『名を刻む扉と、白紙の世界』

第一章 夜にひらく図書室

放課後の学校は、昼間とは別の顔をしている。
窓から差しこむ夕焼けはオレンジ色というより、どこか紫に近くて、世界が少しだけ夢に近づいたみたいだった。

結月(ゆづき)は、だれもいなくなった廊下を一人で歩いていた。
理由は単純。――図書室に忘れ物をしたから。

「なんで今日にかぎって…」

きゅっ、と上ばきを鳴らしながら、図書室のドアに手をかける。
カチャ。
いつもは静かなはずのその場所から、さらりと風が流れ出てきた。

「……え?」

中は、暗い。
でも、完全な暗闇じゃない。本棚のすき間から、星みたいな光がふわふわ浮いている。

「電気、消し忘れ……じゃないよね」

一歩、足を入れた瞬間。

――ぱたん。

ドアが、ひとりでに閉まった。

「えっ⁉」

振り返っても、ドアはびくともしない。
そのかわり、奥のほうからページをめくる音が聞こえてきた。

ぱら、ぱら、ぱら……

「だ、だれかいますか?」

声が震える。
すると、いちばん古い本棚の前で、影が動いた。

「やっと来たね、結月」

聞き覚えのない声。
でも、不思議と怖くない。

影から現れたのは、同い年くらいの男の子だった。
黒い制服みたいな服に、金色のしおりを耳にかけている。

「……なんで、私の名前を」

男の子はにやっと笑った。

「だってここは、“選ばれた人”しか来られない図書室だから」

「選ばれた……?」

男の子は一冊の本を差し出した。
表紙には、文字が書いていない。
ただ、結月が触れた瞬間――

ドクン

心臓が強く鳴った。

「この本はね、読むんじゃない」

男の子の声が、少しだけ真剣になる。

「――入るんだ」

本が、光った。

床が消え、空気がほどけ、
結月の世界は、音もなく裏返る。

落ちていく中で、男の子の声だけが聞こえた。

「ようこそ。物語の中へ」

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