ガラス越しの「いいね」
午前二時。
スマートフォンの青白い光が、真っ暗な部屋に浮かんでいる。
美咲は、投稿ボタンを押す直前で指を止めた。
何度も撮り直した写真。何度も書き直した文章。
> 「今日も最高の一日でした✨」
嘘だった。
それでも、画面の向こうの誰かに向けて、完璧な自分を差し出す。
――投稿。
数秒後、震えるように通知が届きはじめる。
赤いハート。拍手。短い称賛。
「さすが美咲ちゃん!」
「憧れる!」
「ほんとにキラキラしてる!」
その言葉を浴びるたび、胸の奥がじんわり熱くなる。
けれど同時に、どこかが冷えていく。
彼女は、ガラス越しに拍手を浴びている。
触れられない、聞こえない、でも確かにそこにある称賛。
翌日、大学のカフェテリア。
「昨日の投稿、すごかったね」
同級生の遥が言った。
美咲は笑顔を作る。
「ありがとう。たいしたことないよ」
本当は、徹夜で加工した写真だ。
本当は、楽しいどころか、孤独で押しつぶされそうな夜だった。
だが誰もそれを知らない。
知ってほしいのに、知られたくない。
承認欲求は、甘い毒だった。
最初は、小さな「いいね」で十分だった。
けれど次第に、もっと多く、もっと強い反応が欲しくなる。
フォロワーの数。
再生回数。
ランキング。
数字は彼女の体温だった。
ある夜、投稿しても反応が鈍かった。
通知は静まり返り、画面は暗いまま。
胸がざわつく。
息が浅くなる。
「どうして?」
写真が悪かった?
時間帯?
それとも――私に飽きた?
画面に映る自分の顔を見つめる。
完璧に整えられた、無表情の笑顔。
「……私って、誰なんだろう」
そのとき、スマートフォンが震えた。
通知ではなく、電話だった。
母から。
「元気にしてる?」
その一言で、なぜか涙があふれた。
「……うん」
うまく答えられない。
母は続ける。
「あなた、昔からね。褒められなくても、よく笑う子だったのよ」
美咲は、何も言えなかった。
褒められなくても笑っていた自分。
誰かに見せるためではなく、ただ楽しかったから笑っていた自分。
その夜、美咲は投稿を削除した。
代わりに、写真も加工もない、短い言葉だけを打ち込む。
> 「今日は少し疲れています。でも、ちゃんと生きてます。」
投稿。
数分、反応はなかった。
胸がざわつく。
だが、やがて一つ、通知が届いた。
「大丈夫?無理しないでね」
それは、遥からだった。
たった一つの言葉。
けれど、ガラス越しではない、確かな温度があった。
その夜、美咲はスマートフォンを伏せた。
部屋は暗いまま。通知も鳴らない。
けれど不思議と、胸の奥は静かだった。
承認されたい気持ちは、消えない。
きっと一生、消えない。
でも。
誰かに「すごい」と言われなくても、
「いいね」がなくても、
自分で自分を抱きしめられる夜がある。
それは、画面の向こうではなく、
ちゃんとこの胸の中にあった。
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