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藍色の芽吹き

#2

《デリカD:5》

[明朝体][右寄せ][太字]デリカD:5[/太字][/右寄せ]



ぼた雪が次第に吹雪に変化する。白くぼやけ始めた視界が焦燥感を煽った。市立稚内病院の駐車場で黒いデリカD:5が停まっている。
文島は母を病院に預けた後、ここに車を残して自宅まで徒歩で帰宅したらしい。積雪の中運転するのは危険だ。しかしこのまま雪が強くなれば、歩くのさえ困難になる。ボンネットの上の雪の高さからすると、停車してから30分ほど経ったらしい。きっとまだ道半ばだろう。
不安を静めるように宗谷は歩き出した。
彼女の所在を確かめるために、稚内中央中学校を目指す。

いよいよ強い風が雪を巻き上げ、湿った積雪に足を取られるようになった。猛吹雪の中、文島の無事を祈る。もう家に着いただろうか。風が突き刺すように吹き荒れ、頬が痛い。どうしようもなく指が震えていた。

稚内中央中学の校門前にまばらな人影が見えた。
近所の年配者が学校へ避難するようだ。数人に声を掛け文島の所在を尋ねる。東の道筋を進んだところにある自宅に、彼女が入っていくのを見たと言う人がいた。そう遠くないらしい。
「こん雪ん中、すぐは着かんぞ」
宗谷に声を掛けた年配者の声も吹雪が攫っていく。重い足を振り上げ、手で雪を掻きながら進んだ。



三角屋根の家に辿り着いた。
呼び鈴は氷柱に覆われて動かない。凍えた拳をぐっと握り、宗谷は戸を叩いた。
人の気配が無い。悪寒を振り払うように宗谷は繰り返し戸を叩き、文島の名を呼んだ。
自宅に居なければ、一体どこへ。
戸から離れ、家の辺りを必死に探し歩く。

目を凝らすと、少し奥ばった裏口の辺りに、人影が見える。
宗谷は漸く安堵の息をついた。礼、と呟き、駆け寄った。彼女は、何か地面を見つめるように蹲って、名前を呼んでも、背中を抱いても顔を上げない。腕の辺りを擦ってやりながら、玄関から家に入るまで寄り添った。



三角屋根の家は、間取りの狭い2階建てでこぢんまりとした住まいだった。玄関口の中に、どこか懐かしい古い木目やレンガの雑貨が飾られている。
屋外にいる間、文島は覚束ない足取りで、ずっと俯いていた。しかし玄関で身体から雪を落とし、居間へ入ると文島は慣れた手つきで暖炉の火を起こし始めた。宗谷は居間の椅子に掛かっていた毛布をそっと文島の肩に掛けた。文島の横顔を眺めるうち、頬の辺りばかりが霜焼けになり赤みが差しているのに気づいた。



「もう平気?」
さり気なく声を掛けたつもりだったが、文島はまた瞳を伏せてしまった。こうしたとき、何と言うべきか。いつも分からなってしまう。

暖炉の前に文島と並んで座る。肩を寄せ合うと心地よく、数カ月前に戻ったような気がした。
どうして蹲っていたの。できるだけ静かな声で訊いてみた。
「...車の鍵を落としてしまって。」
「黒いデリカD:5?」
「そう。」

ぽつり、ぽつりと、彼女は語り出す。あの車は買ったばかりなの。病院に置いてきてしまったけれど必ず取りに戻らなくちゃ。

「...鍵は見つかった?」

文島の目が微かに潤んだ。

「まだ。」



彼女はかなり思い詰めているのだろう。
宗谷は口を開くことが出来ずにいた。
そのうちに文島は肩に掛かった毛布をきちんと畳んで、立ち上がった。
「吹雪の中、来てくれるなんて驚いた。」
温かいお茶、飲もう。
と彼女は少し歯を見せて笑う。いつもの文島の笑顔に戻っていた。

湯を沸かし、薪を焚べながら、2人は久々に話に花咲かせた。

あの日の朝、文島は透明な小包を抱え、制作部を訪れた。爽やかな笑顔でハンドタオルの礼を述べると、そのまま国際部へと戻っていった。
それ以来、文島は宗谷を避けるようになった。

彼女の30才の誕生日、宗谷は贈り物を用意していた。それを渡すとき、伝えようとしていた言葉があった。そして彼は彼女の、一切の苦しみを理解しようと覚悟していた。
けれど宗谷の気づかぬ内に、2人の関係は終わりを迎えていたのかもしれなかった。
ハンドタオルに包まれた手紙の真意を知るため、何度も彼は国際部へ立ち寄った。踠きようのない暗い水の中で叫ぶように、彼女を引き留めようとした。しかし定時になると、文島は足早に退社するのであった。



文島が故郷へ戻ったと耳にしたのは数カ月経った頃だった。母の体調が優れないので病院へ通うことが増え、唯一の家族である文島は、雪の季節だけでも世話をしてやりたいと、有給休暇を取ったそうだ。

ちょうど年内の仕事が片付いた時期に、宗谷も帰省の準備をしていた。昨日、例年にない大寒波に見舞われ、大雪警報が各地に出された。居ても立ってもいられなくなった宗谷は予定より早く東京を出て、この稚内にいる文島を訪ねたのだった。



「稚内に戻ってからね、中古のデリカを買ったんだ。東京で稼いだ貯金があったから。」

誇らしそうに文島が言った。稚内の町外れから上京して通訳という夢を叶えた、華々しい人生。きっとその陰には、たったひとりの親として彼女を支えた母の応援があったのだろう。
強靭なタイヤを持つデリカに母を乗せ、雪道の中、母の通院を送迎する。東京で立派に自立した一人娘のプライドのようなものを垣間見た気がした。

暖炉の火は軽快に揺れ、会話は弾む。数カ月ぶりに2人で囲む食卓は暖かく、しばらく時の流れが止まったようだった。

夕闇が深くなるにつれ、宗谷の心に、不安がちらついた。明日の朝、雪が解ければ彼女はまた、自分から離れていくのだろうか。
自分は、彼女を引き留めることができるだろうか。

交代でシャワーを浴び、寝床を支度する。
薪が赤く燻り、ひっそりと火の粉を飛ばしていた。

「...礼、教えてくれないかな。 ー あの夜泣いていた訳を。」

文島は、毛布を膝に抱えている。
宗谷は彼女の正面に座った。

時間が経って、冷静になったら全て打ち明けてと
言ったよね。
でも気づいたんだ。
礼は、冷静にならなくていい。
言うのが辛ければ辛いままでいい。
辛い気持ちだからこそ、どうしても知りたいと
思っているんだ。     

文島の瞳は揺らぐことなく、宗谷を見ていた。
彼女の瞳に問いかけるように。もう一度言った。

「教えてほしい。」

文島は少し背筋を伸ばして姿勢を正すと、過去の出来事を丁寧に語り始めた。

ずっと自分を認めたかった。
子供を産めなくても、自分は幸せに生きていると胸を張りたかった。
それでもね、時々苦しくなるの。ずっと独りで踠いてるのが馬鹿みたいで。

私を産んだときから、母は独りぼっちだった。
だから、礼はいい家族を作りなさいよって
毎月のように私に手紙書くの。
いつも寄り添ってくれる湊に感謝している。
きっと恩返しするからね。

文島は宗谷と背中を合わせるようにして、身体を委ねた。
毛布を暖炉の前に置き、深く息を吸って呟いた。


「私はもう大丈夫。」

[/明朝体]

作者メッセージ

登場人物
文島 礼 (あやしま れい) 国際部に勤務する女性
宗谷 湊 (むねたに そう) 制作部に勤務する男性

2025/09/18 19:23

ガラクタに思いを馳せる
ID:≫ 8gj9NtSYYPOPs
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