているわ。マイナーな国からやってくる人もいるから全て覚えるとなると大変よ。兎にも角にも、仕事をしてくれるのなら明日からこれを持って会計をしてもらえるかしら」
「分かりました。私は覚えるのは得意なので頑張らせてもらいます」
そうして、私のパン屋住み込み生活は始まったのである。