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藍色の芽吹き

#1

《ハンドタオル》

[明朝体][小文字][右寄せ][太字]ハンドタオル[/太字][/右寄せ][/小文字]


「今夜渡したいものがある」
その言葉に文島は目を逸らした。
宗谷は真直な瞳でもう一度問いかける。
「今夜、会えないかな」
何と答えるべきか。うまく考えることができない。
つっと心に痛みが走り、ただ俯く。

沈黙が冷やかに2人の時間を蝕んでいった。彼は今何を思っているだろう。昨日の出来事は彼を傷つけたのだろうか。何も言わずに宗谷は文島を見つめている。

「...大丈夫?」
よほど酷い顔をしてたのかもしれない。張り詰めた空気を融かしたのは宗谷の優しく温かい声だった。
文島は静かに立ち上がり、頭を下げた。
「ごめんなさい。体調が優れなくて。」
今日は帰るね。半ば重い気持ちから逃れるように荷物をまとめた。
そして、感謝を伝えた。誘ってくれたこと、心配してくれたこと。宗谷の顔を見ることができず、未だ俯いたままだった。どんな表情をさせてしまっているのかな。彼に向き合う勇気が無かった。



宗谷とは職場で知り合い、同郷であるなど偶然の似通った境遇から、いつしか親しく話す仲になった。出会ってから1年ほど経ったある日、文島は彼を夕食に誘った。初めのうち2人はぎこちなく畏まって食事をしたものの、たちまち心を通わせ、5年経った今でも毎日のように食卓を共にしている。

今日は30才の誕生日。社内通訳としての単独職務だけでなく、ミーティングなど連携業務の場にも顔を出す機会が多いため、同僚や上司までもが昼休憩にささやかな小包などを、彼女に差し入れてくれた。その場に、宗谷もいた。小さな企業ならではの雰囲気はいつだって文島の心を和ませたが、今日ばかりは、心が凍りついたようになってしまった。宗谷の平生と異なる神妙な眼差しに胸がざわつく。予期した通り、宗谷が帰り際に国際部へ現れたので、彼女は逃げるように会社を去ったのだった。



卑怯であっただろうか。苦い感情が渦を巻き、彼女を飲み込む。10年以上経つというのに、遠い夏の日に感じたあの目眩に似た感覚を思い出した。
高校3年生の夏、文島は子宮癌を患った。
全摘の判断を医師から告げられたとき、彼女は将来、子供を産めないと知った。
思春期の漠然とした不安の中で、もう普通の女の子の幸せを手に入れることができないという事実は、淀んだ苦痛を伴って彼女の心に影を落とした。それでも自分は人生を諦めたくない。その一心で夢を追いかけ、憧れの職業に就いたのだ。



宗谷は文島の事情を知らない。しかし昨日のことで何か覚悟を決めたようだった。きっと重大な事情を察したのだろう。彼の想いから逃げる自分は臆病だ。けれどきちんと伝えなければ。
独り暮らしの部屋の戸棚から、便箋を取り出す。



昨夜はこの部屋で彼と過ごした。
枕元の小さな仄暗い明かりに目を瞑る。
瞼が熱い。肌の温もりを感じる。
呼吸は浅く響き、彼の鼓動が大きく鳴る。
宗谷の掠れた声が耳に蘇る。
 ― 苦しくない?
彼女は昨日泣いていた。答えられずに泣いていた。



[中央寄せ][斜体]湊、ありがとう。
昨日借りたハンドタオル、お返しします。
気持ちが落ち着くまで傍にいてくれてありがとう。
時間が経って冷静になったら全て打ち明けて
と言ってくれてありがとう。
ごめんなさい。でなく、ありがとう。
そう言えるようになったのは湊のおかげです。[/斜体][/中央寄せ]



もし全てを打ち明けてしまえば彼は文島と共に苦しい道を歩くだろう。彼女はそれを望まない。
本当の想いは伝わらなくても彼が手紙を読んでさえくれれば
 ー 最後の言葉だけ忘れないでいてくれれば、それでいい。



[中央寄せ][斜体]湊の幸せを祈っています。[/斜体][/中央寄せ]



便箋を封筒に入れ、きっちり綴じた。
柔らかく優しいハンドタオルで封筒を包み、透明な袋で包装する。
ちゃんと彼の目を見て、これを渡そう。



[/明朝体]

作者メッセージ

登場人物
文島 礼 (あやしま れい) 国際部に勤務する女性
宗谷 湊 (むねたに そう) 制作部に勤務する男性

文章を書いて投稿すること自体が、初めての経験です。
拙い小説ですが、暖かいコメントをお待ちしております。

2025/09/18 19:23

ガラクタに思いを馳せる
ID:≫ 8gj9NtSYYPOPs
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