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ステージの下で呼吸する

#7

頭の中に閉じ込められる

病室の時計は、音を立てなかった。
正確には、秒針は動いているはずなのに、澪には進んでいないように見えた。
朝と夜の区別は、看護師が来るかどうかだけで判断する。
食事のトレーが置かれ、下げられ、また置かれる。
その繰り返しの中で、澪は少しずつ現実感を失っていった。
眠っても、休まらない。
目を閉じると、ステージの照明が浮かぶ。
歓声が、期待が、失敗した瞬間の空白が、順番もなく押し寄せる。
――次は、どうなる?
その問いが、何度も頭に浮かぶ。
答えは出ない。
出ないのに、考えるのをやめられない。
身体は横になっているのに、脳だけが走り続けていた。
「考えすぎるとさ」
隣から、叶音の声がした。
カーテン越しで、姿は見えない。
「自分が自分じゃなくなる感じ、しない?」
澪は、一瞬言葉に詰まった。
それは、今まさに感じていることだった。
「……する」
小さな声だった。
でも、確かに音になった。
「だよね。私も最初、怖かった」
叶音の声は、淡々としている。
慣れてしまった人の声だった。
「何もしない時間って、心の中を全部引きずり出すから」
澪は、その言葉を噛みしめる。
何もしない。
それは休息のはずだった。
でも実際は、逃げ場を失うことだった。
ここでは、笑顔を作らなくていい。
頑張っているふりをしなくていい。
でもその代わり、
「何者でもない自分」から目をそらせない。
夜、消灯後。
病室は音を飲み込む。
カーテンの向こうで、誰かが寝返りを打つ気配。
廊下を遠くで歩く足音。
それだけで、心臓が跳ねる。
――私は、もう終わった人間なんじゃないか。
そんな考えが、突然浮かぶ。
否定しようとするほど、輪郭がはっきりする。
ステージに立てない。
歌えない。
期待に応えられない。
それでも、時間は進む。
自分だけが取り残されている感覚が、
じわじわと恐怖に変わっていった。
澪は、布団の中で指を強く握った。
感覚を確かめるみたいに。
――私は、ここにいる。
そう思おうとした瞬間、
逆に不安が広がった。
ここにいるだけで、いいのか。
ここにいる意味は、あるのか。
考えが堂々巡りになる。
止めようとすればするほど、深く沈む。
そのとき、カーテン越しに紙の擦れる音がした。
叶音が、何かを書いているらしい。
「……それ、何してるの?」
澪がそう聞くと、少し間があって返事が来た。
「書いてる。頭の中、外に出さないと壊れそうだから」
その言葉に、澪の胸がざわついた。
壊れる。
その表現が、やけに現実味を帯びて聞こえた。
「書くとね、少しだけ“自分”が戻ってくるんだよ」
澪は、天井を見つめたまま、目を閉じる。
頭の中は、相変わらずうるさい。
でも、その騒音の中に、
小さな逃げ道が見えた気がした。
――このままじゃ、だめだ。
何が「だめ」なのかは、まだわからない。
それでも、
考え続けるだけの夜より、
何かを外に出す夜の方が、まだましだと思えた。
白い病室の中で、
澪の恐怖は、静かに形を変え始めていた。

2026/01/18 10:55


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